(命日)03月21日

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横山エンタツ(よこやまエンタツ)

大正・昭和期の漫才師・俳優。本名:石田 正見。花菱アチャコとのコンビによって、それまでの「萬歳」に代わる現在の「しゃべくり漫才」のスタイルを発明し、今につながる漫才の形式の基礎を作った。漫才作家秋田實のよき相談者として上方漫才、喜劇の興隆に大きく貢献した。生誕 1896年4月22日命日 1971年3月21日<< 戻る
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柳生十兵衛 (やぎゅうじゅうべえ/三厳/みつよし)

江戸時代前期の武士、剣豪、旗本。初名は七郎、諱は三厳、通称は十兵衛。 大和国柳生藩初代藩主にして将軍家兵法指南を務めた剣豪・柳生宗矩の子。始め徳川家光に小姓として仕えたが、主君の勘気に触れて出仕停止となり、後に許されて書院番を務める。生誕 慶長12年(1607年)命日 慶安3年3月21日(1650年4月21日)長岩院殿金甫宗剛大居士<< 戻る
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京極為兼(きょうごくためかね)

鎌倉時代後期の公卿・歌人。名前の読みを「ためかぬ」とする説もある。 生涯. 京極家の祖・京極為教の子に生まれる。幼少時の初学期から従兄の為世と共に祖父為家から和歌を学ぶ。『玉葉和歌集』『風雅和歌集』に和歌が入集している。なお歌論書としては為兼卿和歌抄が知られる。生誕 建長6年(1254年)命日 元徳4年/元弘2年3月21日(1332年4月16日)<< 戻る
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弘法大師 空海上人(こうぼうだいしくうかいしょうにん)

空海は、宝亀5(774)年6月15日、讃岐国の屏風ガ浦(現在の四国香川県善通寺市)で誕生しました。父は、郡司・佐伯直田公(さえきのあたいたぎみ)、母は、玉依御前(たまよりごぜん)の三男で、幼名を真魚(まお)といいました。延暦7(788)年、平城京(古都。784年、長岡京に遷都)に出て、延暦8(789)年、母方の叔父さんである阿刀大足(あとのおおたり)について論語、孝経、史伝、文章などを学びました。延暦11(792)年、18歳で長岡京の大学寮に入り、明経道、春秋左氏伝、毛詩、尚書などを学んだと伝えられます。大学寮の勉強だけではもの足らず、大学寮を去って仏道修行を始めました。一説には奈良岩渕寺の勤...