人物 石ノ森章太郎(いしのもりしょうたろう) 漫画家、特撮作品原作者。代表作は『サイボーグ009』『仮面ライダー』『人造人間キカイダー』『さるとびエッちゃん』『マンガ日本経済入門』『HOTEL』など多数。生誕 1938年(昭和13年)1月25日命日 1998年(平成10年)1月28日石森院漫徳章現居士<< 戻る 1998.01.28 人物
人物 伊丹十三(いたみじゅうぞう) 映画監督、俳優、エッセイスト、商業デザイナー、イラストレーター、CMクリエイター、ドキュメンタリー映像作家。『お葬式』で映画監督としてデビューし、日本国内で高い評価をうける。この作品で受賞した映画賞は、日本アカデミー賞、芸術選奨新人賞を始めとして30を超えた。生誕 1933年5月15日命日 1997年12月20日<< 戻る 1997.12.20 人物
人物 井深大(いぶかまさる) 電子技術者および実業家。盛田昭夫と共にソニーの創業者の一人。生誕 1908年(明治41年)4月11日命日 1997年(平成9年)12月19日<< 戻る 1997.12.19 人物
人物 池田満寿夫(いけだますお) 画家・版画家・挿絵画家・彫刻家・陶芸家・作家・映画監督などの従来の芸術の枠にとどまらず多彩に活躍した芸術家。エロスの作家と言われるように、官能的な作風が多い。代表作『エーゲ海に捧ぐ』生誕 1934年2月23日命日 1997年3月8日滿壽院叡彩心酔大居士<< 戻る 1997.03.08 人物
人物 逸見政孝(いつみまさたか) フリーアナウンサー、タレント。 元フジテレビアナウンサー。フジテレビ退社後は、三木プロダクションと業務提携する個人事務所「オフィスいっつみい」に所属していた。大阪府大阪市阿倍野区出身。 妻はエッセイストで所属事務所社長だった逸見晴恵。俳優の逸見太郎は長男、女優の逸見愛は長女。生誕 1945年(昭和20年)2月16日命日 1993年(平成5年)12月25日誠實院温譽和顔政孝居士<< 戻る 1993.12.25 人物
人物 井伏鱒二(いぶせますじ) 小説家。広島県安那郡加茂村(現・福山市)生まれ。筆名は釣り好きだったことによる。代表作『山椒魚』(1929年)『屋根の上のサワン』(1929年)『ジョン万次郎漂流記』(1937年)『さざなみ軍記』(1938年)『多甚古村』(1939年)『本日休診』(1950年)『黒い雨』(1966年)生誕 1898年(明治31年)2月15日命日 1993年(平成5年)7月10日照観院文寿日慧大居士<< 戻る 1993.07.10 人物
人物 井上靖(いのうえやすし) 小説家。『闘牛』で第22回芥川賞を受賞。代表作は『氷壁』(1957年)、『天平の甍』(1957年)、『敦煌』(1959年)、『しろばんば』(1960年)、『蒼き狼』(1963年)、『風濤』(1963年)、『おろしや国酔夢譚』(1968年)、『孔子』(1989年)など多数。生誕 1907年(明治40年)5月6日命日 1991年(平成3年)1月29日峯雲院文華法徳日靖居士<< 戻る 1991.01.29 人物
人物 池波正太郎(いけなみしょうたろう) 戦後を代表する時代小説・歴史小説作家。『鬼平犯科帳』『剣客商売』『仕掛人・藤枝梅安』『真田太平記』など、戦国・江戸時代を舞台にした時代小説を次々に発表する傍ら、美食家・映画評論家としても著名であった。生誕 1923年1月25日命日 1990年5月3日華文院釈正業(浅草西光寺)<< 戻る 1990.05.03 人物
人物 石原裕次郎(いしはらゆうじろう) 俳優、歌手。石原プロモーション創立者で、初代代表取締役社長兼会長。代表的な出演映画『太陽の季節』『狂った果実』『嵐を呼ぶ男』『銀座の恋の物語』代表的な出演テレビドラマ『太陽にほえろ!』『大都会』シリーズ、『西部警察』シリーズ横浜鶴見の大本山總持寺に墓所があり、多くのファンがお参りに訪れる。生誕 1934年(昭和9年)12月28日命日 1987年(昭和62年)7月17日陽光院天真寛裕大居士<< 戻る 1987.07.17 人物
人物 井植歳男(いうえとしお) 実業家。三洋電機株式会社の創業者。松下電気器具製作所(松下電器産業を経て、現・パナソニック)の創業メンバーで、元専務取締役。生誕 1902年12月28日命日 1969年7月16日<< 戻る 1969.07.16 人物
人物 石井漠(いしいばく) 舞踊家、ダンサーである。代表作は『甦る新世界』(1933)や、晩年視力をほとんど失ってから上演した『人間釈迦』(1953,芸能選奨文部大臣賞)などがある。いずれも作曲家の石井歓、石井眞木は息子、石井五郎は弟。また舞踊家の石井登は孫、石井武は曾孫である。生誕 1886年12月25日命日 1962年1月7日<< 戻る 1962.01.07 人物
人物 石原莞爾(いしわらかんじ) 陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。栄典は正四位・勲一等・功三級、「世界最終戦論」など軍事思想家としても知られる。 関東軍作戦参謀として、板垣征四郎らと共に柳条湖事件・満州事変を起こした首謀者であるが、後に東條英機との対立から予備役に追いやられ、病気及び反東條の立場が寄与し戦犯指定を免れた。生誕 1889年1月18日 (戸籍の上では17日)命日 1949年8月15日<< 戻る 1949.08.15 人物
人物 石川千代松(いしかわちよまつ) 動物学者。東京大学生物科卒業。ドイツに留学し、ワイズマンに師事。進化論を日本に紹介したことで知られる。 1909年には、琵琶湖岸の滋賀県水産試験場の池でコアユの飼育に成功し、全国の河川に放流する道を開いた。生誕 1860年1月30日(万延元年1月8日)命日 1935年(昭和10年)1月17日<< 戻る 1935.01.17 人物
人物 今村恵猛(いまむらえみょう) 浄土真宗本願寺派のハワイ開教総長。 1900年ハワイに着任してから逝去まで33年間ハワイの開教に従事してハワイにおける仏教の基礎を築く。福井県生まれ。生誕 慶応3年5月27日(1867年)命日 昭和7(1932)年12月23日<< 戻る 1932.12.23 人物
人物 犬養毅(いぬかいつよし) 政治家。位階は正二位。勲等は勲一等。通称は仙次郎。号は木堂、子遠。 中国進歩党代表者、立憲国民党総理、革新倶楽部代表者、立憲政友会総裁、文部大臣、逓信大臣、内閣総理大臣、外務大臣、内務大臣などを歴任した。生誕 1855年6月4日〈安政2年4月20日〉命日 1932年〈昭和7年〉5月15日台光院殿沈毅木堂大居士<< 戻る 1932.05.15 人物
人物 板垣退助(いたがきたいすけ) 武士、勤皇志士。軍人・政治家。自由民権運動の主導者。従一位勲一等伯爵。明治維新の元勲。「憲政の父・国会を創った男」として知られる。明治15年(1882年)4月6日、岐阜で遊説中に暴漢・相原尚褧に襲われ負傷した(岐阜事件)。その際、板垣は襲われたあとに竹内綱に抱きかかえられつつ起き上がり、出血しながら「吾死スルトモ自由ハ死セン」と言い、これがやがて「板垣死すとも自由は死せず」という表現で広く伝わることになった。生誕 天保8年4月17日(1837年5月21日)命日 大正8年(1919年)7月16日<< 戻る 1919.07.16 人物
人物 井上円了(いのうええんりょう) 仏教哲学者、教育者。 多様な視点を育てる学問としての哲学に着目し、哲学館を設立した。また迷信を打破する立場から妖怪を研究し『妖怪学講義』などを著し、一方で「お化け博士」、「妖怪博士」などと呼ばれた。生誕 1858年3月18日(安政5年2月4日)命日 1919年(大正8年)6月6日<< 戻る 1919.06.06 人物
仏教を本気で学ぶ 伊藤左千夫(いとうさちお) 伊藤左千夫は1864年に千葉県で生まれ、1913年7月30日に脳溢血が原因で死去しました。明治時代から大正時代にかけて活躍した歌人・小説家です。歌人としては正岡子規の実質的な後継者として歌集『左千夫歌集』など優れた短歌・歌論を発表し『アララギ』を主宰。小説家としては歌集『左千夫歌集』などを執筆しました。1902年9月19日、師である正岡子規が死去し、長男・次男と相次ぐ別れと重なったことも契機となり「新仏教」の同人となり、特に新鸞聖人の教えに傾倒しました。さびしさの極みに堪へて天地(あめつち)に寄する命をつくづくと思ふ『左千夫全集』より<< 戻る 1913.07.30 仏教を本気で学ぶ年表
人物 伊藤博文(いとうひろぶみ) 武士、政治家。位階勲等爵位は従一位大勲位公爵。諱は博文。幼名は利助、後に吉田松陰から俊英の俊を与えられ、俊輔とし、さらに春輔と改名した。号は春畝で、春畝公と表記されることも多い。また小田原の別邸・滄浪閣を所持していたことから滄浪閣主人を称して落款としても用いた。周防国出身。長州藩の私塾である松下村塾に学び、幕末期の尊王攘夷・倒幕運動に参加。維新後は薩長の藩閥政権内で力を伸ばし、岩倉使節団の副使、参議兼工部卿、初代兵庫県知事(官選)を務め、大日本帝国憲法の起草の中心となる。内閣総理大臣(初・第5・7・10代)及び初代枢密院議長、初代貴族院議長、初代韓国統監、元老を歴任した。内政では、立憲政友会を... 1909.10.26 人物
人物 伊藤忠兵衛(いとうちゅうべえ) 初代 伊藤忠兵衛 は、日本の商人、実業家。伊藤忠商事・丸紅という2つの大手総合商社を創業し、多角的経営によって伊藤忠財閥を形成した。生誕 天保13年7月2日(1842年8月7日)命日 1903年(明治36年)7月8日<< 戻る 1903.07.08 人物
人物 岩崎弥太郎(いわさきやたろう) 実業家。三菱財閥の創業者で初代総帥。諱は敏(後に寛)、雅号は東山。別名を土佐屋善兵衛。彌太郎とも書く。「創業は大胆に、守成は小心たれ。 樽よりくむ水にまして、洩る水に留意すべし」「断じて投機的な事業を企つるなかれ」生誕 天保5年12月11日(1835年1月9日)命日 明治18年(1885年)2月7日<< 戻る 1885.02.07 人物
人物 岩倉具視(いわくらともみ) 公家、政治家。雅号は対岳。謹慎中の法名は友山。補職・位階・勲等は、贈・太政大臣贈・正一位大勲位。維新の十傑の1人。生誕 1825年10月26日(文政8年9月15日)命日 1883年(明治16年)7月20日<< 戻る 1883.07.20 人物
人物 伊東玄朴(いとうげんぼく) 江戸時代末期(幕末)から明治にかけての蘭方医。江戸幕府奥医師。名は淵。近代医学の祖で、漢方医が主流の中で、官医界における蘭方の地位を確立。伊東玄朴の墓は台東区谷中の天竜院にある。生誕 寛政12年12月28日(1801年2月11日)命日 明治4年1月2日(1871年2月20日)師天院素行然僕居士<< 戻る 1871.01.02 人物
人物 井伊直弼(いいなおすけ) 井伊直弼は、幕末の譜代大名。近江彦根藩の第15代藩主。幕末期の江戸幕府にて大老を務め、日米修好通商条約に調印し、日本の開国・近代化を断行した。また、強権をもって国内の反対勢力を粛清したが(安政の大獄)、それらの反動を受けて暗殺された(桜田門外の変)。 幼名は鉄之介、後に鉄三郎。諱は直弼。生誕 文化12年10月29日(1815年11月29日)命日 安政7年3月3日(1860年3月24日)宗観院柳暁覚翁<< 戻る 1860.03.03 人物
人物 伊能忠敬(いのうただたか) 江戸時代の商人・天文学者・測量家である。通称は三郎右衛門、勘解由。字は子斉、号は東河。 寛政12年から文化13年まで、17年をかけて日本全国を測量して『大日本沿海輿地全図』を完成させた。生誕 延享2年1月11日(1745年2月11日)命日 文化15年4月13日(1818年5月17日)有功院成裕種徳居士(観福寺-千葉県香取市)<< 戻る 1818.04.13 人物
人物 稲村三伯(いなむらさんぱく) 江戸時代後期の蘭学者。幼名は龍介、名は箭、字は白羽。号は原昆堂、白髪書生。 石井庄助、宇田川玄真らの協力で、ハルマの蘭仏辞典を基に寛政8年日本最初の蘭和辞典『ハルマ和解』を完成させる。生誕 宝暦8年(1758年)命日 文化8年1月16日(1811年2月9日)<< 戻る 1811.01.16 人物
人物 伊藤若冲(いとうじゃくちゅう) 江戸時代の画家。名は汝鈞(じょきん)、字は景和(けいわ)。斗米庵(とべいあん)、米斗翁(べいとおう)、心遠館(しんえんかん)、錦街居士とも号す。代表作品・『動植綵絵』の内「群鶏図」「池辺群虫図」・日出鳳凰図(にっしゅつ ほうおうず)絹本着色。日出の旭日を背に飛翔する鳳凰。米国、ボストン美術館蔵。・隠元豆 玉蜀黍図(いんげんまめ とうもろこしず)紙本墨画、2幅。和歌山県、草堂寺蔵。・糸瓜群虫図(へちまぐんちゅうず)絹本着色、1幅。実る糸瓜に飛蝗や蝸牛など様々な虫が戯れる。京都の細見美術館が所蔵。・風竹図(ふうちくず)絹本墨画、1幅。京都、細見美術館蔵。・旭日鳳凰図(きょくじつ ほうおうず)絹本着... 1800.09.10 人物
人物 池大雅(いけのたいが) 江戸時代の文人画家 、書家。幼名は又次郎など。諱は勤、無名、字は公敏、貨成。日常生活には池野 秋平の通称を名乗った。雅号は数多く名乗り、大雅堂、待賈堂、三岳道者、霞樵などが知られている。 妻の玉瀾も画家として知られる。弟子に木村兼葭堂などがいる。与謝蕪村と共に、日本の南画の大成者とされる。生誕 享保8年5月4日(1723年6月6日)命日 安永5年4月13日(1776年5月30日)<< 戻る 1776.04.13 人物
人物 石田梅岩(いしだばいがん) 江戸時代の思想家、倫理学者。石門心学の開祖。諱は興長。通称、勘平。丹波国生まれ。小栗了雲門下。在野(民間研究者)上がりの学者である石田を無学で文字に疎いと批判した者に対し、「文字がなかった昔に、忠孝はなく、聖人はいなかったとでもいうのか。聖人の学問は行いを本とし、文字は枝葉なることを知るべし」といい、自ら徳に至る道を実行せず、ただ文字の瑣末にのみ拘泥しているのは「文字芸者という者なり」と痛烈に反論した。生誕 貞享2年9月15日(1685年10月12日)命日 延享元年9月24日(1744年10月29日)<< 戻る 1744.09.24 人物
人物 市川團十郎(3代目)(いちかわだんじゅうろう) 三代目 市川 團十郎は享保期の歌舞伎役者。屋号は成田屋。定紋は三升(みます)。 享保6年 (1721) 生まれ。父は初代團十郎の高弟初代三升屋助十郎。生誕 享保6年(1721年)命日 寛保2年2月27日(1742年4月2日)<< 戻る 1742.02.27 人物
人物 市川團十郎(初代)(いちかわだんじゅうろう) 初代 市川 團十郎は、元禄歌舞伎を代表する江戸の役者。立役を得意とし、荒事芸を歌舞伎に導入した。團十郎が考案した見得は「元禄見得」と呼ばれる。生誕 万治3年(1660年)命日 元禄17年2月19日(1704年3月24日)<< 戻る 1704.02.19 人物