平安時代

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弘法大師の諡号を賜わる

延喜21(921)年、空海上人は醍醐天皇から弘法大師の諡号(しごう)を賜わる。東寺と金剛峯寺座主を兼務する観賢は、朝廷に働きかけて空海上人への弘法大師号宣下を実現させました。ですから、空海上人が「弘法大師」と呼ばれるようになったのはこれ以降です。 観賢は、諡号宣下の勅書と醍醐天皇の賜衣を奉じて高野山に乗り込み、大師号の報告会を行いました。『日本紀略』には、観賢が報告のため奥の院の廟所を開けたところ、空海の顔色は生前のままだったと記されています。この話が伝わり、空海は実は亡くなって荼毘に付されたわけではなく、御廟の中で「入定(にゅうじょう)」していると信じられるようになりました。 入定とは、生死...
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観賢、東寺と金剛峯寺座主を兼務

延喜十九年(919年)、観賢(八五四~九二五年)、東寺と金剛峯寺座主を兼務する。空海上人が入滅後、金剛峯寺(高野山)や東寺、高雄山寺(神護寺)などの真言宗諸寺はそれぞれ独立した寺院としての道を歩み始めました。やがて、金剛峯寺と東寺のどちらを本寺とするかという論争が起きます(本末争い)。 そこで、観賢が東寺と金剛峯寺座主を兼務し、東寺を本寺、金剛峯寺を末寺と決めたことで決着し、金剛峯寺は本末争いに負けた形となりました。 << 戻る
人物

相応和尚(そうおうかしょう)

相応和尚は近江国浅井郡の出身で、孝昭天皇の第一皇子天帯彦国押人命(あめたらしひこくにおしひとのみこと)の子孫と伝えられています。15歳の時、鎮操(ちんそう)大徳に随って比叡山に登り17歳で剃髪し沙弥になりました。その後、法華経常不軽品によって大菩提心を発し、六、七年間一日も欠かさず根本中堂に花を供え続けていました。その信心堅固な青年僧を見いだし、年分度者(ねんぶんどしゃ)として得度せしめたのは慈覚大師円仁大徳でした。大師は大納言藤原良相(よしみ)からの度者の推薦依頼もあり、良相の一字を取って「相応(そうおう)」と名付けられました。比叡山の回峯行は、役小角(えんのおづぬ)を開祖とする南山修験に対...
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天龍寺-埼玉県飯能市

・子ノ権現天龍寺 公式サイト 天台宗 埼玉県飯能市南461当山は、延喜十一年(九一一)六月十三日、子ノ聖が初めてこの地に十一面観音をお祀りし、天龍寺を創建されたことに始まります。その後、弟子の恵聖上人が子ノ聖を大権現と崇め、子ノ聖大権現社を建立されました。 (リンク先より) << 戻る
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篠生寺-石川県加賀市

・篠生寺 浄土真宗本願寺派 石川県加賀市動橋町イ-69延喜9年(909) 真言宗生龍山地蔵院建立永延2年(988) 花山法皇が那谷寺建立にあたっての安在所(御座所)とする一条天皇も安在所(御座所)とする(リンク先より) << 戻る
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古今和歌集ができる

905年、古今和歌集ができる。紀貫之らによる編さん。最初の勅撰和歌集。<< 戻る
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金剛院-兵庫県伊丹市

延喜4年(904年)宇多法皇の勅願所として山城醍醐寺の聖宝理源大師が薬師如来を本尊に開基、当初善楽寺といい別院を金剛院と称したといわれます。その後、兵乱で廃れました。久安6年(1150年)、源為朝が当寺に宿を取り、牛頭天王の霊夢によって寺社を再興したと言われています。天正7年(1579年)、荒木村重の乱で炎上しましたが、文禄年間(1592年~1596年)、千僧村願成就寺(現安楽院)の地蔵院長照が入寺し中興しました。 文禄3年(1594年)、片桐且元の検地で除地となります。寛文11年(1671年)、京都御室仁和寺の末寺となりました。貞享2年(1685年)、『摂津名所図会』によると近衛基熙が再建し...
人物

菅原道真(すがわらのみちざね)

平安時代の貴族、学者、漢詩人、政治家。参議・菅原是善の三男。官位は従二位・右大臣。贈正一位・太政大臣。忠臣として名高く、宇多天皇に重用されて、寛平の治を支えた一人であり、醍醐天皇のもとでは右大臣にまで昇りつめます。しかし謀反を計画したとして(昌泰の変)、大宰府へ大宰員外帥として左遷され現地で没しました。死後怨霊と化したと考えられ、天満天神として信仰の対象となり、現在は学問の神として親しまれています。一方、菅原道真の家族は仏教信者であり、母は命の危険があった幼い息子・道真の命を救うために観音像の造立を発願(ほつがん)します。それを果たせずに亡くなった母の遺志を継ぎ、その費用を工面するため節約して...
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荘園の大整理

902年、荘園の大整理をする。 << 戻る
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如意輪寺-奈良県吉野郡

・如意輪寺 浄土宗 奈良県吉野郡吉野町大字吉野山1024当山は、延喜年間(901-923)三好善行の弟で醍醐天皇の御帰依を被った日蔵道賢上人により真言宗のお寺として建立されました。そして、後醍醐天皇が吉野に行宮を構えた際に、後醍醐天皇の勅願寺と定められ南朝(吉野朝)勅願寺ともなりました。(リンク先より) << 戻る
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菅原道真が大宰府に流される

901年、菅原道真が藤原氏によって大宰府に流される。<< 戻る
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宇多法皇、高野山参詣

昌泰三年(900年)、宇多法皇、高野山参詣。<< 戻る
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真照院-山口県山口市

・真照院 真言宗御室派 山口県山口市秋穂二島5106当山は、寛平8年(896年)近江国石山寺観賢僧正の開創と伝えられています。朝日山正観寺千光院と号し、七堂伽藍整った真言秘密伝法灌頂の道場でした。ところが天正14年(1586年)火災に遭い堂宇消失し、天正16年(1588年)真善坊に合併されました。(リンク先より)・真照院
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清荒神清澄寺-兵庫県宝塚市

・清荒神清澄寺 真言三宝宗 兵庫県宝塚市米谷字清シ1番地清荒神清澄寺は平安時代の初め、宇多天皇の創意による理想の鎮護国家、すなわち諸国との善隣友好を深め戦争のない平和社会、万民豊楽の世界を開く勅願寺の一つとして創建されました。天皇は讃岐国の名工、定円法眼に命じて曼陀華の香木で本尊大日如来像を刻ませ、寛平8年(896)に、叡山の高僧静観僧正を迎え、開山の祖としました。(リンク先より) << 戻る
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遣唐使を停止

894年、遣唐使を停止する。菅原道真の意見による。→国風文化の発達。このころ、唐の勢いはおとろえていた。<< 戻る
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観福寺-千葉県香取市

・観福寺 真言宗豊山派 千葉県香取市牧野1752妙光山 蓮華院 観福寺 開基 890年(寛平2年)尊海上人により本尊  平将門の守護仏とされる聖観世音菩薩(木像秘仏)(リンク先より)伊能忠敬(いのう ただたか)墓所。 << 戻る
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仁和寺-京都府京都市右京区

・仁和寺 真言宗御室派 京都府京都市右京区御室大内33仁和寺は仁和4年(888)に創建された寺院であり、現在は真言宗御室派の総本山です。 境内には五重塔や二王門など江戸時代に建立された建造物が並びます。 同時期に植えられた御室桜は4月中旬に見頃を迎えますが、建物と同様、 当時と同じ姿を現在に伝えています。平成6年には世界遺産に登録されました。(リンク先より) << 戻る
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藤原基経が関白になる

887年、藤原基経が関白になる。(関白の始まり)<< 戻る
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金剛峯寺の伽藍が完成

空海上人が入滅時、金剛峯寺の建立はまだ中途でしたが、弟子の真然が中心となり、887年に根本大塔などの伽藍を完成させました。 << 戻る
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須磨寺-兵庫県神戸市須磨区

・須磨寺 真言宗須磨寺派 兵庫県神戸市須磨区須磨寺町4-6-3須磨寺略歴縁起(寺蔵)によれば、兵庫区和田岬の海中より出現し給える聖観世音菩薩像を安置する為に、淳和天皇の勅命により、兵庫区会下山に、恵偈山北峰寺が建立された。後に、仁和二年(AD886)に、光孝天皇の勅命により、聞鏡上人が現在の地に上野山福祥寺を建立し、北峰寺より聖観世音菩薩像を遷し、本尊としてお祀りしたのが、当山の開基と伝えられる。(リンク先より) << 戻る
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陽成天皇に高野山参詣による功徳を説く

元慶七年(883年)、空海上人の弟子、真然が陽成天皇に高野山参詣による罪障消滅と弥勒の救済の功徳を説きすすめる。<< 戻る
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大安寺-奈良県奈良市

・大安寺 高野山真言宗 奈良県奈良市大安寺2-18-1大安寺は、聖徳太子が平群郡額田部に熊凝道場を創建したことに始まります。やがて百済大寺、高市大寺、大官大寺と名と所を変え、平城京に移って大安寺となりました。この間の事情を『三代実録』元慶四年(880年)冬十月の条には次のように記します。 「昔日、聖徳太子平群郡熊凝道場を創建す。飛鳥の岡本天皇、十市郡百済川辺に遷し建て、封三百戸を施入し、号して百済大寺と曰う。子部大神、寺の近側にあり、怨を含んで屡々堂塔を焼く。天武天皇、高市郡の夜部村に遷し立て、号して高市大官寺といい、封七百戸を施入す。和銅元年平城に遷都し、聖武天皇詔を下して律師道慈に預け、平...
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大覚寺-京都府京都市右京区

・大覚寺 真言宗大覚寺派 京都府京都市右京区嵯峨大沢町4弘法大師空海を宗祖と仰ぐ真言宗大覚寺派の本山。正式には旧嵯峨御所大本山大覚寺と称し、嵯峨御所とも呼ばれる。平安初期、嵯峨天皇が檀林皇后とのご成婚の新室である離宮を建立されたが、これが大覚寺の前身・離宮嵯峨院である。 嵯峨院が大覚寺となったのは、皇孫である恒寂入道親王を開山として開創した貞観18年(876年)である。弘法大師空海のすすめにより嵯峨天皇が浄書された般若心経が勅封(60年に1度の開封)として奉安され、般若心経写経の根本道場として知られる。(リンク先より)<< 戻る
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「竹取物語」「伊勢物語」などが著される

874年、このころ「竹取物語」「伊勢物語」などが著される。<< 戻る
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補陀落渡海のはじまり

868年11月3日、慶龍上人が熊野那智より渡海したのが一番古い記録です(「熊野年代記」)。補陀洛山寺は「補陀落渡海(ふだらくとかい)」の出発点だったことで知られています。「補陀落」とはサンスクリット語の「ポタラカ」の音訳で、南方の彼方にある観音菩薩の住まう浄土のことをいい、『華厳経』にはインドの南端にあると説かれています。観音信仰の流布と共に、チベットや中国にも補陀落は想定されました。チベットではラサ北西に建つ、観音の化身ダライラマの宮殿をポタラ(補陀落)宮と呼び、中国では舟山諸島の2つの島を補陀落としました。日本においては南の海の果てに補陀落浄土はあるとされ、その南海の彼方の補陀落を目指して...
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隆勝寺-山形県山形市

・隆勝寺 真宗大谷派 山形県山形市小荷駄町1-1【850年頃】慈覚大師(天台宗)が龍山(霊山)寺創建西蔵王に龍山寺を中心にたくさんの堂塔・坊舎がたったことから三百坊と呼ばれる 【867年】龍山寺が定願寺(国指定の寺)になる隆勝寺を含め、三百坊隆盛【1258年】北条時頼三百坊閉山命令隆勝寺山形市成沢へ移転し、復興【1451年】浄土真宗に改宗(リンク先より)<< 戻る
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伝教大師の諡号が贈られる

貞観8(866)年、清和天皇より最澄上人に伝教大師の諡号が贈られました。大師号も日本ではこれが最初です。<< 戻る
人物

真済(しんぜい)

平安時代前期の真言宗の僧。父は巡察弾正紀御園。空海の十大弟子の一人で、真言宗で初めて僧官最高位の僧正に任ぜられた。詩文にも優れ、空海の詩文を集めた『性霊集』を編集している。また、長く神護寺に住し、その発展に尽力した。高雄僧正・紀僧正・柿本僧正とも称される。生誕 延暦19年(800年)命日 貞観2年2月25日(860年3月25日)<< 戻る
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立石寺-山形県山形市

・立石寺 天台宗 山形県山形市大字山寺4456-1貞観2年(860)、第三世天台座主慈覚大師円仁 が開いた、天台宗の御山で東北を代表する 霊山です。「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」 という松尾芭蕉の句でも知られています。豊かな自然に恵まれ、春・夏・秋・冬、 四季折々の雰囲気を楽しむことが出来ます。(リンク先より) << 戻る
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大安寺-愛媛県東温市

・大安寺 臨済宗妙心寺派 愛媛県東温市下林甲1216貞観元年(859年)8月、南都大安寺の行教和尚が勅を奉じて、豊前の国宇佐八幡宮より山城国男山の勧請の帰途台風にあい、松前浜に船を寄せてこの地に来た。たまたま国司散位河野伊予守興村これを信仰すること厚く、別当寺を建立して南都大安寺を遷し、大伽藍を建立して大安寺と称した。(リンク先より) << 戻る
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長福寺-茨城県水戸市

・長福寺 天台宗 茨城県水戸市塩崎町1135創建は清和天皇の御代の貞観元年(859年)平安時代で開基は慈覚大師。本尊は阿弥陀如来で、恵心僧都の作。恵心僧都は源信(942~1017)で「往生要集」の作者で、中世念仏興降のさきがけの人である。また中興開山は栄尊和尚である。(リンク先より) << 戻る
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伊崎寺-滋賀県近江八幡市

・伊崎寺 天台宗 滋賀県近江八幡市白王町1391伊崎寺は山号を「姨倚耶山(いきやさん)」といい、近隣にある西国三十三所札所である長命寺と同じ山号です。長命寺から連なる山系上に立地しています。伝承では奈良時代、修験道の開祖とされる役行者(えんのぎょうじゃ)がここを最初に見つけられて行場としたといわれています。その折、イノシシが役行者をこの地に導いたということから「猪先(いさき)」という名になったと伝えられています。その後、貞観年間(859〜876)に相応(そうおう)和尚が寺院を創建、自作の不動明王を安置されました。(リンク先より) << 戻る