「 日本の出来事(仏教以外) 」 一覧

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田沼意次が側用人に

1767年、田沼意次が側用人になる。 << 戻る

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徳川吉宗が死去

1751年、徳川吉宗が死去。 << 戻る

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公事方御定書を出す

1742年、公事方御定書を出し、裁判の基準を定める。 << 戻る

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各地に百姓一揆や打ちこわしが起こる

1732年、このころ、各地に百姓一揆や打ちこわしが起こる。 << 戻る

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享保の大飢饉

1732年、享保の大飢饉。 << 戻る

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青木昆陽がさつまいもの栽培を始める

1727年、青木昆陽がさつまいもの栽培を始める。 << 戻る

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足高の制

1723年、足高の制を定め、人材を登用する。 << 戻る

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上げ米の制

1722年、上げ米の制をもうけ、参勤交代をゆるめる。大名の江戸滞在を半年(それまでは1年)とするかわりに、石高1万石につき100石の割合で米をさし出させるようにした制度。 << 戻る

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目安箱を置く

1721年、目安箱を置いて人々の不満をきく。 << 戻る

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江戸町火消しをつくる

1720年、江戸町火消しをつくる。 << 戻る

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キリスト教以外の洋書の輸入を許す

1720年、キリスト教以外の洋書の輸入を許す。 << 戻る

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大岡忠相が江戸町奉行に就任

1717年、大岡忠相が江戸町奉行に就任する。 << 戻る

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徳川吉宗が8代将軍となる

1716年、徳川吉宗が8代将軍となる。→享保の改革。 << 戻る

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新井白石の改革

1709年、新井白石の改革(正徳の治)。綱吉の死後、学者の新井白石が6代将軍家宣、7代将軍家継につかえて財政の立て直しを図ったが、効果はうすかった。 << 戻る

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近松門左衛門「曽根崎心中」

1703年、近松門左衛門が「曽根崎心中」を著す。 << 戻る

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赤穂浪士があだ討ちをする

1702年、赤穂浪士があだ討ちをする。 << 戻る

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聖堂を湯島に移し、昌平坂学問所を付設

1690年、聖堂を湯島に移し、昌平坂学問所を付設する。 << 戻る

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松尾芭蕉「奥の細道」

1689年、松尾芭蕉が「奥の細道」を著す。 << 戻る

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生類憐みの令

1687年、生類憐みの令が出される。 << 戻る

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元禄文化が盛ん

1687年、このころ、元禄文化が盛ん。 << 戻る

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井原西鶴、松尾芭蕉らが活躍する。

1681年、このころ、井原西鶴、松尾芭蕉らが活躍する。 << 戻る

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徳川綱吉が5代将軍となる

1680年、徳川綱吉が5代将軍となる。 << 戻る

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河村瑞賢が西回り航路をひらく

1672年、河村瑞賢が西回り航路をひらく。 << 戻る

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河村瑞賢が東回り航路をひらく

1671年、河村瑞賢が東回り航路をひらく。 << 戻る

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箱根用水がつくられる

1670年、箱根用水がつくられる。 << 戻る

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慶安の変

1651年、慶安の変。由井正雪を首謀者とする浪人たちが企てた幕府批判の反乱未遂事件。 << 戻る

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慶安の御触書

1649年、慶安の御触書が出される。農民の取りしまり。 << 戻る

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オランダ人を長崎の出島に移す

1641年、オランダ人を長崎の出島に移す。 << 戻る

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ポルトガル船の来航を禁止

1639年、ポルトガル船の来航を禁止する。→鎖国の完成。 << 戻る

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島原の乱

1637年、島原の乱。肥前(長崎県)の島原半島と肥後(熊本県)の天草地方に起こった農民一揆。幕府のキリシタン弾圧と領主のきびしい政治に対し、益田四郎時貞(天草四郎)を首領として一揆を起こした。 <<  ...

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五人組の制

1637年、五人組の制をきびしくする。 << 戻る

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日本人の海外渡航を禁じ、御朱印船を廃止

1635年、日本人の海外渡航を禁じ、御朱印船を廃止する。 << 戻る



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