和歌山県

都道府県一覧

和歌山県の寺院情報

この欄の タグ にある市区町村や(  )内の宗派名を選んで寺院情報を確認出来ます。寺院情報を宗派別に掲載。住所等を参考にしてご利用ください。和歌山市 | 海南市 | 橋本市 | 有田市 | 御坊市 | 田辺市 | 新宮市 | 紀の川市 | 岩出市 | 海草郡 | 伊都郡 | 有田郡 | 日高郡 | 西牟婁郡 | 東牟婁郡和歌山県の各種法要、戒名授与、祈願や厄除け、魂入れ(開眼)、魂抜き(閉眼)、墓地、霊園、納骨堂、樹木葬、坐禅、拝観などで寺院所在地が知りたい場合等の確認にご利用ください。新型コロナの影響で、寺院も例外ではなく、当ウェブサイトの過去の情報と現在の状況は異なっている場合があると考え...
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甘露寺-和歌山県紀の川市

・甘露寺 浄土宗 和歌山県紀の川市貴志川町長原693・和歌山・甘露寺に「鬼滅の刃」ファン 紀の川市が更衣室や撮影用背景など用意(和歌山経済新聞) << 戻る
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円明寺-和歌山県和歌山市

・円明寺 臨済宗妙心寺派 和歌山県和歌山市園部2今から1300年前修験道の開祖・役の小角(えんのおずぬ)神変大菩薩が法華経全28巻を葛城山系の二十八箇所に埋めて経塚をつくり霊場とした、その経塚『葛城二十八宿』の三番目(第三宿)の地が現在の圓明寺(円明寺)の鳴滝不動尊で、法華経第三巻比喩品(ひゆぼん)が埋められたと言い伝えられており、この葛城二十八宿の経塚が圓明寺(円明寺)の始まりです。(リンク先より) << 戻る
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浄土寺-和歌山県海南市

・浄土寺 時宗 和歌山県海南市鳥居2847月24日は日限さんの夏の会式、お地蔵様のご縁日です。皆様の安心・安全を願う御祈願が勤修される中夕刻より、境内にはローソクとLEDの灯りが点されます。(リンク先より) << 戻る
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大圓院-和歌山県伊都郡

・大圓院 高野山真言宗 和歌山県伊都郡高野町大字高野山594もとは多聞院といいましたが、柳川藩(現在の福岡県柳川市)初代藩主、立花宗茂公の法号「大圓院殿松隠宗茂大居士」の院号を頂いて大圓院という寺名に改めました。 当院は豊前豊後の守護職大友能直(よしなお)公(1172-1223)が当院に帰依し師檀の契りをなして以来、その十六代の孫、戸次鑑連(べっき あきつら)公(1513-1585、筑前立花山城主、立花道雪入道)も当院に傾信が深かった。(リンク先より) << 戻る
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東光寺-和歌山県日高郡

・東光寺 西山浄土宗 和歌山県日高郡印南町印南2332古来、東光寺では枇杷の葉を使った施療を行っていました。小栗判官も東光寺参詣の折、枇杷の葉湯により滋養したと伝説にもあり実際に近年まで東光寺で枇杷の葉湯のお風呂に入る人が大勢ありました。(リンク先より) << 戻る
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常住院-和歌山県和歌山市

・常住院 救世観音宗 和歌山県和歌山市柳丁1-1江戸時代の当初、徳川頼宣が和歌山に入城した際、城内櫓に安置されていた不動明王を当時の柳の馬場(現在の柳丁)に堂宇建立の上安置。高野山の無量光院の僧春盛坊に徳川家先祖代々の厄除け、家内安全の祈祷を執り行わせたのが当寺の始まりです。その当時から本堂すなわち護摩御堂に安置されていた御本尊不動明王は秘仏として公開されなかった。(リンク先より) << 戻る
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報徳寺-和歌山県和歌山市

・報徳寺 浄土真宗本願寺派 和歌山県和歌山市井ノ口105浄土真宗本願寺派(西本願寺)の寺院です。仏教の心、親鸞聖人のみ教えを中心にお伝えします。(リンク先より) << 戻る
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興禅寺-和歌山県西牟婁郡

・興禅寺 臨済宗妙心寺派 和歌山県西牟婁郡上富田町市ノ瀬興禅寺には、上富田町指定文化財の聖観世音菩薩立像のほか、一般に「興禅寺文書」と呼ばれる古文書類が百点ほどもあり、和歌山県の古刹として知られています。近西国観音霊場の第十五番札所として登録されています。(リンク先より) << 戻る
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西福寺-和歌山県和歌山市

・西福寺 曹洞宗 和歌山県和歌山市小雑賀90坐禅に親しみながら、定期的に福田会(フクデンカイ -お袈裟を縫う集い-)を開き、お袈裟を手縫いで仕上げる事にも取り組んでいます。(リンク先より) << 戻る
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広源寺-和歌山県有田郡

・広源寺 西山浄土宗 和歌山県有田郡広川町下津木962※掲載内容を再確認した際「このドメインは、お名前.comで取得されています。」と表示されていました。 << 戻る
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霊現寺-和歌山県和歌山市

・霊現寺 真言普門宗 和歌山県和歌山市湯屋谷152眞言普門宗大本山「霊現寺」と、真言宗御室派「加勝寺」「光明院」の公式サイトです(リンク先より) << 戻る
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高野山金剛峯寺-和歌山県伊都郡

・高野山金剛峯寺 高野山真言宗 和歌山県伊都郡高野町大字高野山132総本山金剛峯寺という場合、金剛峯寺だけではなく高野山全体を指します。普通、お寺といえば一つの建造物を思い浮かべ、その敷地内を境内といいますが、高野山は「一山境内地」と称し、高野山の至る所がお寺の境内地であり、高野山全体がお寺なのです。 「では、本堂はどこ?」という疑問がわいてくるでしょう。高野山の本堂は、大伽藍にそびえる「金堂」が一山の総本堂になります。高野山の重要行事のほとんどは、この金堂にて執り行われます。山内に点在するお寺は、塔頭寺院(たっちゅうじいん)といいます。お大師さまの徳を慕い、高野山全体を大寺(だいじ 総本山金...
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正教寺-和歌山県和歌山市

・正教寺 単立 和歌山県和歌山市冬野1045お寺は仏教を通じて、日常の張りつめた心を和ませ、疲れ傷ついた心を癒し、仕事や家庭生活をどういう気持ちで生きて行くのかを一緒に学び、そしてちょっと元気になれる場所。(リンク先より) << 戻る
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清蔵寺-和歌山県新宮市

・清蔵寺 臨済宗妙心寺派 和歌山県新宮市熊野川町西137和歌山県新宮市熊野川町西にある臨済宗妙心寺派のお寺のページです。(リンク先より) << 戻る
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青岸渡寺-和歌山県東牟婁郡

・和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山8番地・第三十三番 ⇒ 西国三十三所 第一番 那智山 青岸渡寺 ⇒ 第二番開基は裸形上人。本尊は如意輪観世音菩薩。那智山は熊野三山の一つ。熊野信仰の霊場として長い歴史がある。もともと那智の滝を中心にした神仏習合の一大修験道場だったが、明治初期に青岸渡寺と那智大社に分離した。今も寺と神社は隣接していて、双方を参拝する人が多い。<< 戻る
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国分寺-和歌山県紀の川市

・国分寺 新義真言宗 和歌山県紀の川市東国分682・長門 ⇒ 南海道 紀伊 国分寺 ⇒ 淡路<< 戻る
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一乗院-和歌山県伊都郡

・一乗院 高野山真言宗 和歌山県伊都郡高野町大字高野山606本尊 弥勒菩薩 鎌倉期の作と伝えられ、平成20年に修復しました。弥勒菩薩様は慈氏菩薩とも呼ばれ、56億7000万年後の未来において仏となり、人の世に現れ、衆生を救済すると言われています。(リンク先より) << 戻る
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童楽寺-和歌山県伊都郡

・童楽寺 真言宗 和歌山県伊都郡かつらぎ町新城533-1【こどもの寺 童楽寺】は、高野山の麓に抱かれた和歌山県かつらぎ町に位置します。少子高齢化が進む山村をなんとか活性化させたいという思いで、平成19年より山村留学生と共に【現代版寺子屋活動】をスタートしました。(リンク先より) << 戻る
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無量寺-和歌山県東牟婁郡

・無量寺 臨済宗東福寺派 和歌山県東牟婁郡串本町串本833錦江山無量寺は、本土最南端の地である和歌山県東牟婁郡串本町に在る、虎関禅師の開山による臨済宗東福寺派の別格寺院です。 もともとは、現在地から少し離れた袋という小さな入り江の地区にあり、その地形故にたびたび津波の被害にあいましたが、宝永4年(1707年)10月の宝永地震による大津波で全壊・流失してしまいました。その後、流出した無量寺の再建の使命を帯びた臨済宗白隠下の禅僧、文保愚海和尚が入院(じゅいん)し、大津波より79年後の天明6年(1786)、辛苦の末、現在の位置に本堂再建の業を果たされました。(リンク先より)<< 戻る
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福巖寺-和歌山県田辺市

・福巖寺 臨済宗妙心寺派 和歌山県田辺市中辺路町西谷575万治以前より、当字菴尾に福徳菴があり、真言宗の僧、太初守元和尚が菴主をしていました。真砂には漬入山萬福禅寺がありましたが、大水害のために流失。寛文二年二月に、再建不能の萬福禅寺と福徳菴が合併し、開山に海蔵寺第五世の桃源長茂大和尚を懇請して、寺名も雪峰山福巖寺と改め、清姫とその一族、並びに檀信徒各家の先祖の菩提を弔うために現在地に建立されました。(リンク先より)※寛文二年 1662年 << 戻る
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妙願寺-和歌山県日高郡

・妙願寺 浄土真宗本願寺派 和歌山県日高郡日高町志賀2988文明年間から明応の頃、六郷左衛門という深く浄土真宗に帰依されたお同行が、護法の念篤く、縁あって紀州日高郡志賀村に隠遁して、ひたすら報謝の生活に明け暮れていましたが、慶安3年(1650)2月に一宇を建立し、先祖を奉拝しました。六字の名号を掛けて、初代住職了宗法師を迎えて惣道場(そうどうじょう)としました。 (リンク先より) << 戻る
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本覚寺-和歌山県西牟婁郡

・本覚寺(貝寺) 浄土宗 和歌山県西牟婁郡白浜町瀬戸627本覚寺の創建について、詳細は残っておらず、応仁年間(1467~69年)との一説もありますが、過去帳によると、寛永10年(1633年)から始まったとされています。旧記によれば、古来白良浜(白浜町)の奥寺谷にあった真言宗のお寺を、元禄年間に現在の瀬戸に移し、その際に浄土宗に改宗したとされています。(リンク先より) << 戻る
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法輪寺-和歌山県田辺市

・法輪寺 曹洞宗 和歌山県田辺市新屋敷町85当山は元和元年(1620年)田辺住まいの与力三十六人衆の一人である西郷孫右衛門が盟主となって創建されたものです。孫右衛門は遠江(静岡県)森の領主、大須賀五郎兵衛胤高公(徳川家康公に仕え五千石を拝領)に寵愛された人物で、主人である胤高公が慶長十四年に死去し、与力衆として田辺に移住した孫右衛門は、旧主の菩提を弔う為に胤高公(鷄足院殿傳誉法輪大居士)を開基とし、衣宗廣傅大和尚を招いて開山として創建され、現在末寺は十三ヶ寺を有りしています。(リンク先より) << 戻る
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恵運寺-和歌山県和歌山市

・恵運寺 曹洞宗 和歌山県和歌山市吹上3-1-66創建:1619年~1621年 開山:天厳(岩)玄達開基:山本弥三郎茂成(長昌公)牟呂城城主 天眞院星安長昌居士初代藩主徳川頼宣公と紀州徳川家の武運長久、廣厳無窮の安泰と山本家の顕祖長昌公の菩提を供養する為、紀州藩重臣山本圖書正春が禅寺を建立。(リンク先より) << 戻る
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西方寺-和歌山県田辺市

・西方寺 浄土宗 和歌山県田辺市古尾25-3開基年代は不詳ですが、慶長12年(1607年)に賢譽上人が西の谷御所谷(現在の田辺市上の山)から現在の地に移され、中興上人となられました。(リンク先より) << 戻る
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宝珠寺-和歌山県新宮市

・宝珠寺 曹洞宗 和歌山県新宮市木ノ川360和歌山県新宮市にある 「宝珠寺」(ほうしゅじ) は本来、 現在の新宮市の蜂伏地区の入口あったと言われている金錫山に天台宗の寺院として存在しておりました。しかし、幾多の 火災に遭い「湧水の池」があった木ノ川の現在の地に移転したと言い伝えられております。1600年頃、伊豆国の最勝院 16 世 説翁禅宗禅師によって、再建された曹洞宗の寺院です。(リンク先より) << 戻る
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養泉寺-和歌山県和歌山市

・養泉寺 真宗大谷派 和歌山県和歌山市和歌浦中2-7-16天正7年(1579)織田信長が再度石山本願寺攻めを行いました。本願寺派の軍勢は、武運拙く木下藤吉郎の前に敗戦し、顕如上人の長男、教如上人は信長との和議を拒み堺・岸和田・和歌山へと落ちのび、雑賀崎鷹の巣洞窟に身を隠したと伝えられています。それを知った井本源兵衛は食事を運び教如を援助しました。その恩返しに、本願寺秘伝の製薬法を源兵衛に伝授したとされています。これが今日も重宝されております「和歌保命丸・わかのうら薬」です。その後、源兵衛は真宗に帰依し、慶長2年(1597)養泉寺を創建されました。そして、寛永2年(1625)寺号を許され、徳川頼...
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高野寺-和歌山県和歌山市

・高野寺 高野山真言宗 和歌山県和歌山市元寺町北ノ丁18当山は慶長年間、興山寺勢誉法印の開基にして初代紀州藩主 浅野幸長公の命により保田の庄梁瀬の里より現在の地にうつす。高野山行人方と紀州藩との国交拠点になった寺院で、高野山輪番所として紀伊国名所図会に伝わる。(リンク先より)※慶長年間 1596年から1615年 << 戻る
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珊瑚寺-和歌山県和歌山市

・珊瑚寺 曹洞宗 和歌山県和歌山市鷹匠町1-7当寺は昔、和田村(現在の和歌山市和田)にあり「三五寺」と号していました。天正13年(1585)秀吉の紀州攻めで太田城が落城した後、初代和歌山城主となった桑山重晴が三五寺を現在の地に移建し、桑山氏の菩提寺としました。その折、重晴公が珊瑚の数珠を寄進したことから、「珊瑚寺」と呼ばれるようになりました。その数珠は今も当寺に伝わっています。(リンク先より) << 戻る
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浄恩寺-和歌山県田辺市

・浄恩寺 浄土宗 和歌山県田辺市元町273開山は天正九年に光誉岌山上人により御所谷(現在地より西に500m)に創建され、後に慶長13年、秀誉良山上人により現在地に移転されます。(リンク先より)※天正九年 1581年<< 戻る
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龍雲寺-和歌山県新宮市

・龍雲寺 曹洞宗 和歌山県新宮市三輪崎2-15-6名称  太興山 龍雲寺(たいこうざん りゅううんじ) 御本尊 延命地蔵菩薩御開山 静岡県伊豆最勝院8世 大用精賢大和尚(龍雲寺を開かれた方)永禄2年4月28日創建(リンク先より)※1559年 << 戻る