山梨県

便り

長源寺-山梨県山梨市

・長源寺 曹洞宗 山梨県山梨市万力3200当寺開山本室徳源大和尚は、永昌院開山一華文英大和尚の弟子四徹の1人と云われた埼玉県瑞泉院四世であったが、弘治元年(1555年)5月、当山開基中山兀原救蟹法印和尚に請われ曹洞禅寺として長源寺を開堂したと古文書に記されている(リンク先より) << 戻る
便り

太寧寺-山梨県甲斐市

・太寧寺 臨済宗妙心寺派 山梨県甲斐市吉沢215開基 役の行者・神変菩薩 年限未詳開山 勅謚大法禅師竺仙梵僊大和尚1550年頃 再開基 武田信玄の将・馬場美濃守(法号 乾叟自元大居士)天正元年(1573年)頃、鎌倉建長寺の末寺から離脱し、京都花園妙心寺の末寺となる。(リンク先より) << 戻る
便り

光澤寺-山梨県甲府市

・光澤寺 真宗大谷派 山梨県甲府市相生町3-5-71548(天文16)年、武田信玄が、当時相模国鎌倉常葉町にあった蛇伏山長延寺(現在の真宗大谷派永勝寺:横浜市戸塚区)の住職実了を、使僧として呼び寄せ、手厚い庇護のもと、長延寺を再興したことに始まる。(リンク先より) << 戻る
便り

威徳寺-山梨県大月市

・威徳寺 曹洞宗 山梨県大月市賑岡町畑倉2163今から約400年前天文年間(1532年から1555年)、都留市谷村長生寺2世融山宗祝大和尚示寂の地とあります。その後約100年、慶長年間に長生寺10世即室長茂(一説に宗茂)大和尚開山第1世として勧請し、享保年間正宗心印大和尚諸堂を建立し中興、文久年間本堂再建(リンク先より) << 戻る
便り

永昌院-山梨県山梨市

・永昌院 曹洞宗 山梨県山梨市矢坪1088寺記によると、この寺の前身は真言宗でした。曹洞宗、龍石山永昌院としての開基は、甲斐守護職、武田信昌(文安4年(1447)〜永正2年(1505))とされ、現山梨県笛吹市一宮町の中山廣厳院開山、雲岫宗竜(うんしゅうそうりゅう)の高弟、同院二世一華文英(いっけぶんえい)を開山(初代住職)に迎え、開創されました。(リンク先より) << 戻る
便り

長慶寺-山梨県都留市

・長慶寺 臨済宗妙心寺派 山梨県都留市夏狩240当山は最初、寛正三年、(西暦一四六二)天台宗の行者、大淵阿闍梨様により開かれ、長慶庵という小さな寺でした。 その後元亀元年、(西暦一五七〇)鎌倉建長寺の僧、五峯東源禅師が堂宇を造営し庵を寺と改め天台宗を臨済宗に改宗して出来たのが現在の長慶禅寺です。(リンク先より) << 戻る
便り

青苔寺-山梨県上野原市

・青苔寺 臨済宗南禅寺派 山梨県上野原市上野原鶴島611青苔寺は山号を飯盛山とする臨済宗南禅寺派の禅宗のお寺です。鎮守は青苔寺の上に位置する神明社の神明大明神としています。応永2年(1395)今から約600年前に敕謚法光圓融禅師(峻翁令山)に拠って開創されました。開基は小俣家とされています。(リンク先より) << 戻る
便り

常幸院-山梨県南巨摩郡

・金龍山常幸院 曹洞宗 山梨県南巨摩郡身延町常葉439【開 山】 梅林禅芳大和尚(ばいりんぜんほうだいおしょう)*南明寺三世【本 寺】 南明寺(なんめいじ)*山梨県富士川町小林【開 創】 1360年代 *詳細不明(リンク先より) << 戻る
便り

栖雲寺-山梨県甲州市

・栖雲寺 臨済宗建長寺派 山梨県甲州市大和町木賊122臨済宗建長寺派の寺院で山号を天目山といいます。南北朝時代の貞和4年(1348年)業海本浄を開山として創建されました。開基は甲斐国主の武田信満公で、往時は中部地方における幻住派の拠点として、また戦国の大雄武田家の菩提寺として大いに繁栄しました。(リンク先より) << 戻る
便り

圓光寺-山梨県山梨市

・圓光寺 臨済宗妙心寺派 山梨県山梨市牧丘町杣口1092開創は暦應年中(1338年頃)。当山は、七朝帝師夢窓疎石によって開創される。開基は足利尊氏。本尊は十一面観世音菩薩、鎮守は富士浅間大菩薩。(リンク先より) << 戻る
便り

清白寺-山梨県山梨市

・清白寺 臨済宗妙心寺派 山梨県山梨市三ケ所620清白寺は、寺蔵の「仏殿沿革調査書」(明治39年〔1906〕)によると、足利尊氏が開基し、夢窓国師(疎石)を開山として、正慶2年(1333)に創立されたと伝わる臨済宗の寺院です。(リンク先より) << 戻る
便り

法泉寺-山梨県甲府市

・法泉寺 臨済宗妙心寺派 山梨県甲府市和田町2595後醍醐天皇の元徳2(1330)年、当時甲斐国主であった武田家第七代の信武公が、夢窓国師の高弟であった月舟禅師を招いて創建しました。従って、本来ならば月舟禅師が初祖となる訳ですが、禅師は自ら二世を称して、恩師の夢窓国師を開山としました。 開山後は夢窓国師を中心とする五山派の官寺となり、室町幕府の保護を受けていたものと思われますが、応仁の乱以後幕府の勢力が衰えると共に、五山派も著しく衰微し、以後武田信玄公が甲斐国主となるまでの約200年間の当山の歴史は明らかではありません。(リンク先より)<< 戻る
便り

恵林寺-山梨県甲州市

・恵林寺 臨済宗妙心寺派 山梨県甲州市塩山小屋敷2280元徳2年(1330)に、甲斐牧ノ庄(かいまきのしょう)の地頭職(じとうしょく:領主)をつとめていた二階堂出羽守貞藤(にかいどうでわのかみさだふじ:道号は道蘊 どううん)が、夢窓国師を招き、自邸を禅院とし創建しました。(リンク先より) << 戻る
便り

大正寺-山梨県富士吉田市

・大正寺 浄土真宗本願寺派 山梨県富士吉田市新倉621当山は今を去ること約750年前(文永年間)に祖門六老僧の随一源誓上人に創設され、宗祖親鸞聖人御真筆の無碍光如来の画像を安置した草庵が当所字宮の下にありました。 文安年間(1440年代)に本願寺中興の祖の第8世蓮如上人が当地を御巡錫した際、藤原氏の末裔であった当国城山(本郡福地村字新屋の南にあり)の城主の遠山伊豆守重正が蓮如上人に帰依し法名乗欽を賜りました。(リンク先より)※文永年間 1264年から1275年<< 戻る
便り

如来寺-山梨県富士吉田市

・如来寺 浄土真宗本願寺派 山梨県富士吉田市新倉613安貞二年(西暦一二二八年)当時の住職、浄圓は、聖徳太子の御跡をたどって旧鎌倉街道を甲州路に入られ、勝沼萬福寺の聖徳太子旧跡を巡拝中の親鸞聖人に開法帰依し釈浄心と法名をいだき、浄土真宗となりました。(リンク先より) << 戻る
便り

放光寺-山梨県甲州市

・放光寺 真言宗智山派 山梨県甲州市塩山藤木2438元暦元年(1184)源平合戦で功績をたてた安田義定が一ノ谷の戦いの戦勝を記念して創立しています。義定は平家追討の功によって遠江国守に任命されて、のちに遠江国守護、禁裏守護など勤め鎌倉幕府創業に貢献しておりますが建久5年(1194)8月19日梶原氏らの謀反の嫌疑を受け当山において自刃したと伝えています。(リンク先より) << 戻る
便り

西方寺-山梨県富士吉田市

・西方寺 浄土宗 山梨県富士吉田市小明見2058当山とうざんは清和源氏せいわげんじの遠祖えんそ左中将さちゅうじょう新田大炊介義重にったおおいのすけよししげ公こう(大光院殿方山西公大居士だいこういんでんぽうさんせいこうだいこじ)を祀まつって 公こうの四男よんなん義季よしすえ(徳川とくがわの祖そ)の舎弟しゃてい五男ごなん経義つねよし(出家しゅっけして祖底襌師そていぜんし)が治承じしょう3年ねん(1179)に これより東南とうなん二キロ長老尾ちょうろうじり(当山とうざん旧跡きゅうせき)に庵いおりを結むすんで創はじまる。嘉禄かろく二に年ねん(1226)には本尊ほんぞん十一面観世音菩薩じゅういちめんかん...
便り

清光寺-山梨県北杜市

・清光寺 曹洞宗 山梨県北杜市長坂町大八田6600当寺は平安時代、仁平元年(1151年)に信立寺と称し、逸見玄源太清光の創建になる天台宗寺院で、清光の没後、清光寺に改められた。その後、文明7年(1475年)、興因寺(甲府市)二世悦堂宗穆和尚が開山となり、曹洞宗に改め、現在に至る。(リンク先より) << 戻る
便り

福泉寺-山梨県甲州市

・福泉寺 浄土真宗本願寺派 山梨県甲州市勝沼町菱山2347元々、福泉寺は寛治7年(1093年)僧恵覚によって、天台宗道場として勝沼町等々力南窪に開山しました。その後戦火に会い、明徳4年(1393年)勝沼町菱山小田沢に移設し、清浄院福泉寺と名を改めました。その後、長録3年(1459年)僧順祐の時、天台宗から浄土真宗に改宗、現在の菱山庄屋敷に本堂を建立し、宮石山福泉寺と名を改めることになります。(リンク先より) << 戻る
便り

寶龍寺-山梨県南巨摩郡

・寶龍寺 真言宗醍醐派 山梨県南巨摩郡早川町黒桂171甲斐国寺記によると、1019年6月、範晃という僧が京で雨乞いの密法修行をしたところ、3日目に雲の中から黄金の玉を持つ大龍が出現。人々が奇異に思っていると大雨が降り出し、これにより干ばつから救われました。範晃はこのときより宝龍和尚と呼ばれるようになり、その後、宝龍和尚は不動明王像を持って甲斐の国へ来たり、山家に寳龍寺を創建したと伝えられています。創建時の寺は1594年に焼失しましたが、1601年に法印良祐によって堂舎が再建され、中興開山としています。(リンク先より) << 戻る
便り

雲岸寺-山梨県韮崎市

・雲岸寺 曹洞宗 山梨県韮崎市中央町11-2天長5年(平安時代)828年に僧空海(弘法大師)が当地の平安を願い御造りになられた石像である。 祖師信仰厚く、弘法大師僧空海を民衆信者が「お大師さま」と崇敬されている。(リンク先より) << 戻る
便り

東円寺-山梨県南都留郡

・東円寺 天台宗 山梨県南都留郡忍野村忍草38弘仁年間(810年〜824年)、空海上人関東巡錫の砌、富士北麓の地に霊温泉の湧いている所(現在の湯の元の地)を見つけ、一宇を建立。湖畑山南泉寺と号したのが始まりです。 古くは富士山を修験とする真言宗のお寺でした。現存する忍草浅間神社(忍草朝日浅間宮)の国指定重要文化財のご神像の台座には、「正和4年(1315年)、別当東円寺」の墨書があることから、鎌倉期には既に天台宗となり、忍草山大日院東円寺と寺号が改まっていたようです。(リンク先より)<< 戻る
便り

塩澤寺-山梨県甲府市

・塩澤寺 真言宗智山派 山梨県甲府市湯村3-17-2大同三(八〇八)年、真言宗の祖、弘法大師(空海上人)衆生救済のため諸国行脚されたおり、当地にて厄除地蔵大菩薩の霊験感ぜられて、大師自ら、六寸(二十センチ)あまりの座像を彫刻され、その尊像をご開眼されたのが、当山の始まり(開創)です。(リンク先より) << 戻る
便り

大蔵経寺-山梨県笛吹市

・大蔵経寺 真言宗智山派 山梨県笛吹市石和町松本610松本山大蔵経寺(しょうほんざんだいぞうきょうじ)は奈良時代養老6年(722年)に法相宗の行基菩薩を開祖として創建されたと伝えられています。 往古は菩提山長谷寺(ぼだいさんちょうこくじ)の本坊で、松本寺と呼ばれており、山内に物部神社を勧請し、大寺院であったようです。応安年間(南北朝時代)足利三代将軍義満の庶子、観道上人(かんどうしょうにん)が中興開山として入山するにあたり、義満公が甲斐の守護武田信成に命じて七堂伽藍を建立させました。この時より武田家祈願寺になっています。(リンク先より)<< 戻る
便り

大善寺-山梨県甲州市

・大善寺 真言宗智山派 山梨県甲州市勝沼町勝沼3565養老二年(AD718)僧行基が甲斐の国を 訪れた時、勝沼の柏尾にさしかかり、日川の渓谷の大石の上で修行したところ、満願の日、夢の中に、手に葡萄を持った薬師如来が現れました。(リンク先より) << 戻る