浄土宗

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西光寺-長野県長野市

・西光寺 浄土宗 長野県長野市北石堂町1398正治元年(1199)、善光寺如来に導かれて、高野山から信濃の地に下った苅萱道心が、この地に草庵を建立。御本尊は、開祖苅萱道心とその子信照 坊道念上人(幼名石童丸)が刻んだ二体の親子地蔵尊です。(リンク先より) << 戻る
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西方寺-長野県長野市

・西方寺 浄土宗 長野県長野市西町1019安養山極楽院西方寺の開山は正治元年(1199)に浄土宗の開祖法然上人が善光寺を訪れた時に、現在の権堂の往生院の地に開創したと伝えられています。また、弘法大師が大同二年に建立した宝乗寺がその時に浄土宗に変わったとも言われます。(リンク先より) << 戻る
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誕生寺-岡山県久米郡

・誕生寺 浄土宗 岡山県久米郡久米南町里方808熊谷法力房蓮生(熊谷直実)が建久4年(1193年)に師である法然上人の命を奉じこの地に来て、上人誕生の旧邸を寺院に改めたのがはじまりです。(リンク先より) << 戻る
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正法寺-京都府八幡市

・徳迎山 正法寺 浄土宗 京都府八幡市八幡清水井73正法寺は1191年(鎌倉・建久2年)に、鎌倉幕府御家人・高田蔵人忠国(たかだくろうどただくに)により、天台宗の寺として開かれました(室町時代に浄土宗に改宗)。忠国の次男・高田願阿円誓(がんあえんせい)が第1世(初代住職)となり、姓を「清水」の地名にちなんで「高田」から「志水」と改め、本寺は志水家の菩提寺となりました。(リンク先より) << 戻る
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一心寺-大阪府大阪市天王寺区

・一心寺 トップページ 浄土宗 大阪府大阪市天王寺区逢坂2-8-69山号:坂松山  院号:高岳院開基:文治元年(1185年)法然上人(リンク先より) << 戻る
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海泉寺-大阪府大阪市浪速区

・海泉寺 浄土宗 大阪府大阪市浪速区恵美須西1-6-15昔この当地がまだ海岸であった頃、作太夫(のちの海泉房)が1184年に海から引き上げた洒落木が観音像であったことがきっかけで剃髪した。1185年に法然上人が四天王寺を参詣された時、新別所と名付けられた今の一心寺のあたりにて念仏を唱えられた。その時に海泉房がお袈裟と阿弥陀三尊来迎図を法然上人より授かり念仏修行をしていた草庵が海泉寺の始まり、といわれています。(リンク先より) << 戻る
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西方寺-山梨県富士吉田市

・西方寺 浄土宗 山梨県富士吉田市小明見2058当山とうざんは清和源氏せいわげんじの遠祖えんそ左中将さちゅうじょう新田大炊介義重にったおおいのすけよししげ公こう(大光院殿方山西公大居士だいこういんでんぽうさんせいこうだいこじ)を祀まつって 公こうの四男よんなん義季よしすえ(徳川とくがわの祖そ)の舎弟しゃてい五男ごなん経義つねよし(出家しゅっけして祖底襌師そていぜんし)が治承じしょう3年ねん(1179)に これより東南とうなん二キロ長老尾ちょうろうじり(当山とうざん旧跡きゅうせき)に庵いおりを結むすんで創はじまる。嘉禄かろく二に年ねん(1226)には本尊ほんぞん十一面観世音菩薩じゅういちめんかん...
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増全寺-神奈川県海老名市

・増全寺 浄土宗 神奈川県海老名市中新田1578開山は因公学円上人で、嘉応元年7月15日寂(1169)、開基は鎌倉末期の領主・海老名源八衛広綱とされ、法名の無量院殿龍池増全大居士から山院寺号が付けられ、龍池山無量院増全寺と号す。 開山当時は密教系寺院であったようであるが、浄土宗へ改宗した時期・経緯等は伝えがなく不明である。(リンク先より) << 戻る
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法界寺-石川県小松市

・法界寺 浄土宗 石川県小松市東町92小松の内府と称された内大臣、平 重盛が、諸国に小松寺を建立し始めた、一一六七年、龍真法印鎮華院が開祖となり、真言宗新義派に属する小松寺を小寺に建てました。安元元年三月、法然上人(源空)が京都・吉水に浄土宗をお開きになるや直に改宗し、佛徳院 小松寺と号し、弘安年中には、北国鎮護安全の道場勅願所として定められました。天正五年、柴田勝家のため灰燼に帰し、後、小松山 佛徳院 法界寺と称しました。(リンク先より) << 戻る
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大圓寺-福岡県福岡市中央区

・大圓寺 浄土宗 福岡県福岡市中央区唐人町3-10-9大佛大圓寺は、平安時代中ごろの康平3年(1060年)9月、早良郡西入部村(現、早良区西入部)に鎮守府将軍源頼信公によって天台宗として建築されたと伝えられています。後に大宰大貮となった平清盛により衰退させられました。鎌倉時代の正和5年頃(1316年)、崇福寺の第3祖大応国師が帰朝した際、大圓寺の荒廃を嘆き、臨済禅宗として復興されました(リンク先より) << 戻る
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吉田寺-奈良県生駒郡

・吉田寺 浄土宗 奈良県生駒郡斑鳩町大字小吉田1-1-23吉田寺の創建は古く、天智天皇の勅願によると伝えられ、本堂西側には妹君・間人内親王の御陵と伝えられる清水の古墳がある。その後、平安時代末期、永延元年(987年)に恵心僧都源信が開基された。(リンク先より) << 戻る
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広渡寺-静岡県田方郡

・広渡寺 浄土宗 静岡県田方郡函南町間宮193開基 義延上人(ぎえんしょうにん)。石箏阿闍梨(せきそうあじゃり)と称し、下野国(しもつけのくに、今の栃木県)の豪 藤原文信の子にして、父文信の志願に依り、同国薬師寺の願得上人の門弟となる。石箏阿闍梨は、たびたび薬師の霊告を受け、天慶3年(940年)当国に来り、有縁の霊地を求め、一宇を草創して大蓮寺と称す。(リンク先より) << 戻る
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如意輪寺-奈良県吉野郡

・如意輪寺 浄土宗 奈良県吉野郡吉野町大字吉野山1024当山は、延喜年間(901-923)三好善行の弟で醍醐天皇の御帰依を被った日蔵道賢上人により真言宗のお寺として建立されました。そして、後醍醐天皇が吉野に行宮を構えた際に、後醍醐天皇の勅願寺と定められ南朝(吉野朝)勅願寺ともなりました。(リンク先より) << 戻る
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専称寺-佐賀県多久市

・専称寺 浄土宗 佐賀県多久市多久町2158807年 :開山・行基菩薩伝説 天台宗 阿弥陀如来座像(藤原期12世紀初頭)1191年: 本多久移築/12世紀一遍上人伝説 13世紀 : 大ツツジ(樹齢600年 県名木指定)(リンク先より) << 戻る
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天然寺-長野県下高井郡

・天然寺 浄土宗 長野県下高井郡木島平村大字上木島3336-イ天然寺は浄土宗、京都総本山知恩院の直末寺であり、本尊は阿弥陀如来です。寺の草創は今から千二百年をさかのぼる大同年間(806~809)とされています。かつてはこの地方の豪族市河筑前守信房の帰依を受けて隆盛をきわめ、末寺十二ヵ寺を擁したと伝えられていますが、現在は高社の麓にひっそりとかつての面影を偲ばせるように佇んでいます。(リンク先より) << 戻る
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大信寺-群馬県邑楽郡

・大信寺 浄土宗 群馬県邑楽郡邑楽町篠塚3999-2寺伝によると宝亀年中(770~781)日光の輪王寺を開いた勝道上人が光善寺林(当寺から東南700m)に草庵を結んで修業し、光善精舎と号してこの地方の仏教教化につとめたという。(リンク先より) << 戻る
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行基寺-岐阜県海津市

・行基寺 浄土宗 岐阜県海津市南濃町大字上野河戸1024-1天平の初め頃(約1300年前)、当時、大仏建立の勧進のため諸国を行脚していた行基菩薩が聖武天皇の勅願を得て、美濃・尾張・伊勢の三国の守護霊場山として、この地に七堂伽藍を尽くした菩提寺が建立されたのが始まりです。当山内には行基塚があり、天平宝字元年二月二日に行基菩薩が八十二歳でご入寂されたと伝えられる場所には板碑、七重の石塔(共に重要文化財)が今も残っています。(リンク先より)※天平宝字元年 757年 << 戻る
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念佛寺-奈良県天理市

・念佛寺 浄土宗 奈良県天理市中山町401奈良時代、天平17(745)年に行基僧正によって開山されました。現在お寺の東側墓地の中腹に「行基大菩薩」の石碑があります。行基僧正が中楽寺の十一面観音を参籠された時に、現在お寺があるこの場所を「長山(おさやま)」と名付けました。そこで土の中に光るものを見つけ、拾ってみると1本の朽ち木でした。行基僧正はこれを彫って本尊とし、この時にお寺の名前を「念佛寺」としたそうです。(リンク先より) << 戻る
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性翁寺-東京都足立区

・木余り 性翁寺|龍燈山 貞香院 浄土宗 東京都足立区扇2-19-3神亀2年(725年)、この地に居住の足立之荘司宮城宰相が一人の娘「足立姫」と下女12人水死の難に遭った。父・荘司は悲嘆のあまり諸国廻行に出て熊野権現より霊木を授かり、海中に投げ入れると、霊木は当処へ流れ着いていた。 (旧来、熊の木の地名あり)この霊木を当地に行化の行基菩薩の御手で、六道流転化益に当たって六体の阿弥陀仏を彫刻し、六つの村里に安置して13人亡女子のため、 又、末代衆生利益のためとしたのが六阿弥陀の始まりである。(リンク先より)
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石光寺-奈良県葛城市

・石光寺 浄土宗 奈良県葛城市染野387天智天皇(668~671在位)の勅願で建てられ、 役小角(えんのおづぬ)の開山と伝えられる。境内に奈良時代前期と言われる塔の大心礎があり、 平成3年には弥勒堂改築に伴う発掘調査の結果、日本最古の白鳳時代の石仏(当時の本尊)と他に瓦や仏せん(せんぶつ)が出土。(リンク先より) << 戻る