聖徳太子

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大念佛寺-大阪府大阪市平野区

・大念佛寺の公式サイト 融通念仏宗 大阪府大阪市平野区平野上町1-7-261127年、聖徳太子信仰の厚かった良忍上人が四天王寺に立ち寄った際、太子から夢のお告げを受け、鳥羽上皇の勅願により平野に根本道場として創建したのが始まり。(リンク先より) 平安末期以降広まった念仏信仰の先駆けとなり、国産念仏門の最初の宗派で日本最初の念仏道場と言われる。その後、火災などで荒廃するが、元禄期(1700年頃)に本山として体裁が整い、現在に至る。融通念佛宗の総本山。(リンク先より)<< 戻る
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大安寺-奈良県奈良市

・大安寺 高野山真言宗 奈良県奈良市大安寺2-18-1大安寺は、聖徳太子が平群郡額田部に熊凝道場を創建したことに始まります。やがて百済大寺、高市大寺、大官大寺と名と所を変え、平城京に移って大安寺となりました。この間の事情を『三代実録』元慶四年(880年)冬十月の条には次のように記します。 「昔日、聖徳太子平群郡熊凝道場を創建す。飛鳥の岡本天皇、十市郡百済川辺に遷し建て、封三百戸を施入し、号して百済大寺と曰う。子部大神、寺の近側にあり、怨を含んで屡々堂塔を焼く。天武天皇、高市郡の夜部村に遷し立て、号して高市大官寺といい、封七百戸を施入す。和銅元年平城に遷都し、聖武天皇詔を下して律師道慈に預け、平...
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医王寺-埼玉県秩父郡

・二十三夜寺(医王寺) 真言宗豊山派 埼玉県秩父郡皆野町三沢1960その昔、聖徳太子がこの地を巡訪された際、諏訪明神から夢の中でお告げを受けた。ここは仏法隆盛の地であると奇異な思いを感じた太子は、自ら薬師如来の像を彫刻して草庵に安置、医王善逝の寺とした。これが今の奥の院である。聖武天皇の時代には行基菩薩が巡訪され、勢至菩薩を安置し、師慶山観音院と名付けられた。弘仁元年(810年)に弘法大師が訪れ、この地が往古の霊場との念から坊舎仏閣を建立、大師が自ら馬鳴菩薩を彫刻し、これを安置した。(リンク先より) << 戻る
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教應寺-大阪府大阪市東淀川区

・教應寺 真宗大谷派 大阪府大阪市東淀川区豊里3-13-16教応寺のある東淀川区豊里地域は、かつて聖徳太子が度々足を運ばれ、四天王寺建立の候補地と考えられていた地であります。その地に、唐から帰られた伝教大師最澄が立ち寄られ「法上寺」(805年頃草創)を建てられます。それが教応寺のはじまりと伝えられています。その後、永正14(1517)年真宗に改宗し、天和3(1683)年、寺号を「敎應寺」と改めております。(リンク先より) << 戻る
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円通寺-東京都荒川区

・円通寺 曹洞宗 東京都荒川区南千住1-59-11開創 延暦十年 西暦791年 坂上田村麻呂将軍、八幡太郎義家再建本尊 聖観世音菩薩、聖徳太子一刀三禮御作開山 観月徹禪大和尚(前永平宗慶4世中興・總泉17世中興兼最乗258世)(リンク先より) << 戻る
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石山寺-滋賀県大津市

・石山寺 東寺真言宗 滋賀県大津市石山寺1-1-1・第十二番 ⇒ 西国三十三所 第十三番 石光山 石山寺 ⇒ 第十四番天平19年(747)、石山寺は聖武天皇の勅願により、良弁僧正が建てられた寺院と伝えられます。良弁僧正は聖武天皇から、東大寺の大仏建立にあたって黄金が不足しているので、黄金の産出を祈願するようにと命じられました。はじめは吉野の金峯山で祈願していた良弁僧正ですが、蔵王権現の夢告を受けて、この石山の地にたどりつきます。そして岩の上に、聖武天皇から預かった聖徳太子の念持仏を祀って祈願したところ、陸奥国で黄金が発見されました。祈願が達成されたため、念持仏を移動させようとしましたが、岩から...
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興徳寺-大阪府大阪市天王寺区

・興徳寺 高野山真言宗 大阪府大阪市天王寺区餌差町2-17聖徳太子存世中に今の法円坂付近に「薬師院」として創建され、天平年間(729~749)に行基菩薩によって再建された畿内49ケ院のひとつと言われていますが、第二次世界大戦の大阪大空襲にて現在の山門以外の諸堂を焼失したため詳細は不明です。(リンク先より) << 戻る
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長尾寺-香川県さぬき市

・長尾寺 天台宗 香川県さぬき市長尾町西653・86番札所 ⇒ 四国八十八ヶ所 第87番札所 補陀洛山 観音院 長尾寺 ⇒ 88番札所当山は、聖徳太子の開創と伝えられている。古くより聖武天皇( 724)、天平11年( 739)に行基菩薩がこの地を訪れ、霊感を得られ柳の木「楊柳(ようりゅう)」をもって聖観世音菩薩像(三尺五寸、約1メートル)の尊容を刻み本尊とし、 堂宇を建立して安置した。大同年間( 806- 810)に空海上人が、当山にて年頭七夜五穀豊熟、国土安穏を祈念された。その後、空海上人が唐に渡る前にこの地を訪れ、護摩修法を行い人々に護摩符を授けた。唐から帰国した空海は、天長2年( 825...
人物

鞍作鳥(くらつくりのとり)

鞍作鳥とは、7世紀初はじめごろ、飛鳥時代の代表的な仏像彫刻師です。鞍作止利とも表記されます。渡来人で仏教をつたえたと言われる司馬達等(しばたっと)の孫で、止利仏師(とりぶっし)ともいわれ、聖徳太子に用いられました。その作風には北魏(ほくぎ・中国)の影響が見られます。代表作に法隆寺金堂の釈迦三尊像(623年)があります。<< 戻る
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法輪寺-奈良県生駒郡

・法輪寺 単立 奈良県生駒郡斑鳩町大字三井1571当寺の創建には二説が伝えられています。ひとつは、推古30年(622)聖徳太子がご病気になられた折、太子の御子山背大兄王がその子由義王らと共に太子のご病気平癒を願って建立されたという説(巻子本『聖徳太子伝私記』引用の『寺家縁起』) もうひとつは、天智9年(670)の斑鳩寺焼失後、百済開法師・圓明法師、下氷新物三人が合力して造寺したとする説(『聖徳太子伝暦』『上宮聖徳太子伝補闕記』)です。昭和に行なわれた石田茂作博士の発掘調査では、伽藍配置が法隆寺式であること、規模は法隆寺西伽藍の3分の2であること、出土する鐙瓦・宇瓦の文様が法隆寺のそれぞれと類似...
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聖徳太子(厩戸王)が死去

622年、聖徳太子(厩戸王)が死去。<< 戻る
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浄土寺-広島県尾道市

・浄土寺 真言宗泉涌寺派 広島県尾道市東久保町20-28瑠璃山の翠松を背に、玉の浦の碧波に臨む山陽道の名刹転法輪山大乗律院荘厳浄土寺(以下浄土寺)は、遠く飛鳥の昔、推古天皇の二十四(616)年、聖徳太子の開基と伝えています。ある時には高野山に縁を結び又は南都西大寺の列に連なり、更に江戸時代に至って京都の泉涌寺派に属して大本山となっています。(リンク先より) << 戻る
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『三経義疏』(さんぎょうぎしょ)

『三経義疏』は聖徳太子によって著されたと伝承されている『法華義疏』(推古天皇23年(615年))・『勝鬘経義疏』(推古天皇19年(611年))・『維摩経義疏』(推古天皇21年(613年))の総称です。それぞれ『法華経』・『勝鬘経』・『維摩経』の三経の注釈書(義疏・注疏)です。<< 戻る
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『法華義疏』(ほっけぎしょ)

『法華義疏』は聖徳太子によって推古天皇23年(615年)に著されたと伝承されています。また、『三経義疏』(さんぎょうぎしょ)の一つです。<< 戻る
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達磨寺-奈良県北葛城郡

・片岡山 達磨寺 臨済宗南禅寺派 奈良県北葛城郡王寺町本町2-1-40『日本書紀』によると、推古天皇21年(613年)12月、聖徳太子が道のほとりに伏せっていた飢人を見つけ、飲み物と食べ物、それに衣服を与えて助けましたが、飢人は亡くなりました。そのことを大いに悲しんだ聖徳太子は、飢人の墓をつくり、厚く葬りましたが、数日後に墓を確認してみると、埋葬したはずの飢人の遺体が消えてなくなっていました。この飢人が、のちの達磨大師の化身と考えられるようになり、達磨寺は生まれました。(リンク先より) << 戻る
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帝釈寺-宮崎県宮崎市

・帝釈寺 曹洞宗 宮崎県宮崎市下北方町大字戸林5272帝釈寺は約1400年前(推古帝21年:613年)に聖徳太子が湊河勝に命じて国家安泰宝祚長久を祈願する霊場として建立し善法山「帝跡寺」と号されたといわれております。(リンク先より) << 戻る
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『維摩経義疏』(ゆいまきょうぎしょ)

『維摩経義疏』は聖徳太子によって推古天皇21年(613年)に著されたと伝承されています。また、『三経義疏』(さんぎょうぎしょ)の一つです。<< 戻る
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『勝鬘経義疏』(しょうまんきょうぎしょ)

『勝鬘経義疏』は聖徳太子によって推古天皇19年(611年)に著されたと伝承されています。また、『三経義疏』(さんぎょうぎしょ)の一つです。<< 戻る
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小野妹子を隋に送る(遣隋使)

607年、小野妹子を隋に送る(遣隋使)<< 戻る
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斑鳩寺-兵庫県揖保郡

・斑鳩寺 天台宗 兵庫県揖保郡太子町鵤709推古天皇十四年(六〇六)秋七月、聖徳太子は推古天皇のため、豊浦宮で勝鬘經のお話をされました。三日かかったといわれます。その夜、蓮華の花がその地に降りしいたと伝えられます。この年また太子は法華経のお話も岡本宮でされました。推古天皇は、たいへん慶ばれ、播磨国揖保の郡に於いて、水田百町を太子にさし上げました。聖徳太子はこの地を「鵤莊」(いかるがのしょう)と名付けられ、一つの伽藍を建てられました。これが播州斑鳩寺の始まりです。(リンク先より) << 戻る
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教林坊-滋賀県近江八幡市

・教林坊 天台宗 滋賀県近江八幡市安土町石寺1145推古13(605)年に聖徳太子によって創建されました。寺名の『教林』とは太子が林の中で教えを説かれたことに由来し、境内には「太子の説法岩」と呼ばれる大きな岩とご本尊を祀る霊窟が残され、『石の寺』と呼ばれています。ご本尊は太子自作の石仏で難産を帝王切開によって助けたという安産守護の言い伝えがあります。(リンク先より) << 戻る
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十七条の憲法を定める

604年、十七条の憲法を定める。朝廷に仕える役人の心得。<< 戻る
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冠位十二階を定める

603年、冠位十二階を定める。家柄(氏や姓)に関係なく、能力重視の人材登用をすすめた。<< 戻る
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統国寺-大阪府大阪市天王寺区

・統国寺 単立 大阪府大阪市天王寺区茶臼山町1-31聖徳太子の創建になる名刹で、百済の僧観勒(かんろく・・・・602年に来日し、暦法・天文学・地理学・方術などを伝来し、飛鳥寺にも住し僧正に任ぜられている)が開山住持として招かれ、推古天皇の帰依により厚遇を賜った。寺伝(『邦福寺梵鐘銘文』)には帝が専修念仏して、西山に阿弥陀、観音、勢至の尊姿を感得したのにちなんで、別念仏寺とも称されたとある。(リンク先より) << 戻る
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寂光院-京都府京都市左京区

・寂光院 天台宗 京都府京都市左京区大原草生町676寂光院は天台宗の尼寺で、山号を玉泉寺といい、推古2(594)年に聖徳太子が父・用明天皇の菩提を弔うために建立されたと伝えられる。当初の本尊は、聖徳太子御作と伝えられる六万体地蔵尊であったが現存しない。(リンク先より) << 戻る
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妙安寺-茨城県坂東市

・妙安寺 真宗大谷派 茨城県坂東市三村1793歴史を遡ること約1400年。当寺の前身は、推古天皇(594年頃)の勅願により国家鎮護のために、聖徳太子ご創立の霊場として『三論宗最頂院葛城寺(さんろんしゅう さいちょういん かつらぎじ)』として建立されました。(リンク先より) << 戻る
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真福寺-愛知県岡崎市

・真福寺 天台宗 愛知県岡崎市真福寺町字薬師山6推古天皇二年(西暦594年)物部の守屋の次男真福が山の頂きより霊光かがやき端雲たなびくをみて不思議に思い訪れたところ、滾々と湧き出る泉を発見した。しばしたたずんでおられた真福は日頃信仰しておられた薬師如来が水中より顕れ出られ、(是好良薬今留在此)と誦して再び泉の中に姿を消された。これを目の当たりにして非常に感激し末代まで伝えようとして本堂を建立したのが真福寺の始まりである。霊鷲山降劒院真福寺 聖徳太子建立 三河国最古寺院(リンク先より) << 戻る
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石馬寺-滋賀県東近江市

・石馬寺 臨済宗妙心寺派 滋賀県東近江市五個荘石馬寺町823推古2年(西暦594年)、推古天皇の摂政であった聖徳太子が「霊地は近江国にある」と占い、駒の蹄に任せて永久に鎮護国家、仏法興隆を祈る道場を求めていました。そして繖山(きぬがさやま)の麓辺りに来ると、駒は歩みを止めて進まなくなり、傍らの松の樹につないで山に登ったところ、瑞雲がたなびく風光明媚な風景が広がっていたのです。 聖徳太子は「積年の望みをこの地に得たり」と深く感動して再び山を下ると、松の樹につないだ駒が傍の池に沈んで石と化していました。この奇瑞に大いに霊気を感じ、直ちに山を『御都繖山(ぎょとさんざん)』と名付け寺を建立し、馬が石と...
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仏教興隆の詔

594年、推古天皇が仏教を盛んにする詔を出す。これにより仏法僧の三宝を興隆させ、氏寺の建立が盛んになったといわれている。594年という年代は推古2年で、初めての女性天皇である推古天皇のもと、聖徳太子はその摂政(せっしょう)として、大臣の蘇我馬子らの協力により政治を行い、その中でも仏教興隆の詔を公式に出したことで、臣下たちは「各々君親の恩のため競ひて仏舎を造る」(『日本書紀』)ようになったと記録されている。飛鳥時代の仏教は、単なる個人救済を目的としたものではなく、国の君主であったり、家の長である親への報恩の誠を捧げて、国と家の繁栄を祈ることに重点があったと読み取れる。仏教興隆の詔は、三宝興隆の詔...
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四天王寺-大阪府大阪市天王寺区

・四天王寺 和宗 大阪府大阪市天王寺区四天王寺1-11-18四天王寺は、推古天皇元年(593)に建立されました。今から1400年以上も前のことです。『日本書紀』の伝えるところでは、物部守屋と蘇我馬子の合戦の折り、崇仏派の蘇我氏についた聖徳太子が形勢の不利を打開する為に、自ら四天王像を彫りもし、この戦いに勝利したら、四天王を安置する寺院を建立しこの世の全ての人々を救済する」と誓願され、勝利の後その誓いを果すために、建立されました。(リンク先より) << 戻る
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聖徳太子が推古天皇の摂政となる

593年、聖徳太子(厩戸王)が推古天皇の摂政となる。蘇我馬子と協力して、天皇中心の政治をうちたてようとした。大阪に四天王寺を建てる。<< 戻る
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成福院-奈良県生駒郡

・成福院 信貴山真言宗 奈良県生駒郡平群町信貴山2280信貴山大本山成福院は信貴山総本山朝護孫子寺の塔頭寺院です。信貴山は587年(用明2年)聖徳太子により開山され、塔頭たる成福院の建立時期は不明なものの、後嵯峨天皇とのご縁から1200年代以降と思われ、1577年(天正5年)松永久秀の乱により焼失後、1790年(寛政2年)に再興され現在に至っています。(リンク先より) << 戻る