広島県

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清浄山光明寺-広島県尾道市

・清浄山光明寺 浄土宗西山禅林寺派 広島県尾道市東土堂町2-8当山は、仁明天皇の承和年間(834年~847年)、慈覚大師円仁(じかくだいし・えんにん)によって草創されたと言われています。従って、もともと天台宗の寺でありましたが、鎌倉時代の末期の建武3年(1336年)2月、足利尊氏(あしかが・たかうじ)が西下のとき、尊氏の従軍僧であった道宗雙救上人(どうそうそうきゅう・しょうにん)が今川貞世と共に人心鎮撫(じんしんちんぶ:※1)のため後詰めとして、当寺に足を止めたとき智海和尚を助け、自らが大願主となり光明寺を再興し、浄土宗へと改宗しました。(リンク先より) << 戻る
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千光寺-広島県尾道市

・千光寺 単立(真言宗) 広島県尾道市東土堂町15-1開基は平安時代の始め大同元年(806年)で、後に源氏の名将多田満仲の中興と伝えている。境内中央の巨岩「玉の岩」は昔この岩の頂に如意宝珠があって、夜毎に海上を照らしていたのでこの地を「玉の浦」と呼ぶとか。玉の岩の右には朱塗りの本堂、左には龍宮造りの鐘楼を配して、尾道の風光のかなめをなしている。(リンク先より) << 戻る
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世音寺-広島県尾道市

・世音寺 曹洞宗 広島県尾道市原田町小原1695大同元年(806)建立。もとは地名を夜討峠畑山(えいちたばたやま)と呼ぶ丘の峰にあったと伝えている。戦国時代木梨元清と小原中山城主三浦氏との戦いのとき寺も焼かれたと伝えているが、本尊十一面観世音菩薩は難を逃れた。その後万治元年(1658)に福山市山手町三寶寺六世通天梵達大和尚〔萬治元(1658)年三月廿九日遷化〕の遺命により、現在の地に本尊を遷座し曹洞宗となった。(リンク先より) << 戻る
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普門寺-広島県広島市中区

・普門寺 曹洞宗 広島県広島市中区大手町3-5-5天平12(740)年、行基(668 〜 749)が、行脚中に藝州吉田に滞在した折、「時おり河底から一筋の神光が発し、山頂の樹上に掛かる」という村人の話を聞き、吉田山山頂の石上で七昼夜修禅念誦した。すると、紫雲と共に釣竿を持った長眉・白髪の老人が現れたので、神光の出所について尋ねると、釣竿を挙げて場所を指した。そこで、漁師に河底へ網を下ろさせると、観音様の像が上がった。行基は、その端厳な妙相に喜び、山頂に大士堂(菩薩堂)を建てさせて尊像を安置した。また、観音経2090文字の書かれた小石を函の中におさめ、蓋に「普門品題号十七字」と記して宝帳の中に納...
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西楽寺-広島県福山市

・西楽寺 高野山真言宗 広島県福山市坪生町1354-1天平年中(729~748)行基菩薩による開創と寺伝に記されています。のち、坪生氏の祖先菩提寺として、弘安4年(1281)、支族陶山氏により再建されたました(福山志科)。現在の本堂は、昭和の初め手城町庵ノ下の益本屋(土屋家)住宅を移築したもので、江戸末期の庄屋建築を示す貴重な建物です。(リンク先より) << 戻る
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西国寺-広島県尾道市

・西国寺 真言宗醍醐派 広島県尾道市西久保町29-27西國寺は天平年中、行基菩薩創建と伝えられ、真言宗醍醐派の大本山です。ある日、尾道に立ち寄られた行脚の中の行基はその夜、加茂明神の霊夢を見て、その御告げによってこの地に開山したと言い伝えられます。時は西暦729年のこととされています。1066年に本堂炎上、行基作の本尊薬師如来も焼滅しましたが、永保元(1081)年、平安朝白河天皇の勅命により再建今に至ります。 伽藍の規模は正に西国一という意味を込め、西國寺と名付けられました。(リンク先より) << 戻る
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浄土寺-広島県尾道市

・浄土寺 真言宗泉涌寺派 広島県尾道市東久保町20-28瑠璃山の翠松を背に、玉の浦の碧波に臨む山陽道の名刹転法輪山大乗律院荘厳浄土寺(以下浄土寺)は、遠く飛鳥の昔、推古天皇の二十四(616)年、聖徳太子の開基と伝えています。ある時には高野山に縁を結び又は南都西大寺の列に連なり、更に江戸時代に至って京都の泉涌寺派に属して大本山となっています。(リンク先より) << 戻る