安土桃山時代

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関ヶ原の戦い

1600年、関ヶ原の戦い。豊臣秀吉が死ぬと、徳川家康の勢いが強まった。家康は石田三成らの豊臣方の軍を関ヶ原(岐阜県)にやぶって、全国の大名を従えた。天下分け目の戦い 関ヶ原の戦いには、全国のほとんどの大名が徳川方(東軍)と豊臣方(西軍)に分かれて戦った。<< 戻る
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泊舟院-佐賀県佐賀市

・泊舟院 曹洞宗 佐賀県佐賀市西与賀町大字高太郎87【開山】慶長3年戊戊(1598年)8月示寂 龍泰寺3世 建立開山傳叟俊的大和尚【本尊】聖観世音菩薩(リンク先より) << 戻る
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廣誓寺-石川県金沢市

・廣誓寺 曹洞宗 石川県金沢市昌永町13-251598(慶長2)年 金沢市の砂丘地帯・五郎島地区に、不破家が真言宗安養山廣誓寺を建立。不破家の菩提寺となる。1650(慶安3)年 廣誓寺が現在地に移転。境内2000余坪(現在は1000坪)に、七堂伽藍を完備した寺院を建立。曹洞宗本源山廣誓寺とした。(リンク先より) << 戻る
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智積院-京都府京都市東山区

・智積院 真言宗智山派 京都府京都市東山区東大路通り七条下ル東瓦町964鎌倉時代の中頃に、頼瑜(らいゆ)僧正が出て、大伝法院を高野山から根来山へ移しました。これにより、根来山は、学問の面でもおおいに栄え、最盛時には、2900もの坊舎と、約6000人の学僧を擁するようになります。智積院は、その数多く建てられた塔頭(たっちゅう)寺院のなかの学頭寺院でした。 しかし、巨大な勢力をもつに至ったため、豊臣秀吉と対立することとなり、天正13年(1585)、秀吉の軍勢により、根来山内の堂塔のほとんどが灰燼に帰してしまいました。その時、智積院の住職であった玄宥(げんゆう)僧正は、難を高野山に逃れ、苦心のすえ、...
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圓成寺-大阪府池田市

・圓成寺 真宗大谷派 大阪府池田市東山町313-1慶長3年(1598年)西念法師により開基されました。開基 西念法師 慶長12年往生(リンク先より) << 戻る
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龍廣寺-群馬県高崎市

・龍廣寺 曹洞宗 群馬県高崎市若松町49徳川四天王の一人とよばれた井伊直政(1561-1602)が開基の寺院。直政は箕輪(現在の箕郷)より髙﨑に城を移す時に、信任の厚かった龍門寺住職白庵秀関和尚と共にこの地に来ました。そして、慶長三年(1598)白庵和尚を初代住職として龍廣寺を建立した。(リンク先より) << 戻る
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豊臣秀吉が死去

1598年、豊臣秀吉が死去。<< 戻る
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徳成寺-熊本県玉名郡

・徳成寺 浄土真宗本願寺派 熊本県玉名郡玉東町大字木葉1056-1浄土真宗本願寺派 徳成寺熊本教区 玉関組に属しています創立 : 慶長2年3月28日(1597.3.28)第一代住職 : 慶順 師(リンク先より) << 戻る
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養泉寺-和歌山県和歌山市

・養泉寺 真宗大谷派 和歌山県和歌山市和歌浦中2-7-16天正7年(1579)織田信長が再度石山本願寺攻めを行いました。本願寺派の軍勢は、武運拙く木下藤吉郎の前に敗戦し、顕如上人の長男、教如上人は信長との和議を拒み堺・岸和田・和歌山へと落ちのび、雑賀崎鷹の巣洞窟に身を隠したと伝えられています。それを知った井本源兵衛は食事を運び教如を援助しました。その恩返しに、本願寺秘伝の製薬法を源兵衛に伝授したとされています。これが今日も重宝されております「和歌保命丸・わかのうら薬」です。その後、源兵衛は真宗に帰依し、慶長2年(1597)養泉寺を創建されました。そして、寛永2年(1625)寺号を許され、徳川頼...
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乗光寺-石川県珠洲市

・乗光寺 真宗大谷派 石川県珠洲市飯田町12-24寺に現存する最古の資料は 1597 年のものです。乗光寺に「顕如上人 (けんにょしょうにん)」 の御影があります。 顕如上人はあの一向一揆の統率者であり、大阪 城の前身の「石山本願寺」で織田信長と戦った ことで有名です。その御影の裏には、顕如上人 の長男で、のちに東本願寺の初代となる、教如上人 (きょうにょしょうにん) からの「東本願寺」の末寺になるよう要請する檄が残されています。(リンク先より) << 戻る
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浄光寺-島根県江津市

・浄光寺 浄土真宗本願寺派 島根県江津市千田町451開基住職釈慶念は、慶長2年(1597)に豊臣秀吉の命を受け、従軍医僧として朝鮮出兵に従う。戦争の悲惨を目撃した慶念は、無常転変の儚さを悟り、帰国後、いのちがけの開教に従事。石西一円に教線を張り、現在の石見地方のご法義繁昌の基礎を創りあげる。様々な苦難をのりこえて、慶長年間当地に浄土真宗の教堂を開く。(リンク先より) << 戻る
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興全寺-神奈川県高座郡

・龍寶山 興全寺 曹洞宗 神奈川県高座郡寒川町宮山1785龍寶山興全寺は戦国時代末期に英顔麟哲(えいがんりんてつ)大和尚によって創建された禅宗(曹洞宗)寺院です。 開山は慶長2年(1597)、大本山は福井県の永平寺、神奈川県の総持寺です。寒川神社の東側に位置し、寒川大明神を守護神とする神仏混淆の寺院で、寒川神社歴代神官の菩提寺でもあり、毎年春秋の彼岸には墓前において、神仏合同の慰霊祭が執り行われます。(リンク先より) << 戻る
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西福寺-神奈川県横浜市港南区

・二楽山西福寺 曹洞宗 神奈川県横浜市港南区上大岡東1-38-19創建は慶長二年で、もとは真鶴にあったお寺で、小田原市早川の「海蔵寺」の末寺、山号を「東向山」と称していました。ご開山は「了峰印達大和尚」と「西岸清光庵主」の二説がありますが、今は「真鶴西福寺開山 了峰印達大和尚」「真鶴西福寺開基 西岸清光庵主」としてお奉りをしています。(リンク先より)※慶長二年 1597年 << 戻る
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慶長の役

1597年、豊臣秀吉が再び朝鮮に出兵する(慶長の役)。<< 戻る
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久松寺の建立

開基は慶長元年(1596)5月28日、開基者は本多美濃守忠政公。本多忠政公の室、岡崎三郎信康息女熊姫《ユウ姫》また(国姫)(徳川家康、織田信長の孫姫)亡父の菩提の為建立。
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革秀寺-青森県弘前市

・革秀寺 曹洞宗 青森県弘前市藤代1-4-1革秀寺は、山号を「津軽山」と言い藩祖為信公の菩提寺であります。為信公の遺言により岩木山の眺望(ながめ)の美しい現在地に二代藩主信枚公が亡父藩祖為信公追善のため、長勝寺八世格翁禅師を開山として慶長年間に建立したものであります。寺禄100石を賜る。(リンク先より)※慶長年間 1596年から1615年 << 戻る
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蓮華寺-大分県国東市

・蓮華寺 浄土宗鎮西派 大分県国東市武蔵町大字池ノ内1708往昔、円通院安祥寺というお寺があった。その寺の由緒沿革等は一切不明であるが、慶長年間大友家譜代の徳丸氏の末裔五郎左衛門尉里久という者が、円通院の霊場の廃寺となったのを悲嘆して、村民に謀り力を合わせて一宇を再興して池中山安祥院蓮華寺と号した。開山は、実蓮社真誉上人莫無和尚である。(リンク先より)※慶長年間 1596年から1615年 << 戻る
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泉龍寺-鳥取県日野郡

・泉龍寺 曹洞宗 鳥取県日野郡日野町黒坂421慶長年間に、当時の黒坂城城主「関長門守一政」が建立したとされ、「禅室珍目大和尚」を開山に迎えています。一政は当寺開山堂において「開山」として日々供養されています。(リンク先より)※慶長年間1596年から1615年 << 戻る
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光久寺-秋田県能代市

・光久寺 浄土宗 秋田県能代市萩の台1-23慶長のはじめ(三百八十余年前)、能代奉行大窪三河守光久の子、丹後光久の開基檀越の寺であります。当時、行であった性西法師を開山としております。縁起は、正保年中の災禍のため焼失いたしましたが、江戸中期の旅行家菅江真澄の紀行文「雪の出羽路」には、光久寺について次のように記されています。(リンク先より)※慶長 1596年から1615年 << 戻る
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見秀寺-秋田県大仙市

・見秀寺 曹洞宗 秋田県大仙市蛭川上屋敷207開山の直翁授性大和尚が遷化したのが元和元年(1615年)であることから推して、開創は慶長年代(1595年-1615年)と伝えられている。創建された場所は明らかではないが、寺伝によれば瀧のある場所に寺院があったとされ、また、「見秀寺境内記」によれば「山を切り崩した小高いところにあり、見るところの秀一なるが故に『見秀寺』と名づく」と記されている。(リンク先より)※一般的には慶長年代は1596年から1615年までの期間を指す。 << 戻る
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自性院-秋田県潟上市

・自性院 曹洞宗 秋田県潟上市天王字天王71当院の開基は太田善兵衛政唯(まさただ)で、江戸城を築城した武蔵国の太田道灌の末裔(まつえい)である。政唯の父資政(すけまさ)は会津若松に住んでいたが、政唯は故(ゆえ)あって天王村(現潟上市)に下り、菊地吉之丈に奇遇(きぐう)し、のち船越(現男鹿市)に居を構えた。かねて禅宗に帰依していた善兵衛政唯は、同村塩口・櫻庭金之丈の助力を得て、一宇の堂を建立し、久保田城下の歓喜寺 三世生山祖長大和尚を招請して自性院を開闢(かいびゃく)。時は慶長年間(1596~1615)と伝えられている。(リンク先より) << 戻る
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法真寺-東京都文京区

・法真寺 浄土宗 東京都文京区本郷5-27-11当山は、和順山歓喜院法真寺といい、慶長元年(1596年)に京都知恩院より、寺号を附与されている。家康公御台所の天野図書(法真寺殿歓譽西喜大禅定門 寛永十年五月二十日寂)が、同家下屋敷を寄進し、寺の開基となる。この時の開山上人が、伝通院から来た栄誉泉良和尚という人であった。(リンク先より) << 戻る
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寳袋寺-神奈川県横浜市緑区

・八幡山 寳袋寺 曹洞宗 神奈川県横浜市緑区十日市場町895-1創立年代は慶長年間(1596年-1615年)で、顕堂長察大和尚が開山しました。 宗派は曹洞宗、山号は八幡山とし、本尊の聖観世音菩薩は木造の坐像で高さは一尺ほど。鎌倉の仏師運慶の作と言われています。本堂正面の「古寳袋」の額は山岡鉄舟筆で、寺宝としています。寺号「寳袋」は、建立地から古い巾着が掘り出された事によるものです。巾着は金銭などを入れる袋、いわば「宝の袋」であり「寳袋寺」という寺号になったといわれます。(リンク先より) << 戻る
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珠泉院-岐阜県岐阜市

・珠泉院 臨済宗妙心寺派 岐阜県岐阜市三田洞東3-25-1慶長年間(1596~1615)に淳岩和尚によって粟野の地に創建される。昭和48年現在の三田洞東の地に移設される。(リンク先より) << 戻る
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桑名別院本統寺-三重県桑名市

・桑名別院本統寺 真宗大谷派 三重県桑名市北寺町47慶長元(1596)年、本願寺第12代教如【きょうにょ】上人によって、宗祖親鸞聖人の教えを共に聴聞していく、三重の門徒衆の大切な儀式・聞法の中心道場として開創されたのが当別院の始まりです。(リンク先より) << 戻る
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松岩寺-埼玉県熊谷市

・松岩寺 臨済宗妙心寺派 埼玉県熊谷市本石1-102松岩寺は慶長元年(1596年)に喜庵西堂和尚によって開創された、 臨済宗妙心寺派の禅寺です。開創以来いくたびかの火災にあい、詳しい寺史は明かではありません。(リンク先より) << 戻る
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東正寺-三重県南牟婁郡

・東正寺 曹洞宗 三重県南牟婁郡紀宝町鵜殿686慶長元年(1596)前住の雲深舜白和尚が、鳥止野浦江崎の地に小院を建立されたのが始まりとされています。その後、曹洞宗の寺院として、また東正寺という寺院名として、萬治3年(1660)に、華厳山和尚が同地に伽藍を建立、新宮市の宗応寺6世布國文益大和尚を迎え開山。(リンク先より) << 戻る
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常性寺-東京都調布市

・調布不動尊常性寺 真言宗豊山派 東京都調布市国領町1-2-8常性寺は、正式には「医王山長楽院常性寺」と称し、鎌倉時代に創建された由緒ある真言宗豊山派の寺院です。往古は多摩川沿いに壮麗な諸堂が建立されていましたが、安土桃山時代の慶長年間に旧甲州街道沿いの現在地に移築させられました。(リンク先より)※慶長年間 1596年から1615年 << 戻る
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常纂寺-兵庫県神戸市西区

・常纂寺 浄土宗 兵庫県神戸市西区枝吉4-40永金山 常纂寺(えいこんざん じょうさんじ)は安土桃山時代から江戸時代にかけての慶長年間(1596~1615)に、芸蓮社願譽上人林甫大和尚により開山建立された浄土宗の寺院で、京都知恩院の末寺です。(リンク先より) << 戻る
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大増寺-東京都港区

・大増寺ホームページ 単立 東京都港区三田4-12-6大増寺の縁起は、約400年前、慶長年間にさかのぼります。江戸の八丁堀に、朝ごとに光を放つ池がありました。月山和尚が掘り起こしたところ、やさしい顔をした聖観音像が現れました。和尚は、その観音様を「朝日観音」と名付け、一寺を開基し、「池宝山大増寺」と命名。(リンク先より)※慶長年間 1596年から1615年 << 戻る
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正覚寺-広島県呉市

・正覚寺 浄土宗 広島県呉市寺本町2-1正覚寺の始まりは約400年前の慶長年間で、もとは大阪府泉北郡湊村にありました。(リンク先より)※慶長年間  1596年から1615年 << 戻る
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常福寺-兵庫県三田市

・常福寺 曹洞宗 兵庫県三田市上深田186慶長元(1596)年の正月18日に、草創開山の一山渓榮和尚が当地に住山したのが常福寺の始まりです。お気軽にお詣り下さい。お待ちしております。(リンク先より) << 戻る