浄土真宗本願寺派

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浄光寺-島根県江津市

・浄光寺 浄土真宗本願寺派 島根県江津市千田町451開基住職釈慶念は、慶長2年(1597)に豊臣秀吉の命を受け、従軍医僧として朝鮮出兵に従う。戦争の悲惨を目撃した慶念は、無常転変の儚さを悟り、帰国後、いのちがけの開教に従事。石西一円に教線を張り、現在の石見地方のご法義繁昌の基礎を創りあげる。様々な苦難をのりこえて、慶長年間当地に浄土真宗の教堂を開く。(リンク先より) << 戻る
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桑名別院本統寺-三重県桑名市

・桑名別院本統寺 真宗大谷派 三重県桑名市北寺町47慶長元(1596)年、本願寺第12代教如【きょうにょ】上人によって、宗祖親鸞聖人の教えを共に聴聞していく、三重の門徒衆の大切な儀式・聞法の中心道場として開創されたのが当別院の始まりです。(リンク先より) << 戻る
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清心寺-茨城県ひたちなか市

・清心寺 浄土真宗本願寺派 茨城県ひたちなか市館山9001清心寺は慶長元年丙申(1596年)、藤原俊秀本宗に帰依し湊村田中坪に一寺を建立する。すなわち、清心寺の開基にして了知と号し、広く真宗教義を宣布する。延宝5年(1677)、第4代清伝法師の時、本山登録が許可され西本願寺の末寺となる。(リンク先より) << 戻る
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覚證寺-東京都調布市

・覚證寺 浄土真宗本願寺派 東京都調布市富士見町1-35-5永禄4年(1561)に信濃国に生まれた細川辨之輔光惠が、仏教に帰依して得度、釋宗龍の法名をいただき京都加茂川のほとりに草庵を結び、帰国して一寺を建立。その後、文禄3年(1594)の春に江戸に移転した。この時をもって創建の年と伝えられる。(リンク先より)水木しげる墓所。 << 戻る
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西向寺-大阪府羽曳野市

・西照山 西向寺 浄土真宗本願寺派 大阪府羽曳野市東阪田245お寺の開基は文禄3年(1594年)と伝えられ、寛文7年(1668年)に西本願寺の直末となり浄土真宗本願寺派の寺院として現在に至り、非常に長い歴史を持つお寺でございます。(リンク先より) << 戻る
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西教寺-大阪府和泉市

・阿耨山 西教寺 浄土真宗本願寺派 大阪府和泉市幸2丁目8-221594(文禄三年) 太閤検地帳に賦課免除記載 京都・三哲・福専寺門徒惣道場1665(寛文五年) 本願寺木佛許可1670(寛文十年) 本願寺木佛拝受 西教寺と公称1673(延宝元年) 本堂建立(リンク先より) << 戻る
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正光寺-岩手県一関市

・正光寺 浄土真宗本願寺派 岩手県一関市台町117-3文禄 2年(1593) 開基釈宗悟紫波郡不動村大字室岡の地に一字創建正徳 5年(1715) 宗悟曽孫釈宗専本願寺第十五世住如宗主に請うて寺号正光寺賜る(リンク先より) << 戻る
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光澤寺-鳥取県八頭郡

・光澤寺 浄土真宗本願寺派 鳥取県八頭郡八頭町丹比南397正式名称を池中山光澤寺といい、1592年に甲斐武田家の一族によって、現在の鳥取市元町に建立されています。その後、明治9年に現在の八頭町南の地に移転し、現在に至る。(リンク先より) << 戻る
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覚法寺-熊本県熊本市中央区

・覚法寺 浄土真宗本願寺派 熊本県熊本市中央区水前寺公園1-25覚法寺の山号は、早川山(そうせんざん)と号します。なぜ早川山と申すかといいますと、早川(そうがわ)と言われる地から、このお寺がスタートしたからです。文禄元年(1592年)、覚法寺初代・釈了意によって、早川(そうがわ)の地に坊舎を建立し、覚法寺が開基されます。現在の熊本県甲佐町早川(そうがわ)の場所になります。(リンク先より) << 戻る
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三光寺-山口県宇部市

・三光寺 浄土真宗本願寺派 山口県宇部市大字東岐波456-1町・戦国時代に西国随一の大名として全盛を迎えた大内氏の菩提寺であり、宗派は天台宗、寺号は「菩提寺」でした。『日野山南麓に、旧寺敷、古墳、鎮守あり』との伝承があることから、寺地は、現在の「門前」と言われる地区にあったと伝わっています。「門前」は、寺の門前にあった故の呼称でしょう。大内氏滅亡の後、当世の住職であった道圓の代に至って一時廃寺となりましたが、その後天正17(1589)年、諸国を遊歴していた道圓は、当時の第11世本願寺門主、顕如上人の弟子となり、法名も了西と改め帰国、天正19(1591)年3月12日、現在の岐波の地に寺地を移して...
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勝徳寺-新潟県妙高市

・勝徳寺 浄土真宗本願寺派 新潟県妙高市大字吉木901遠州浜松 井上越後守義勝の一族 伊砂民部大輔 源勝行は、源実朝が鎌倉鶴岡八幡にて殺害された時、下総国香取郡霞ヶ浦に逃れ、承久元年(1219)雨月上院の五日、常州(常陸の国)稲田の郷にて善信御坊(親鸞聖人)の弟子となり、行応と名を改める。 その後、6世善念が応仁元年(1467)信州荒瀬原に居住し、伊砂の姓を捨て、土地の名称が平出の郷であることから姓を平出と改める。延徳3年(1491)本願寺8世蓮如上人より「本鳥山」の山号と「勝徳寺」の寺号、並びに直筆の六字名号本尊を賜り、一寺を建立する。(リンク先より)<< 戻る
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浄福寺-岡山県高梁市

・浄福寺 浄土真宗本願寺派 岡山県高梁市成羽町布奇594浄福寺は1588(永禄元)年、山下加賀守(法名、浄元)が、浄土真宗本願寺派の寺院として開山。近くには、かつて吹屋銅山があり、成羽川周辺を中心に多くの人たちが集まっていました。(リンク先より) << 戻る
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順正寺-福岡県福岡市博多区

・順正寺 浄土真宗本願寺派 福岡県福岡市博多区祇園町4-55袖湊山順正寺は、天正11年の創建であり、空寂上人により開基、時来約430年の歴史ある古刹です。現在の順正寺本堂の様式は、本来、入母屋、流れ向拝付、本瓦葺の優雅な曲線で威風堂々たる構えであり歴史的文化財としての維持が期待されています。(リンク先より)※天正11年 1583年 << 戻る
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光善寺-東京都港区

・光善寺 浄土真宗本願寺派 東京都港区元麻布1-7-4天正11年(1583年)、本願寺11代門主顕如上人のご教導により僧、明藝(みょうげい)、武蔵国世田ヶ谷上宿に一宇を建立し、松本山光善寺と号す。(公式ページより) << 戻る
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長延寺-神奈川県横浜市緑区

・命帰山 長延寺 浄土真宗本願寺派 神奈川県横浜市緑区三保町2440開基玄栄法師は、武蔵国都築群小机城の領主笠原越前守信為の嫡子で、童名を竹丸という。天正10年(1582年)顕如上人、織田信長との和睦後故郷都築群吉田村(現在の港北区新吉田町)に帰り、一宇を建立する。上阪しその旨、顕如上人へ報告、方便法身の尊形および蓮如上人御真筆の六字名号と併せて、寺号長延寺、法名玄栄を下附され開基となる。(リンク先より) << 戻る
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安楽寺-東京都港区

・安楽寺 浄土真宗本願寺派 東京都港区芝1-12-181582年(天正10年) 安楽寺創建 ※「本能寺の変」の年1639年(寛永18年) 開基(一世)釋良信往生1923年(大正12年) 関東大震災の延焼により本堂消失1929年(昭和4年) 本堂再建(リンク先より) << 戻る
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聞乗寺-埼玉県上尾市

・雲龍山 「聞乗寺」 浄土真宗本願寺派 埼玉県上尾市原市290聞乗寺は現在埼玉県上尾市に本堂(聞法道場)と御堂内墓地(納骨堂)を有りしていますが、元来は富山県氷見市に寺籍を有する寺院です。その歴史は古く天正9年(1581)真言宗石動山天平寺の僧慶専により開基創建、後年本願寺第十二代准如宗主(1577~1630)のとき御本尊を本願寺より拝受し浄土真宗に改宗しました。現本堂は大正元年(1911)の建立、鐘楼堂は江戸時代の建立でしたが、平成21年修復いたしました。(リンク先より) << 戻る
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真宗寺-兵庫県姫路市

・真宗寺 浄土真宗本願寺派 兵庫県姫路市新在家本町3-12-8天正八年 1580年 順西 安室村新在家馬生(現、西新在家)に真宗寺を開基 播磨国末寺帳天和三年 1683年 順慶 一宇(本堂)を創建 兵庫県飾磨郡誌(リンク先より) << 戻る
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順光寺-島根県松江市

・順光寺 浄土真宗本願寺派 島根県松江市石橋町44順光寺所蔵の「順光寺史」によると、約800年前、現松江市上大野町に教音法師が天台宗の草庵をむすんだのが順光寺の開基とされています。その後、1576(天正4)年、川津村菅田(現松江市菅田町)に移転しました。浄土真宗に改宗したのは、この頃です。(リンク先より) << 戻る
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高法寺-高知県高知市

・高法寺 浄土真宗本願寺派 高知県高知市神田2421-3高法寺は天正2年(1574年)に第1代住職、玉城龍順が京都の桃山から、土佐にやって来たことに始まります。日本は当時戦国時代で、四国では長宗我部氏が勢力を拡大しようとしており、各地の大名と争いが絶えなかったそうです。さらに、天災からの飢饉、疫病などによって人々の生活は困窮し疲弊していました。(リンク先より) << 戻る
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浄満寺-福岡県福岡市中央区

・浄満寺 浄土真宗本願寺派 福岡県福岡市中央区地行2-3-3浄満寺を開いた初代「浄心」は、姓を「井浦いのうら」といい、筑前糟屋郡かすやのこおり(現粕屋町)原上はるがみ在の橘家士分たちばなけしぶんであったと伝えられています。元亀げんき4年3月15日(1573年7月に天てん正しょうと改元かいげん―438年前)二十有余歳のとき、剃髪ていはつして一寺を建立こんりゅうして小庵しょうあんを結び浄満寺と号しました。(リンク先より) << 戻る
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満行寺-山口県萩市

・満行寺 浄土真宗本願寺派 山口県萩市平安古町東区3-268上殿という古い寺のあった地を毛利輝元から下され、天正年間(1573~91)に一宇を建立した。自身の諱をもって寺号とし、土地の名を山号{後年、現在の山号(浄殿)に改める}とした。毛利輝元が広島へ移ったので寺を嫡子祐善に譲り、次男玄徳と共に広島へ移り小庵(現在、広島市東白島町万行寺)を結んだ。防長移封のとき祐伝・祐善は萩に移り、慶長十年(1605)今の地に建立したのが萩満行寺の始まりである。(リンク先より) << 戻る
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正徳寺-兵庫県明石市

・正徳寺 浄土真宗本願寺派 兵庫県明石市大観町12-5寺伝によると、当山は室町幕府が滅亡した天正元年(1573年)、に創建されたとある。開基空圓法師については、二階堂出羽守入道三代の嫡流であったとも伝えられている。宮本武蔵が町割りをしたとされる(*2)明石城下の町屋の中心に堂宇を構え。寛永18年(1641年)に焼失するも後に再建。(リンク先より) << 戻る
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定秀寺-愛媛県松山市

・定秀寺 浄土真宗本願寺派 愛媛県松山市神田町4-26定秀寺は、河野通定と河野通秀が、天正元年(1573年)に旧北条市、中西の地の「蓮華室」と名付けられた屋敷において、お念仏の「み教え」を風早の人々に教化することから始まったと伝えられています。(リンク先より) << 戻る
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善教寺-山口県岩国市

・善教寺 浄土真宗本願寺派 山口県岩国市錦町広瀬6682天正年間に平原に建立。寛永の大火により類焼し、現在の地に再建。(リンク先より)※天正年間 1573年から1593年 << 戻る
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潮見寺-徳島県徳島市

・潮見寺 浄土真宗本願寺派 徳島県徳島市西二軒屋町2-31潮見寺  亦北濱西山の麓に在り興正寺に隷す初め大瓶浦に在り天正中沒て海と爲る因て福島の南岸に移す寛永中此に移すこれによると、はじめ大瓶浦にあった潮見寺は、天正年間(1573~1592年)に海に沈み、その後、現在の徳島市福島付近に移ったようです。(リンク先より) << 戻る
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西蓮寺-島根県浜田市

・西蓮寺 浄土真宗本願寺派 島根県浜田市三隅町岡見3673武士であった栗山七郎左衛門が、茶臼山城陥落により、僧となり庵を開いた。これが西蓮寺開基慶養(没1571年、元亀2年、10月27日)となったと伝えられている。この時は、真言宗であったと伝えられている。(リンク先より) << 戻る
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教念寺-大分県玖珠郡

・教念寺 浄土真宗本願寺派 大分県玖珠郡玖珠町大字大隈1218専復専山教念寺の開基について、『元亀元年(1570)当時、教念寺初代とされる森常陸介胤顕は、その父、興三兵衛と共に浄土真宗に深く帰依していた。その頃、浄土真宗のご本山大阪石山本願寺では、第十一世顕如上人が織田信長の石山本願寺攻めにあい未曾有の法難にあった。(リンク先より) << 戻る
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了源寺-千葉県船橋市

・光雲山 了源寺 浄土真宗本願寺派 千葉県船橋市宮本7-7-1寺伝によると開基の伝翁(俗名:藤原匡親)は永禄8年(1565年)に小田原北条家四代目北条氏政に土地を寄進され了源寺は現在の地に始まりました。その後、本願寺と織田信長の争いが激化すると石山本願寺に入り、石山や紀伊国で転戦したとされています。「足利家に仕えており、主君が暗殺された後、仏門に入った」との記載もあり、永禄8年の「永禄の変」(三好三人衆による義輝暗殺)の後に石山に入り石山合戦終結後の天正8年の可能性もあります。(リンク先より) << 戻る
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誓教寺-山口県下松市

・誓教寺 浄土真宗本願寺派 山口県下松市切山3471562年の創立以来、ずっと西本願寺の浄土真宗で法灯を継いできました。江戸時代以前は地方寺院の設立規定はそれほど厳しくありませんでした。信者と僧侶で何とか維持できれば、掘立小屋のような寺でも勝手に運営すればよし、という程度のものだったようです。(リンク先より) << 戻る
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宝福寺-静岡県下田市

・宝福寺 浄土真宗本願寺派 静岡県下田市下田1-18-26永禄2年(1559)11月、信長の圧迫をのがれ、本願寺第11代顕如並に法孫釈了善、真言を改め開基。文久3年1月16日、宝福寺に滞在中の山内容堂に勝海舟が来山し、坂本龍馬の脱藩の罪の許しを乞い、許される。当日、龍馬は町の旅館にあって、その朗報を待っていた。(リンク先より) << 戻る
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浄運寺-福岡県春日市

・浄運寺 浄土真宗本願寺派 福岡県春日市下白水南4-35蓮華寺第六世の住職宗節師の時代は室町の乱世にあり、その頃の浄土真宗の教えは飛躍的な発展をみせ、そのお念仏のみ教えはここ白水の地にも伝えられました。宗節師はその縁に出逢い他力易行道の教えに随喜、弘治元年(西暦1555年)に改宗を決意されました。(リンク先より) << 戻る