便り 清浄光寺(遊行寺)-神奈川県藤沢市 ・清浄光寺(遊行寺) 時宗 神奈川県藤沢市西富1-8-11325 正中二 遊行四代呑海上人 遊行寺を開く1356 延文元 鐘完成1435 永享七 関東管領足利持氏 遊行寺に仏殿120坪を造営寄進1513 永正十 兵火により遊行寺全焼 本尊を駿府(静岡県)長善寺に移す1591 天正十九 徳川家康 遊行寺へ百石寄進(リンク先より) << 戻る 2019.01.01 便り
便り 光明寺-大阪府大阪市西淀川区 ・光明寺 時宗 大阪府大阪市西淀川区大和田5-17-7「浄土門 時宗 光明寺」は浄土宗の流れをくむ『時宗』の寺院となりますが、檀信徒様だけでなく、あらゆる方々とご縁願えればと思い、このホームページを開設いたしました。(リンク先より) << 戻る 2018.11.14 便り
便り 浄土寺-和歌山県海南市 ・浄土寺 時宗 和歌山県海南市鳥居2847月24日は日限さんの夏の会式、お地蔵様のご縁日です。皆様の安心・安全を願う御祈願が勤修される中夕刻より、境内にはローソクとLEDの灯りが点されます。(リンク先より) << 戻る 2018.10.02 便り
便り 萬福寺-栃木県足利市 ・萬福寺 時宗 栃木県足利市大沼田町1436時宗大沼田山金蓮院萬福寺は古墳群が散在する大沼田町大坊山山麓の景勝の地に在って大沼山萬福寺と称し、後に大沼田山萬福寺となりました。かつては大沼田全域を一箇寺の大きな寺院でありましたが、世代の移り変わりと共に、現在に見るように小規模ながら七百年以上の歴史をもつ由緒深い寺院となりました。(リンク先より) << 戻る 2018.09.09 便り
便り 法蔵寺-福島県田村郡 ・【蓮の寺】法蔵寺 時宗 福島県田村郡三春町字荒町169法蔵寺は、三春町で一番古い寺院です。境内に咲く百種の蓮の花をはじめ、紅枝垂れ桜、ツツジ、アジサイ、サルスベリなど四季を通して花を楽しめます。(リンク先より) << 戻る 2018.08.29 便り
便り 称名寺-東京都府中市 ・称名寺 時宗 東京都府中市宮西町1-9-1京王電鉄府中駅から近く、府中市の中心街の一角にあります。 境内にあります、日限子育地蔵尊は毎月23日にご縁日が開かれており、 近隣の人々から厚い信仰を集めています。(リンク先より) << 戻る 2018.07.23 便り
便り 光国寺-宮城県遠田郡 ・光国寺 時宗 宮城県遠田郡美里町二郷字前袋一号28-4当寺院の正式名称は[高玉山光国寺(こうぎょくさんこうこくじ)]と言い正保二年(1646年)に永福寺(現、涌谷町)の当時の住職[微阿直蓮和尚]が説教所として当時の二郷村高玉に開山した時宗のお寺です。(リンク先より) << 戻る 1646.01.01 便り年表
便り 正念寺-広島県尾道市 ・正念寺 時宗 広島県尾道市西久保町1-5山号: 来迎山(らいごうさん)院号: 引接院(いんじょういん)開基:天正二年 遊行三十一世・同念上人(リンク先より) << 戻る 1574.01.01 便り年表
便り 荘厳寺-京都府京都市下京区 ・荘厳寺 時宗 京都府京都市下京区富小路通五条南入本塩竃町592-2荘厳寺は、応永12年(1405)遊行11代自空上人の弟子義縁和尚の創建です。かつては、高辻の北側・油小路堀川の間・東西72間・南北45間半(明治初年以来の明細書)あり、高辻道場佛光山荘厳寺と呼びました。同時に法性寺中将親信を始め、諸人の寄進により数多くの寺領を有りしていました。(リンク先より) << 戻る 1405.01.01 便り年表
便り 興正寺-茨城県常総市 ・興正寺 時宗 茨城県常総市本石下172後小松天皇の御代、南北朝合一の成った、明徳四年八月(西暦一三九三)臨済宗として、平田慈均禅師によって開かれた。後土御門天皇の御代、応仁の乱後、文明二年(一四七〇)五霞村六国山東昌寺開山、即庵宗覚禅師の弟子、能山寿聚芸禅師を迎い、曹洞宗に改め、能山を開山第一世とし現在に及んでいる。慶安元年八月(一六四八)徳川家光公の帰依するところ厚く、御朱印地三〇石を賜り、寺門興隆の資に充てられた。(リンク先より) << 戻る 1393.08.01 便り年表
便り 来迎寺-群馬県高崎市 ・来迎寺 時宗 群馬県高崎市浜川町981時宗(開祖:智真一遍上人)、永仁5年(1297年)遊行二祖真教上人、元亨2年(1322年)幡応尚初代住職以来、代を重ねること37代約700年。在住の豪族長野氏の信仰をうけ、同一族の隆盛と共に栄え、箕輪城落城によって一端は衰微したと思えるが、江戸時代の徳川氏の厚遇と歴代遊行上人の廻国により、広く一般大衆への念仏信仰の浸透に伴い教勢が拡大したことがうかがえる。(リンク先より) << 戻る 1322.01.01 便り年表
人物 一遍(いっぺん) 一遍とは、鎌倉時代中期の僧侶。時宗の開祖。「一遍」は房号であり、法諱は「智真」。一遍上人、遊行上人(ゆぎょうしょうにん)、捨聖(すてひじり)と尊称されます。著作に『一遍上人語録』があります。延応元年(1239年)伊予国(愛媛県)久米郡の豪族、河野通広(出家して如仏)の第2子として生まれます。幼名は松寿丸。10歳の時に母が死ぬと父の勧めで天台宗の継教寺で出家、法名は随縁といいました。建長3年(1251年)13歳になると大宰府に移り、法然の孫弟子に当たる聖達の下で10年以上に渡り浄土宗西山義を学びます。聖達は、随縁に浄土教の基礎的学問を学ばせるため、肥前国清水にいた華台のもとへ最初の1年間派遣し、... 1289.08.23 人物仏教を本気で学ぶ年表
便り 海徳寺-広島県尾道市 ・海徳寺 時宗 広島県尾道市東久保町19-14当山は鎌倉時代末、全国を津々浦々遊行し、念仏の大切さを説いて回られた一遍上人が弘安十年(1287年)、尾道に滞在し念仏勧進された道場が起源と伝えられているお寺で、現住職で五十四代目です。(リンク先より) << 戻る 1287.01.01 便り年表
便り 無量光寺-神奈川県相模原市南区 ・当麻山 無量光寺 時宗 神奈川県相模原市南区当麻578当寺をひらいたのは、「踊り念仏」を広めたことで知られる一遍上人さまです。文永7年(1270)上人が32歳の時、また弘安4年(1281)43歳の時に、奥州遊行の帰路、当山にとどまり修行をされたと伝えられています。弘安5年(1282)の3月、上人は鎌倉方面に向け遊行の旅に発たれることになりました。このとき名残を惜しむ弟子や信徒に乞われ、自らの姿を水鏡に映し、筆をとって絵姿を描き、自ら頭部を刻み、弟子たちも力を合わせて等身大の木像を完成されました。これが御影の像として尊ばれ、現在も本尊として安置され、多くの人々を信仰の道に導かれているのです。(... 1282.03.01 便り年表
便り 光林寺-岩手県花巻市 ・光林寺 時宗 岩手県花巻市石鳥谷町中寺林12-54光林寺の創立は、鎌倉時代末期の弘安三年(1280)にまでさかのぼります。開基は、奥州稗貫郡の領主で寺林城主だった河野太郎通重の嫡子「河野通次」です。父親の河野太郎通重は伊予の領主・河野太郎通信の長男通俊の二男にあたります。河野通次は弘安二年の初夏、京都在番の折り、時宗開祖の一遍上人(1239~1289)に帰依し、発心して弟子になったと伝えられています。(リンク先より) << 戻る 1280.01.01 便り年表
仏教を本気で学ぶ 踊り念仏の始まり(おどりねんぶつ) 弘安2年(1279年)、信濃国佐久、小田切の里では、集まった時衆(人々)と念仏を唱えていたところ、一遍上人をはじめ時衆らが踊りだしました。これが踊り念仏の始まりです。一遍上人の踊り念仏は、激しい踊りに身を委ねることで、無我の内に人間と阿弥陀仏の距離を一にするという実に密教的な念仏でした。一遍上人の踊り念仏は盆踊りの原型だといわれています。<< 戻る 1279.01.01 仏教を本気で学ぶ年表
仏教を本気で学ぶ 一遍上人、熊野での成道(時宗の開宗) 文永11年(1274)、遊行・賦算をしながら、熊野へ向かっていた道中、ある出来事が一遍上人を思い悩ませます。熊野山中で出会った一人の僧に念仏札を受けるように勧めた時に、信心が起こらないので受け取れないと拒否されたのです。一遍上人は、ここでこの僧が念仏札を受けなければ、周りにいる他の人も念仏札を受けないのではないかと思い、無理にその僧に念仏札を与えました。自らの布教方法に疑問を持った一遍上人は、すぐに熊野本宮証誠殿に参籠し熊野権現の啓示を仰がれます。すると、熊野権現が現れて次のように示されました。「融通念仏を進める聖よ、どうして念仏を間違えて勧めているのか。あなたの勧めによって、全ての人々がはじ... 1274.01.01 仏教を本気で学ぶ年表
年表 一遍上人の遊行 再び修行する決心を固められた一遍上人は、故郷へ戻り、窪寺という閑室にこもり一人念仏三昧されます。この三年間の参籠の間に「十一不二頌じゅういちふにじゅ」(一遍上人の悟り境地を表す漢詩)を感得されました。そして、文永10年(1273)菅生の岩屋寺での参籠を経て、家や土地など一切を捨てた遊行の旅に出られました。同行者は、超一、超二、念仏房、聖戒です。ただし、聖戒とは桜井(愛媛県今治市)で「臨終の時は必ず再会しましょう」と約束して別れています。まず、当時極楽の東門の中心と考えられていた四天王寺を訪れた一遍上人は、本尊に念仏勧進の願を立てて、それを生涯の使命とされました。一遍上人は遊行によって、学問や理... 1273.01.01 年表
年表 一遍上人の再出家 再出家することになり最初に、文永8(1271)年信濃国(長野県長野市)の善光寺を訪れました。ここで「二河白道図にがびゃくどうず」を写して自分の本尊とされました。「二河白道」とは、唐の善導大師が“旅人・二河(火の河、水の河)・一本の白い道・阿弥陀如来・釈迦如来”を用いて、極楽往生を願う人の信心を表した比喩です。一遍上人はこの善光寺での参籠によって、人々への化益を強く決心されました。<< 戻る 1271.01.01 年表
便り 西光寺-静岡県磐田市 ・西光寺 時宗 静岡県磐田市見付3353-1文永2年(1265)4月8日に、真言宗の傾木和尚が、この地にお堂を建立されました。その後、12年の年月を経てようやく寺院の形が整い、ご本尊の開眼を迎えるだけになりました。傾木和尚は、ご本尊の開眼を当時一切衆生の済度を志し、全国を遊行されている一遍上人にお願いしたいとお考えになりました。(リンク先より) << 戻る 1265.04.08 便り年表
便り 弘長寺-新潟県南魚沼市 ・弘長寺 時宗 新潟県南魚沼市六日町2303弘長寺は、元々は天台宗延暦寺の末寺であり、弘長元年(1261年頃)、六日町大柳の地に金城山弘長庵として開山しました。そして、正応2年(1289年)5月(鎌倉時代後期)に時宗二祖真教上人とその弟子長真がこの地に足を止めて、天台宗の寺院から時宗の寺院へと改宗しました。この年を時宗寺院として弘長寺の開基と致します。(リンク先より) << 戻る 1261.01.01 便り年表
年表 一遍上人の出生と入門 一遍上人は延応元年(1239)、伊予(愛媛県松山市)の豪族である河野家の次男として誕生されました。幼名は松寿丸といい、父は河野七郎通広、祖父は河野四郎通信です。10歳の時、母を亡くし、父の命を受けて仏門に入られます。13歳になると善入という僧に連れられ、九州で聖達上人、華台上人(共に浄土宗西山派)のもとで修行されました。大宰府の聖達上人のもとで12年間浄土門を学んだ一遍上人でしたが、父の訃報を受けて一度故郷に帰られます。この時の生活は、半僧半俗、つまり僧侶として勤行などはするけれども、日常生活は家族と共に過ごすというような暮らしをされていたようです。<< 戻る 1239.11.15 年表
便り 慈光寺-岩手県久慈市 ・慈光寺 時宗 岩手県久慈市大川目町22-62過去数度の火災や戦乱により、当山の歴史を証明する資料を失っておりますが、次のような縁起・由来が今に伝わっております。当山は仁安3年(1168)に、もともとは天台宗として開山します。その後、時宗の二祖上人である真教上人の勧めにより、時宗に転宗しました。(リンク先より) << 戻る 1168.01.01 便り年表
便り 正宗寺-栃木県芳賀郡 ・正宗寺 時宗 栃木県芳賀郡益子町益子3615紀貫之、十七代の末孫紀仲之(益子氏(紀氏)初代・之宗の父)、入道し、正宗と号す。天治元年(1124年)夢告により、専阿上人を開山上人に迎え、自ら開基となり、一宇建立し守り本尊を安置し一翁山阿弥陀院正宗寺と号した。これが正宗寺の起こりである。益子氏の菩提寺。(リンク先より) << 戻る 1124.01.01 便り年表