真宗大谷派

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南通寺-大阪府堺市堺区

・南通寺 真宗大谷派 大阪府堺市堺区御陵通3-12南通寺法名記と堺市史によると南通寺は慶長五年(西暦1600年)、釋良清によって開かれた真宗大谷派寺院である。(リンク先より) << 戻る
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圓成寺-大阪府池田市

・圓成寺 真宗大谷派 大阪府池田市東山町313-1慶長3年(1598年)西念法師により開基されました。開基 西念法師 慶長12年往生(リンク先より) << 戻る
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養泉寺-和歌山県和歌山市

・養泉寺 真宗大谷派 和歌山県和歌山市和歌浦中2-7-16天正7年(1579)織田信長が再度石山本願寺攻めを行いました。本願寺派の軍勢は、武運拙く木下藤吉郎の前に敗戦し、顕如上人の長男、教如上人は信長との和議を拒み堺・岸和田・和歌山へと落ちのび、雑賀崎鷹の巣洞窟に身を隠したと伝えられています。それを知った井本源兵衛は食事を運び教如を援助しました。その恩返しに、本願寺秘伝の製薬法を源兵衛に伝授したとされています。これが今日も重宝されております「和歌保命丸・わかのうら薬」です。その後、源兵衛は真宗に帰依し、慶長2年(1597)養泉寺を創建されました。そして、寛永2年(1625)寺号を許され、徳川頼...
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乗光寺-石川県珠洲市

・乗光寺 真宗大谷派 石川県珠洲市飯田町12-24寺に現存する最古の資料は 1597 年のものです。乗光寺に「顕如上人 (けんにょしょうにん)」 の御影があります。 顕如上人はあの一向一揆の統率者であり、大阪 城の前身の「石山本願寺」で織田信長と戦った ことで有名です。その御影の裏には、顕如上人 の長男で、のちに東本願寺の初代となる、教如上人 (きょうにょしょうにん) からの「東本願寺」の末寺になるよう要請する檄が残されています。(リンク先より) << 戻る
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桑名別院本統寺-三重県桑名市

・桑名別院本統寺 真宗大谷派 三重県桑名市北寺町47慶長元(1596)年、本願寺第12代教如【きょうにょ】上人によって、宗祖親鸞聖人の教えを共に聴聞していく、三重の門徒衆の大切な儀式・聞法の中心道場として開創されたのが当別院の始まりです。(リンク先より) << 戻る
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難波別院-大阪府大阪市中央区

・南御堂・難波別院 真宗大谷派 大阪府大阪市中央区久太郎町4-1-11難波別院(南御堂)の創建は、今から400年以上前の安土桃山時代の末、1595年(文禄4)に、本願寺第12代・教如上人(1558~1614)が大坂渡辺の地に「大谷本願寺」を建立したことに始まります。(リンク先より) 創建から2年後の1598年(慶長3)に、豊臣秀吉による大阪城の拡張と、城下の町制改革でなどにより、大谷本願寺は現在の難波別院のある地へと移転します。また、1602年(慶長7)には、関ヶ原の合戦に勝った徳川家康によって京都・烏丸七條の地が寄進され、教如上人は大坂から京都へと寺基を移されます。(リンク先より)<< 戻る
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西蓮寺-千葉県松戸市

・光明山 西蓮寺 真宗大谷派 千葉県松戸市松戸1900-1当寺は、文禄三年(一五九四)三月、将軍家関東御入国の際、下総矢喰村(現在の矢切)の杉浦・近藤家等が釋順誓師を三河国刈谷郡(現在の愛知県刈谷市)より招聘して、下総矢喰村に一宇を建立し、光明山西蓮寺と号したと記録されております。(リンク先より) << 戻る
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養泉寺-新潟県長岡市

・養泉寺 真宗大谷派 新潟県長岡市寺泊荒町3883養泉寺は文禄3(1594)年、信濃国(長野県)水内郡長沼村の歓喜踊躍山浄興寺の僧浄明が開いたお寺です。宗派は真宗大谷派。山号は光澤山。「つやさん」と読みます。(リンク先より) << 戻る
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光琳寺-富山県小矢部市

・光琳寺 真宗大谷派 富山県小矢部市下中368越後西蒲原郡味方村吉江(現 新潟県新潟市南区吉江)に生まれた百姓 庄左衛門は、長尾家7代目当主 長尾為景に仕え、吉江小左衛門の名をいただき、永正の乱(1521)にて、越中に赴いた。(隣家 津川佐次衛門も共に来る)その後、この地(現 小矢部市下中)に半農半僧として留まり、この村の開墾に 百姓として力を尽くし、時には 浄土真宗の僧侶(法名 善教)として法務に励んでいった。それから約70年後、文禄3年(1594) 3代目 善慶の時、「光琳寺」の寺号を名乗る。(リンク先より) << 戻る
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西念寺-鳥取県米子市

・西念寺 真宗大谷派 鳥取県米子市法勝寺町87本願寺第12世教如上人(1558~1614)が文禄元年(1592)、九州名護屋滞陣中の豊臣秀吉への陣中見舞いからの帰路、石見国大森銀山(現島根県大田市大森町)に立ち寄られた。 そのおり当山開基教専(敬専)が上人の弟子となり、邇摩郡佐摩村銀山田中の某寺にあった伝聖徳太子作の阿弥陀如来(銀山田中にあったので「田中の本尊」と言う)を奉じ、文禄2年(1593)2月、伯耆大山の麓・伯耆国会見郡中間荘尾高村(現米子市尾高)に一宇を建立、西念寺と号した。(リンク先より)<< 戻る
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長徳寺-新潟県新発田市

・長徳寺 真宗大谷派 新潟県新発田市大栄町2-7-22長徳寺の創建は,天正13年(1585)に関根慶順が開基したのが始まりとされます。赤穂四十七士の1人堀部安兵衛の生家である中山家の菩提寺として有名で,安兵衛も14歳まで新発田城下で暮らしました。境内には赤穂義士四十七体の木像が収められている義士堂,安兵衛が新発田から旅立つ時に植えたとされる石台松(初代は平成9年,老齢の為伐採され現在は二代目),そして中山家の墓所があります。四十七士によって「吉良邸討ち入り」が行われた12月14日には毎年,境内にて義士祭が執り行われています。(リンク先より) << 戻る
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長福寺-大分県日田市

・長福寺 真宗大谷派 大分県日田市大字豆田町5-13照雲山長福寺は、日田市豆田町(伝統的建造物群保存地区)の中央に位置する真宗大谷派(本山=東本願寺)の寺院です。天正12年(1584年)、宗榮によって開山されています。(リンク先より) << 戻る
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願正寺-大分県日田市

・願正寺 真宗大谷派 大分県日田市隈2-8-29天正9年(1582年)、西心和南により、現在地(隈町)に圓庵が結ばれました。以来、宗誓禅師、祐心律師、祐圓前大徳、釋永知と法灯は受け継がれています。 寛永12年(1636年)、初代住職となる大心庵釋祐心の願いにより、大谷本願寺13代宣如より「親鸞聖人御影」が下付されて、真宗寺院としての形が完成しました。(リンク先より) << 戻る
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浄満寺-大分県日田市

・浄満寺 真宗大谷派 大分県日田市大字東町3-31当寺は、その昔、天台宗 近祜山 長龍寺と号した後、渡辺綱の子孫、明源が天正七年(一五七九)に真宗に帰依し、 龍宮山 浄満寺と改称し、寺地を石井川下村から隈町に移したとされます。(リンク先より) << 戻る
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金宝寺-新潟県新潟市中央区

・金宝寺 真宗大谷派 新潟県新潟市中央区上所上1-11-5天正元年(1573年)7月18日、織田信長による浅井・朝倉攻めが行われた。多くの者が殺されてしまったが、祖先の玄宗は僧侶であったために逃れ、越中国石動村に隠れ住んだ。その後、赤曽部村に移り住んだが、天正4年に織田信長が本願寺を攻めるにあたっては、本願寺の救援に駆けつけた。顕如上人はその功を誉め、「金寶寺」の号を送った。その子である法正は越後に帰り、蒲原郡所島村(亀田町)に家を建てて住んだ。これが金寶寺の開基である。(リンク先より) << 戻る
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光徳寺-新潟県糸魚川市

・光徳寺 真宗大谷派 新潟県糸魚川市大字青海2761光徳寺開祖釈祐玄師は、天正 (1573~1592年) 年中、越中砺波郡水島村 (えっちゅうとなみぐんみずしまむら) (現在の富山県西部) より青海真砂に一旦 足をとどめ、門信徒を慕って、現在の大沢の地に移住しました。これが “青澤山光徳寺” の始まりです。(リンク先より) << 戻る
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明行寺-長野県長野市

・観勝山 明行寺 真宗大谷派 長野県長野市鶴賀腰巻2382長野市権堂町 開基 天正元年(1573年)(リンク先より) << 戻る
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徳証寺-石川県白山市

・徳証寺 真宗大谷派 石川県白山市美川北町ソ127元亀2年(1571年)浄栄が創建。<< 戻る
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乗蓮寺-大阪府東大阪市

・乗蓮寺 真宗大谷派 大阪府東大阪市永和2-6-4「乗蓮寺(旧字:乘蓮寺)は、本山本願寺と織田信長、秀吉との戦いである石山合戦(1570~1580年)の頃には、既に存在しており、ご門徒方は炊き出し等の手伝いをされていた」と故 松平博 元大阪府議会 議員(乗蓮寺門徒)は、生前、住職に語られていました。(リンク先より) << 戻る
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皆満寺-愛知県知多郡

・神宮山皆満寺 真宗大谷派 愛知県知多郡武豊町下門1371570年頃(天文年中)開基に当たる順誓が、本願寺第10世 証如上人に帰依し(一説には実如上人)真宗に改宗し、本願寺の直末となる。寺基を長尾村の神宮社の傍に移したともいう。(町史には、慶長年間とある)1692年(元禄5年)第4代空圓の時に創られた手水鉢が、経緯は不明だが武雄神社に現存する。(リンク先より) << 戻る
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順正寺-愛知県あま市

・順正寺 真宗大谷派 愛知県あま市七宝町下之森6391558年、順正寺は建立されました。<< 戻る
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光澤寺-山梨県甲府市

・光澤寺 真宗大谷派 山梨県甲府市相生町3-5-71548(天文16)年、武田信玄が、当時相模国鎌倉常葉町にあった蛇伏山長延寺(現在の真宗大谷派永勝寺:横浜市戸塚区)の住職実了を、使僧として呼び寄せ、手厚い庇護のもと、長延寺を再興したことに始まる。(リンク先より) << 戻る
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長円寺-岐阜県大垣市

・長円寺 真宗大谷派 岐阜県大垣市荒尾町1183もとは、天台宗、専好坊という名前のお寺。天台宗時代、最後の住職の名前は、現龍院殿慶存法印。1494年没。  ①1540年頃、 長円寺開基(初代)住職・行弥が改宗。②1620年頃、 2代目住職・西円の時 現在の木仏本尊を頂き、寺号「長円寺」が許可される。(リンク先より) << 戻る
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福田寺-愛知県あま市

・福田寺 真宗大谷派 愛知県あま市美和町木田小兵エ前69福田寺は千余年前に創建された天台宗の古刹「天拝山大華寺」と称され、現在の愛知県あま市北部の霊地に存在したと伝えられています。その後、水害により七堂伽藍と共に本堂も流失したため現在の地に再建され、天文8年(1539年)浄土真宗に改宗されました。(リンク先より) << 戻る
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満福寺-福島県会津若松市

・満福寺 真宗大谷派 福島県会津若松市中央2-6-8開基は天文六年(一五三七)祐観清玄師が東本願寺十世光教證如上人に請い、鶴ヶ城南の湯川に中嶋満福寺を建立したとされます。しばしば水害に遭ったため、三世重玄の時、文禄元年(一五九二)に現在の勝地、中央二丁目(旧馬場名古屋町)に移りました。(リンク先より) << 戻る
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善重寺-愛知県知多市

・功徳山 善重寺 真宗大谷派 愛知県知多市八幡字荒古前110-1善重寺は、大永6年(1526年)岐阜県揖斐川町(旧久瀬村)に創建された天台宗寺院でありましたが、慶長5年(1600年)本願寺十二世教如上人のご教化により、阿弥陀如来を本尊とした、浄土真宗の寺院となりました。(リンク先より) << 戻る
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善了寺-大分県中津市

・善了寺 真宗大谷派 大分県中津市大字全徳378室町時代、大永3年(1523)に釈正誓により開かれました。江戸期、寛永10年(1633)に東本願寺の末寺となり、真宗寺院として阿弥陀如来像を安置し、善了寺を寺号とすることを許可されました。(リンク先より) << 戻る
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西福寺-大分県大分市

・西福寺 真宗大谷派 大分県大分市寒田557永正17年(1520年)春、大友家家人「釋道因」がこの地に一宇を建立したことに始まり、爾来五百年、ご門徒の方々に護持されてまいりました。(リンク先より) << 戻る
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林正寺-新潟県新潟市南区

・林正寺 真宗大谷派 新潟県新潟市南区根岸45開山:1520年(約500年)ご本尊:阿弥陀如来初代:寛寿(浄土真宗中興の祖・本願寺8代法主「蓮如上人」の孫が開祖)宝物:蓮如上人直筆御絵像・実如上人直筆御手紙等々本堂:昭和25年建立(リンク先より) << 戻る
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順正寺-愛知県半田市

・坂田山 順正寺 真宗大谷派 愛知県半田市堀崎町1-58はじまりは、1513年!それって、いつ?この地にお寺が出来たのは、およそ500年前のようだ。なぜ、そんなことが分かるのかというと、おそらくこの土地にする人々がお金を出し合って本願寺にお寺を造れるよう働きかけたのだろう。現在順正寺には、それによって本願寺からいただいた「阿弥陀如来絵像」が宝物として伝えられている。幅64センチ長さ160センチほどの掛け軸となった阿弥陀如来像だ。(リンク先より) << 戻る
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本念寺-香川県綾歌郡

・本念寺 真宗大谷派 香川県綾歌郡綾川町山田上甲256永正年間 念西坊建立(全讃史) 伝承によると松下本念 伝教大師の弟子となり台密を修得し帰郷の途次 阿波国海部郡由岐村に茅舎を結ぶ。二代良源に至って万松院弘道院本念寺と称した。(リンク先より)※永正年間 1504年から1521年 << 戻る
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常福寺-石川県七尾市

・常福寺 真宗大谷派 石川県七尾市相生町91本願寺9世実如上人(1458^1525)より下付された方便法身尊像(ご本尊)とその裏書が今ものこっていますが、その裏書によると、常福寺の草創は、明応5年(1496年)に七尾城山の麓、鹿島郡矢田郷府中おいて開かれた真宗道場のようです。(リンク先より) << 戻る