1607年

人物

結城秀康(ゆうきひでやす)/ 松平秀康(まつだいらひでやす)

安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。越前国北ノ庄藩初代藩主。越前松平家宗家初代。徳川家康の次男として遠江国敷知郡宇布見村で生まれた。天正18年(1590年)、家康が駿遠三甲信から、旧北条氏の領地である関東に国替えになり240万石を得た。豊臣秀吉は、関東平定の功労者である家康へ更なる加増として、秀康を北関東の大名結城氏の婿養子とすることを考えついた。結城氏は下野国の守護に任命されたこともある名家で、秀康は関東に下り黒田孝高の取り成しで結城晴朝の姪と婚姻して結城氏の家督および結城領を継いだ。また、改めて羽柴姓を賜り、官位から羽柴結城少将と呼ばれた。生誕 天正2年2月8日(1574年3...
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法龍寺-愛媛県松山市

・法龍寺 曹洞宗 愛媛県松山市柳井町3-8-14法龍寺の開創は松山藩松平家初代藩主松平定行が掛川城に入城した1607年(慶長12年)ごろまで遡る事が出来ます。掛川領内に永興院という寺院があり、定行公はその住職 建庵順佐和尚(法龍寺開山)を城に招いたり、自ら永興院を訪ねたりして深く帰依したと「法龍寺歴代記」にあります。(リンク先より) << 戻る
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西方寺-和歌山県田辺市

・西方寺 浄土宗 和歌山県田辺市古尾25-3開基年代は不詳ですが、慶長12年(1607年)に賢譽上人が西の谷御所谷(現在の田辺市上の山)から現在の地に移され、中興上人となられました。(リンク先より) << 戻る
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龍顔寺-長野県上田市

・龍顔寺 曹洞宗 長野県上田市生田4659当寺は慶長12年(1607年)真田宮内之助高勝公(附系図参照)の菩提寺として、信州上田城主、真田信之公の朱印状により開創されました。高勝は信光とも称し、上田城主、真田昌幸公の弟にして、幸村はその甥に当たります。開山は葉山存荷大和尚(1620年示寂)であり、甲府市恵運院二世光厳東旭大和尚の二番弟子です。兄弟子は松山存宿大和尚といい、上田市大輪寺の開山大和尚です。(リンク先より) << 戻る
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善教寺-大分県佐伯市

・善教寺 真宗大谷派 大分県佐伯市城下東町5-4寺号としての善教寺はそのもとを15世紀にまで遡る資料があります。真宗寺院として東本願寺の末寺となったのは、1607年です。(リンク先より) << 戻る
仏教を本気で学ぶ

後陽成天皇八宮を門跡に定める

1607年(慶長12年)、後陽成天皇の第八皇子として誕生された良純入道親王(通称は八宮)は5歳の時に知恩院門跡に定められる。知恩院初代門跡。<< 戻る