群馬県

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蓮花院-群馬県高崎市

・蓮花院 真言宗豊山派 群馬県高崎市下小鳥町53-2蓮花院は、真言宗のお寺です。真言宗は、平安時代に弘法大師によって開かれました。蓮花院の本尊様は阿弥陀如来です。(リンク先より) << 戻る
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大覚寺-群馬県高崎市

・大覚寺 真言宗智山派 群馬県高崎市石原町1992‐10当寺院大覚寺は真言宗智山派に属し、古くは西遊記で有名な玄奘三蔵法師が奉られております。また、三蔵法師ゆかりの中国西安市大慈恩寺と友好寺院締結もしております。平成19年に当寺院住職の川﨑弘悠は日本人で初めて玄奘三蔵法師伝承法名勤脩いたしました。(リンク先より) << 戻る
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福祉寺-群馬県伊勢崎市

・福祉寺 単立 群馬県伊勢崎市境東新井224平等山福祉寺は昭和49年に松原日治(まつばらにちじ)初代住職が建立した無宗派の寺です。福祉寺はとても小さな寺ですが皆様に喜ばれるよう活動しております。(リンク先より) << 戻る
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水上寺-群馬県利根郡

・水上寺 真言宗智山派 群馬県利根郡みなかみ町湯原358当山、成田山水上寺は、西暦1888年・明治21年に千葉県成田市の真言宗智山派の大本山成田山新勝寺より勧請した不動明王をお祀り致しております。(リンク先より) << 戻る
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重恩寺-群馬県桐生市

・重恩寺 浄土真宗本願寺派 群馬県桐生市東2-8-41【本尊】 阿弥陀如来【開基】 多田立観 【開創】 嘉永元年(1848年)(リンク先より) << 戻る
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天明寺-群馬県前橋市

・天明寺 真言宗豊山派 群馬県前橋市池端町645当寺は江戸中期の天明年間〔1781~1788〕に開創されたことにより天明寺と名づけられたと伝えられておりますが、実際には歴代住職の墓誌に「恵弁 貞享三丙寅天三月廿三日」とあります。このことから推測すると貞享三年〔1688〕には小さな庵を掬んでひっそりと仏道を歩んでいたのかもしれません。(リンク先より) << 戻る
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全性寺-群馬県太田市

・全性寺 真言宗豊山派 群馬県太田市大原町371宮林山 全性寺(ぐうりんざん ぜんしょうじ)と読みます。本堂に御本尊 大日如来をおまつりしております。 貞享4年3月21日(1687年)、新田郡新田町の大慶寺第十五世 住職教寛の弟子で全性法印(舜祐和尚)によって開基されました。(リンク先より) << 戻る
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達磨寺-群馬県高崎市

・達磨寺 黄檗宗 群馬県高崎市鼻高町296昔、碓氷川のほとりに観音様を祀るお堂がありました。ある年の大洪水のあと、村人たちが川の中から香気のある古木を引き上げて霊木として観音堂に納めておきますと、延宝八年(1680)一了居士いちりょうこじという行者が霊夢によって訪れ、信心を凝らして一刀三礼、達磨大師の座像を彫り上げ観音堂にお祀りしました。この噂は「達磨出現の霊地・少林山」として近隣に広まりました。(リンク先より) << 戻る
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龍源寺-群馬県高崎市

・龍源寺 曹洞宗 群馬県高崎市吉井町多胡776『上野国郡村誌』に、「神保村仁叟寺末寺派、僧壽溯和尚開基、創建年号不詳」とあり、『多胡郡寺院明細帳』には、「正保元申年(1644)3月、僧壽溯創建、明治20(1893)6年1月23日焼失」、と記されている。(リンク先より) << 戻る
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浄蓮院-群馬県邑楽郡

・浄蓮院 真言宗智山派 群馬県邑楽郡板倉町大曲1616浄蓮院の開山については不詳ですが、開山周應上人の位牌に寛永19年(1642年)とあるため、これ以前にさかのぼると思われます。(リンク先より) << 戻る
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常仙寺-群馬県高崎市

・常仙寺 曹洞宗 群馬県高崎市並榎町331並榎山常仙寺は、一六二八年(寛永五年)徳川家光の時代に、水運業を営む飯塚常仙(光徳院心徹常仙居士)が藤岡市森の泉通寺の四世である松齢恕嶽大和尚を開山として創建したと伝えられる。(リンク先より) << 戻る
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実相寺-群馬県邑楽郡

・実相寺 真言宗豊山派 群馬県邑楽郡板倉町板倉甲1678慶長14年(1609年)徳川2代将軍秀忠公による伊奈良沼の白鳥鉄砲狩りの為、沼のほとりにある実相寺外農家18軒が移転した。これより遡る事11年、慶長3年あの栄華を極めた豊臣秀吉が五大老(徳川家康、前田利家、毛利輝元、上杉景勝、宇喜多秀家)に秀頼を託し死去。秀吉の願いとは裏腹に、死去して2年後の慶長5年に関ヶ原の役起こり、東軍(徳川方)は西軍(石田光成方・実質は秀頼方)を破る。(リンク先より) << 戻る
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龍廣寺-群馬県高崎市

・龍廣寺 曹洞宗 群馬県高崎市若松町49徳川四天王の一人とよばれた井伊直政(1561-1602)が開基の寺院。直政は箕輪(現在の箕郷)より髙﨑に城を移す時に、信任の厚かった龍門寺住職白庵秀関和尚と共にこの地に来ました。そして、慶長三年(1598)白庵和尚を初代住職として龍廣寺を建立した。(リンク先より) << 戻る
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川龍寺-群馬県利根郡

・川龍寺 曹洞宗 群馬県利根郡昭和村大字貝野瀬1129群馬県の赤城山の麓にたたずむ戦国時代(1590年)から続く由緒ある寺院です。(リンク先より) << 戻る
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薬王院東光寺-群馬県伊勢崎市

・薬王院東光寺 天台宗 群馬県伊勢崎市安堀町708東光寺の過去帖によると享保二年(1717年)「第五世住職大阿闍梨堅者法印智官」と記されているが、それ以前の古いものについては「伊勢崎風土記」で「天正三乙亥(1575年)寺再建祐尊、原理山薬王院東光寺」と記載されている。文化三年(1806年)権大僧都法印春定の後は伝承される者なく不明である。(リンク先より) << 戻る
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良珊寺-群馬県渋川市

・良珊寺 曹洞宗 群馬県渋川市上郷2919如意山良珊寺の開創は天正年間(1573-1592)のことと伝えられている。貞享5年(1688)の「除地の覚」によれば、その発祥は、白井城主長尾昌賢の家来の佐鳥全徳(橋山全徳庵主、-1568、永禄11)が弘治3年(1557)11月24日に没した妻(繁慶嶺昌大姉)のために建立した伴松庵であるという。(リンク先より) << 戻る
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永隣寺-群馬県富岡市

・永隣寺 曹洞宗 群馬県富岡市下丹生1568-1小幡信氏公が国峰城、宮崎城の両城の城主であった時、永隣寺を建て菩提寺とし、寺領として9,750坪を寄進した。信氏公は、永禄12年12月6日、静岡の蒲原の戦いで戦死。徳翁永隣大禅定門となり、信氏の夫人は、天正15年5月29日に逝去。算室正寿大禅定尼となった。(リンク先より)※永禄12年 1569年 << 戻る
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瑞岩寺-群馬県太田市

・瑞岩寺 曹洞宗 群馬県太田市矢田堀甲388瑞岩寺という寺号(じごう)は、瑞岩寺伝によると当寺は、常陸国河内郡若芝宿金龍寺の末寺であり、天文十二年(1543年)3月15日に建立された伽藍は、 運慶作の十一面観世音菩薩を本尊としている。(リンク先より) << 戻る
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観音寺-群馬県沼田市

・観音寺 曹洞宗 群馬県沼田市下発知町332石尊山観音寺は明応9年(1500年)天山見亮禅師により開創され、以来戦後争乱の中を生き抜き永い星霜を累ねてきました。御開山天山見亮禅師は御本寺迦葉山龍華院3世であり、群馬成孝院2世、永福寺2世、福島清光寺2世、茨城鱗勝寺3世と各地の住職を務めた高徳です。(リンク先より) << 戻る
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宝徳寺-群馬県桐生市

・宝徳寺 臨済宗建長寺派 群馬県桐生市川内町5-1608宝徳寺は臨済宗大本山建長寺第73世仏印大光禅師を開山として、桐生地域の領主であった、桐生佐野正綱公の開基により室町時代の宝徳年間(1450年頃)に創建された禅寺です。当山の場所は桐生城(柄杓山城)の裏側に位置し、名久木の砦の入口を見渡す所にあります。(リンク先より) << 戻る
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茂林寺-群馬県館林市

・茂林寺 曹洞宗 群馬県館林市堀江町1570青龍山茂林寺。分福茶釜の寺として知られる当山は、 応永三十三年(1426年)、大林正通大和尚によって開山された曹洞宗寺院です。(リンク先より) この茂林寺はおとぎ話「ぶんぶく茶釜」の寺として広く知られており、総門から山門に続く参道では21体の信楽焼の狸像が参拝客を出迎えてくれる他、山門をくぐると1960年に東武鉄道が寄贈した巨大なタヌキ像が待っています。<< 戻る
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吉祥寺-群馬県利根郡

・吉祥寺 臨済宗建長寺派 群馬県利根郡川場村大字門前860-1吉祥寺創建は南北朝時代の暦応二年(1339)中巌円月禅師を開山和尚とし大友氏時により創建されました。建長寺派四百有余かヶ寺の寺院の中で一番北域に位置することから、建長寺北の門とも呼ばれています。(リンク先より) << 戻る
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光厳寺-群馬県富岡市

・光厳寺 曹洞宗 群馬県富岡市下高瀬731光厳寺は鳳来山光厳寺と号し大本山永平寺直末の寺院である。寺の縁起は室町時代人皇九十六代光厳天皇の御開基で大本山永平寺八世鷹林喜純禅師を開山としている。江戸時代の天文、正保、安永年間に火災により重宝類は焼失し寺歴に不明な点がある。(リンク先より)※光厳天皇在位:1331年10月22日〈元弘元年9月20日〉- 1333年7月7日〈元弘3年5月25日〉 << 戻る
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来迎寺-群馬県高崎市

・来迎寺 時宗 群馬県高崎市浜川町981時宗(開祖:智真一遍上人)、永仁5年(1297年)遊行二祖真教上人、元亨2年(1322年)幡応尚初代住職以来、代を重ねること37代約700年。在住の豪族長野氏の信仰をうけ、同一族の隆盛と共に栄え、箕輪城落城によって一端は衰微したと思えるが、江戸時代の徳川氏の厚遇と歴代遊行上人の廻国により、広く一般大衆への念仏信仰の浸透に伴い教勢が拡大したことがうかがえる。(リンク先より) << 戻る
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宝積寺-群馬県甘楽郡

・宝積寺 曹洞宗 群馬県甘楽郡甘楽町大字轟774宝積寺(ほうしゃくじ)は、現在のお寺より南に4キロ行った山の中腹にある天寿庵(てんじゅあん)と言う庵(いおり)からきています。お寺の境内には、弘安3年(1280年)、正安4年(1302年)、延慶2年(1309年)の板碑が建立されています。この時代にはすでに天台宗の寺として、広い寺領を持ち、栄えていました。(リンク先より) << 戻る
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崇禅寺-群馬県桐生市

・崇禅寺 臨済宗建長寺派 群馬県桐生市川内町2-651崇禅寺は、織物の街桐生の西の山間、小倉の里に元久二年(1205)法然上人の弟子智明上人(桐生小倉の人、園田太郎成家)により開創され、その後南北朝の中頃、応安三年(1370)には、鎌倉大本山建長寺第四十五世東伝士啓禅師により、臨済宗の禅寺として開山されその長い歴史と法灯を今日に伝えている。この地方では「阿弥陀様の寺」として知られる古利であります。(リンク先より) << 戻る
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明言寺-群馬県邑楽郡

・明言寺 曹洞宗 群馬県邑楽郡邑楽町大字石打237-1曹洞宗月音山明言寺(そうとうしゅうげつおんざんみょうごんじ)の本尊は千手観世音菩薩です。千手観世音菩薩は、また、子〔ね〕年生まれの方の守り本尊でもあります。明言寺は、元久〔げんきゅう〕元年(1204年)、天台宗の寺院として創建されましたが、その後、天正〔てんしょう〕2年、 曹洞宗寺院として再興されました。(リンク先より) << 戻る
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金剛寺-群馬県前橋市

・金剛寺 真言宗豊山派 群馬県前橋市苗ヶ島町1147開山は承安年間(1171~1175)赤城山大通庵に創建し、山号を霊松山、院号を歓喜院と号した。 次いで寺山と呼ばれる地に移り、慶長、元和の頃(1596~1624)第4世円義上人の代になり、現在地に建立されたと伝えられる。 宝暦年間火災の為灰燼に帰したが、7世智海阿闍梨和尚再建現堂宇は当時のものである。 創建時は京都醍醐寺派報恩院末寺であったが、明治になって奈良県長谷寺の末寺になった。(リンク先より) << 戻る
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應昌寺-群馬県前橋市

・應昌寺 天台宗 群馬県前橋市河原浜町1020應昌寺(おうしょうじ)は西暦975年、日本の元号では天延3年に天台宗の僧、慈恵大師良源によって開山された。元は現在より西方の河川付近に建立された寺院だが、度重なる河川の氾濫により現在の位置に建て直された。(リンク先より) << 戻る
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長學寺-群馬県富岡市

・長學寺 曹洞宗 群馬県富岡市上高尾甲700承和二年(835年)山城国(京都府)高尾山神護寺の真済が勅命により関東諸国に一切経を納めましたが、上野国については、貫前神社宮司に適地を選定させ、その時当地に一堂を建てたと伝えられています。この時、地名を高尾山、寺号を祝融山高尾寺と呼び、「祝融」は火の神であり、楓谷の紅葉にちなむものとされています。(リンク先より) << 戻る
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西光寺-群馬県前橋市

・西光寺 天台宗 群馬県前橋市上佐鳥町289-1平安時代初めの弘仁年間(810-824)に法相宗の徳一和尚の開基。その後南北朝時代の応安3年(1370)に天台宗となる。江戸時代の天保15年(1844)4月7日夜八つ時に客殿常香盤より出火。客殿、庫裏、十王堂、表門、土蔵、長屋など全山を焼失したが、本尊と朱印状は焼失を免れて現存している。(リンク先より) << 戻る
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永福寺-群馬県前橋市

・永福寺 天台宗 群馬県前橋市朝倉町46-1平安時代初めの弘仁年間(810-824)に法相宗の徳一和尚の開基。その後南北朝時代の応安3年(1370)に天台宗となる。江戸時代の天保15年(1844)4月7日夜八つ時に客殿常香盤より出火。客殿、庫裏、十王堂、表門、土蔵、長屋など全山を焼失したが、本尊と朱印状は焼失を免れて現存している。(リンク先より) << 戻る