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耕雲寺-東京都世田谷区

・耕雲寺 曹洞宗 東京都世田谷区砧7-12-22安永5年・1776年、旗本の頭領であった水野十郎左衛門が非業の死をとげた事から、水野十郎左衛門の菩提を弔う為に、愛妾が出家をし「釣月」という法名を頂き、この耕雲寺(当時の名称は耕雲軒)を開創したものです。以前は新宿角筈に草庵をかまえていましたが昭和20年に戦禍を受け本堂伽藍を一切消失し、昭和27年に世田谷砧の地に移転しました。(リンク先より) << 戻る
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徳願寺-兵庫県神戸市西区

・徳願寺 浄土真宗本願寺派 兵庫県神戸市西区押部谷町西盛617徳願寺は、安永元年(1772年)に創建されたと伝えられている、創建240年以上の歴史ある古刹です。(リンク先より) << 戻る
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常念寺-神奈川県川崎市麻生区

・常念寺 浄土真宗本願寺派 神奈川県川崎市麻生区栗木203戦国時代の永禄元年に現在地に創建され、江戸時代中期に火災の為焼失し明和年間(一七六四~一七七一)に再建されたものである。江戸時代建立の寺院建築物は戦災等の為、川崎市内には数少なく当寺のように典型的な江戸時代の寺院の様式を残しているものは珍しく貴重なものと言われている。(リンク先より) << 戻る
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済法寺-広島県尾道市

・済法寺 曹洞宗 広島県尾道市栗原東1-15-6宝暦三年(1753) 広島国泰寺十一世笑堂行契和尚〔宝暦十三年(1763)八月十五日遷 化〕が広島藩より扶持を得て木ノ庄町木門田に隠居し三原宗光寺の末寺の西宝寺に住していた。宝暦六年(1756)三月十七日、宗光寺十三世眞猊行達和尚〔天明二年(1782)二月六日遷化〕より寺号を譲られ末寺を離れ、同八年(1758)に下総國葛飾郡幸手領下野村瑞光寺開山 穏之道顯和尚が笑堂行契和尚が本師となるため同寺の末寺となった。栗原村樋口屋又兵衛の寄進をうけ、同九年(1759)閏七月十三日免許を得て現在地に移転し、旧本堂を建立す。笑堂行契大和尚を開山と仰ぎ、広島藩五...
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本要寺-三重県名張市

・本要寺 真言律宗 三重県名張市さつき台1-137本要寺は、1756年(宝暦6年)浪速(現在の大阪市)の地に創建されました。第二次世界大戦にて本堂は戦災にあいましたが、本尊である愛染明王様を疎開することによって難を脱しました。その後、ご縁があって昭和60年前に前住職光明によって現在の三重県名張市に移築され、現在に至っております。(リンク先より) << 戻る
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泰聖寺-大阪府大阪市天王寺区

・泰聖寺 西山浄土宗 大阪府大阪市天王寺区下寺町2-4-10当山は、宝暦五年(1755)紹空哲山惠隆上人による創建にて以来、山城(京都府長岡京市)柳谷観音大阪霊場として信を集め、境内に湧出する「金龍水」「銀龍水」は大阪七名水のみならず「眼病にご利益あり」の評判高く、また「明治天皇御用水」の栄を授かるに至り注目を集めた。(リンク先より) << 戻る
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善光寺-新潟県新潟市中央区

・善光寺 浄土真宗本願寺派 新潟県新潟市中央区稲荷町3460善光寺の開山は宝暦4年(1754年)。現在、善光寺は浄土真宗本願寺派の寺院として存在していますが、ルーツは長野にある善光寺と深いつながりのある寺。本尊は浄土真宗の御本尊「阿弥陀如来」と長野善光寺の御本尊「一光三尊阿弥陀如来」の分身像が安置されています。<< 戻る
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東光寺-宮城県名取市

・東光寺 真言宗智山派 宮城県名取市下増田字丁地233真言宗 智山派 東光寺の敷地には宝篋印塔があり、以前、増田後島と下増田本村の境近くにあったもので、現在の東光寺境内に移設されたと言われています。塔は、高さ234cmで、塔身部に「金剛界四仏」の種子(不空成就如来、阿弥陀如来、宝生如来、阿閃如来)と、基礎部に「宝篋印陀羅尼経」の経文を四面に彫られている供養塔です。寛延4年(1751)の銘があり、江戸中期の現存する宝篋印塔としては、県内でも大型な石造物となっています。(リンク先より) << 戻る
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常現寺-青森県八戸市

・常現寺 曹洞宗 青森県八戸市小中野6-25-8寛延元年(1748)、常現寺の前身である梅翁庵は、下北郡大畑村の曹洞宗円祥山大安寺三世寿仁州関大和尚により、宿庵として大畑村関根橋に開庵された。(リンク先より) << 戻る
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朝日寺-岡山県瀬戸内市

・朝日寺 高野山真言宗 岡山県瀬戸内市邑久町庄田12071739年建立。廃寺復興の際には、1728年に客殿が先に建てられました。 その後1734年に本尊薬師如来が修復され、本尊様をきちんとお祀りするべく、 さらにその5年後にこの本堂が建立されました。(リンク先より) << 戻る
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広徳寺-北海道北斗市

・広徳寺 曹洞宗 北海道北斗市中央2丁目3−141736年 広徳寺は江戸時代からある曹洞宗のお寺です。高龍寺十一世華重禅海大和尚(けじゅうぜんかい だいおしょう)によって、元文元年5月10日に創立されました。当時は観音様のお寺として、観音庵と称され地域から親しまれてきました。(リンク先より) << 戻る
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江岸寺-岩手県上閉伊郡

・江岸寺 曹洞宗 岩手県上閉伊郡大槌町末広町10-11江岸寺の開山は、盛岡市にある法恩寺第三世幸岳東慶大和尚ですが、元文元年(一七三六)以来、再三の火災により本堂、講堂、什宝物、過去帳、古文書等、ほとんど焼失しているため由来を知ることが困難です(リンク先より) << 戻る
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楷定寺-大阪府高石市

・古今山 楷定寺 浄土真宗本願寺派 大阪府高石市取石2-24-11江戸時代中期の元文年間(一七三六〜一七四〇年)陽柳法師により創建せれたと伝えられています。現在の本堂は、江戸時代後期の文化十年(一八一三年)に建立されました。本尊の阿弥陀如来立像は、江戸時代に制作され、高さ六一・五㎝の寄木造りです。(リンク先より) << 戻る
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西代寺-兵庫県神戸市長田区

・西代寺 東寺真言宗 兵庫県神戸市長田区神楽町6-7-18創建年代は、お寺に古くからお祀りされている弘法大師像の裏面に享保19年(1734年)に造立と記されていることから、おそらく江戸時代中期にお寺が建立されたと推測致しますが、宥岳大和尚入寺前の寺号等については度重なる災害等で記録を無くし、不詳でございます。(リンク先より) << 戻る
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渭信寺-愛知県岡崎市

・黄梅山 渭信寺 曹洞宗 愛知県岡崎市上衣文町字神五鞍30そぶみ観音 渭信寺は、享保十八年(西暦一七三三年)八月、三河路で初めてのご祈祷寺として開かれました。当寺のご本尊は運慶作と伝えられ、そもそもは加賀百万石(今の金沢市)の藩主、前田利家公の守り本尊だったと言われています。その御神体を当時前田家と縁の深かった、金沢大乗寺の三十一代目のご住職、智燈照玄和尚様が隠居される時に、この地へ移されました。それが、このお寺の始まりというわけです。(リンク先より) << 戻る
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西永寺-新潟県十日町市

・西永寺 真宗大谷派 新潟県十日町市上野甲87西永寺(さいえいじ)は、新潟県十日町市にある1727年(享保12年)創建の真宗大谷派の寺院。 1835年(天保6年)焼失後、1848年(嘉永元年)に再建される。(リンク先より)・西永寺 - Wikipedia
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祥福寺-香川県高松市

・祥福寺 曹洞宗 香川県高松市西春日町1626祥福寺は江戸時代、初代高松藩主松平頼重公に招かれた鶴洲和尚を開山とし、享保十一(1726)年二代藩主頼常公の時に禅宗の一派である黄檗宗本山満福寺の末寺・瑞亀山祥福寺として宮脇邑(現宮脇町)に創建された後、曹洞宗に改宗されました。(リンク先より) << 戻る
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向陽寺-熊本県上天草市

・向陽寺 曹洞宗 熊本県上天草市松島町合津2856九州三十三観音霊場二十一番札所 松島慈光観音 開基 天光丹瑞和尚 建立 享保8年向陽寺は熊本県天草の松島、風光明媚な雲仙天草国立公園の一角にあります。 当山は、旅の僧、悟室宗舜上座により観音様のお堂が建てられたとされています。(リンク先より)※享保8年 1723年 << 戻る
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華厳寺(鈴虫寺)-京都府京都市西京区

・華厳寺(鈴虫寺) 臨済宗永源寺派 京都府京都市西京区松室地家町31秋だけでなく、四季を通じて鈴虫の音色を聞くことのできる境内。それゆえ「鈴虫寺」の名で親しまれている当寺ですが、正式な名称は「妙徳山 華厳寺(みょうとくざん けごんじ)」といいます。華厳寺は江戸時代中期の享保8年(1723)、華厳宗の再興のために鳳潭上人(ほうたんしょうにん)によって開かれ、現在は臨済宗に属する禅寺となっています。(リンク先より) << 戻る
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報恩寺-奈良県宇陀市

・報恩寺 浄土宗 奈良県宇陀市大宇陀区大東45当、報恩寺は、享保6年6月2日、開基裕誉智圓尼の創始によるものであり、詳しい縁起は残されていないのですが、大宇陀のお墓守のお寺としての役割を果たしております。そして、昭和17年の宗教団体法が施工されるに当たり、同年10月18日付で浄土宗 総本山知恩院の末寺として承認され、今日に至ります。(リンク先より)※享保6年 1721年 << 戻る
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安城寺-愛媛県松山市

・安城寺 黄檗宗 愛媛県松山市朝美2-5-16安城寺は、享保5年(1720年)徳川8代将軍吉宗のとき、松平定英が松山城主となり、享保8年(1723年)松山城と城下町が安泰でありますようにとの願いから「安城寺」と名付け、石門和尚により開山されました。(リンク先より) << 戻る
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養平寺-埼玉県熊谷市

・養平寺のホームページ 真言宗霊雲寺派 埼玉県熊谷市原島1192当山は「真言宗霊雲寺派有應山浄圓院養平寺」と称し享保五年七月二十四日、天下泰平・国家安全を祈念し新発田藩七代目藩主の溝口出雲守直温公により創建されました。東京都文京区湯島の霊雲寺を総本山とし、創建から霊雲寺派として宗祖弘法大師並びに派祖浄厳大和尚の法灯を灯す真言宗の寺院です。(リンク先より)※享保五年 1720年 << 戻る
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本龍寺-富山県高岡市

・本龍寺 浄土真宗本願寺派 富山県高岡市末広町1005浄土真宗本願寺派 光慶寺11代了寿の2男恵仁が、享保4年(1719)5月、佐賀野村で一宇を建立して本龍寺と称した。享保15年(1730)6月、本寺の光慶寺が移転したので、これに応じて鴨嶋村(現博労)へ移った。明治の大火の後、明治30年6月再び高岡市末広町に移転して現在に及んでいる。(リンク先より) << 戻る
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日本橋西河岸地蔵寺教会-東京都中央区

・日本橋西河岸地蔵寺教会 単立 東京都中央区八重洲1-2-51718年に地蔵堂を建立し正徳院と称していましたが、東京の空襲で燃えてしまい、昭和24年に現在の名称に変えて再建されました。現在のお堂は昭和52年に建て替えられたものとのことです。この寺院には行基菩薩が彫刻した地蔵菩薩像があり、至心で祈願すれば日ならずしてご利益を授かることから「日限地蔵尊」と呼ばれています。<< 戻る
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総持院-愛知県岡崎市

・総持院 臨済宗東福寺派 愛知県岡崎市岡町字西野々宮17開創は享保三年(1718)、開山は唱宗和尚である。本尊様は阿弥陀如来坐像、鎮守様は秋葉山大権現。800年程前にあった薬師堂を基に開かれた寺院である事から、山号を「薬王山」とされている。(リンク先より) << 戻る
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永平寺別院長谷寺-東京都港区

・永平寺別院長谷寺 曹洞宗 東京都港区西麻布2-21-34かつて「渋谷が原」と呼ばれたこの地には、古くから観音堂が建ち、奈良の長谷寺の観音さまと同木で造られたという、小さな観音さまが祀られ、人々に親しまれていました。時流れて徳川家康公開府の後、この観音堂を基に補陀山長谷寺が開かれました。家康公の幼馴染みでもあった高僧、門庵宗関大和尚(もんなんそうかんだいおしょう)をご開山に2万余坪の寺領を賜ったと伝えられます。正徳6年(1716年)2丈6尺の大観音を建立。古仏は尊像の体内にお納めし、江戸屈指の観音霊場・江戸観音霊場第22番札所として尊崇(そんすう)を集めました。(リンク先より) << 戻る
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蓮華寺-兵庫県養父市

・蓮華寺 高野山真言宗 兵庫県養父市大屋町夏梅682帰命山安養寺とし開創。江戸時代の慶長~元和頃に藤堂高虎公栃尾谷城本居館跡地に重塔を移築改装し赤堂とする。栃尾山蓮華寺と名を改める。元禄年間に帰農した元高虎家臣の子息が津藩に仕官。それに伴い、山号抹消。享保年間に、西谷山 蓮華寺と再興す。(リンク先より)※享保年間 1716年から1736年 << 戻る
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法眼寺-静岡県賀茂郡

・法眼寺 臨済宗建長寺派 静岡県賀茂郡西伊豆町仁科860-1かつては仁科の安城山麓にあった法眼庵という小さな庵でしたが、海濤により大破、荒廃しました。 享保年間にこの地を修行で通りかかった僧・幽厳が法眼庵と堂ヶ島の走嶋山長平寺の荒廃を嘆き、二院を合併して正島山法眼寺としました。(リンク先より)※享保年間  1716年から1736年 << 戻る
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木山寺-岡山県真庭市

・木山寺 高野山真言宗 岡山県真庭市木山1212木山寺、木山神社はもとは神仏習合で、木山宮(きやまぐう)として、多くの人々の信仰を集めてきましたが、明治時代の神仏分離政策によって、木山寺と木山神社に別れました。 ご本尊は、医王の霊薬をもってあらゆる衆生の病気や迷いを救われる薬師如来。鎮守神の木山牛頭天王は薬師如来の化身で、除災招福の大願を成就されています。善覺稲荷大明神は、ご本地十一面観音の化身で、正徳年間(1714年)京都伏見稲荷より勧請された明神様です、勧請し祀った僧が善覺という名僧で、その徳を称えて善覺稲荷と呼ぶようになりました。(リンク先より)<< 戻る
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仏心寺-岡山県岡山市中区

・仏心寺 単立 岡山県岡山市中区湊449正徳四年(1714年)年岡山藩主池田綱政の姉(一条右大臣教輔夫人)の発願による建立と伝えられる当寺院には、池田家縁のものが残されています。写真の門、鬼瓦にも池田家の家紋である蝶の紋が施されています。(リンク先より) << 戻る
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達身寺-兵庫県丹波市

・達身寺 曹洞宗 兵庫県丹波市氷上町清住259この寺は、行基菩薩によって開かれたと言われ、宗派は天台か真言系であっただろうと思われる。寺名は不明である。正徳二年(一七一二)に竹雲堤山和尚(ちくうんていざんおしょう)の発願により師である円通寺(氷上町御油)二十五世大庵清鑑和尚(だいあんせいかんおしょう)を開山とし、禅宗の中の曹洞宗として火を灯し現在に至っている。又、寺名についていは、十九山の達身堂(たるみどう)を本堂としてこの地に移した為、十九山達身寺(じゅうくさんたっしんじ)と名付けられたのである。(リンク先より) << 戻る
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西法寺-秋田県横手市

・西法寺 曹洞宗 秋田県横手市平鹿町上吉田吉田51正徳二年(1712年) 六世安山楚宅代に、安叟派(海蔵寺を本寺とする末・孫寺)に対して報恩山善福寺を門首と定め、本寺の代行を命ずる文書が届く。(リンク先より) << 戻る