鎌倉時代

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瑩山禅師誕生

瑩山禅師は、文永5(1268)年11月21日(陰暦では10月8日)に越前多称邑(たねむら)(現在の福井県越前市帆山)の豪族瓜生家で生まれました。道元禅師が亡くなってから15年後のことです。幼名を行生(ぎょうしょう)といいました。<< 戻る
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北条時宗が執権となり、元の使者を追い返す

1268年、北条時宗が執権となり、元の使者を追い返す。<< 戻る
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温泉寺-岐阜県下呂市

・温泉寺 臨済宗妙心寺派 岐阜県下呂市下呂町湯ノ島680「天歴年中この地の山中に、はじめて温泉湧出せり。地名を湯ガ峰という。」『飛州志』『斐太後風土記』ともに湯ガ峰の温泉湧出を天暦年間(947~957年)と記していることから、下呂温泉は一千年以上の歴史を持つといわれている。 しかし文永二年(1265年)突然温泉の湧出が止まってしまう。その翌年、毎日の飛騨川の河原に舞い降りる一羽の白鷺に村人が気付く。不思議に思った村人がその場へ行ってみると、温泉が湧いていた。空高く舞い上がった白鷺は、中根山の中腹の松に止まり、その松の下には光り輝く一体の薬師如来が鎮座していた・・・。これが下呂に伝わる白鷺伝説で...
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禅興寺-宮城県黒川郡

・禅興寺 臨済宗妙心寺派 宮城県黒川郡大和町吉田字長福寺1禪興寺は文永2 年(1265)松島円福寺一世法心性西(ほっしんしょうさい) 禅師によって開創され、寺号を長福寺と称しました。 現在、禪興寺周辺の地域を長福寺囲いと呼んでいますが、往時の寺号に由来するものです。(リンク先より) << 戻る
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妙高寺-新潟県小千谷市

・妙高寺 曹洞宗 新潟県小千谷市川井114妙高寺は740年余り前の鎌倉時代、1265年(文永2年)内ケ巻城主(現在の小千谷市川井内ケ巻)で新田氏の一族 田中大炊介源義房(たなかおおいのすけみなもとのよしふさ)により創建された曹洞宗の寺院です。(リンク先より) << 戻る
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称名寺-奈良県奈良市

・称名寺 西山浄土宗 奈良県奈良市菖蒲池町7称名寺は、南都興福寺の学僧であった専英、琳英の兄弟が、法相学を修めた後、弥陀本願の法に触れ念佛の教えを乞うた京都西山三鈷寺の澄忍上人と力をあわせて建立した常行念佛の道場を創始とし、その創建は、文永2年(1265・鎌倉時代)と伝えられる。当初は興福寺の北に位置していた為、興北寺とも呼ばれていたが、室町時代に現在の地に移転された。(リンク先より) << 戻る
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林光寺-茨城県水戸市

・林光寺 単立(浄土真宗東本願寺派) 茨城県水戸市酒門町35-1林光寺 茨城県水戸市 文永2年(1265年)開基(リンク先より) << 戻る
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町石が建てられる

文永二年~弘安八年(1265年~1285年)、高野山麓慈尊院から山上まで町石が建てられる。<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

小松原法難

文永元(1264)年11月11日、念仏信仰者の地頭・東条景信(とうじょうかげのぶ)の軍勢に日蓮聖人は襲撃され、弟子一人は討ち取られ、自らも眉に三寸の疵(きず)を負わされました。<< 戻る
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大正寺-山梨県富士吉田市

・大正寺 浄土真宗本願寺派 山梨県富士吉田市新倉621当山は今を去ること約750年前(文永年間)に祖門六老僧の随一源誓上人に創設され、宗祖親鸞聖人御真筆の無碍光如来の画像を安置した草庵が当所字宮の下にありました。 文安年間(1440年代)に本願寺中興の祖の第8世蓮如上人が当地を御巡錫した際、藤原氏の末裔であった当国城山(本郡福地村字新屋の南にあり)の城主の遠山伊豆守重正が蓮如上人に帰依し法名乗欽を賜りました。(リンク先より)※文永年間 1264年から1275年<< 戻る
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妙喜寺-愛知県西尾市

・願王山妙喜寺 曹洞宗 愛知県西尾市江原町屋敷16人皇90代亀山天皇の御宇、文永元年(1264)江原城城主江原丹波守により開創され、開山は天桂膳薫大和尚である。本尊地蔵願王菩薩木座像(体内仏を治め厨子入)の像裏に『永正9年7月24日刀始』と記載され、当寺開創当時のものと推定されるが作者は不明である。(リンク先より) << 戻る
人物

親鸞聖人(しんらんしょうにん)

親鸞は、鎌倉時代前半から中期にかけて活躍した僧侶。浄土真宗の宗祖とされます。法然を師と仰ぎ「法然によって明らかにされた浄土往生を説く真実の教え」を継承し、さらに高めて行くことに力を注ぎました。自らが開宗する意志は無かったと考えられています。(以下、敬称を省略します。)親鸞は1173年に、現在の京都市伏見区日野、法界寺・日野誕生院付近で誕生しました。お父さんは藤原氏の流れをくむ日野有範(ひのありのり)、お母さんは清和源氏の流れをくむ吉光女(きっこうにょ)と伝えられています。9歳の春に、伯父の日野範綱(ひののりつな)に連れられ、京都青蓮院において、後の天台座主・慈円のもとで出家・得度しました。この...
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伊豆法難

弘長元(1261)年5月12日、反感を持つ者の讒言(ざんげん)により日蓮聖人は捕らえられ、伊豆へ流罪になりました。弘長3(1263)年2月22日、伊豆流罪赦免されます。<< 戻る
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弘長寺-新潟県南魚沼市

・弘長寺 時宗 新潟県南魚沼市六日町2303弘長寺は、元々は天台宗延暦寺の末寺であり、弘長元年(1261年頃)、六日町大柳の地に金城山弘長庵として開山しました。そして、正応2年(1289年)5月(鎌倉時代後期)に時宗二祖真教上人とその弟子長真がこの地に足を止めて、天台宗の寺院から時宗の寺院へと改宗しました。この年を時宗寺院として弘長寺の開基と致します。(リンク先より) << 戻る
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松葉ヶ谷法難

文応元(1260)年7月16日、前執権で幕府最高の実力者の北条時頼に日蓮聖人は『立正安国論』を送りました。この書は、地震・洪水・飢饉・疫病などの災害が起こる原因は、民衆や幕府の間違った信仰にあるとし、仏教経典を根拠に、正法たる法華経を立てなければ自界叛逆難、他国侵逼離などの災いが起こると説かれています。同年8月27日、『立正安国論』建白の40日後、他宗の僧ら数千人により、松葉ヶ谷の草庵が焼き討ちされましたが難を逃れました。<< 戻る
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日蓮聖人『立正安国論』を著す

文応元(1260)年5月26日、『立正安国論』を著す。1巻。日蓮が5代執権・北条時頼(ほうじょうときより)に献じたもので、法華経のみが正法(しょうぼう)であり、これを信仰して国をおさめ民衆を救済すべきことを警告し、これにより政治を行わないと天災地変がおこり、外国の侵略を受けると説といている。<< 戻る
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金胎寺-富山県射水市

・金胎寺 高野山真言宗 富山県射水市戸破3315護国山金胎寺は文応元年(1260)頃、高野山大楽院信顕阿闍梨が北陸巡業の折、越中に滞在し、当地に金剛界・胎蔵界の両曼荼羅を安置し、加茂社の神宮寺として草創されました。本堂の天井中央には、周囲に菊華紋をあしらった、墨絵の竜眼図が描かれています。この寺は北陸で一番最初に前田利家の兄である前田安勝公により西国三十三観音に習い越中一国三十三観音の十五番札所(本尊秘仏千手千眼観音菩薩像)に定められた寺でもあります。(リンク先より) << 戻る
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安住寺-大分県杵築市

・安住寺 臨済宗南禅寺派 大分県杵築市大字南杵築379正元元年(1259)鎌倉時代、木付初代親重公の創始により、2月18日洛東の東福寺より、聖一国師・円爾弁円大和尚を勧請し開山の式を挙げ、安住寺の「開祖」とした。また安岐郷の金胎興竜蜜寺、仏山正眼和尚を住持とした。(リンク先より) << 戻る
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日蓮聖人 一切経を閲読

正嘉2(1258)年、静岡県岩本実相寺にて一切経を閲読。<< 戻る
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建長寺-神奈川県鎌倉市

・大本山 建長寺の公式ページ 臨済宗建長寺派 神奈川県鎌倉市山ノ内8建長7年(1255)2月に造られた梵鐘(国宝)に「建長禅寺」とあるように、当寺は我が国で最初に”禅寺”と称した中国宋朝風の臨済禅だけを修行する専門道場である。およそ、中世を通じての寺院は、1か寺で天台宗と真言宗・浄土宗などを兼ねている例が多かったから、建長寺のような1寺1宗という浄刹はたいへん珍しかったといえる。しかし、寺が建てられる前の寺域は、地獄谷とよばれた罪人の処刑場になっていたと伝えられていた。この谷に地蔵菩薩を本尊とする伽羅陀山心平寺という仏堂が建っていたが、建長寺を開創するにさいし、時頼によって堂は巨福呂坂に移され...
便り

聖壽寺-岩手県盛岡市

・聖壽寺 臨済宗妙心寺派 岩手県盛岡市北山2-12-15「聖寿寺」は建長六年(1254)、南部家第二代南部実光公により初代光行公の菩提を弔うため、現在の青森県三戸郡南部町に創建されたことに始まる。開山は三光国師( 孤峰覚妙 1271~1361)、本尊は釈迦如来。かつてその一帯は南部氏の居城になっており本三戸城(もとさんのへじょう)と呼ばれていたが、後世になって聖寿寺館(しょうじゅじだて)とも呼ばれるようになった。(リンク先より) << 戻る
年表

日蓮聖人 鎌倉での辻説法

建長6(1254)年、鎌倉にて辻説法を開始。<< 戻る
年表

慈泉寺の創建

1254(建長6)年、慈泉寺が創建される(法燈国師開基)。<< 戻る
人物

道元禅師(どうげんぜんじ)

道元とは、鎌倉時代初期の僧侶で、日本における曹洞宗の開祖です。晩年に希玄という異称も用いました。高祖と尊称されます。諡号は仏性伝燈国師、承陽大師。諱は希玄。一般には道元禅師と呼ばれます。天童如浄に就いて嗣法。弟子には孤雲懐奘がいる。徒(いたずら)に見性を追い求めず、坐禅している姿そのものが仏であり、修行の中に悟りが明らかになるという修証一等、只管打坐の禅を伝えました。『正法眼蔵』は、和辻哲郎など西洋哲学の研究家からも注目を集めました。道元は、鎌倉時代の1200年1月26日に京都で生まれました。諸説ありますが、お父さんは内大臣久我通親(こがみちちか)、お母さんは摂政関白藤原基房の娘である伊子(い...
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日蓮聖人 立教開宗

建長5(1253)年4月28日早朝、清澄山の旭森(あさひがもり)山頂に立ち、日の出に向かい「南無妙法蓮華経」と、初めてお題目を唱え立教開宗宣言をしました。このとき32歳、同時に名を「日蓮」と改めました。<< 戻る
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龍泉院-千葉県柏市

・龍泉院 曹洞宗 千葉県柏市泉81開創 建長五年(1253年)、相馬氏によるといわれております。道元禅師が54歳で入寂された年です。ご開山 木更津の眞如寺第六世量指長英大和尚(1555年寂)をお迎えして曹洞宗として開山(リンク先より) << 戻る
仏教を本気で学ぶ

建長寺派(本山建長寺(鎌倉))の開派

建長5(1253)年、中国・宋から招かれた蘭渓道隆禅師により始まる。臨済宗建長寺派(楊岐派の禅)。<< 戻る
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道元禅師 永平寺を孤雲懐奘禅師に譲る

建長4(1252)年、夏頃から体調を崩し、建長5(1253)年には永平寺の貫首を弟子の孤雲懐奘禅師(こうんえじょうぜんじ)に譲ります。<< 戻る
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鎌倉に大仏ができる

1252年、鎌倉に大仏ができる。<< 戻る
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玉川寺-山形県鶴岡市

・玉川寺 曹洞宗 山形県鶴岡市羽黒町玉川字玉川35玉川寺は、今から凡そ7百有余年前の鎌倉時代(1251年)に開かれた曹洞宗(禅宗)の寺院です。この寺を開いた了然法明禅師は、朝鮮高麗国の生まれで中国の径山寺で修行され、日本に渡来し、この地に留まり禅を広めました。大本山永平寺開祖道元禅師の高弟でもありました。(リンク先より) << 戻る
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圓福寺-愛知県岡崎市

・圓福寺 浄土宗西山深草派 愛知県岡崎市岩津町字檀之上85円福寺(えんぷくじ)の歴史は、建長三年(一二五一)浄土宗の西山深草派祖(せいざんふかくさはそ)円空(えんぐう)上人が京都深草の里に真宗院(しんじゅいん)を建立したことに始まります。円空上人は、浄土宗を開いた法然(ほうねん)上人の孫弟子に当たり、師匠西山(せいざん)上人から法然上人の教えを正しく受け継いだ方です。(リンク先より) << 戻る
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法通寺-愛知県常滑市

・法通寺 真宗大谷派 愛知県常滑市港町5-21鎌倉時代、当山は内海の庄にあり1250年(建長2年)開基釋明了の時に浄土真宗に改宗する。それより成岩の庄、榎戸の地に移転する。(リンク先より) << 戻る