便り 源光寺-広島県三次市 ・源光寺 浄土真宗本願寺派 広島県三次市西酒屋甲156毛利元就家臣・福間源左衛門正成が、我が子の討死などを縁として世の無常を観じ、本願寺・顕如上人に法謁の後、得度。法名を覚栄と授かり、高田郡に寺院を建立。西酒屋村に移住した後、原村へ寺基を移転するにあたり、二世覚証の弟・慈教を酒屋に残す。承応3年春、源光寺が両酒屋の総講寺として建立された。(リンク先より)※承応3年 1654年 << 戻る 1654.01.01 便り年表
便り 正行寺-東京都葛飾区 ・正行寺 浄土真宗本願寺派 東京都葛飾区四つ木5-15-21正行寺は、円受法師(承応3年1654年寂)が開山となり、元々は三河国に創建されました。<< 戻る 1654.01.01 便り年表
便り 浄行寺-熊本県熊本市南区 ・浄行寺 浄土真宗本願寺派 熊本県熊本市川尻1-5-871652年(承応元年)慶智の開基で、熊本市坪井にある浄行寺の末寺。本尊は安阿弥様(あんなみよう)との伝えがある二尺二寸の阿弥陀如来です。(リンク先より) << 戻る 1652.01.01 便り年表
便り 妙願寺-和歌山県日高郡 ・妙願寺 浄土真宗本願寺派 和歌山県日高郡日高町志賀2988文明年間から明応の頃、六郷左衛門という深く浄土真宗に帰依されたお同行が、護法の念篤く、縁あって紀州日高郡志賀村に隠遁して、ひたすら報謝の生活に明け暮れていましたが、慶安3年(1650)2月に一宇を建立し、先祖を奉拝しました。六字の名号を掛けて、初代住職了宗法師を迎えて惣道場(そうどうじょう)としました。 (リンク先より) << 戻る 1650.01.01 便り年表
便り 林照寺-滋賀県高島市 ・林照寺 浄土真宗本願寺派 滋賀県高島市新旭町饗庭2454由来によると、親鸞聖人がご存命の鎌倉時代には寺院が建立されておりましたが、正式に「林照寺」という寺号をいただいたのは、寛永17年(1640年)であります。 以来、滋賀県高島市新旭町にて代々継がれているお寺であります。(リンク先より) << 戻る 1640.01.01 便り年表
便り 賢明寺-福岡県豊前市 ・賢明寺 浄土真宗本願寺派 福岡県豊前市八屋1347もともとは禅宗の寺院であったが、寛永16年(1639年)本願寺より免許をうけたという。(リンク先より) << 戻る 1639.01.01 便り年表
便り 敬相寺-秋田県秋田市 ・敬相寺 浄土真宗本願寺派 秋田県秋田市大町5-7-2江戸時代の初期、寛永13(1636)年、西本願寺十三代良如上人が、同派の地方別院として建立した御坊である。西本願寺の御掛所(おんかけしょ)、御兼帯所(ごけんたいしょ)とも称され、別院として京都の本山から輪番の僧が派遣され、末寺を取り仕切った。開創当初には本山から善察を輪番に下向させ、三年後の寛永16(1639)年には浄円を派遣した。(リンク先より) << 戻る 1636.01.01 便り年表
便り 光恩寺-京都府京都市下京区 ・光恩寺ホームページ 浄土真宗本願寺派 京都府京都市下京区西中筋通六条下る住吉町30親鸞聖人御染筆名号一幅、 覚如上人御染筆二幅を供奉し、京都に上京し、烏丸五条に居住し、法名を祐心と改め道場を仮説し、 寛永十年十二月光恩寺と寺号を公称し、是を光恩寺初代となし、累世相続し、現在に及ぶ(リンク先より)※寛永十年 1633年 << 戻る 1633.12.01 便り年表
便り 養源寺-鳥取県鳥取市 ・養源寺 浄土真宗本願寺派 鳥取県鳥取市職人町45御本尊 阿弥陀如来(南無阿弥陀仏)開基 慶心大和尚(俗名 上田半蔵) 遷移 岐阜県大垣市→愛知県豊橋市→岡山市→鳥取市(1633年)(リンク先より) << 戻る 1633.01.01 便り年表
便り 宗真寺-千葉県館山市 ・石川山 宗真寺 浄土真宗本願寺派 千葉県館山市上真倉2124宗真寺の正式名称は浄土真宗本願寺派石川山宗真寺。創立年は寛永9年、1632年とされます。(リンク先より) << 戻る 1632.01.01 便り年表
便り 浄宗寺-鳥取県鳥取市 ・浄宗寺 浄土真宗本願寺派 鳥取県鳥取市瓦町110寛永9年6月18日、岡山藩主であった池田光仲公(当時3歳、1630~1693)が鳥取城主として国替えになられたおり、祐筆・相談役として備前片上(現・和気郡備前町)からお供をして来たり、邑美郡鳥取城下・若桜橋上手の荒尾家下屋敷にて庵を建立して『紫雲庵』と号して居住したのが初代の正現律師である。 (リンク先より)※寛永9年 1632年 << 戻る 1632.01.01 便り年表
便り 光源寺-長崎県長崎市 ・光源寺 浄土真宗本願寺派 長崎県長崎市伊良林町1-4-4寛永8年(1631年)開基松吟、福岡県瀬高より長崎に寄住し布教を開始寛永14年(1637年)山号・寺号の免許、銀屋町に一寺を建立延宝4年(1676年)銀屋町の寺地類焼のため、現在の伊良林の地に移転(リンク先より) << 戻る 1631.01.01 便り年表
便り 明善寺-山形県山形市 ・明善寺 浄土真宗本願寺派 山形県山形市七日町5-9-3明善寺の創建は寛永7年(1630)に釈覚玄が開山したと伝えられています。当初は現在の天童市山口にありました。<< 戻る 1630.01.01 便り年表
便り 妙寂寺-鳥取県倉吉市 ・妙寂寺 浄土真宗本願寺派 鳥取県倉吉市新町3-2283妙寂寺は開基寛永6年(1629年)8月で、開基は「妙寂院釋圓照大姉」で、以来門信徒の皆様や地域の皆様に支えられ、護られて参りました。2029年に節目の400年を迎えます。私で18代目の住職になります。(リンク先より) << 戻る 1629.08.01 便り年表
便り 専徳寺-山口県岩国市 ・専徳寺 浄土真宗本願寺派 山口県岩国市通津2764厳島合戦に勝利した毛利元就は一族の吉川広家を、弘中氏(当時の岩国城主)に代わって岩国地方を領有させた。広家公は、16年の間岩国の領主となったが、元和2年(1616)に家督を嫡男広正公に譲ると、次男彦次郎君を帯同して、玖珂郡通津村本呂尾に隠居所を構えた。当時、高照山にあった常福寺という真言宗の寺院を改宗し、広正公に対して浄土真宗の一寺建立を願い出た。開基に高森正蓮寺開基了善法師(弘中氏の血統)の3男善超師を迎え、寛永元年(1624)年、光照寺(のち専徳寺)が誕生した。(リンク先より) << 戻る 1624.01.01 便り年表
便り 徳勝寺-香川県さぬき市 ・徳勝寺 浄土真宗本願寺派 香川県さぬき市寒川町石田東甲618寛永年中(1624-1643)住職通教、老体をおして最後の上洛本山参拝へ向かう。良如上人、忠勤に感じ入り寺号「徳勝寺」をお授けになる。第10代住職恵證、老齢の通教に変わり上洛し以下の物を賜る(リンク先より) << 戻る 1624.01.01 便り年表
便り 西方寺-愛媛県大洲市 ・西方寺 浄土真宗本願寺派 愛媛県大洲市西大洲甲1979元和3年、大洲城主・加藤貞泰公によって城下裏町3丁目山根(現在・町の駅あさもや)に入城記念として開基され、 本堂五間四面、庫裡五十坪、山門、長屋等が建てられた。(リンク先より)※元和3年 1617年 << 戻る 1617.01.01 便り年表
便り 築地本願寺-東京都中央区 ・築地本願寺 浄土真宗本願寺派 東京都中央区築地3-15-11617年に浅草近くに創建されましたが、1657年の「明暦の大火」と呼ばれる大火事で焼失してしまいます。その後、再建のため江戸幕府から与えられた土地が現在の場所ですが、当時は海上でした。そこで海を埋め立てて土地を築き本堂を建立したことが「築地」という名称の由来になっています。また1923年には関東大震災に伴う火災により再度本堂を焼失しましたが、1934年に再建し現在の本堂の姿となりました。(リンク先より) << 戻る 1617.01.01 便り
便り 常栄寺-東京都世田谷区 ・常栄寺 浄土真宗本願寺派 東京都世田谷区北烏山4-13-1寺伝の過去帳によると、寛永16年(1639年)6月8日に示寂した正教法師を第一世とします。寺は創建当初、浅草烏越の地にありましたが、元和3年(1617年)、本願寺十二代宗主・准如上人が築地本願寺の前身・浅草御堂を浅草横山町に創建したとき、当寺もこれに従って浅草へ移転しました。(リンク先より) << 戻る 1617.01.01 便り年表
便り 善徳寺-岐阜県岐阜市 ・善徳寺 浄土真宗本願寺派 岐阜県岐阜市加納柳町33もとは岐阜市西川手の地に発祥しましたが、 関ヶ原の戦いによって徳川家康の覇権が確立した慶長5(1600)年の翌年、慶長6(1601)年に加納藩の創設にともなって加納城と城下町の建設が開始されると、元和元年(1615年)に旧中山道沿いの現在地(岐阜市加納)に寺基が移されました。加納の城下町が中山道加納宿として栄えた江戸時代の間、当寺は宿場町の東番所手前の寺として親しまれていたようです。(リンク先より) << 戻る 1615.01.01 便り年表
便り 円寿寺-福島県郡山市 ・円寿寺 浄土真宗本願寺派 福島県郡山市小原田1-9-14圓壽寺の開基は、慶長18年(1613)7月25日で、新國西念が創建して以来代々法灯を継承して現在に至っている。寺祖新國西念は岩瀬郡長沼城主(福島県岩瀬郡長沼町)新國上総介頼基(貞通)の嫡孫として出生、幼名を竹丸といった。(リンク先より) << 戻る 1613.07.25 便り年表
便り 安楽寺-宮崎県宮崎市 ・安楽寺 浄土真宗本願寺派 宮崎県宮崎市橘通東1-7-251613年(慶長18年) 滋賀県大津市の僧:聞解により、西都市穂北の地に開基1871年(明治4年) 念仏弾圧等により隣寺に吸収合併1885年(明治18年) 篤信者:水間嘉之助氏の尽力により、光源寺より寺号と本尊を譲り受け、現在地の南西(今の宮崎市役所前噴水付近)に寺基を再興(リンク先より) << 戻る 1613.01.01 便り年表
便り 福田寺-千葉県鴨川市 ・福田寺 浄土真宗本願寺派 千葉県鴨川市貝渚3076慶長十七年(1612)の創建と伝えられ開基は了周。縁起不詳。残っている奉加帳によると、寛政年中(1789~)九世普観の代に本堂が焼失し、以来六十有余年仮本堂で過ごす。(リンク先より) << 戻る 1612.01.01 便り年表
便り 浄蓮寺-山口県下松市 ・浄蓮寺 浄土真宗本願寺派 山口県下松市美里町2-12-1寺伝によると開基は、大内弘世四代の孫、勝屋左門重治で、父は勝屋右馬允興久と云い陶氏方の武将であった。 興久は徳山・須々万の殿浴山城主であったが、弘治三年(1557)毛利元就との戦いに敗れ、城も落ちて勝屋一族は滅亡する。その際、重治は幼少であったので一命を助けられ、家臣の沼新左衛門・安達藤九郎に伴われて末武荘まで落ちのび、民間に成長した。しかし重治は頼る者もないので、父興久や討たれた家臣の菩提を弔うため発心して出家となり、名を蓮甫と改めた。その後、蓮甫は大島村(徳山・大島)の教西(福間源六広明)と名のる出家と語らって、共に上京し、浄土真宗... 1610.10.17 便り年表
便り 品秀寺-広島県広島市安芸区 ・品秀寺 浄土真宗本願寺派 広島県広島市安芸区畑賀2-2-16ご本尊は阿弥陀如来さま。慶長7年(1604)に浄土真宗の寺と再興された時のご本尊は、 蓮如上人直筆の『六字名号』(軸)でしたが、本堂が再建されてからは、阿弥陀如来さまのお木像です。 内陣修復として、ご本尊が安置される宮殿(くうでん)ならびに柱回りは、彩色が完全な形で仕上げられました。(リンク先より) << 戻る 1604.01.01 便り年表
便り 隨泉寺-広島県広島市安芸区 ・隨泉寺 浄土真宗本願寺派 広島県広島市安芸区中野東7-27-30慶長9年(1604年)今からほぼ400年前、僧恵閑(えかん)なる人により開基されました。恵閑師は、賀茂郡熊野跡村(現・広島市安芸区阿戸町)の薬師堂におられ、隨泉寺の前身湯原山法専寺に入寺されました。湯原山法専寺は 真言宗の道場であり、場所は現在の井原地区変電所の付近にあったと言い伝えられています。(リンク先より) << 戻る 1604.01.01 便り年表
便り 浄蓮寺-福岡県行橋市 ・浄蓮寺 浄土真宗本願寺派 福岡県行橋市大橋2-4-6慶長 8年(1603) 小倉城下町縄張りにて浄蓮寺本堂建立、浄喜寺二世(村上壱岐守)良祐を開基とする。慶長10年(1608) 本願寺より亀谷山浄蓮寺の寺号下る。(リンク先より) << 戻る 1603.01.01 便り年表
便り 明宗寺-島根県松江市 ・明宗寺 浄土真宗本願寺派 島根県松江市寺町122慶長年間に開山されており、出雲地方で最も古くから浄土真宗寺院として開かれた寺院といわれています。また、明宗寺という寺号は慶長7年(1602)に本山より拝領されたものと記録されています。開基(初代)は僧・顕俊。摂州西成郡中島草刈の村・定専庄三番坊第4世了顕の弟で、俗名は楠木右京之進正俊といい、楠木正成の6代後の子孫にあたります。(リンク先より) << 戻る 1602.01.01 便り年表
便り 極楽寺-新潟県小千谷市 ・極楽寺 浄土真宗本願寺派 新潟県小千谷市平成2-5-71560年 初代玄順が信州から越後に移り住み、長岡市摂田屋に光福寺を建立する。1601年 玄順、小千谷に移り住み極楽寺を建立する。1630年 2代了玄の時に正式に寺号と本尊(木像)を本山より受ける。1640年 現在地の旧寺町に移転する。(リンク先より) << 戻る 1601.01.01 便り年表
便り 西福寺-富山県高岡市 ・西福寺 浄土真宗本願寺派 富山県高岡市福岡町福岡1865当寺は昔火事に遭った事から由来に関する書物はありませんが伝承によると1600年頃には西福寺は在った様です。(リンク先より) << 戻る 1600.01.01 便り年表
便り 徳成寺-熊本県玉名郡 ・徳成寺 浄土真宗本願寺派 熊本県玉名郡玉東町大字木葉1056-1浄土真宗本願寺派 徳成寺熊本教区 玉関組に属しています創立 : 慶長2年3月28日(1597.3.28)第一代住職 : 慶順 師(リンク先より) << 戻る 1597.03.28 便り年表