便り 慶龍寺-茨城県つくば市 ・慶龍寺 真言宗豊山派 茨城県つくば市泉2348慶龍寺の本尊『子育出世正観世音菩薩』は、大同二年(八〇七)、京都・東寺において小児の成長安全を祈願し、弘法大師が手ずから彫ったと伝えられる秘仏です。その後、文明四年(一四七二)に仁和寺の随弟法師が小田原に観音寺を建て、本尊仏としてまつりました。(リンク先より) << 戻る 0807.01.01 便り年表
便り 専称寺-佐賀県多久市 ・専称寺 浄土宗 佐賀県多久市多久町2158807年 :開山・行基菩薩伝説 天台宗 阿弥陀如来座像(藤原期12世紀初頭)1191年: 本多久移築/12世紀一遍上人伝説 13世紀 : 大ツツジ(樹齢600年 県名木指定)(リンク先より) << 戻る 0807.01.01 便り年表
便り 萩原寺-香川県観音寺市 ・萩原寺 真言宗大覚寺派 香川県観音寺市大野原町萩原2742萩原寺は、地蔵院と号し平城帝の大同二年の弘法大師の開創であり、朱雀天皇勅願談議所でありました。不動明王は大師ご自作で霊験古今に顕著であります。のちには細川勝元公の祈願所にもなりました。(リンク先より)※大同二年 807年 << 戻る 0807.01.01 便り年表
便り 六地蔵寺-茨城県水戸市 ・六地蔵寺 真言宗豊山派 茨城県水戸市六反田767開山は平安初期の大同二年(807年)。その後室町時代の永享元年(1429年)に、宥覚上人によって中興されました。さらに、室町時代後期には第三世の恵範上人が西国の諸大寺へ遊学し、経典の収集・書写に努めた事により、本寺は檀林となり、多くの著名な学僧・修行僧を輩出いたしました。大和国長谷寺(現奈良県桜井市)第三世能化宥義上人(本寺八世)もその御一人です。(リンク先より) << 戻る 0807.01.01 便り年表
年表 空海上人、唐から帰国 805年12月15日、恵果和尚が60歳で入寂し、元和元(延暦25、806)年1月17日、弟子を代表して碑文を撰しました。3月に長安を出発し、4月には越州に到り4か月滞在し、土木技術や薬学をはじめ多分野を学び、経典などを収集しました。8月に明州を出航して、大同元(806)年10月、九州博多に到着し、集めてきた経論の整理をされ、帰朝上表(きちょうじょうひょう)を朝廷に奉進(ほうしん)しました。<< 戻る 0806.10.01 年表
便り 千光寺-広島県尾道市 ・千光寺 単立(真言宗) 広島県尾道市東土堂町15-1開基は平安時代の始め大同元年(806年)で、後に源氏の名将多田満仲の中興と伝えている。境内中央の巨岩「玉の岩」は昔この岩の頂に如意宝珠があって、夜毎に海上を照らしていたのでこの地を「玉の浦」と呼ぶとか。玉の岩の右には朱塗りの本堂、左には龍宮造りの鐘楼を配して、尾道の風光のかなめをなしている。(リンク先より) << 戻る 0806.01.01 便り年表
便り 盛岩寺-岩手県釜石市 ・盛岩寺 曹洞宗 岩手県釜石市唐丹町字小白浜453当山の開創は、大同年中に天台宗の寺として開かれました。慶長6年8月(1601)陸前高田市米崎の普門寺4世在天長存大和尚によって曹洞宗に改め開山開堂の式が行れました。(リンク先より)※大同年中 806年から810年 << 戻る 0806.01.01 便り年表
便り 櫟野寺-滋賀県甲賀市 ・櫟野寺 天台宗 滋賀県甲賀市甲賀町檪野1377福生山自性院櫟野寺(いちいの観音)は桓武天皇の延暦十一年に比叡山の開祖伝教大師様が根本中堂の用材を得る為に甲賀郡杣庄おいでにまりました時、霊夢を感じて此の地の櫟の生樹に一刀三礼の下彫刻安置されました。日本最大坐仏十一面観音菩薩がご本尊様です。(世に生えぬきの観音様と称されております。) その後、延暦二十一年鈴鹿山の山賊追討に当たり、杣ケ谷を櫟野まで登られた坂上田村麻呂公は、当地鎮座の櫟野観音さまに祈られその御力により鈴鹿山の群賊を平定することが出来たのであります。(鈴鹿山の鬼退治と伝わる)それ故将軍は当寺を祈願寺と定め、大同元年七堂伽藍を建立、永... 0806.01.01 便り年表
便り 勝龍寺-京都府長岡京市 ・恵解山 勝龍寺 真言三宝宗 京都府長岡京市勝竜寺19-25大同元年(806)空海(弘法大師)の開基。寺号は恵解山青龍寺で、観音堂を始め九十九坊が建てられていたといわれます。大干ばつ大飢饉の年に住職千観(せんかん)上人の祈とうで雨が降り、龍神に勝ったという意味から「勝龍寺」と改名されました。(リンク先より) << 戻る 0806.01.01 便り年表
便り 妙光院-山形県山形市 ・妙光院 天台宗 山形県山形市内表東124-1当院はおよそ1,200年前の延暦25年(806)に伝教大師最澄によって開かれた宗派である天台宗に属する寺院であり、「一隅を照らす」という教えの元、一人一人が輝きあい、手を繋ぎ合って暮らせる社会の実現を願い、日々お勤めしております。(リンク先より) << 戻る 0806.01.01 便り年表
便り 明通寺-福井県小浜市 ・明通寺 真言宗御室派 福井県小浜市門前5-21大同元年(806)征夷大将軍・坂上田村麻呂創建。「文化財の宝庫」と称されるこの若狭地方において、国宝指定の本堂・三重塔をはじめ、重文の仏像など数多くの寺宝を擁する古刹です。(リンク先より) << 戻る 0806.01.01 便り年表
便り 大椿寺-岡山県新見市 ・大椿寺 曹洞宗 岡山県新見市哲多町花木4649大椿寺は平安初期(西暦806年)の大同元年に法相宗の僧侶である大徳玄賓僧都が開かれた寺院です。江戸初期に入り、玄賓僧都から800年余り続いた仏教の教えが途絶えそうになりました。当時の領主であった備中松山藩主 水谷勝隆はその事態を憂い、寛永5年(西暦1628年)に現在の岡山県高梁市にある定林寺7代目住職 源嶺呑高禅師に大椿寺の復興を命じられました。(リンク先より) << 戻る 0806.01.01 便り年表
便り 廣度寺-福島県郡山市 ・廣度寺 曹洞宗 福島県郡山市西田町鬼生田字前田119曹洞宗鬼生山廣度寺は、平将門の末裔 平氏田村一族の開基で大同年間(806年~810年)に開かれました。時は移り文明年間(1469年~1487年)には曹洞宗大本山総持寺第三百拾世重屋清珍禅師によって鬼生山廣度寺が開創され、以来法灯は連綿として今日に至る由緒ある寺です。(リンク先より) << 戻る 0806.01.01 便り年表
便り 本吉山清水寺-福岡県みやま市 ・本吉山清水寺 天台宗 福岡県みやま市瀬高町本吉1119-1寺の言い伝えによると伝教大師は、唐から帰朝の折り、有明海の東方山中に美しく輝く光を発見されました。その光を求めて、一羽の雉を道案内にこの山に分け入ったところ、苔むした合歓(むね)の霊木に出会われたのでした。このうえなく喜ばれた大師は、大地から生えたままのこの樹に一丈六尺(約5メートル)の千手観音像を刻まれました。そして大同元年(西暦806年)にお堂を建立し、その観音様をお祀されました。(リンク先より) << 戻る 0806.01.01 便り年表
便り 善雄寺-群馬県みどり市 ・善雄寺 天台宗 群馬県みどり市東町大字荻原192善雄寺は、傳教大師の高弟暁海和尚により大同元年(806年)の草創とされる。暦応元年(1338年)弘秀上人が中興。江戸の初期天海僧正(慈眼大師)が元和三年四月、久能山より家康公の御骨を捧げて日光へ登嶽の折に立ち寄られた御縁により、幕府から御朱印十一石二斗を賜った。御本尊は阿弥陀如来立像。(リンク先より) << 戻る 0806.01.01 便り年表
便り 龍願寺-群馬県前橋市 ・龍願寺 真言宗豊山派 群馬県前橋市粕川町中之沢349本尊は不動明王(波切不動明王)。大同2年(806年)10月空海(後の弘法大師)様御帰朝の際、玄界灘の荒れ狂う風と波に船は翻弄され、たびたび沈没の危機にさらされた時、大師様が祈念され不動明王を示現されました。 (リンク先より) << 戻る 0806.01.01 便り年表
便り 天然寺-長野県下高井郡 ・天然寺 浄土宗 長野県下高井郡木島平村大字上木島3336-イ天然寺は浄土宗、京都総本山知恩院の直末寺であり、本尊は阿弥陀如来です。寺の草創は今から千二百年をさかのぼる大同年間(806~809)とされています。かつてはこの地方の豪族市河筑前守信房の帰依を受けて隆盛をきわめ、末寺十二ヵ寺を擁したと伝えられていますが、現在は高社の麓にひっそりとかつての面影を偲ばせるように佇んでいます。(リンク先より) << 戻る 0806.01.01 便り年表
便り 世音寺-広島県尾道市 ・世音寺 曹洞宗 広島県尾道市原田町小原1695大同元年(806)建立。もとは地名を夜討峠畑山(えいちたばたやま)と呼ぶ丘の峰にあったと伝えている。戦国時代木梨元清と小原中山城主三浦氏との戦いのとき寺も焼かれたと伝えているが、本尊十一面観世音菩薩は難を逃れた。その後万治元年(1658)に福山市山手町三寶寺六世通天梵達大和尚〔萬治元(1658)年三月廿九日遷化〕の遺命により、現在の地に本尊を遷座し曹洞宗となった。(リンク先より) << 戻る 0806.01.01 便り年表
便り 法福寺-富山県黒部市 ・法福寺 高野山真言宗 富山県黒部市宇奈月町明日836法福寺は、大同元年(806)幻識大和上の創建であると伝えられている。本尊は十一面観音であり、むかって右の脇立ちは馬頭観音、左の脇立ちは聖観音である。いずれも奈良の仏師春日の御作と言われている。かつては七堂伽藍があり、仁王門の中にも十六坊が立ち並んでいたが上杉謙信が侵入した折、兵火にかかって消失したという。(リンク先より) << 戻る 0806.01.01 便り年表
便り 金泉寺-長崎県諫早市 ・金泉寺 高野山真言宗 長崎県諫早市高来町金泉寺は、空海 (弘法大師)が平安時代の初め頃(806~07)行基菩薩の遺跡を訪ね、ここに錫を留め山頂よりやや下った西側の清水のこんこんと湧き出る所に、身の丈四尺余の不動明王と二童子立像を刻んで本尊として建立した寺である。太良嶽大権現の神宮寺として肥洲の真言宗道場として多くの信徒に崇められて来た。即ち祈祷仏教として名高く「国家安泰、五穀豊穣、航海安全、神仏混交の名刹」として遠近の崇敬の聖地として栄え最盛期には30余の宿坊を数えたと言う。(リンク先より) << 戻る 0806.01.01 便り年表
便り 楊谷寺-京都府長岡京市 ・立願山楊谷寺 西山浄土宗 京都府長岡京市浄土谷堂ノ谷2柳谷観音は806年(大同元年)平安時代、清水寺を開山された第一世延鎮僧都により開創されました。 延鎮僧都は『西山にて生身の観音様に出会うことが出来る』 という夢のお告げにより、清水寺からこの西山に入り、柳(楊)生い茂る渓谷の岩上に生身の観音様を見つけられました。 その観音様が、古来より眼病に霊験あらたかな十一面千手千眼観世音菩薩だったということです。(リンク先より)<< 戻る 0806.01.01 便り年表
仏教を本気で学ぶ 天台宗が公認される 延暦25(806)年、華厳宗・律宗・三論宗(成実宗含む)・法相宗(倶舎宗含む)に天台宗を加えて十二名の年分度者が許されることになり、天台宗が公認されました。このころ、最澄上人は空海から、真言、悉曇(梵字)、華厳の典籍を借り、研究したといわれています。<< 戻る 0806.01.01 仏教を本気で学ぶ年表
仏教を本気で学ぶ 成実宗が伝わる 成実宗(じょうじつしゅう)は、百済の道蔵が日本へ伝えました。延暦25年(806年)の太政官符によれば、三論業3名のうち、1名には成実論を読ませた、とあります。俗諦と真諦とを対立させ、俗諦の存在を認めるが、真実界に立ってみればそれは空であると説かれています。成実宗とは『成実論』を研究する論宗(経を所依とせず、論を所依とする宗派)です。中国十三宗・日本の南都六宗の1つで、三論宗に附属する宗派です。<< 戻る 0806.01.01 仏教を本気で学ぶ年表
便り 天鷲寺-大阪府大阪市天王寺区 ・天鷲寺公式ホームページ 天台宗 大阪府大阪市天王寺区六万体町3-18平安時代延暦24年(805年)7月に天台宗宗祖『傳教大師最澄』によって開創されたこのお寺は『傳教大師入唐求法帰朝記念のお寺』としてその由緒と格式を現在に伝えている。(リンク先より) << 戻る 0805.01.01 便り年表
便り 能福寺-兵庫県神戸市兵庫区 ・能福寺 天台宗 兵庫県神戸市兵庫区北逆瀬川町1-39延暦24年(805年)伝教大師の開基から1200年以上の年月が経過。神戸の民衆に支えられ、戦争、火事、地震など様々な困難を乗り越え、灯火を御守りしております。(リンク先より) << 戻る 0805.01.01 便り年表
便り 長楽寺-京都府京都市東山区 ・長楽寺 時宗 京都府京都市東山区八坂鳥居前東入円山町626延歴24年(西暦805)桓武天皇の勅命によって、伝教大師を開基として大師御親作の観世音菩薩を本尊として創建された。当初(平安時代)は天台宗・比叡山延暦寺の別院として建てられましたが、その後室町時代の初期当時の一代の名僧国阿上人に譲られ時宗(宗祖一遍上人)に改まり、明治39年に時宗の総本山格であった名刹七条道場金光寺が当寺に合併され今日に至ります。(リンク先より) << 戻る 0805.01.01 便り年表
便り 教應寺-大阪府大阪市東淀川区 ・教應寺 真宗大谷派 大阪府大阪市東淀川区豊里3-13-16教応寺のある東淀川区豊里地域は、かつて聖徳太子が度々足を運ばれ、四天王寺建立の候補地と考えられていた地であります。その地に、唐から帰られた伝教大師最澄が立ち寄られ「法上寺」(805年頃草創)を建てられます。それが教応寺のはじまりと伝えられています。その後、永正14(1517)年真宗に改宗し、天和3(1683)年、寺号を「敎應寺」と改めております。(リンク先より) << 戻る 0805.01.01 便り年表
年表 最澄上人、中国で修行し帰国 中国に着いた最澄上人は、今の浙江省天台県に位置する天台山に赴き、修禅寺の道邃(どうずい)・仏隴寺の行満(ぎょうまん)に天台教学を学び、道邃より大乗菩薩戒を受けます。その後禅林寺の翛然(しゅくねん)より禅の教えを受け、帰国前には越州龍興寺で順暁阿闍梨から密教の伝法を受けました。こうして多くの経典や法具を携え、延暦24(805)年に帰国しました。<< 戻る 0805.01.01 年表
仏教を本気で学ぶ 空海上人、真言密教の第八祖に 永貞元(延暦24、805)年2月、長安の西明寺に滞在し、まず醴泉寺の印度僧般若三蔵に学び、梵語の経本や新訳経典を与えられる。5月より、正統の真言密教を継がれた第七祖である青龍寺東塔院(しょうりゅうじとうとういん)の恵果和尚(けいかかしょう)を訪れ、6月に大悲胎蔵の学法灌頂、7月に金剛界の灌頂、8月に伝法阿闍梨位の灌頂を受け、「この世の一切を遍く照らす最上の者」(大日如来)を意味する遍照金剛(へんじょうこんごう)の灌頂名を与えられ、真言密教の第八祖となりました。<< 戻る 0805.01.01 仏教を本気で学ぶ年表
年表 空海上人、留学僧として唐へ 延暦23(804)年、31歳の時、それまで私度僧であったのを東大寺戒壇院(かいだんいん)で具足戒を受け公式に僧となり、この頃、名を空海とあらためたといわれています。同年7月6日、留学僧として遣唐使の一行と共に、肥前(長崎県)松浦郡田浦(たのうら)から唐へ出港します。遣唐使船4艘のうち2艘は沈没あるいは航行不能に陥ってしまいますが、天台宗を開いた最澄も、このときのもう1艘に乗って唐に渡りました。<< 戻る 0804.01.01 年表
年表 最澄上人、遣唐使船で中国に渡る 延暦21(802)年、桓武天皇より入唐求法(にっとうぐほう)の還学生(げんがくしょう、短期留学生)に最澄上人が選ばれ、延暦23(804)年7月、遣唐使船で中国に渡りました。当時、中国に渡るのは命がけのことで、4隻で構成された遣唐使船のうち、中国へ無事に着いたのは2隻だけでした。到着した2隻の内の別の船には、後に真言宗を開いた空海が乗っていました。<< 戻る 0802.01.01 年表