新潟県

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管明寺-新潟県佐渡市

・管明寺 真言宗智山派 新潟県佐渡市上新穂659佐渡に流された順徳上皇の御安泰祈願のため、池蔵人の発願に依り、比叡山坂本の山王権現を勧請され十二坊を建立されました。この十二坊とは乗光坊、弥勒坊、曼荼羅寺、宝蔵寺、儀乗坊、三諦坊、金剛院、宝性院、円通寺・明王院・善意寺・万福寺で、日吉神社別当の新延寺(別当というのは室町時代までの大社に多くみられ、お宮の会計経理を行うお寺)の下の衆徒寺のことです。管明寺は、十二坊の三坊として天福元年に建設され、その後明治15年弥勒坊と乗光坊が合併、さらに昭和11年成就山乗光坊と管明山三諦坊が合併し、成就山管明寺と公称し現在に至っています。(リンク先より)※天福元年...
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聞光寺-新潟県柏崎市

・聞光寺 真宗大谷派 新潟県柏崎市西本町1-10-411232 貞永1 12月7日開基 宗観 磯辺村に一宇を結ぶ12月7日開基 宗観没(リンク先より) << 戻る
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浄光寺-新潟県新潟市中央区

・浄光寺 浄土真宗本願寺派 新潟県新潟市中央区西堀通10-1618弘法大師創立の真言宗の放光院であった1212年、住職・印信の時、御流罪の親鸞聖人が一夜宿を請われる。法論の末、「浄土の教えが真言の教えよりも優れていれば、この竹杖より逆竹が生ず」と言い残すと、後日竹杖より逆竹が生じ、印信は常聞房法爾と、放光院を鳥屋野院と改名しお弟子となる。順徳天皇北狩の折ご来寺。住職・法爾の法話に感激して御念持仏を御寄進賜り、勅命を下し寺号を「金波山鳥屋野院浄光寺」と改名す。(リンク先より) << 戻る
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法圓寺-新潟県西蒲原郡

・法圓寺 真宗仏光寺派 新潟県西蒲原郡弥彦村大字矢作1960越後流罪に遭われた親鸞聖人は、ご免罪の翌年、建暦二年(1212)に京都に帰られ、京都・山科の地に草庵を結ばれました。この草庵を建てられたことが佛光寺の草創であると伝えられています。つまり、佛光寺は親鸞聖人が、ご在世の時に自らが建てられたお寺であるということが出来ます。(リンク先より) << 戻る
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了明寺-新潟県長岡市

・了明寺 浄土真宗本願寺派 新潟県長岡市滝谷町1219了明寺の起源は真言宗であり、長承年間(1132~1140)、沼垂郡沼垂村に威徳院として建設されました。承元4年(1210)、親鸞聖人38歳の時、富山へお立ち寄りになった際、住職権大僧都直法院(俗名岩崎七郎左ヱ門)は、他力易行(お念仏の教え)の法を聞き弟子となり、法名を了明房釋真観と授けられ、紺紙金泥六字名号(南無阿弥陀仏)を書き与えられました。(リンク先より) << 戻る
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浄興寺-新潟県上越市

・浄興寺 真宗浄興寺派 新潟県上越市寺町2-6-45浄興寺は浄土真宗の宗祖親鸞聖人によって創設された寺院です。聖人は承元元年(1207年)念仏禁止令により越後の国、国府(上越市)に流罪となられましたが、越後滞在七年の後、妻子と共に常陸国(茨城県)へ移られ、笠間郡稲田郷(笠間市稲田町)に稲田禅坊を開かれました。(リンク先より) << 戻る
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威徳寺-新潟県新潟市西区

・威徳寺 真宗仏光寺派 新潟県新潟市西区黒島5002-11172年(承安2年)首城山 威徳寺 創建。真言宗、高野山、清浄心院、の末寺として創建されたと伝えられています。開基は招恵上人。所在は確定されませんが、頸城地方であったと思われます。山号の「首城(しゅじょう)」は蝦夷討伐の本部という意味で、「頸城」の元の字と言われています。後に、「中頸城郡美守荘(ひだのもりのしょう)尾沢村 僧誓賢」との記録があります。(リンク先より) << 戻る
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東龍寺-新潟県南蒲原郡

・東龍寺 曹洞宗 新潟県南蒲原郡田上町大字田上乙1374護摩堂山は昔、三井山と呼ばれていた。護摩を焚くお堂ができて、現在の呼び名に。東龍寺は、弘仁五年(814年)あるいは、天長五年(828年)真言宗として、開創された。言い伝えとして、弘法大師空海あるいは、弟子の空法上人によって開かれた。(リンク先より) << 戻る
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弘仁寺-新潟県佐渡市

・弘仁寺 真言宗智山派 新潟県佐渡市羽茂本郷四四四八乙佐渡国弘仁寺の開基は人皇五十二代嵯峨天皇の御代、弘仁二年(811年)の事である。この年の三月、空海は帝の「夷狄を教化し霊地を開いて欲しい」との御勅願により、北国へ布教の旅に出たのである。(リンク先より) << 戻る
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菩薩寺-新潟県佐渡市

・菩薩寺 真言宗智山派 新潟県佐渡市新穂田野沢383田野沢地区に大同四年開基の菩薩寺と天福元年開基の圓蔵坊があったが、明治十一年合併となる。大正年間、本堂・庫裡とも火災に遭い全焼となり復興する。平成二十年檀家の厚い御寄附により本堂の増築・客間の新築を行った後、境内の造園にもとりかかり、現代に到っている。(リンク先より)※大同四年 809年 << 戻る
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乙宝寺-新潟県胎内市

・乙宝寺 真言宗智山派 新潟県胎内市乙1112当山は天平八年(七三六年)聖武天皇の勅願を受けて行基菩薩、婆羅門僧正の二人の高僧によって開山されました。七堂伽藍の中心、金堂には胎蔵界大日如来、阿弥陀如来、薬師如来の三尊が当山の本尊としておまつりされています。婆羅門僧正は名を菩提僊那(ぼだいせんな)と言って印度より渡来した高僧で、その際に釈尊の両眼の舎利を請来されました。右眼のお舎利は日本へ渡来する前に中国へ渡りお寺を建ててそれを納め供養しました。そして日本へ渡来し、聖武天皇の勅願を受けて建てたお寺に左眼の舎利を納めて供養をしました。(リンク先より) << 戻る
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西生寺-新潟県長岡市

・西生寺 真言宗智山派 新潟県長岡市寺泊野積8996開山  天平5年(西暦733年)開祖  行基菩薩(ぎょうきぼさつ)御本尊 上品上生阿弥陀如来仏(じょうぼんじょうしょうあみだにょらいぶつ)真言  オンアミリタテイセイカラウン(リンク先より) << 戻る
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蓮光院-新潟県柏崎市

・蓮光院 真言宗豊山派 新潟県柏崎市米山町2260寺伝によれば、和銅四年(711) 越前の修験行者・泰澄の開山と伝えています。泰澄は米山伝説に登場する人物で、日本海を通る北前船に米の托鉢を乞うたところ拒否されたため、神通力をもって米山山頂に米を飛来させた、という行者でした。(リンク先より) << 戻る
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国上寺-新潟県燕市

・国上寺 真言宗豊山派 新潟県燕市国上1407新潟県燕市国上に位置します当山は、元明天皇和銅2年(709)に越後一の宮弥彦大神の託宣により建立された、越後最古の古刹です。 格式としては、孝謙天皇より御宇にて正一位を賜り、北海鎮護仏法最初の霊場として信心のより所とされてきました。御本尊は上品上生の阿弥陀如来であり、縁起等によれば、行基菩薩の御作婆羅門僧正の御開眼にして、聖武天皇の御后光明皇后により賜った霊仏であると伝えられ、現在は、子年(12年に1度)の開帳としています。(リンク先より)<< 戻る