曹洞宗

便り

瑞泉寺-愛知県常滑市

・瑞泉寺 曹洞宗 愛知県常滑市桧原字西前田81-1草創は照庵恵最首座の寂年をもって起源とされていますが、それより先の文禄年間(1592~1597)、常滑市内阿野町にあった天武天皇の勅願所として大伽藍を誇った高讃寺が兵火にかかり焼失しました。その際に恵最首座が観音像と薬師如来をもらい受けて本尊としたのが始まりといわれます。(リンク先より) << 戻る
便り

興岳寺-東京都八王子市

・萬松山 興岳寺 曹洞宗 東京都八王子市千人町1-2-8萬松山興岳寺は文禄元年(1592年)に石坂勘兵衛が菩提寺として建立した寺院です。甲斐(今の山梨県)の大名だった武田信玄が病死したあと、その子勝頼も豊臣氏のために亡ぼされたので、彼らの遺臣は徳川家康の指揮下に入りました。その中で石坂勘兵衛が旗本となってここに所領をいただき、組屋敷の東部に建てたものが興岳寺の基であります。(リンク先より) << 戻る
便り

正源寺-茨城県牛久市

・正源寺 曹洞宗 茨城県牛久市牛久町114瑞雲山正源寺の縁起は、戦国の世も終わり近づく文禄元年(一五九二年)、当時の牛久城主の由良国繁公により戦で命を散らした人々の菩提を弔う為に七観音八薬師の一つとして創建され、歴史を刻んできた曹洞宗のお寺です。(リンク先より) << 戻る
便り

正泉寺-神奈川県相模原市緑区

・龍減山「正泉寺」 曹洞宗 神奈川県相模原市相原6-6-2寺伝によると、1591(天正19)年、この地を治めていた吉川下総守が、先祖の供養のため屋敷内にお堂を建立し、「虚空蔵菩薩」を本尊として安置したのが始まりといわれ、当時は「澗淋山昌泉寺」と称していました。これより前については記録がないため、この年を建立年としています。ご本尊さまが「虚空蔵菩薩」であることから、曹洞宗の前は天台宗であったと推測されています。(リンク先より) << 戻る
便り

宗岳寺-熊本県熊本市中央区

・宗岳寺 曹洞宗 熊本県熊本市中央区上林町3-45創建由緒は未詳の部分が多いが、はじめは天台宗の寺で「妙心寺」と号したと いわれている。天正19(1591)年、肥前長崎より玄雪栄頓大和尚を請して中興開山とした。 その際に最も功績のあったのが加藤清正公の一族、田寺久太夫であり、「開基」 とされている。久太夫の法号「泰雲宗岳大禅定門」から「泰雲山宗岳寺」と称する ようになった。清正公の築城以来、当寺が城の北東の方角、表鬼門に当たること から、城の鎮護寺とされてきた。(リンク先より) << 戻る
便り

東泉寺-神奈川県横浜市泉区

・東泉寺 曹洞宗 神奈川県横浜市泉区下飯田町743開基は、天正18年(1590)の秀吉による小田原攻めの結果、東国を領した徳川家康の旗本、筧為春(かけひためはる)です。山号は巨木山(こぼくさん)、山門前の対の雌雄大銀杏があるためにそう呼ばれるようになったかは不明です。(リンク先より) << 戻る
便り

川龍寺-群馬県利根郡

・川龍寺 曹洞宗 群馬県利根郡昭和村大字貝野瀬1129群馬県の赤城山の麓にたたずむ戦国時代(1590年)から続く由緒ある寺院です。(リンク先より) << 戻る
便り

善寿寺-兵庫県姫路市

・善寿寺 曹洞宗 兵庫県姫路市豊富町御蔭326善寿寺の歴史は法悦信道大和尚が1590年頃書写山・円教寺で15年間修業をされ、自ら刻んだ「慈母観世音菩薩」を本尊として小さな庵を開かれたことが始まりです。(リンク先より) << 戻る
便り

常泉寺-神奈川県大和市

・花のお寺 常泉寺 曹洞宗 神奈川県大和市福田2176當寺の宗旨は、禅宗の中の曹洞宗であり、本山は、福井県の永平寺、神奈川県の総持寺です。創建は、1588年頃(天正十六年〉と言われています。開山は「朝厳存夙大和尚」(ちょうがんそんしゅくだいおしょう)で、藤沢市遠藤にある宝泉寺六世と言われています。開基の関水和泉は、福田開拓九人衆の一人、広田刑部助の後継者と言われ、天正十六年に没し、法名を「清流常泉禅定門」と称したことから寺号になったと伝えられています。(リンク先より) << 戻る
便り

広厳寺-新潟県胎内市

・広厳寺 曹洞宗 新潟県胎内市西栄町2-8広厳寺は天正16年(1588年)曹洞宗の開創であるが、起原を尋ぬれば天正16年以前、200年前の元中6年(1389年)頃、胎蔵界大日如来を本尊とする真言宗のお寺が建立されていたと伝えられている。現在のご本尊は京都の大仏師定朝法印の作でその当時のものと思われる。尚、このご本尊は宝暦11年辛巳2月大仏師定朝法印第30世源康伝によって修復されている。曹洞宗開創当時(天正16年)は戦国時代であり、戦乱の世の中でお寺も非常に荒廃し、住職もいなかったと思われる。(リンク先より) << 戻る
便り

宝泉寺-新潟県十日町市

・宝泉寺 曹洞宗 新潟県十日町市小泉1051宝泉寺水澤山と号す、天正14年8月(1587)、上杉喜平治景勝の目代、山谷の舘主、藤木長左衛門勝久の開基にして、 上州白鄕井村雙林寺、13世大道関鉄大和尚の開山なり、本尊釈迦牟尼佛に、文珠、普賢の二菩薩とす、 境内1千5百坪、寺産豊かなり、上杉家除地寄付の起請文に依り、徳川幕府の当時、当寺境内山林田畑屋敷は、 検地毎に其式通り下賜せり、中世名家酒井氏の檀越となりて以来、同家旧君家の位牌を安置す(リンク先より) << 戻る
便り

常圓寺-福島県福島市

・常圓寺 曹洞宗 福島県福島市山口字寺屋敷4天正15年(1587年)、安土桃山時代に常円寺は開山されました。開基大波氏は、和歌山県栗原より出て栗原氏となり、のち安積氏、信夫氏を名乗って信夫文知摺城に居し、大波城に移って大波氏となり、さらに山口城を築いて、宮城県登米郡・養雲寺2世鶴庵全賀を開山禅師に迎え、菩提寺常円寺を建立しました。(リンク先より) << 戻る
便り

珊瑚寺-和歌山県和歌山市

・珊瑚寺 曹洞宗 和歌山県和歌山市鷹匠町1-7当寺は昔、和田村(現在の和歌山市和田)にあり「三五寺」と号していました。天正13年(1585)秀吉の紀州攻めで太田城が落城した後、初代和歌山城主となった桑山重晴が三五寺を現在の地に移建し、桑山氏の菩提寺としました。その折、重晴公が珊瑚の数珠を寄進したことから、「珊瑚寺」と呼ばれるようになりました。その数珠は今も当寺に伝わっています。(リンク先より) << 戻る
便り

東照寺-山形県尾花沢市

・東照寺 曹洞宗 山形県尾花沢市大字富山543東照寺の前身は岩谷沢の宝珠山岩生寺という天台宗の寺でありました。その後、関谷に移り、廃寺になっておったところに、天正10年(1582年)向川寺12世 學應憲初大和尚様をご開山に招き、曹洞宗の寺院として現在に至っております。(リンク先より) << 戻る
便り

大用寺-神奈川県秦野市

・井宮山大用寺のホームページ 曹洞宗 神奈川県秦野市曽屋2-1-8大用寺は山号を井宮山(セイキュウザン)、寺号を大用寺とする曹洞宗の寺院です。御開山は、天正十年(1582年)、真翁宗達大和尚によるが、織豊時代の天正十九年(1591年)宗達遷化、と記録にある(リンク先より) << 戻る
便り

宝円寺-石川県金沢市

・宝円寺 曹洞宗 石川県金沢市宝町6-14天正9年(1581年)、利家公が能登国所口(今の石川県七尾市)に移られた際、同和尚を越前から招き入れ、一寺を創建されるがこれを「宝円寺」と名付けられた。 尚、同11年(1583年)、利家公が金沢城主となられるに及び、再び大透和尚を金沢へ招き、「護国山宝円寺」を建立し開祖とされた。(リンク先より) << 戻る
便り

福田院-山形県新庄市

・福田院 曹洞宗 山形県新庄市大字福田934天正9年(1581)に、清水大蔵公の家臣であった角沢楯主 角沢伊勢守と同妻の二霊を開基とし、角沢伊勢守の菩提寺として会林寺第七世玉室秀建大和尚様により開山されました。もともと「白龍山 西園寺」と称されましたが、元和元年(1615)に新庄市福田に移り、「白龍山 福田院」と号しました。(リンク先より) << 戻る
便り

玉泉寺-静岡県下田市

・玉泉寺 曹洞宗 静岡県下田市柿崎31-6真言宗の草庵であったのを、天正の初め(1580年代)開山一嶺俊栄大和尚の来錫によって曹洞宗に改宗され、現在に及ぶこと440年の歴史を有する古刹であります。嘉永7年(1854年)3月、日米和親条約の締結、同年5月の付録13ヶ条の締結により、当寺は米国黒船乗員の休息所・埋葬所に指定されました。その2年後、安政3年(1856年)タウンゼンド・ハリス総領事、通訳官ヒュースケンが下田に着任し、同年8月玉泉寺を日本最初の米国総領事館として開設しました。境内に星条旗が掲揚され、以来2年10カ月、玉泉寺は幕末開国史の中心舞台となりました。又、それ以前は日露和親条約の交...
便り

東泉寺-静岡県御前崎市

・東泉寺 曹洞宗 静岡県御前崎市池新田25-1天正八年(1580年)、笠原村龍巣院の住職能天春藝が、この洞仙寺跡に堂宇を建てて、弟子たちと共に移り住みました。時はちょうど、本能寺の変の2年前に当たります。翌九年に笠原村龍巣院末寺「東泉寺」として開創し、ここで寺の基礎を築きました。その頃の当地はまだ住むも少なく、信徒の数も開祖当初はわずかに13戸程度と聞きます。開祖能天春藝は、ここで13年間住職として勤めた後、求められて龍巣院の住職に戻りました。(リンク先より) << 戻る
便り

荒村寺-兵庫県伊丹市

・荒村寺 曹洞宗 兵庫県伊丹市伊丹1-15-2城山庵は、越後国(現在の新潟)の一妙法國尼を招き、その尼僧さんによって守られていました。後に伊丹の有岡城跡に移されました。その昔、有岡城は戦国武将であった荒木村重を城主としていました。しかし、戦国時代(1578年)に織田信長に謀反の疑いをかけられ滅ぼされました。庵室は有岡城跡に場所を移したのを機に、この荒木村重の古城跡の由緒により、城山庵から荒村庵へと名を改めました。これが現在の寺号、荒村寺の元となりました。(リンク先より) << 戻る
便り

桂昌寺-岐阜県郡上市

・桂昌寺 曹洞宗 岐阜県郡上市美並町大原5791.創建  天正5(1577)年2.開山  久山是桂大和尚(リンク先より) << 戻る
便り

良泉寺-長野県上田市

・良泉寺 曹洞宗 長野県上田市殿城1363寺伝によると天正3年(1575年)3月、矢沢薩摩守綱頼(真田幸隆の弟)が当寺を創立、寺領10貫文を寄付し 大安山良泉寺と号し、菩提所とした。そして天正8年9月、桂昌寺五代の住僧玄廓大和尚を迎えて開山とした。 これより先、 当地に十貫山広沢寺と称せし小字があり綱頼がこれを拡充整備して当寺を創せしともいう。(リンク先より) << 戻る
便り

見性寺-長野県千曲市

・見性寺 曹洞宗 長野県千曲市大字新山629天正3年(1575)真言宗の僧侶盛巖佑昌庵主が遷化(他界)し、上山田町城腰の普携寺第4世、繁室玄昌大和尚が入寺して以来曹洞宗の禅寺として歴史を刻んでおります。(リンク先より) << 戻る
便り

長全寺-千葉県柏市

・戸張山 長全寺 公式サイト 曹洞宗 千葉県柏市柏6-1-9長全寺は天正3年4月25日、松戸市広徳寺5世、巧室梵藝大和尚を勧請し、曹洞宗寺院として開山しました。その後15世紀以来この地域で勢力を張っていた戸張氏の菩提寺として栄え、寛永年間頃に戸張村の香取神社近くから現在地へ移転しました。(リンク先より)※天正3年 1575年 << 戻る
便り

海蔵寺-三重県桑名市

・海蔵寺 曹洞宗 三重県桑名市北寺町10当山は、天正2年(1574)ごろに創建され、ご本尊は「十一面観世音菩薩」で、宗派は曹洞宗(禅宗)に属し、本山は福井の永平寺・横浜の総持寺であります。旧伝によれば、昔は西方村にあって現在地に移りましたが、その時期は明らかではありません。(リンク先より) << 戻る
便り

龍谷寺-宮城県大崎市

・龍谷寺 曹洞宗 宮城県大崎市三本木伊場野字舘崎16天正元年、大崎市古川中の目 万年寺七世 卓山良逸大和尚により開山。境内には、樹齢 約350年になる大銀杏、種まき桜など四季折々の美しい景色を見せてくれます。(リンク先より)※天正元年 1573年 << 戻る
便り

光太寺-栃木県鹿沼市

・光太寺 曹洞宗 栃木県鹿沼市西鹿沼町81【創建】天正元年(1573年)【開山】準室統均大和尚【沿革】一指燈和尚は北押原村字村井の岡坪(現鹿沼市村井町)に一庵を建て、準室燈均大和尚を請して開山とす。文禄元年(1592年)3月17日現地に移転す。(リンク先より) << 戻る
便り

良珊寺-群馬県渋川市

・良珊寺 曹洞宗 群馬県渋川市上郷2919如意山良珊寺の開創は天正年間(1573-1592)のことと伝えられている。貞享5年(1688)の「除地の覚」によれば、その発祥は、白井城主長尾昌賢の家来の佐鳥全徳(橋山全徳庵主、-1568、永禄11)が弘治3年(1557)11月24日に没した妻(繁慶嶺昌大姉)のために建立した伴松庵であるという。(リンク先より) << 戻る
便り

見性院-埼玉県熊谷市

・みんなのお寺見性院 曹洞宗 埼玉県熊谷市万吉797見性院は天正年間(1573~92)に開創した、曹洞宗の寺院でございます。緑豊かな熊谷市郊外の地、万吉(まげち)に在する当院境内では、春には梅や桜が咲き、夏は緑で溢れ、秋には銀杏が色づくといった溢れる自然があります。(リンク先より) << 戻る
便り

円道寺-愛知県名古屋市緑区

・円道寺 曹洞宗 愛知県名古屋市緑区鳴海町字根古屋18今から約400年前の天正年間(1573〜1592)に、瑞泉寺(ずいせんじ・名古屋市緑区相原町)第11世「仁甫良義(にんぽりょうぎ)和尚」によって「猿堂寺」という名で開かれました(江戸期の書物「尾張志」では円道寺となっています)。天正年間とは、織田信長が勢力を増すころから、豊臣秀吉が天下統一を成し遂げるまでの時代です。円道寺のある場所は、鳴海砦(鳴海城)の端になります。この砦は、桶狭間の合戦後、廃城となったので、その一画にお寺を造ることになったとも考えられます。(リンク先より) << 戻る
便り

西光寺-千葉県館山市

・西光寺トップページ 曹洞宗 千葉県館山市正木1930西光寺は里見氏第九代里見義康公より寄進を受けた十一面観音菩薩を御本尊として里見氏菩提を弔う寺として天正年間に創建されたお寺です。(リンク先より)※天正年間 1573年から1593年 << 戻る
便り

廣慶寺-東京都町田市

・三輪山 廣慶寺 曹洞宗 東京都町田市三輪町1609廣慶寺は西暦1572年の安土桃山時代に、神奈川県川崎市高津区下作延の、円福寺第二世「最安慶初大和尚」さまによって開かれました。当時は現在の墓地の窪地に本堂がありましたが、焼失したため、文政4年(1821年)1月28日に現在の地に移転し、茅葺きの本堂が檀信徒の力で再建されたと、棟札に記されており今なお健在です。(リンク先より) << 戻る