年表 公武合体運動 1862年、孝明天皇の妹・和宮が将軍家持と結婚し、公武合体運動がすすめられる。公武合体の動きに対して、薩摩藩と長州藩では尊王攘夷論がますます強まった。<< 戻る 1862.01.01 年表
年表 安政の大獄 1859年、安政の大獄。大老井伊直弼は、朝廷の許しを得ずに通商条約を結び、それを批判した諸大名や数多くの志士(吉田松陰・橋本左内など)をとらえて死刑や島流しにした。<< 戻る 1859.01.01 年表
年表 井伊直弼が大老になり、アメリカ・ロシア・イギリス・フランスと修好通商条約を結ぶ 1858年、井伊直弼が大老になり、アメリカ・ロシア・イギリス・フランスと修好通商条約を結ぶ。神奈川・長崎・函館・兵庫・新潟の5港を開く。<< 戻る 1858.01.01 年表
年表 日米和親条約を結ぶ 1854年、ペリーが再び来航し、日米和親条約(神奈川条約)を結ぶ。下田・函館の2港を開いて、アメリカ船に食料や燃料を与える約束をした。ついで、ロシア・イギリス・オランダとも和親条約を結んだ。鎖国の終了。<< 戻る 1854.01.01 年表
年表 アメリカの使節ペリーが来航 1853年、アメリカの使節ペリーが来航し、浦賀で開国を要求する。アメリカのペリーが軍艦4隻をひきいて浦賀(神奈川県)に入港し、開国を求めた。幕府は翌年に返事をすると約束し、朝廷に報告すると共に大名にも意見を求めたがまとまらず、開国か鎖国かで国内はゆれ動いた。<< 戻る 1853.01.01 年表
年表 天保の改革 1841年、天保の改革。老中水野忠邦による。株仲間をつくることを禁止したり、人返しの法などによって都市に出ていた農民を村に帰させたり、、倹約令を出してぜいたくを取りしまったが、失敗に終わった。<< 戻る 1841.01.01 年表
年表 大塩平八郎の乱 1837年、大塩平八郎の乱。大阪で陽明学者で大阪奉行所の元役人の大塩平八郎が、貧しい人々を救おうとして奉行所に申し入れたが聞き入れられず、兵をあげた。乱は1日でしずめられたが、大阪は直轄地であり、また元役人であったことから、幕府は大きなショックを受けた。<< 戻る 1837.01.01 年表
年表 シーボルト事件 1828年、シーボルト事件。フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトが国禁である日本地図などを日本国外に持ち出そうとして発覚した事件。役人や門人らが多数処刑された。<< 戻る 1828.01.01 年表