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長円寺-長野県茅野市

・長円寺 真言宗智山派 長野県茅野市玉川11373当山は慶安二年(1649)、武田慶尊法印が高野山金剛頂院の法流を相続して開山、要穴山胎蔵院長圓寺と号した。境内地は諏訪藩二代藩主諏訪忠恒公より新田村として開かれた穴山の地である。(リンク先より) << 戻る
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文殊院-茨城県かすみがうら市

・文殊院 真言宗智山派 茨城県かすみがうら市下志筑675慶安2年(1649)、宥圓上人が真言宗寺院として再興したことをもって中興開山としていますが、慶長7年(1602)の古文書に、常源寺(当院の正式名称は豊森山常玄寺文殊院)という名前があることから、真言宗になる以前の寺院があったと思われます。(リンク先より) << 戻る
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慶安の御触書

1649年、慶安の御触書が出される。農民の取りしまり。<< 戻る
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東陽院-東京都中央区

・東陽院 日蓮宗 東京都中央区勝どき4-12-9慶安元年(1648年)、浄源院日隆によって開山されました。もとは浅草永住町(現・東京都台東区東上野)にあった善立寺(現在は足立区に移転)の塔頭でしたが、1923年(大正12年)9月1日の関東大震災で焼失したため、善立寺から分離独立して、現在地に移転しました。江戸時代の戯作者で『東海道中膝栗毛』の作者として知られている十返舎一九の墓碑があります。 << 戻る
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善正寺-京都府木津川市

・善正寺 真言宗御室派 京都府木津川市山城町上狛巽町10百済より奉納された釈迦如来像と経典が、山城の地の草室へ納められたとされます。これが、日本列島最古の寺院の一つとされる高麗寺の発祥と推定されます。欽明天皇崩御の後、即位した敏達天皇は高句麗と国交を開かれ、山城の地に伽藍境内を造立して高麗寺と名付けられたとされます。高句麗より渡来した氏族・狛氏がこの地に居住したことから、この地域は現在も上狛と称されていると考えられています。平安時代の天長4年(827年)頃に最盛期を迎えた高麗寺の境内は、大金堂、南大門、大講堂、八宗教院四季講堂、法華堂、常行堂、皇太子殿、祖師堂、勧学院論義堂、開山堂、五重塔など...
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萬福寺-長崎県長崎市

・萬福寺 真言宗御室派 長崎県長崎市旭町23-27正保4年(1647)創立今の淵神社上の山を妙見嶺又は虚空藏峰とも云う。伝説によれば、ここは元神宮寺の支院であった所で、寺は麓なる海岸にあって、そこには弁財天の祠を設け、山頂には虚空藏菩薩と玄武神とを祀り之を妙見と云った。これが山の名の起こりである。山の一名を寳山と云い、後また寳珠山とも云うた。この峰が茂り鮮やかでその形が寳珠に似て居たからであると云う、意味のことが長崎圖史に書いてある。(リンク先より) << 戻る
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萬行寺-長崎県西彼杵郡

・萬行寺 真宗大谷派 長崎県西彼杵郡時津町浜田郷1411612年(慶長17年)、秀吉による「切支丹(キリシタン)禁令」が発令されたことにより、大村藩内は仏法の興隆の地となっていた。その動きの中、1647年(天保4年)真宗専念山正法寺(大村藩)の末寺として、松浦(佐賀)出身の御厨左馬之助/みくりや さまのすけ (釈道夢)により開基された。 道夢は小島(現在地より100m位の地)に仏像を安置し庵を設け、真宗の法を広め庶民の強化に励んだ。その後三世了閑(りょうかん)により、1666年(寛文6年)、現在地に堂を移し、一尺八寸の阿弥陀如来を西本願寺より免許され本堂と庫裏を建立。1683年(天和3年)に「...
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沢庵宗彭(たくあんそうほう)

沢庵宗彭とは、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての臨済宗の僧侶です。大徳寺住持。諡の普光国師は、300年忌にあたる昭和19年(1944年)に宣下されました。号に東海・暮翁などがあります。但馬国出石(現兵庫県豊岡市)の生まれで、紫衣事件で出羽国に流罪となり、その後赦されて江戸に萬松山東海寺を開いた。書画・詩文に通じ、茶の湯(茶道)にも親しみ、また多くの墨跡を残している。ダイコンの漬物である沢庵漬けの考案者と言われています。紫衣事件江戸幕府が成立すると、寺院法度などにより寺社への締め付けが厳しくなります。特に、大徳寺のような有力な寺院については、禁中並公家諸法度によって朝廷との関係を弱めるための...
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光国寺-宮城県遠田郡

・光国寺 時宗 宮城県遠田郡美里町二郷字前袋一号28-4当寺院の正式名称は[高玉山光国寺(こうぎょくさんこうこくじ)]と言い正保二年(1646年)に永福寺(現、涌谷町)の当時の住職[微阿直蓮和尚]が説教所として当時の二郷村高玉に開山した時宗のお寺です。(リンク先より) << 戻る
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高林寺-長崎県長崎市

・高林寺 曹洞宗 長崎県長崎市鳴滝1-6-27当寺は正保三年(1646年)、晧台寺重興開山一庭融頓和尚によって建てられた、禅宗の一派である曹洞宗の寺院です。本尊はシャム王朝の勅願寺たるサケート寺から贈られた釈迦如来像です。(リンク先より) << 戻る
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祥雲寺-山口県周南市

・祥雲寺 曹洞宗 山口県周南市平野2-7-26正保2年(1645)平野村内の志願により十一面観音菩薩をまつる一庵を建立し、享保2年(1717)山口県周南市土井建咲院五代目住職祖椿大和尚の時代に曹洞宗寺院となり「祥雲庵」なりました。(リンク先より) << 戻る
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花岳寺-兵庫県赤穂市

・花岳寺 曹洞宗 兵庫県赤穂市加里屋1992創立 正保2年(1645)開祖 赤穂藩祖 浅野長直公開山 秀巌龍田大和尚霊場 「新西国第31番霊場」「瀬戸内観音第7番霊場」(リンク先より) << 戻る
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臨南寺-大阪府大阪市東住吉区

・臨南寺 曹洞宗 大阪府大阪市東住吉区長居公園1-32寺伝によれば、江戸時代正保2年(1645年)約370年前、天草代官などを歴任した鈴木三郎九郎重成公が先祖の菩提を弔うために、開山萬安英種禅師(後に宇治興聖寺を中興)を請し創建した寺。(リンク先より) << 戻る
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龍源寺-群馬県高崎市

・龍源寺 曹洞宗 群馬県高崎市吉井町多胡776『上野国郡村誌』に、「神保村仁叟寺末寺派、僧壽溯和尚開基、創建年号不詳」とあり、『多胡郡寺院明細帳』には、「正保元申年(1644)3月、僧壽溯創建、明治20(1893)6年1月23日焼失」、と記されている。(リンク先より) << 戻る
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柳澤寺-宮城県仙台市泉区

・柳澤寺 曹洞宗 宮城県仙台市泉区上谷刈字舘1当山は正保元年(西暦1644年)悦叟良観大和尚の開山です。宗派は曹洞宗 正傳の佛法です。御本尊は釈迦牟尼仏 (お釈迦様)です。(リンク先より) << 戻る
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圓勝寺-岐阜県海津市

・圓勝寺 真宗大谷派 岐阜県海津市海津町稲山390正保元年(1644)、洪水に見舞われるなどして人として生きる意味を見失い、また生きる意欲をもなくしかけていた村人が、仏法を聞き、生きることの真の意味を見い出すことのできるより処の「南無阿弥陀仏」、すなわち本願念仏の道を歩んでいけるようにと、祐玄というお坊さんを頼んで(海津町の蓮応寺からと伝えられています)、ご門徒の皆様が力を合わせて境内地を寄進し、御堂を建て、仏具をそろえて開いたということが始まりと伝えられています。(リンク先より) << 戻る
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願成寺-青森県八戸市

・願成寺 浄土宗 青森県八戸市川町北雷平107寺の前身は、1644〜1648年(正保年間)に下市川村(八戸市市川町)に建立された願叶庵(がんじゅあん)と、上市川村(五戸町上市川)に建立された願叶寺(がんじゅじ)。(リンク先より) << 戻る
人物

天海(てんかい)

安土桃山時代から江戸時代初期にかけての天台宗の僧侶、大僧正。尊号は南光坊、院号は智楽院、諡号は慈眼大師。徳川家康の側近として、江戸幕府初期の朝廷政策・宗教政策に深く関与しました。『東叡山開山慈眼大師縁起』に「陸奥国会津郡高田の郷にて給ひ。蘆名修理太夫平盛高の一族」と記されていることから、三浦氏の一族である蘆名氏の出で、陸奥国に生まれたとされますが、定説と呼ばれるものはありません。しかも、同縁起には「俗氏の事人のとひしかど、氏姓も行年わすれていさし知ず」とあり、天海は自らの出自を弟子たちに語らなかったようです。また、「将軍義澄の末の御子といへる人も侍り」と足利将軍落胤説も同時に載せられています。...
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相応寺-愛知県名古屋市千種区

・宝亀山 相応寺 浄土宗 愛知県名古屋市千種区城山町1-6寶亀山 相應寺(ほうきざん そうおうじ)浄土宗(もとは天台、真言、浄土、禅、四宗兼学の准別格十七等)京都知恩院末寺 尾張徳川家の菩提寺初代藩主義直が生母相応院お亀の方の菩提のため現在の東区山口町に一万ニ千坪の境域を定め建立。本蓮社眼譽呑屋上人(寛永20年(1643)8月、高岳院第二世より入院し正保三年(1646)3月、黒谷金戒光明寺に入院)をもって開山とし寛永20年9月(1643)お亀の方一周忌に合わせ堂宇落成。(リンク先より) << 戻る
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浄蓮院-群馬県邑楽郡

・浄蓮院 真言宗智山派 群馬県邑楽郡板倉町大曲1616浄蓮院の開山については不詳ですが、開山周應上人の位牌に寛永19年(1642年)とあるため、これ以前にさかのぼると思われます。(リンク先より) << 戻る
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桂岩寺-石川県金沢市

・桂岩寺 曹洞宗 石川県金沢市寺町1-6-46寛永十九年(1642年)金沢市傳馬町に創建されましたが、享保の大火のため現在の寺町に再建されました。文化・文政期に五百羅漢開基海運天麟和尚、真寶円戒和尚、僊洲欄牛和尚の3代にわたって約18年で五百羅漢を安置されました。(リンク先より) << 戻る
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荘厳寺-千葉県香取市

・諏訪山荘厳寺 単立 千葉県香取市佐原イ1110・荘厳寺本尊不動明王。開基は寛永18年となっていますが、境内に永禄年間の板碑があり室町時代に遡れると郷土歴史家は言います。かつては真言宗豊山派に属しており、佐原市牧野にある観福寺の末寺でありましたが、平成8年1月単立となりました。(リンク先より)※寛永18年 1641年 << 戻る
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オランダ人を長崎の出島に移す

1641年、オランダ人を長崎の出島に移す。<< 戻る
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林照寺-滋賀県高島市

・林照寺 浄土真宗本願寺派 滋賀県高島市新旭町饗庭2454由来によると、親鸞聖人がご存命の鎌倉時代には寺院が建立されておりましたが、正式に「林照寺」という寺号をいただいたのは、寛永17年(1640年)であります。 以来、滋賀県高島市新旭町にて代々継がれているお寺であります。(リンク先より) << 戻る
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宗門改と寺請檀家制度を実施

1640(寛永一七)年、江戸幕府、宗門改役を設置し、宗門改と寺請檀家制度が実施される。宗旨人別帳作成。<< 戻る
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賢明寺-福岡県豊前市

・賢明寺 浄土真宗本願寺派 福岡県豊前市八屋1347もともとは禅宗の寺院であったが、寛永16年(1639年)本願寺より免許をうけたという。(リンク先より) << 戻る
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永泉寺-秋田県由利本荘市

・永泉寺 曹洞宗 秋田県由利本荘市出戸町給人町44―開創― 寛永16年(1639年)―開山― 道叟道愛 (現在 四十二世)―開基― 本荘初代藩主 六郷兵庫頭政乗公―本尊― 聖観世音菩薩(リンク先より) << 戻る
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高家寺-岐阜県各務原市

・高家寺 高野山真言宗 岐阜県各務原市那加北洞町1-390高家寺の縁起には二つの系統があります。一つ目は江戸時代初期 寛永十六(1639)年譜代大名として初めて松平の姓を認められた戸田松平家の姫(二の丸姫)の発願、播州明石の蓮台寺住職の祐加上人の開基岐阜加納の地に創建された高家寺(こうけじ)です現在の高家寺はこの系統を直接受け継いでいます 二つ目は岐阜県飛騨地方で最も古い寺院高家寺(たきへでら:たきへじ)です白鳳時代に創建されましたが何らかの理由で廃寺になりました(壽樂寺廃寺)高家寺は銀杏大師を始め現在も飛騨と縁が深いお寺ですそれ故に飛騨最古のお寺の復興の意味も込めています(リンク先より)<<...
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ポルトガル船の来航を禁止

1639年、ポルトガル船の来航を禁止する。→鎖国の完成。<< 戻る
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三松寺の再建立

江戸時代、大和郡山藩城代家老松平将監供養の為、寛永16年(1639)現在の七条の高台に士族寺として再建立。(参考:瑞雲山 三松寺)
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知恩院、諸堂の再建

1639年(寛永16年)、諸堂の再建なる(御影堂・大小方丈など)。知恩院の火災について三代将軍徳川家光公に報告し、再建の命を下し、片桐貞昌を造営奉行として復興が行われました。1639年(寛永16年)5月には御影堂立柱、同年7月上棟となり、その後約2年で大・小方丈、唐門などを含めた現在の伽藍が再建されました。<< 戻る
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龍善寺-東京都新宿区

・龍善寺龍善寺 真宗大谷派 東京都新宿区早稲田町77龍善寺は江戸時代初め1638年に創建されました。 宗派は、親鸞聖人を宗祖とする真宗(浄土真宗)大谷派(いわゆる「お東」)であり、本山は、京都・東本願寺になります。当寺の本尊は、親寺である三河(現在の愛知県岡崎市)の「上宮寺」より移された阿弥陀如来像であり、約800年前の鎌倉時代初期の作と言われ、新宿区の文化財に指定されております。(リンク先より) << 戻る