便り 功徳院-大分県由布市 ・功徳院 高野山真言宗 大分県由布市庄内町龍原443延宝 5年(1677)大分県に開創 本尊=不動明王明治18年(1885)大分郡庄内町(現由布市)に移転昭和63年(1988)巣鴨に東京別院建立 本尊=金剛界大日如来巣鴨平和霊苑開設(リンク先より) << 戻る 1677.01.01 便り年表
便り 随善寺-大分県由布市 ・随善寺-大分県由布市 真宗大谷派 大分県由布市庄内町東大津留420-1寛文元年(1661年)から世代を超えて勤めてまいりたいと存じております。(リンク先より) << 戻る 1661.09.26 便り年表
便り 見星寺-大分県臼杵市 ・見星寺 臨済宗妙心寺派 大分県臼杵市大字田町277寛永十一年(1634年)四月より法灯を護持し、令和元年で創建三百八十五年になります。(リンク先より) << 戻る 1634.01.01 便り年表
便り 丈六寺-大分県豊後大野市 ・丈六寺 臨済宗妙心寺派 大分県豊後大野市三重町秋葉1274・古くは極楽寺と称し、一丈六尺の阿弥陀如来を安置していたことから、後に丈六寺になったといわれている。・天正年間の薩摩軍の侵攻により丈六仏と共に消失。・約40年後の寛永5年(1628年)実傳受眞が創建。(リンク先より) << 戻る 1628.01.01 便り年表
便り 善教寺-大分県佐伯市 ・善教寺 真宗大谷派 大分県佐伯市城下東町5-4寺号としての善教寺はそのもとを15世紀にまで遡る資料があります。真宗寺院として東本願寺の末寺となったのは、1607年です。(リンク先より) << 戻る 1607.01.01 便り年表
便り 法音寺-大分県臼杵市 ・法音寺 日蓮宗 大分県臼杵市二王座18組慶長七年(1602年)臼杵城城主、稲葉一通公が、小倉城主である細川忠興公の姫君を正室に迎えるため、その菩提寺として建立されました。その姫の名は「たら」徳雲院殿と申し、母親は細川ガラシャ(明智光秀公の娘)です。また、世界中に仏舎利塔を建立した、藤井日達上人が出家された寺院でもあります。(リンク先より) << 戻る 1602.01.01 便り年表
便り 多福寺-大分県臼杵市 ・多福寺 臨済宗妙心寺派 大分県臼杵市大字二王座191多福寺は、慶長6年(1601)臼杵第2代藩主稲葉典通公が、駿府(静岡)臨済寺鐵山宗鈍禅師の法嗣、了室宗密禅師を開祖に請うて創建した禅寺です。鐵山禅師は天文元年、甲斐国上条(甲府市)武田信玄の臣窪田氏の子で、幼くして恵林寺で出家しましたが、天文18年臨済寺の太原崇孚に参じ、太原寂の後更に同寺の東谷宗杲に随侍し印可を受けた人です。(リンク先より) << 戻る 1601.01.01 便り年表
便り 蓮華寺-大分県国東市 ・蓮華寺 浄土宗鎮西派 大分県国東市武蔵町大字池ノ内1708往昔、円通院安祥寺というお寺があった。その寺の由緒沿革等は一切不明であるが、慶長年間大友家譜代の徳丸氏の末裔五郎左衛門尉里久という者が、円通院の霊場の廃寺となったのを悲嘆して、村民に謀り力を合わせて一宇を再興して池中山安祥院蓮華寺と号した。開山は、実蓮社真誉上人莫無和尚である。(リンク先より)※慶長年間 1596年から1615年 << 戻る 1596.01.01 便り年表
便り 長福寺-大分県日田市 ・長福寺 真宗大谷派 大分県日田市大字豆田町5-13照雲山長福寺は、日田市豆田町(伝統的建造物群保存地区)の中央に位置する真宗大谷派(本山=東本願寺)の寺院です。天正12年(1584年)、宗榮によって開山されています。(リンク先より) << 戻る 1584.01.01 便り年表
便り 願正寺-大分県日田市 ・願正寺 真宗大谷派 大分県日田市隈2-8-29天正9年(1582年)、西心和南により、現在地(隈町)に圓庵が結ばれました。以来、宗誓禅師、祐心律師、祐圓前大徳、釋永知と法灯は受け継がれています。 寛永12年(1636年)、初代住職となる大心庵釋祐心の願いにより、大谷本願寺13代宣如より「親鸞聖人御影」が下付されて、真宗寺院としての形が完成しました。(リンク先より) << 戻る 1582.01.01 便り年表
便り 浄満寺-大分県日田市 ・浄満寺 真宗大谷派 大分県日田市大字東町3-31当寺は、その昔、天台宗 近祜山 長龍寺と号した後、渡辺綱の子孫、明源が天正七年(一五七九)に真宗に帰依し、 龍宮山 浄満寺と改称し、寺地を石井川下村から隈町に移したとされます。(リンク先より) << 戻る 1579.01.01 便り年表
便り 教念寺-大分県玖珠郡 ・教念寺 浄土真宗本願寺派 大分県玖珠郡玖珠町大字大隈1218専復専山教念寺の開基について、『元亀元年(1570)当時、教念寺初代とされる森常陸介胤顕は、その父、興三兵衛と共に浄土真宗に深く帰依していた。その頃、浄土真宗のご本山大阪石山本願寺では、第十一世顕如上人が織田信長の石山本願寺攻めにあい未曾有の法難にあった。(リンク先より) << 戻る 1570.01.01 便り年表
便り 善了寺-大分県中津市 ・善了寺 真宗大谷派 大分県中津市大字全徳378室町時代、大永3年(1523)に釈正誓により開かれました。江戸期、寛永10年(1633)に東本願寺の末寺となり、真宗寺院として阿弥陀如来像を安置し、善了寺を寺号とすることを許可されました。(リンク先より) << 戻る 1523.01.01 便り年表
便り 西福寺-大分県大分市 ・西福寺 真宗大谷派 大分県大分市寒田557永正17年(1520年)春、大友家家人「釋道因」がこの地に一宇を建立したことに始まり、爾来五百年、ご門徒の方々に護持されてまいりました。(リンク先より) << 戻る 1520.01.01 便り年表
便り 長勝寺-大分県大分市 ・長勝寺 臨済宗妙心寺派 大分県大分市三川下2-6-23文亀元(1502)年に、喜峰禅悦という和尚様をご開山にお迎えして、亀王の地(現在の西公園付近)に大友統(のり)清(きよ)公によって創建されました。本尊は地蔵菩薩さまです。創建当初は建長寺派であったと伝えられています。(リンク先より) << 戻る 1502.01.01 便り年表
便り 神力寺-大分県大分市 ・神力寺 日蓮宗 大分県大分市竹中1129口伝によると冬田地区の豪族伊東友澄(いとうともずみ)公が大いに感ずるところあり、宝徳3年(1451)冬田八幡社の神宮寺のような庵を創立したと伝えられています。その後、この場所が肥後領(加藤清正公の領地)となり、寛文2年(1662)鶴崎法心寺第3世守玄院日達上人によって日蓮宗となって自在山神力庵として創立しました。その後第10世詮寿院日量上人の代に神力寺と改称しました。(リンク先より) << 戻る 1451.01.01 便り年表
便り 龍興寺-大分県大分市 ・龍興寺 臨済宗妙心寺派 大分県大分市徳島1丁目7−27創建は延文3年(1358)7代大友氏泰が大野川を遡った川添の聚楽に建立し、高獄禅師を開山に招いた祈願寺でした、しかし宗麟の代に重臣吉岡宗歓が鶴崎に居城を構え、城下の整備に着手したとき龍興寺を近くの三軒町に移転。(リンク先より) << 戻る 1358.01.01 便り年表
便り 掲諦寺-大分県速見郡 ・掲諦寺 臨済宗妙心寺派 大分県速見郡日出町大字豊岡3460室町時代初頭の1346年に建立され、ご本尊さまは、『オン コロコロ センダリマトウギソワカ』の御真言で有名な薬師瑠璃光如来(お薬師さん)であります。羯諦寺の開山さまは、豊後国太田村出身の南溟殊鵬和尚です。南溟殊鵬和尚は 天皇陛下から諡として佛照大光禅師を頂いております。(リンク先より) << 戻る 1346.01.01 便り年表
便り 大楽寺-大分県宇佐市 ・大楽寺 高野山真言宗 大分県宇佐市大字南宇佐2077元弘3年(1333)、後醍醐天皇の勅願寺、宇佐神宮大宮司到津家の菩提寺として創建された。開基は宇佐八幡宮大宮司 宇佐宿祢到津公連公、開山に奈良西大寺の道密上人を招請した。翌元弘4年(1334)、建武と年号を改めた後醍醐天皇は、宇佐神宮の神威に叡感あって鎮護国家を記念され、 この時到津家の菩提寺であった大楽寺を勅願寺に定められた。(リンク先より) << 戻る 1333.01.01 便り年表
便り 安住寺-大分県杵築市 ・安住寺 臨済宗南禅寺派 大分県杵築市大字南杵築379正元元年(1259)鎌倉時代、木付初代親重公の創始により、2月18日洛東の東福寺より、聖一国師・円爾弁円大和尚を勧請し開山の式を挙げ、安住寺の「開祖」とした。また安岐郷の金胎興竜蜜寺、仏山正眼和尚を住持とした。(リンク先より) << 戻る 1259.01.01 便り年表
便り 金剛寳戒寺-大分県大分市 ・金剛寳戒寺 高野山真言宗 大分県大分市上野丘2-8-27清瀧山 金剛宝戒寺は神亀4年(727年)聖武天皇の勅願を行基菩薩が奉じて創建し開山となった大分県でも由緒ある古刹です。大分郡荏隈郷五丁津留に建立された当山は寺領三万坪、金堂、塔、講堂の大伽藍と六十区の坊舎を配し大門、中門を備えた壮観なもので荘田二千余貫を有りしたと言われています。(リンク先より) << 戻る 0727.01.01 便り年表
便り 観海寺-大分県別府市 ・観海寺 曹洞宗 大分県別府市観海寺四口碑に曰く、奈良時代・養老二年(元正天皇)約一二八〇年前仁聞菩薩始めて錫を此地に駐め温泉を拓き、諸々の病者して入浴せしめ後、丘に一宇を建立し観海寺と称す。當時一刀三禯の薬師如来の尊像を彫刻し本尊仏となす。とあり奈良朝、六郷満山を開いた僧、仁聞の開基とされております。(リンク先より)※養老二年 718年 << 戻る 0718.01.01 便り年表