1260年

仏教を本気で学ぶ

松葉ヶ谷法難

文応元(1260)年7月16日、前執権で幕府最高の実力者の北条時頼に日蓮聖人は『立正安国論』を送りました。この書は、地震・洪水・飢饉・疫病などの災害が起こる原因は、民衆や幕府の間違った信仰にあるとし、仏教経典を根拠に、正法たる法華経を立てなければ自界叛逆難、他国侵逼離などの災いが起こると説かれています。同年8月27日、『立正安国論』建白の40日後、他宗の僧ら数千人により、松葉ヶ谷の草庵が焼き討ちされましたが難を逃れました。<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

日蓮聖人『立正安国論』を著す

文応元(1260)年5月26日、『立正安国論』を著す。1巻。日蓮が5代執権・北条時頼(ほうじょうときより)に献じたもので、法華経のみが正法(しょうぼう)であり、これを信仰して国をおさめ民衆を救済すべきことを警告し、これにより政治を行わないと天災地変がおこり、外国の侵略を受けると説といている。<< 戻る
便り

金胎寺-富山県射水市

・金胎寺 高野山真言宗 富山県射水市戸破3315護国山金胎寺は文応元年(1260)頃、高野山大楽院信顕阿闍梨が北陸巡業の折、越中に滞在し、当地に金剛界・胎蔵界の両曼荼羅を安置し、加茂社の神宮寺として草創されました。本堂の天井中央には、周囲に菊華紋をあしらった、墨絵の竜眼図が描かれています。この寺は北陸で一番最初に前田利家の兄である前田安勝公により西国三十三観音に習い越中一国三十三観音の十五番札所(本尊秘仏千手千眼観音菩薩像)に定められた寺でもあります。(リンク先より) << 戻る
年表

フビライ・ハンがモンゴル帝国第5代皇帝に即位

1260年、フビライ・ハンがモンゴル帝国第5代皇帝に即位。<< 戻る