曹洞宗

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仏生寺-福井県大野市

・仏生寺 曹洞宗 福井県大野市下黒谷18-52当寺は、807年、平城天皇の夢のお告げにより京都黒谷から当地へ移転。藩主はじめ、庶民の厚い信仰を受けてきました。お寺縁起には、本尊の十一面観音が、京都清水寺本尊の十一面千手観音、奈良橘寺の如意輪観音と同木で制作されたとの記述があります。(リンク先より) << 戻る
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盛岩寺-岩手県釜石市

・盛岩寺 曹洞宗 岩手県釜石市唐丹町字小白浜453当山の開創は、大同年中に天台宗の寺として開かれました。慶長6年8月(1601)陸前高田市米崎の普門寺4世在天長存大和尚によって曹洞宗に改め開山開堂の式が行れました。(リンク先より)※大同年中 806年から810年 << 戻る
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大椿寺-岡山県新見市

・大椿寺 曹洞宗 岡山県新見市哲多町花木4649大椿寺は平安初期(西暦806年)の大同元年に法相宗の僧侶である大徳玄賓僧都が開かれた寺院です。江戸初期に入り、玄賓僧都から800年余り続いた仏教の教えが途絶えそうになりました。当時の領主であった備中松山藩主 水谷勝隆はその事態を憂い、寛永5年(西暦1628年)に現在の岡山県高梁市にある定林寺7代目住職 源嶺呑高禅師に大椿寺の復興を命じられました。(リンク先より) << 戻る
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廣度寺-福島県郡山市

・廣度寺 曹洞宗 福島県郡山市西田町鬼生田字前田119曹洞宗鬼生山廣度寺は、平将門の末裔 平氏田村一族の開基で大同年間(806年~810年)に開かれました。時は移り文明年間(1469年~1487年)には曹洞宗大本山総持寺第三百拾世重屋清珍禅師によって鬼生山廣度寺が開創され、以来法灯は連綿として今日に至る由緒ある寺です。(リンク先より) << 戻る
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世音寺-広島県尾道市

・世音寺 曹洞宗 広島県尾道市原田町小原1695大同元年(806)建立。もとは地名を夜討峠畑山(えいちたばたやま)と呼ぶ丘の峰にあったと伝えている。戦国時代木梨元清と小原中山城主三浦氏との戦いのとき寺も焼かれたと伝えているが、本尊十一面観世音菩薩は難を逃れた。その後万治元年(1658)に福山市山手町三寶寺六世通天梵達大和尚〔萬治元(1658)年三月廿九日遷化〕の遺命により、現在の地に本尊を遷座し曹洞宗となった。(リンク先より) << 戻る
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林陽寺-岐阜県岐阜市

・林陽寺 曹洞宗 岐阜県岐阜市岩田西3-402弘法大師の草創で大師が全国行脚途中、数年ここに留まったといわれている。 岩田の羽場西遇に村社「八幡神社」(現 伊波乃西神社)がある。大師はその南に、堂宇を建立し、自ら薬師如来の尊像を作って本尊佛としその背後に曼荼羅を添えた。その下に大師23歳の「延暦15年(796)、伊波西乃僧院八幡の境林陽寺僧 空海書」とある。さらに、弘仁5年(814)大師41歳のとき、当寺に再来し、7日間薬師如来の護摩を修し、続いて、芥見大洞願成寺においても大日如来を刻み、灌頂の法を行ったと伝えられている。(リンク先より) << 戻る
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円通寺-東京都荒川区

・円通寺 曹洞宗 東京都荒川区南千住1-59-11開創 延暦十年 西暦791年 坂上田村麻呂将軍、八幡太郎義家再建本尊 聖観世音菩薩、聖徳太子一刀三禮御作開山 観月徹禪大和尚(前永平宗慶4世中興・總泉17世中興兼最乗258世)(リンク先より) << 戻る
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三松寺-奈良県奈良市

・三松寺 曹洞宗 奈良県奈良市七条1-26-10奈良時代、桓武天皇の皇后・藤原乙牟漏が延歴4年(785)富雄の地に、万民富楽の勅願寺として建立。江戸時代、大和郡山藩城代家老松下将監供養の為、寛永16年(1639)現在の七条の高台に士族寺として再建立されました。(リンク先より) << 戻る
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三松寺-奈良県奈良市

・三松寺 曹洞宗 奈良県奈良市七条1-26-10奈良時代、桓武天皇の皇后・藤原乙牟漏が延歴4年(785)富雄の地に、万民富楽の勅願寺として建立。(参考:瑞雲山 三松寺)<< 戻る
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泉龍寺-東京都狛江市

曹洞宗 東京都狛江市元和泉1-6-1伝説によれば、奈良東大寺の開山として名高く、伊勢原の雨降山大山寺をも開いた良弁(ろうべん)僧正が天平神護元年(765年)この地にやってきて雨乞いをし、法相宗・華厳宗兼帯の寺を創建したのが泉龍寺のはじめとされています。(リンク先より) << 戻る
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国分寺-熊本県熊本市中央区

・国分寺 曹洞宗 熊本県熊本市中央区出水1-1-56・肥前 ⇒ 西海道 肥後 国分寺 ⇒ 日向国分寺は、741年(天平13年)に聖武天皇が仏教による国家鎮護のため、当時の日本の各国に建立を命じた寺院です。国分僧寺と国分尼寺に分かれます。正式名称は、国分僧寺が「金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)」、国分尼寺が「法華滅罪之寺(ほっけめつざいのてら)」です。(リンク先より)<< 戻る
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普門寺-広島県広島市中区

・普門寺 曹洞宗 広島県広島市中区大手町3-5-5天平12(740)年、行基(668 〜 749)が、行脚中に藝州吉田に滞在した折、「時おり河底から一筋の神光が発し、山頂の樹上に掛かる」という村人の話を聞き、吉田山山頂の石上で七昼夜修禅念誦した。すると、紫雲と共に釣竿を持った長眉・白髪の老人が現れたので、神光の出所について尋ねると、釣竿を挙げて場所を指した。そこで、漁師に河底へ網を下ろさせると、観音様の像が上がった。行基は、その端厳な妙相に喜び、山頂に大士堂(菩薩堂)を建てさせて尊像を安置した。また、観音経2090文字の書かれた小石を函の中におさめ、蓋に「普門品題号十七字」と記して宝帳の中に納...
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済渡寺-岡山県新見市

・済渡寺 曹洞宗 岡山県新見市法曽661739年(天平11年)僧・行基がこの地に草庵を結び、811年(弘仁2年)の春、空海(弘法大師)がこの草庵を済渡寺(さいどうじ)と命名し、開創されたと伝えられております。(リンク先より) << 戻る
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東光院-大阪府豊中市

・仏日山吉祥林 東光院 萩の寺 曹洞宗 大阪府豊中市南桜塚1-12-7東光院萩の寺は、天平7年(735)行基開創による曹洞宗別格地寺院です。もとは大坂豊崎の里(摂津国西成郡豊崎村下三番、現在の北区中津)にあって、境内に萩多く、通称「萩の寺」として親しまれ、「南の四天王寺、北の東光院」と並び称された格式ある古刹でした。大正3年(1914)、阪急電車敷設により現在地に移転しました。(リンク先より) << 戻る
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医王寺-愛知県田原市

・医王寺 曹洞宗 愛知県田原市小中山町南郷38薬樹山医王寺の本尊は、薬師瑠璃光如来。東方浄瑠璃光世界の教主で12の大誓願を発して、衆生の病苦を救い、無明の痼疾(持病)を治すとされるあり難い如来です。脇士として日光菩薩(左)・月光菩薩(右)を配し、これを薬師三尊といいます。僧行基(六六八〜七九四年)が刻んだものとされており、そのまた昔には小松原山東観音寺にまつられていたと言われておりまして、小中山村の帰依あつく、霊徳を感受することしきりで、天平四年(七三二年)にとくに乞うて拝領、一宇を建立して安置したのが始まりでございます。(リンク先より) << 戻る
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放光寺-長野県松本市

・放光寺 曹洞宗 長野県松本市蟻ケ崎1283天平二年 730年 行基菩薩が聖徳太子作の十一面観音をこの地に安置し、日光放光寺と称す延暦年間 790年頃 征夷大将軍、坂上田村麻呂が中房山鬼賊退治の戦勝の報謝として放光寺の本堂等伽藍を建設。又、別の説として延暦年間に中上野国の講師日光二荒山勝道上人が伽藍を建設したとされている(リンク先より) << 戻る
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慈恩寺-大阪府池田市

・慈恩寺 曹洞宗 大阪府池田市吉田町485草創は725年(神亀2年)聖武天皇の勅(民の平安を図る)を受け、京へ通ず街道の要路「長尾山山頂」に往来安全・人民安泰祈願道場として毘沙門天・大黒天・弁財天を奉安しお堂を創建したのが甫まりです。その後は弘法大師により中興され慈薗寺として法灯が受け継がれ、1721年吉田町に創建された禅道場『陽松庵』が、その外護者の大半が細河住民であったこともあり、 同寺に庇護されるところとなって「慈恩寺」と生まれ変わることになりました。人の往来が谷筋に変わった事もあり、明治20年(1887)10月現在地に移転されて今日に至ります。(リンク先より) << 戻る
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台雲寺-宮崎県延岡市

・台雲寺 曹洞宗 宮崎県延岡市北小路3739養老3年 (719年) 懸(あがた・現延岡市)の領主・土持氏の時代に、笑領和尚によって今山へ蓬来山金仙寺が創建される。天正15年 (1578年) 県領主となった高橋元種が金仙寺を萩に移し、後に大圓山西林寺を建立して菩提寺とした。(リンク先より) << 戻る
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観海寺-大分県別府市

・観海寺 曹洞宗 大分県別府市観海寺四口碑に曰く、奈良時代・養老二年(元正天皇)約一二八〇年前仁聞菩薩始めて錫を此地に駐め温泉を拓き、諸々の病者して入浴せしめ後、丘に一宇を建立し観海寺と称す。當時一刀三禯の薬師如来の尊像を彫刻し本尊仏となす。とあり奈良朝、六郷満山を開いた僧、仁聞の開基とされております。(リンク先より)※養老二年 718年 << 戻る
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宝蔵寺-愛媛県喜多郡

・宝蔵寺 曹洞宗 愛媛県喜多郡内子町中川773-1当寺由来記によると、和銅4年(711年)天明天皇の勅願により、大和国東大寺の智乗上人によって開基されたと伝えられている。その後、兵火、失火等により長年に渡り無住職時代があった。天保13年(1842年)祥岩和尚(大洲家老二男)の時、豁源和尚を開山とし、京都東福寺の直末を許可され、臨済宗誓願寺となった。(リンク先より) << 戻る
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興雲寺-愛媛県西条市

・興雲寺 曹洞宗 愛媛県西条市小松町明穂甲674興雲寺は、古くは長勝(松)寺と号し、薬師如来の霊地として崇敬を集め、その沿革は大宝2年(702)にさかのぼるといわれています。(リンク先より) << 戻る
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横蔵寺-兵庫県加古川市

・横蔵寺 曹洞宗 兵庫県加古川市平岡町新在家900白雉年間(西暦653年)法道仙人により開基。平安時代には58代 光孝天皇(在位884―887)の祈願所となり、59代 宇多天皇(在位887―897)が譲位の後、出家して寛平法皇となってからは、法皇の潜邸として栄えました。(リンク先より) << 戻る
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洞玄寺-山口県山陽小野田市

・洞玄寺 曹洞宗 山口県山陽小野田市郡1896江戸時代の長州藩の公的文書「寺社由来」によると、西暦635年、物部守屋の三男で厚東氏の祖となった辰孤連(たつこのむらじ)が長門守に任ぜられ、この地に推古天皇の持尊仏(一光三尊阿弥陀仏)をまつり新善光寺を創建したと伝えられている。裏山には、4世紀後半の前方後円墳で長門国の初代長官の墓と言われている有名な長光寺山古墳が眠っている。(リンク先より)
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願成寺-山口県美祢市

・願成寺 曹洞宗 山口県美祢市美東町大田5684615年。百済の国の聖明王の第三皇子であった淋聖太子が推古天皇の御世に、聖徳太子に教えを請おうと渡来された折りに、航海の安全守護の為に供奉されたとの伝えがあります。淋聖太子は、西国第一の守護大名であった大内氏の祖先だと言われている方で、佐波郡多々良浜(現在の防府市)に上陸され、同郡高倉の地に瀬戸内の守護神として祀られ、沖を通る船はよくよく礼を尽くすように伝えられました。(リンク先より)
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帝釈寺-宮崎県宮崎市

・帝釈寺 曹洞宗 宮崎県宮崎市下北方町大字戸林5272帝釈寺は約1400年前(推古帝21年:613年)に聖徳太子が湊河勝に命じて国家安泰宝祚長久を祈願する霊場として建立し善法山「帝跡寺」と号されたといわれております。(リンク先より) << 戻る
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妙見寺-大阪府南河内郡

・妙見寺ホームページ 曹洞宗 大阪府南河内郡太子町大字春日1624推古天皇六年(五九八)蘇我馬子の創建と伝えられ、七堂伽藍を備えた大寺であり、河内の国最初の霊場である。南北朝の乱の兵火で被害を受け焼失するが、寛文年間(一六六一~一六七三)祖浄悦によって再興され、真言宗から曹洞宗に改宗。明治に入り廃仏毀釈運動の煽りを受け、明治六年(一八七三)廃寺となった。しかし、鎌田誓由らが明治十三年(一八八一)に現在の地に妙見寺を再興し、現在に至っている。(リンク先より) << 戻る
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釈迦尊寺-群馬県前橋市

・釈迦尊寺 曹洞宗 群馬県前橋市元総社町2497-1五八七年 三十一代用明天皇二年蘇我馬子が、物部守屋を滅ぼしたとき物部氏に加担した中臣羽鳥連と妻、玉照姫は上毛野国青海に流罪となる。玉照姫は聖徳太子の乳母にて、太子の守仏、闇浮壇金一寸八分の釈迦尊仏を、太子より授けられる。(リンク先より) 2016年には当寺で三遊亭円楽(6代目)が得度を行っている。<< 戻る