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大滝秀治(おおたきひでじ)

俳優、ナレーター、実業家。文化功労者。株式会社劇団民藝代表取締役などを歴任した。生誕 1925年(大正14年)6月6日命日 2012年(平成24年)10月2日瑞藝院秀聲居士<< 戻る
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小野ヤスシ(おのヤスシ)

タレント、コメディアン、俳優、司会者、ミュージシャン。鳥取県境港市出身。自称『鳥取が生んだ天才“スーパースター”』。生誕 1940年2月11日命日 2012年6月28日<< 戻る
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岡松和夫(おかまつかずお)

小説家。国文学者。「壁」で文学界新人賞、「志賀島」で芥川賞、「異郷の歌」で新田次郎文学賞。他に「峠の棲家」など作品多数。生誕 1931年6月23日命日 2012年1月21日<< 戻る
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岡田茂(おかだしげる)

映画プロデューサー。東映・東急レクリエーション社長、東映会長、同名誉会長、同相談役を経て2006年7月から再び東映名誉会長。また、2008年4月より東京急行電鉄取締役を務めた。生誕 1924年3月2日命日 2011年5月9日隆徳院殿茂岳秀榮大居士<< 戻る
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緒形拳(おがたけん)

俳優。旧芸名及び本名は、緒形明伸(おがた あきのぶ)。趣味は絵手紙・水墨画。主な作品は以下の通り多数。テレビドラマ『太閤記』/『必殺仕掛人』『必殺必中仕事屋稼業』『風と雲と虹と』/『峠の群像』『毛利元就』/『風林火山』『帽子』/『風のガーデン』映画『セックス・チェック 第二の性』『風林火山』/『砂の器』『八甲田山』/『鬼畜』『復讐するは我にあり』『わるいやつら』『魔界転生』/『北斎漫画』『野獣刑事』/『陽暉楼』『魚影の群れ』/『オキナワの少年』『楢山節考』/『薄化粧』/『櫂』『火宅の人』/『女衒 ZEGEN』『将軍家光の乱心 激突』『社葬』/『おろしや国酔夢譚』『ミラーを拭く男』/『長い散歩』...
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仰木彬(おおぎあきら)

福岡県出身のプロ野球選手、プロ野球監督、野球解説者。 昭和30年代の西鉄ライオンズ黄金時代に正二塁手として活躍し、引退後は西鉄、近鉄、オリックスのコーチ・監督を歴任した。生誕 1935年4月29日命日 2005年12月15日仰崇院釈耀彬<< 戻る
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小倉昌男(おぐらまさお)

実業家、ヤマト福祉財団理事長。ヤマト運輸の『クロネコヤマトの宅急便』の生みの親である。東京都出身。1948年、父・小倉康臣が経営する大和運輸(現・ヤマトホールディングス)に入社。入社後半年で肺結核を患い4年間の入院生活を送るが、大和運輸がGHQ関連の輸送業務を担当していた為、日本国内ではほとんど入手困難だったストレプトマイシンを米軍ルートで入手できた事もあり、当時としては奇跡的に回復。退院後静岡県の子会社の再建を手がけたのち本社に復帰し、1961年に取締役となる。1971年、康臣の後を継いで代表取締役社長に就任した。1976年、オイルショック後に低迷していた大和運輸の業績回復のため、『宅急便』...
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小渕恵三(おぶちけいぞう)

政治家。位階は正二位。勲等は大勲位。学位は政治学修士。衆議院議員、総理府総務長官、沖縄開発庁長官、内閣官房長官、外務大臣、内閣総理大臣、自由民主党幹事長、自由民主党副総裁、自由民主党総裁などを歴任した。生誕 1937年6月25日命日 2000年5月14日恵柱院殿徳政信宝大居士<< 戻る
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大屋政子(おおやまさこ)

歌手、実業家、タレント、作家。旧姓は森田。 元帝人社長大屋晋三の妻。実父は元衆議院議員の森田政義。生誕 1920年(大正9年)10月27日命日 1999年(平成11年)1月16日<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

仏陀(ブッダ)

仏陀(ブッダ)とは、Buddha の音写で、悟った人という意味です。歴史的には、実在したお釈迦様のことを意味します。仏、ぶつ、ほとけ、とも呼ばれる他、如来十号には、如来・応供・正遍知・明行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師・仏世尊という呼び名もあります。また、仏教でいう過去七仏だけではなく、ブッダという存在および呼称は、仏教の成立以前からインドでは使われていました。お釈迦様のいた時代の原始仏教では、ブッダは「目覚めた人」を指す普通名詞として使われ、お釈迦様だけを指す固有名詞ではなかったようです。梵語(サンスクリット語) Buddha ブッダ巴語(パーリ語) Buddha ブッダ<< 戻...
仏教を本気で学ぶ

阿羅漢(あらかん)

阿羅漢とは、尊敬されるに相応しい人、尊い人、供養を受けるに相応しい人、修行完成者、尊敬されるべき修行者、真人、聖者、悟り終わった人。仏教が世に出た時代、インドの諸宗派を通じて尊敬される修行者の呼称であったので、当時のブッダも阿羅漢と呼ばれていました。略称して羅漢(らかん)ともいい、漢訳では応供(おうぐ)、応真(おうしん)、応(おう)という意訳もあります。応供は如来十号の1つです。また、修行の目標と到達した境地を表す四向四果の1つです。後代、上座部仏教における最上の聖者のことをこう呼ぶようになりました。先述の通り、もとはブッダを指していましたが、後にブッダと阿羅漢とは区別されるようになり、ブッダ...
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大谷光暢(おおたにこうちょう)

明治時代から昭和時代にかけての浄土真宗の僧。法名は「闡如」(せんにょ)。東本願寺第二十四代法主。(のちに門首。)真宗大谷派管長。伯爵。欧米、ブラジルを視察するなど、宗教布教に尽力。生誕 1903年10月1日命日 1993年4月13日<< 戻る
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尾崎豊(おざきゆたか)

シンガーソングライター。高校在学中の82年、レコード会社のオーディションに合格し、翌年12月に「15の夜」と「十七歳の地図」でデビュー。85年1月に発表した「卒業」でブレイクを果たす。「I LOVE YOU 」「OH MY LITTLE GIRL 」「僕が僕であるために 」など多数。生誕 1965年11月29日命日 1992年4月25日頌弦院智心碩豊居士<< 戻る
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岡潔(おかきよし)

数学者。奈良女子大学名誉教授。理学博士。文化勲章受章者。多変数函数論の分野で世界的な難問を解決し、その業績により昭和28年文化勲章を受章した。数学者・岡潔の名を全国的に知らしめたのは随筆「春宵十話」である。この中で岡は論理的学問と思われる数学者でありながら、日本的情緒や情操教育の大切さを語りかけ、大変な反響を呼んだ。数学の発見には西洋のインスピレーション型と東洋の情操型とがあるという。岡は「人の中心は情緒である」と言い、万葉集や芭蕉などを通じ日本人の心を思い出してほしいと訴える。生誕 1901年4月19日命日 1978年3月1日春雨院梅花石風居士<< 戻る
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大佛次郞(おさらぎじろう)

小説家・作家。大仏次郎とも書く。神奈川県出身、本名は野尻 清彦。『鞍馬天狗』シリーズなど大衆文学の作者として有名な他、歴史小説、現代小説、ノンフィクション、新作歌舞伎や童話などまでを幅広く手がけた。作家の野尻抱影は兄。生誕 1897年(明治30年)10月9日命日 1973年(昭和48年)4月30日大佛次郎居士<< 戻る
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大坪砂男(おおつぼすなお)

、 - )は、日本の探偵小説作家。本名和田六郎。谷崎潤一郎の書生、警視庁鑑識課職員などを経て、師事していた佐藤春夫の推薦により「宝石」に発表した『天狗』でデビュー。筆名はE・T・A・ホフマンの「砂男」に由来する。1951年に大坪 沙男と改名した。代表作は他に『立春大吉』『私刑』『男井戸女井戸』などがある。生誕 1904年2月1日命日 1965年1月12日<< 戻る
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大谷光瑞(おおたにこうずい)

宗教家、探検家。浄土真宗本願寺派第22世法主、伯爵、国営競馬馬主。 諱は光瑞。法名は鏡如上人。院号は信英院。 弟に真宗木辺派の本山錦織寺第20代法主となる木辺孝慈、大谷尊由、妹に九条武子がいる。妻は大正天皇の皇后・九条節子の姉・籌子。1900年12月3日、日本を出発、1902年(明治35年)8月15日ロンドンを出発、教団活動の一環として西域探検のためインドに渡り、仏蹟の発掘調査に当たった。1903年(明治36年)1月14日朝、ビハール州ラージギル郊外で長らく位置が判らなかった霊鷲山を発見している。同年に父・光尊が死去し、法主を継職するため3月12日帰国したが、探検・調査活動は1904年(明治3...
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大谷光演(おおたにこうえん)

明治から大正時代にかけての浄土真宗の僧、俳人、画家。法名は「彰如」(しょうにょ)。俳号は「句仏」。東本願寺第二十三代法主。真宗大谷派管長。伯爵。妻は、三条実美の三女・章子。『夢の跡』『我は我』『句仏句集』などの句集を残している。生誕 1875年(明治8年)2月27日命日 1943年(昭和18年)2月6日<< 戻る
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大谷尊由(おおたにそんゆ)

浄土真宗本願寺派の僧侶、政治家。浄土真宗本願寺派第21世法主大谷光尊(明如)と側室・松原藤子の5男として京都市に生まれる。兄は第22世法主光瑞(鏡如)、木辺孝慈、妹は歌人の九条武子。光瑞と共に博識で知られ、後藤新平などが早くからその人物を評価していた。成人してからは御連枝として兄の宗政を助け、本願寺執行長、本願寺派護持会財団理事長、管長事務取扱(管長代理)などを歴任。この間、日露戦争に際し従軍布教の陣頭指揮にあたり、自身も中国各地を度々慰問している。数々の教団改革をすすめ、大谷探検隊を財政面から助けたが、後に多額の負債を教団に残すこととなった。1914年(大正3年)、疑獄事件により法主の座を退...
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岡本かの子(おかもとかのこ)

大正、昭和期の小説家、歌人、仏教研究家。漫画家・岡本一平と結婚し、芸術家・岡本太郎を生んだ。代表作は『母子叙情』『老妓抄』『生々流転』など。仏教に関するラジオ放送、講演、執筆を依頼されることが多く、『観音経を語る』、『仏教読本』などを刊行した。生誕 1889年3月1日命日 1939年2月18日雪華妙芳大姉<< 戻る
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大森房吉(おおもりふさきち)

地震学者。日本における地震学の創始者のひとり。初期微動継続時間から震央を求める大森公式,大森式地震計などを考案した。生誕 1868年10月30日(明治元年9月15日)命日 1923年11月18日<< 戻る
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大内青巒(おおうちせいらん)

明治期から大正期における仏教学者・思想家。父は仙台藩士大内権右衛門。名は退。字は巻之。別号を藹々居士。陸奥国仙台出身。はじめ宮城郡東宮浜(現在の七ヶ浜町)、後に常陸国水戸の寺院で出家して泥牛と号し、その後江戸へ出て仏教の研究を志した。明治維新後は、大洲鉄然の推挙により浄土真宗本願寺派本山本願寺(西本願寺)第21世宗主大谷光尊の侍講をつとめた。1874年(明治7年)雑誌『報四叢談』、1875年(明治8年)新聞『明教新報』を発刊し、仏教における啓蒙思想家として活動した。1889年(明治22年)島地黙雷・井上円了らと共に天皇崇拝を中心とする仏教政治運動団体「尊皇奉仏大同団」を結成した。曹洞宗の『修証...
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岡倉天心(おかくらてんしん)

思想家、文人。本名は岡倉覚三。幼名は岡倉角蔵。横浜(神奈川県)生まれ。フェノロサと共に文化財保護の礎をつくり東京美術学校(現在の東京藝術大学)の創設に尽力。日本画の革新と美術学校の校長を務め、文化行政に携わり、思想家として著作を執筆し、ボストン美術館でキューレターとして活動した。それだけではなく、南画家に師事し、琴を学び、漢詩を残し、余暇には釣りを楽しみ、オペラの台本までも著していた。1862年横浜本町5丁目に生まれる。父岡倉覚右衛門。1873年東京日本橋に一家で移り、同年東京外国語学校に入学。1876年奥原晴湖に入門。1879年18歳でもとと結婚。1880年東京大学を卒業。同年、文部省に就職...
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大久保利通(おおくぼとしみち)

武士、政治家。位階勲等は贈従一位勲一等。明治維新の元勲であり、西郷隆盛、木戸孝允と並んで「維新の三傑」と称される。また「維新の十傑」の1人でもある。初代内務卿を務めるなど、内閣制度発足前の明治政界のリーダーであった。生誕 文政13年8月10日(1830年9月26日)命日 明治11年(1878年)5月14日<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

黄檗宗の成立

1876年(明治9年)、臨済宗黄檗派と称していたのを臨済宗から一宗として独立し、黄檗宗(おうばくしゅう)と公称するようになりました。日本の臨済宗の中にありながら、中国式で法要等を行うという点で異なったため、独立して一宗派を成すにいたりました。黄檗宗の起源とする臨済宗は、禅宗五家の内の一派で達磨大師から11代目の臨済義玄(りんざいぎげん)禅師を宗祖と仰ぐ宗派で、中国で起こり日本に伝来してきたものです。<< 戻る
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大村益次郎(おおむらますじろう)

幕末期の長州藩の医師、西洋学者、兵学者。維新の十傑の一人に数えられる。 長州征討と戊辰戦争で長州藩兵を指揮し、勝利の立役者となった。太政官制において軍務を統括した兵部省における初代の大輔(次官)を務め、事実上の日本陸軍の創始者、あるいは陸軍建設の祖と見なされることも多い。生誕 文政7年5月3日(1824年5月30日)命日 明治2年11月5日(1869年12月7日)<< 戻る
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沖田総司(おきたそうじ)

幕末の武士、新選組一番隊組長及び撃剣師範。本姓は藤原を称した。諱は春政、後に房良(かねよし)。幼名は宗次郎。生誕 天保13年(1842年)命日 慶応4年5月30日(1868年7月19日)賢光院仁誉明道居士<< 戻る
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小栗忠順(おぐりただまさ)

江戸時代末期の幕臣、勘定奉行、江戸町奉行、外国奉行。 通称は又一。「又一」は、代々小栗家当主が名乗る名前。安政6年、従五位下豊後守に叙任。文久3年、上野介と改名した。三河小栗氏第12代当主で、父方の祖父は同じく勘定奉行を務めた中川忠英。安政7年(1860年)、日米修好通商条約批准のため米艦ポーハタン号で渡米し、地球を一周して帰国した。その後は多くの奉行を務め、江戸幕府の財政再建や、フランス公使レオン・ロッシュに依頼しての洋式軍隊の整備、横須賀製鉄所の建設などを行う。生誕 文政10年6月23日(1827年7月16日)命日 慶応4年閏4月6日(1868年5月27日)陽寿院殿法岳浄性大居士<< 戻る
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岡田以蔵(おかだいぞう)

江戸時代末期の土佐藩郷士。司馬遼太郎の小説名から「人斬り以蔵」の名でも知られる。諱は宜振(よしふる、読みに諸説あり)。幕末の四大人斬りの一人。武市瑞山(半平太)に師事し、小野派一刀流(中西派)の麻田直養(勘七)に剣術を学ぶ。薩長他藩の同志たちと共に、安政の大獄で尊王攘夷派の弾圧に関与した者達などに、天誅と称して集団制裁を加える。1863年の八月十八日の政変後、土佐勤王党は大弾圧を受け、翌年に以蔵も捕らえられ苛烈な拷問を受ける。慶応元年(1865年)閏5月11日に打ち首、獄門となった。生誕 天保9年1月20日(1838年2月14日)命日 慶応元年閏5月11日(1865年7月3日)<< 戻る
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緒方洪庵(おがたこうあん)

江戸時代後期の武士、医師、蘭学者である。大坂に適塾を開き、人材を育てた。天然痘治療に貢献し、日本の近代医学の祖と言われる。 諱は惟章または章、字は公裁、号を洪庵の他に適々斎、華陰と称する。生誕 文化7年7月14日(1810年8月13日)命日 文久3年6月10日(1863年7月25日)華陰殿法眼文粛居士<< 戻る
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大塩平八郎(おおしおへいはちろう)

江戸時代後期の儒学者、大坂町奉行組与力。大塩平八郎の乱を起こした。 通称は平八郎、諱は正高、のち後素。字は子起。号は中斎。家紋は揚羽。大塩家は今川氏の末流で、代々大坂東町奉行組与力を務めており、平八郎は初代の大塩六兵衛成一から数えて8代目にあたる。大坂天満に生まれた。大塩平八郎の乱は江戸後期、大坂で大塩平八郎らが救民のため挙兵した反乱。1836年(天保7)は大飢饉(ききん)であったため、凶作・飢饉により米価が高騰し、大坂市中には飢餓による死者が続出していた。もと大坂町奉行与力(まちぶぎょうよりき)であり陽明学者であった大塩平八郎は、こうした市中の惨状を見て、養子格之助(かくのすけ)を通じ、救済...
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大槻玄沢(おおつきげんたく)

一関藩出身の江戸時代後期の蘭学者。諱は茂質、字は子煥。出身地の磐井から磐水と号す。『解体新書』の翻訳で有名な杉田玄白・前野良沢の弟子。「玄沢」とは、師である2人から一文字ずつもらってつけた通り名である。天明8年(1788年)、蘭学の入門書『蘭学階梯』を記したことで、蘭学界での地位を確立した。師である杉田玄白から『解体新書』の改訂を命ぜられ、寛政2年(1790年)改訂に着手した。寛政10年(1798年)の『重訂解体新書』がそれで、改訂作業は文化元年(1804年)にいちおう完了した(刊行は文政9年(1826年))。生誕 宝暦7年9月28日(1757年11月9日)命日 文政10年3月30日(1827...