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徳成寺-香川県高松市

・徳成寺 真宗大谷派 香川県高松市番町2-13-25慶長14年・1609年、ちょうど江戸時代が始まった頃、利慶さんというお坊さんがお寺を建てました。そのお寺が徳成寺です。それ以来、高松藩のお殿様、松平家のおかかえ寺になり、お米をもらったり、佛事にも呼ばれてお勤めしていたようです。(リンク先より) << 戻る
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オランダの商館を平戸におき、オランダと貿易を始める

1609年、オランダの商館を平戸(長崎県)におき、オランダと貿易を始める。<< 戻る
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禅台寺-岐阜県可児市

・禅台寺 臨済宗妙心寺派 岐阜県可児市下惠士2838-1禅台寺は法源寺である真禅寺の開山、純庵和尚が約700年前に草庵を建てたのが始まりとされる後に慶長13年(1608)徳野に封ぜられた平岡石見守が開基して菩提寺とした。その後久しく荒廃するが、元禄2年(1689)真禅寺第10世南栄和尚を招き、元禄7年(1694)哲叟和尚が諸堂を再建する。(リンク先より) << 戻る
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森巖寺-東京都世田谷区

・森巖寺のホームページ 浄土宗 東京都世田谷区代沢3-27-1江戸から遠く離れた越前での臨終に際して秀康公は、一乗院住職万世和尚に自分の死後に江戸の地に一寺を建立し、自らの位牌所とせよと命じました。この遺命を託された万世和尚が高齢だったため、弟子の清譽存廓上人に託して、慶長13年(1608年)に當寺を開山。その建立にあたっては隣接する北沢八幡 別当寺とし、森巖寺一帯は天領となりました。そしてその八幡を山号、秀康公の法名浄光院殿森巖道慰運正大居士にちなんで浄光院を院号寺号として、八幡山浄 光院森巖寺と命名されました。(リンク先より) << 戻る
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晧臺寺-長崎県長崎市

・晧臺寺 曹洞宗 長崎県長崎市寺町1海雲山 晧臺寺は、今からおよそ400年前、慶長13年(1608)、 肥前国松浦郡山口村(佐世保市相浦町)飯盛山洪徳寺の七世であった亀翁良鶴により創建されました。当時、長崎は領主をはじめ住民の殆どがキリシタン信者であり、仏法復興のために奮闘した亀翁の苦心は想像に余りあるものでした。 慶長18年(1613)、キリシタン禁教例の発令により全盛を誇ったキリシタンにも次第にかげりが見え始めました。 そこで亀翁は、後任に肥前国上佐嘉春日村(佐賀県佐賀郡大和町)玉林寺住持一庭融頓を迎え、その法席を譲りました。(リンク先より) << 戻る
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法龍寺-愛媛県松山市

・法龍寺 曹洞宗 愛媛県松山市柳井町3-8-14法龍寺の開創は松山藩松平家初代藩主松平定行が掛川城に入城した1607年(慶長12年)ごろまで遡る事が出来ます。掛川領内に永興院という寺院があり、定行公はその住職 建庵順佐和尚(法龍寺開山)を城に招いたり、自ら永興院を訪ねたりして深く帰依したと「法龍寺歴代記」にあります。(リンク先より) << 戻る
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西方寺-和歌山県田辺市

・西方寺 浄土宗 和歌山県田辺市古尾25-3開基年代は不詳ですが、慶長12年(1607年)に賢譽上人が西の谷御所谷(現在の田辺市上の山)から現在の地に移され、中興上人となられました。(リンク先より) << 戻る
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龍顔寺-長野県上田市

・龍顔寺 曹洞宗 長野県上田市生田4659当寺は慶長12年(1607年)真田宮内之助高勝公(附系図参照)の菩提寺として、信州上田城主、真田信之公の朱印状により開創されました。高勝は信光とも称し、上田城主、真田昌幸公の弟にして、幸村はその甥に当たります。開山は葉山存荷大和尚(1620年示寂)であり、甲府市恵運院二世光厳東旭大和尚の二番弟子です。兄弟子は松山存宿大和尚といい、上田市大輪寺の開山大和尚です。(リンク先より) << 戻る
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善教寺-大分県佐伯市

・善教寺 真宗大谷派 大分県佐伯市城下東町5-4寺号としての善教寺はそのもとを15世紀にまで遡る資料があります。真宗寺院として東本願寺の末寺となったのは、1607年です。(リンク先より) << 戻る
仏教を本気で学ぶ

後陽成天皇八宮を門跡に定める

1607年(慶長12年)、後陽成天皇の第八皇子として誕生された良純入道親王(通称は八宮)は5歳の時に知恩院門跡に定められる。知恩院初代門跡。<< 戻る
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光照寺-福井県福井市

・光照寺 天台宗 福井県福井市花月1-1-261)旧本尊(開創時~一乗谷時代)阿弥陀如来像2)本 尊(手違いの阿弥陀如来立像)3)足引きの釈迦如来4)聖観世音菩薩5)福井大仏観音(昭和31年開眼)*西山光照寺の福井移転は慶長11年(1606年) (リンク先より) << 戻る
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徳常寺-千葉県君津市

・玉龍山 徳常寺 曹洞宗 千葉県君津市上湯江980貞元村上湯江にあり玉龍山と号す。境内百参拾九坪、西南に丘陵を繞らし北方には雑樹鬱蒼として茂り風致佳にして高燥の地なり。本尊は阿彌陀如來にして丈四尺餘、僧源信の作と云ふ。境内に藥師堂あり、藥師佛を安置す。丈壹尺、同じく源信の作と傳ふ。宗派は曹洞宗にして最勝福寺の末寺なり。天正八年の田地畑道改帳に本寺の名を載す。傳へ云ふ、慶長十一年再興、元和六年七月十二日、中興開山を武準昌藝とす。寳永五年二月、凉山久清再建すと。(リンク先より)※慶長十一年 1606年 << 戻る
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称念寺-京都府京都市上京区

・称念寺 浄土宗 京都府京都市上京区寺ノ内通浄福寺西入上る西熊町275嶽誉(がくよ)上人が陸奥国土浦城主松平信吉公の帰依をえて慶長11年(1606年)に建立されました。信吉公は元和6年(1620年)に没し、当寺に葬られています。信吉公と徳川家康公は義兄弟に当たり、当寺の寺紋は三ツ葵が許されました。三代目の住職の猫の恩返しでお寺が復興した伝説があります。(リンク先より) << 戻る
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吉祥寺-静岡県静岡市駿河区

・吉祥寺 曹洞宗 静岡県静岡市駿河区中田本町26-8慶長10年(1605)に千手観世音菩薩尊を御本尊として沓谷長源院第七世在川見昨大和尚により開山されました。大和尚は、夢枕に毘沙門天を見られ、そのお姿を自ら彫刻されました。(リンク先より) << 戻る
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徳川家康が将軍職を秀忠にゆずる

1605年、徳川家康が、将軍職を秀忠にゆずる。<< 戻る
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大龍寺-福島県西白河郡

・大龍寺 曹洞宗 福島県西白河郡西郷村大字羽太字狸屋敷164安良勘解由使という当時の有力者の寄進を受けて、覚法という僧によって開かれた長福寺(宗派不明)が、白河市表郷番沢の峰全院八世榮室宗悦(えいしつそうえつ)禅師(慶長9年5月25日示寂)によって曹洞宗大龍寺として現在の地に再興されたと伝えられています。開創の時期は、古い記録が火災で焼失してわかっていませんが、推定で830年以上の歴史があります。(リンク先より)※慶長9年 1604年 << 戻る
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品秀寺-広島県広島市安芸区

・品秀寺 浄土真宗本願寺派 広島県広島市安芸区畑賀2-2-16ご本尊は阿弥陀如来さま。慶長7年(1604)に浄土真宗の寺と再興された時のご本尊は、 蓮如上人直筆の『六字名号』(軸)でしたが、本堂が再建されてからは、阿弥陀如来さまのお木像です。 内陣修復として、ご本尊が安置される宮殿(くうでん)ならびに柱回りは、彩色が完全な形で仕上げられました。(リンク先より) << 戻る
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隨泉寺-広島県広島市安芸区

・隨泉寺 浄土真宗本願寺派 広島県広島市安芸区中野東7-27-30慶長9年(1604年)今からほぼ400年前、僧恵閑(えかん)なる人により開基されました。恵閑師は、賀茂郡熊野跡村(現・広島市安芸区阿戸町)の薬師堂におられ、隨泉寺の前身湯原山法専寺に入寺されました。湯原山法専寺は 真言宗の道場であり、場所は現在の井原地区変電所の付近にあったと言い伝えられています。(リンク先より) << 戻る
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知恩院、青蓮院の一部を与えられ寺地堂舎を造堂

1604年(慶長9年)、徳川家康が母・伝通院(でんつういん)の菩提寺に決めたことから江戸幕府からの援助を受けるようになり、青蓮院の敷地の一部を与えられ、寺地堂舎が造堂されました。<< 戻る
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正蓮寺-静岡県伊豆の国市

・正蓮寺 真宗大谷派 静岡県伊豆の国市南江間930法栄山正蓮寺は、1603年開山より400年間法灯を繋ぎ、宗祖親鸞聖人が感動された念仏のみ教えを、現代の世情に合った形で伝えていく寺院です。(リンク先より) << 戻る
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浄蓮寺-福岡県行橋市

・浄蓮寺 浄土真宗本願寺派 福岡県行橋市大橋2-4-6慶長 8年(1603) 小倉城下町縄張りにて浄蓮寺本堂建立、浄喜寺二世(村上壱岐守)良祐を開基とする。慶長10年(1608) 本願寺より亀谷山浄蓮寺の寺号下る。(リンク先より) << 戻る
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大雄院-京都府京都市右京区

・大雄院 臨済宗妙心寺派 京都府京都市右京区花園妙心寺町52大雄院(だいおういん)は、大本山妙心寺山内の北に位置し、慶長八年(1603年)石河紀伊守光元(竜野城主)の長子石河市正光忠(のちの尾張藩名古屋城代 太郎八当時9歳)により父光元公の菩提を弔うために菩提所として創建されたもので、慧南玄譲を開祖とする。慧南玄譲は光忠の叔父にあたり、石河氏の菩提寺美濃乙津寺、二世蘭叔玄秀の法孫であって、慧南は蘭叔玄秀を当院の歓請開山としています。(リンク先より) << 戻る
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興禅寺-埼玉県三郷市

・興禅寺 曹洞宗 埼玉県三郷市幸房1071慶長8年(西暦1603年)、現在の千葉県松戸市中金杉の廣德寺9世 快笑梵せき大和尚により開かれました。開基は江戸京橋竹町(屋号)長門屋の当主である楢崎庄兵衛氏。(リンク先より) << 戻る
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徳川家康が征夷大将軍となり、江戸幕府を開く

1603年、徳川家康が征夷大将軍となり、江戸幕府を開く。<< 戻る
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出雲の阿国が歌舞伎踊りを始める

1603年、出雲(島根県)の阿国が歌舞伎踊りを始める。<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

興聖寺派(本山興聖寺(京都))の開派

慶長8(1603)年、虚応円耳禅師により始まる。臨済宗興聖寺派(楊岐派の禅)。<< 戻る
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知恩院に寺領七百三石余

1603年(慶長8年)、徳川家康が知恩院を永代菩提所と定め、寺領七百三石余を寄す。<< 戻る
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圓應寺-福岡県福岡市中央区

・圓應寺 浄土宗 福岡県福岡市中央区大手門3-1-71602年4月(慶長7年)4月、福岡藩の始祖黒田如水(黒田官兵衛孝高)公の夫人、照福院殿(光姫)君が初めて寺院を開基し、黒田如水の本尊阿弥陀如来像(快慶作)寄進を受け、天蓮社眞譽上人見道大和尚を呼び寄せ開山。黒田家の菩提寺とした。(リンク先より) << 戻る
仏教を本気で学ぶ

徳川家康、教如に京都烏丸七条の寺地を寄付(東西本願寺分立)

1602(慶長七)年2月、徳川家康、教如に京都烏丸六条の寺地を寄付(東西本願寺分立)。東西本願寺分立に至るまでの大きな分岐点としては、1591(天正十九)年、豊臣秀吉の京都市街経営計画にもとづいて本願寺は再び京都に帰ることとなり、顕如上人は七条堀川の現在地を選び、ここに寺基を移すことに決められた。阿弥陀堂・御影堂の両堂が完成した1592(文禄(ぶんろく)元)年、上人は積年の疲労で倒れられ、50歳で往生された。長男・教如(きょうにょ)上人が跡を継がれたが、三男の准如(じゅんにょ)上人にあてた譲状(ゆずりじょう)があったので、教如上人は隠退して裏方(うらかた)と呼ばれた。これには大坂本願寺の退去に...
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法音寺-大分県臼杵市

・法音寺 日蓮宗 大分県臼杵市二王座18組慶長七年(1602年)臼杵城城主、稲葉一通公が、小倉城主である細川忠興公の姫君を正室に迎えるため、その菩提寺として建立されました。その姫の名は「たら」徳雲院殿と申し、母親は細川ガラシャ(明智光秀公の娘)です。また、世界中に仏舎利塔を建立した、藤井日達上人が出家された寺院でもあります。(リンク先より) << 戻る
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開闡寺-岐阜県大垣市

・開闡寺 真宗大谷派 岐阜県大垣市伝馬町11慶長けいちょう7年(1602)、本願寺ほんがんじの東西分派とうざいぶんぱのおり、安八郡三塚の真徳寺しんとくじ(現大垣市・西派)栄寿は、不破郡平尾に真徳寺を別立して東派に属した。その後、栄寿は大垣城主石川忠総から寺地を寄進され、大垣市中町に掛所かけしょを創建そうけんした。これが大垣別院の始まりである。 寛永かんえい元年(1624)3月、大垣藩主岡部長盛が大垣の町割りを再編するのに伴い、替地三反を得て真徳寺掛所は伝馬町に移った。(リンク先より)<< 戻る
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明宗寺-島根県松江市

・明宗寺 浄土真宗本願寺派 島根県松江市寺町122慶長年間に開山されており、出雲地方で最も古くから浄土真宗寺院として開かれた寺院といわれています。また、明宗寺という寺号は慶長7年(1602)に本山より拝領されたものと記録されています。開基(初代)は僧・顕俊。摂州西成郡中島草刈の村・定専庄三番坊第4世了顕の弟で、俗名は楠木右京之進正俊といい、楠木正成の6代後の子孫にあたります。(リンク先より) << 戻る