便り 宝円寺-石川県金沢市 ・宝円寺 曹洞宗 石川県金沢市宝町6-14天正9年(1581年)、利家公が能登国所口(今の石川県七尾市)に移られた際、同和尚を越前から招き入れ、一寺を創建されるがこれを「宝円寺」と名付けられた。 尚、同11年(1583年)、利家公が金沢城主となられるに及び、再び大透和尚を金沢へ招き、「護国山宝円寺」を建立し開祖とされた。(リンク先より) << 戻る 1581.01.01 便り年表
便り 常福寺-石川県七尾市 ・常福寺 真宗大谷派 石川県七尾市相生町91本願寺9世実如上人(1458^1525)より下付された方便法身尊像(ご本尊)とその裏書が今ものこっていますが、その裏書によると、常福寺の草創は、明応5年(1496年)に七尾城山の麓、鹿島郡矢田郷府中おいて開かれた真宗道場のようです。(リンク先より) << 戻る 1496.01.01 便り年表
便り 聞善寺-石川県金沢市 ・聞善寺 真宗大谷派 石川県金沢市瓢箪町5-33室町時代、文明3年(1471年)比叡山延暦寺などの迫害を受け京より逃れてきた蓮如上人が北陸における布教の拠点として越前吉崎に吉崎御坊を建立しました。 その後、近江に居を構える武士が蓮如上人を助けるために主従7人で馳せ参じ願西という法名を賜りました。文明7年(1475年)には戦国の動乱の中で吉崎御坊が焼失し、蓮如上人は吉崎の地を後にされます。この時、願西は加賀の地へ移られたのではないかと思われます。そして、文明13年(1481年)には金沢城の西側に聞善寺を建立されました。しかし、藩の事情により江戸時代、正保2年(1645年)には現在の地に移って参り... 1481.01.01 便り年表
便り 徳性寺-石川県加賀市 ・徳性寺 浄土真宗本願寺派 石川県加賀市山中温泉菅谷町ヘ30当寺の「御旧跡略縁起」「天保由緒書」によりますと、往古は天台宗豊原三千坊の一宇で西潟の西芳寺と称したとあります。本願寺の八代目、蓮如上人が加賀越前の境の吉崎に滞在中、文明五年(1473)加賀の山中温泉ご入湯の途中、当菅谷村に立ち寄られました。上人は越前藤島の超勝寺より、国境の大内峠を越えて、当寺の前の石に腰を掛け休憩されました。(リンク先より) << 戻る 1473.01.01 便り年表
便り 善福寺-石川県金沢市 ・善福寺 真宗大谷派 石川県金沢市橋場町8-6開創 1445(文安2)年開基 蓮康僧都(本願寺第8代蓮如上人異母弟)(リンク先より) << 戻る 1445.01.01 便り年表
便り 本泉寺-石川県金沢市 ・本泉寺 真宗大谷派 石川県金沢市二俣町子8室町時代中期の嘉吉二年(かきつ2ねん 1442年)、今からおよそ570年前に、蓮如上人の叔父・如乗法印によって現在の地・二俣に開かれました。50年ほど前に綽如上人(しゃくにょしょうにん 本願寺第8世・蓮如の曽祖父)によって開かれた越中井波の瑞泉寺を手助けするお寺として建てられたようです。瑞泉寺(泉)の願いを本として建てられたという意味で、本泉寺の寺号が名乗られました。(リンク先より) << 戻る 1442.01.01 便り年表
便り 龍護寺-石川県羽咋郡 ・龍護寺 曹洞宗 石川県羽咋郡志賀町酒見門前67応永元年(1394)に開かれたお寺で總持寺五院の如意庵開基、実峰良秀禅師によって開かれました。開創にまつまる竜の伝説が残されていて、伝説に基づく湧き水「龍護水」が今でも境内裏の谷からこんこんと湧き出しています。古くより竜宮に通ずる霊場と云われ、ここからついた「りゅうぐうでら」と「りゅうごじ」が訛って、地元の人には「りゅうぐじ」と呼ばれています。<< 戻る 1394.01.01 便り年表
便り 崇禅寺-石川県金沢市 ・崇禅寺 曹洞宗 石川県金沢市瓢箪町5-43※再確認時、表示されなかったためリンクを外しました。(旧アドレス:)1349年(貞和五年)御開山は明峰素哲禅師(加賀 大乗寺3世、羽咋永光寺2世)によって建立され2世也凞淳和尚を経て約三百年中絶していましたが、1648年(慶安元年)久外呑良大和尚(永光寺中興)によって現在の地に再興されると同時に、前田家縁の菅原道真公の尊像をお祀りしました。以後瓢箪町の天神様として2月25日(旧暦)春の大祭、9月25日(旧暦)秋の大祭はもちろん毎月25日には多くの参詣があり、金沢の祭りは、瓢箪町の春の天神様から始まり、瓢箪町の秋の天神様で終わると言われていました。(リ... 1349.01.01 便り年表
便り 總持寺祖院-石川県輪島市 ・總持寺祖院 曹洞宗 石川県輪島市門前町門前1-18-甲大本山總持寺祖院、正しくは諸嶽山總持寺と言い今から約7百年前元亨元年(1321年) 瑩山紹瑾禅師によって開創されました。翌元亨2年夏禅師に帰依された後醍醐天皇は綸旨を下され、總持寺を勅願所として「曹洞賜紫出世第一の道場」と定められました。 (リンク先より) << 戻る 1321.01.01 便り年表
便り 法界寺-石川県小松市 ・法界寺 浄土宗 石川県小松市東町92小松の内府と称された内大臣、平 重盛が、諸国に小松寺を建立し始めた、一一六七年、龍真法印鎮華院が開祖となり、真言宗新義派に属する小松寺を小寺に建てました。安元元年三月、法然上人(源空)が京都・吉水に浄土宗をお開きになるや直に改宗し、佛徳院 小松寺と号し、弘安年中には、北国鎮護安全の道場勅願所として定められました。天正五年、柴田勝家のため灰燼に帰し、後、小松山 佛徳院 法界寺と称しました。(リンク先より) << 戻る 1167.01.01 便り年表
便り 篠生寺-石川県加賀市 ・篠生寺 浄土真宗本願寺派 石川県加賀市動橋町イ-69延喜9年(909) 真言宗生龍山地蔵院建立永延2年(988) 花山法皇が那谷寺建立にあたっての安在所(御座所)とする一条天皇も安在所(御座所)とする(リンク先より) << 戻る 0909.01.01 便り年表
便り 波着寺-石川県金沢市 ・波着寺 高野山真言宗 石川県金沢市石引2-18-1創建は神亀年間(724~729年)。白山信仰の寺として栄える。高野山真言宗の寺院。加賀初代藩主前田利家が越前府中に在城時、祈願所にした縁で、1619年(元和5年)加賀3代藩主前田利常の時、現在地に移転された。江戸時代には、1万坪の境内地があったが、現在も白山町として地名が残る。山号は泰澄山と言うが、白山あるいは白流山とも号している。本堂には白山の扁額が掛けられている。加賀騒動の大槻伝蔵が、小坊主の頃当寺に預けられていた。(リンク先より) << 戻る 0724.01.01 便り年表
便り 倶利伽羅不動寺-石川県河北郡 ・倶利伽羅不動寺 高野山真言宗 石川県河北郡津幡町倶利伽羅リ-2倶利迦羅山不動寺は、今から約1,300年前の養老二年(718)、中国から渡来したインドの高僧、善無畏三蔵法師が倶利迦羅不動明王の姿を彫刻された尊像を、元正天皇の勅願により奉安された事が始まりと伝えられています。それから約100年後の弘仁三年(812)に、弘法大師が諸国を巡る途中で、不動明王を拝され、あまりの有難さに扉を閉められ、本尊と同体の不動尊像を彫り、御前立(おまえだち)の不動尊として奉安されました。この時、別当山として長楽寺が開山されたといわれています。(リンク先より) << 戻る 0718.01.01 便り年表
便り 願慶寺-石川県白山市 ・願慶寺 単立(東本願寺浄土真宗) 石川県白山市吉野タ25-1伝承によれば当寺の草創は極めて古く、養老年間、僧泰澄が白山を開く時に、当寺に立ち寄って一夜の宿としたという。また、古老の語る民話では、『昔吉野の地には大きな沼があり、そこに一匹の龍が住んで、絶えず雨を降らせ、村民は田畑を作ることができずに困っていたという。ある時、たまたまこの地を訪れた高僧(泰澄か?)が泊めてもらった家でこの話を聞き、一晩の恩義に報いるため、三日三晩の祈祷の末、この龍を退治し、白蛇に姿を変えて、小さな祠の中に閉じ込めたという。(リンク先より)※養老年間 717年から724年 << 戻る 0717.01.01 便り年表
便り 那谷寺-石川県小松市 ・那谷寺 高野山真言宗 石川県小松市那谷町ユ-122養老元年(717年)に泰澄が那谷寺を創建したと伝えられています。ここでは那谷寺の歴史に関わった人を紹介します。(リンク先より) << 戻る 0717.01.01 便り年表