黄檗宗

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閑臥庵-京都府京都市北区

・閑臥庵 黄檗宗 京都府京都市北区鞍馬口通寺町西入新御霊口町278「閑臥庵(かんがあん)」は山号を瑞芝山(ずいしざん)という黄檗宗の禅寺でございます。江戸時代前期には後水尾法皇の実弟である梶井常修院の宮の院邸でございましたが王城鎮護の為に貴船の奥の院から鎮宅霊符神(ちんたくれいふじん)をこの地に歓請し、初代隠元禅師から六代目の黄檗山萬福寺管長千呆(せんがい)禅師を招いて1671年に開山したのが当寺の起こりであります。(リンク先より) << 戻る
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広済寺-東京都江戸川区

・萬徳山 広済寺 黄檗宗 東京都江戸川区春江町4-231669年(寛文九年)に当時の上州(群馬県)館林城主綱吉公の許可を得た潮音道海禅師により、関東における最初の黄檗禅道場として城内に建立された。 大いに禅風を挙げ、禅師に深く帰衣し、檀越(信者)となった多くの庶民がその膝下に集り、後に黒滝派という一派を形成、その言動が与えた影響は社会的に大きいものがあった。(リンク先より) << 戻る
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萬福寺-京都府宇治市

・大本山萬福寺 黄檗宗 京都府宇治市五ケ庄三番割34黄檗山萬福寺は1661年に中国僧「隠元隆琦(いんげんりゅうき)禅師」によって開創されました。 禅師は中国明朝時代の臨済宗を代表する僧で、中国福建省福州府福清県にある黄檗山萬福寺のご住職をされていました。その当時、日本からの度重なる招請に応じ、63歳の時に弟子20名を伴って1654年に来朝されました。宇治の地でお寺を開くにあたり、隠元和尚は寺名を中国の自坊と同じ「黄檗山萬福寺(おうばくざんまんぷくじ)」と名付けました。(リンク先より)<< 戻る
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興福寺-長崎県長崎市

・興福寺 黄檗宗 長崎県長崎市寺町4-32興福寺の由来は、中国・明の商人が長崎に渡来しはじめた頃の元和六年(1620)、中国僧真円が航海安全を祈願してこの地に小庵を造ったことに始まります。江戸時代初期の長崎は、幕府の朱印船、唐船貿易の奨励により、ヨーロッパ諸国、イスラム、アジアなどの冒険商人や物資が集まる国際都市となりましたが、なかでも中国からの来航者は圧倒的に多く、市民の6人に1人は中国人というほどで、出身地別に寺を建立したのが興福寺をはじめとする崇福寺、福済寺などの長崎唐寺(とうでら)の始まりです。(リンク先より) << 戻る
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臨川寺-岐阜県関市

・臨川寺 黄檗宗 岐阜県関市小屋名957-11617年に小屋名村の豪族であった「喜多嶋きたじま(亀山)惣右衛門そうえもん 雅利まさとし」が、小屋名村の領主であった「池田図書政長いけだずしょまさなが」の菩提寺として創建しました。当初は臨済宗でしたが、1660年に潮音道海禅師を迎え、黄檗宗に改宗しました。(リンク先より) << 戻る
人物

黄檗希運(おうばくきうん)

中国唐代の禅僧。諡は断際禅師。福州閩県の出身。百丈懐海に就いて嗣法。弟子には 臨済義玄、裴休がいる。黄檗山黄檗寺を開創。『黄檗希運禅師伝心法要』生誕 命日 大中4年(850年)<< 戻る
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自敬寺-大阪府大阪市淀川区

・自敬寺のホームページ 黄檗宗 大阪府大阪市淀川区西三国2-12-43749年~759年 奈良時代(天平勝宝年間)行基菩薩によって「仏生山金光寺」として創建されました。 1576年 天正4年(室町時代中期)現在のご本尊である「十一面観世音菩薩」が作られました。(リンク先より) << 戻る