buddhism

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大興善寺-佐賀県三養基郡

・大興善寺 天台宗 佐賀県三養基郡基山町大字園部3628奈良時代養老元年。高僧「行基菩薩」がこの地で草庵を結び、十一面観世音菩薩を刻み安置なされたことが寺の由来として伝承されております。(リンク先より)※養老元年 717年 << 戻る
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大山寺-鳥取県西伯郡

・大山寺 天台宗 鳥取県西伯郡大山町大山9大山寺は、奈良時代養老年間(約一,三〇〇年前)金蓮上人に依って開山されました。 昭和の三年四度の火災に見舞われた本堂は昭和二十六年に再建されました。現在も尚、山内寺院十ヶ院、重要文化財阿弥陀堂及び弥陀三尊を初め、宝物類も数多く残され、実に山陰の名刹として、天台でいういわゆる鎮護国家の霊場として更に、中国地方一円の人々から御先祖様に会える寺として崇敬を集めています。(リンク先より)※養老年間 717年から724年<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

義淵の弟子玄昉が入唐

717年(養老元年) 入唐した義淵の弟子玄昉(げんぼう)も、ともに濮陽の智周に師事して法相宗を修め、帰国後これを広めた。なかでも玄昉は興福寺にあって当宗を興隆し、興福寺法相宗の基をきずき、興福寺伝または北伝と言われる。<< 戻る
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善興寺-富山県高岡市

・善興寺 浄土真宗本願寺派 富山県高岡市中田4500-1善興寺は、もともと後亟(ごぜ:小矢部市)に在りました。現在もその旧地には石碑が建っています。善興寺に伝わる古文書には、開基について「飛鳥法興寺七世慧乗禅師によって建立」された、と記されています。飛鳥朝の欽明天皇13年(552)に仏教は百済より伝えられました。仏像を天皇より賜った蘇我氏の菩提寺、法興寺の第7世慧乗法師が、諸国を巡錫するなかで越中国を訪れ、石動山の麓に勝地を選んで一宇を建立したことが始まりとされます。霊亀2年(716)のことです。のちに天台宗の勅願所として「飛鳥山善興寺」の号を賜り、石動山の三分一を功徳田としました。(リンク先...
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岩屋寺-愛知県知多郡

・岩屋寺 尾張高野山 愛知県知多郡南知多町大字山海字間草109草壁皇子と元明天皇【阿閇皇女(あへのひめひこ)】の娘である元正天皇が即位された霊亀元年(715)に勅使として押小路中納言実直卿が都より派遣され、 後に東大寺建立に尽力され日本で最初に大僧正になられた行基菩薩が導師となり聖観音の開眼供養が行われたのが始まりと伝わっています。 創建当時は堂塔伽藍十二ヶ坊、大門、楼門、多宝塔が建立され荘厳であったとの記録が残っています。(リンク先より) << 戻る
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大鑑慧能(たいかんえのう)

中国唐の時代。范陽郡涿県(河北省保定市涿州市)出身。中国禅宗の六祖(南宗)。大満弘忍に就いて嗣法。弟子には青原行思、南嶽懐譲、南陽慧忠、荷沢神会、永嘉玄覚、司空本浄がいる。諡は大鑒真空普覚圓明禅師。曹渓大師。大鑑慧能。六祖慧能。曹渓山宝林寺。師の大満弘忍は悟りの心境をうまく詩に表せた者を後継者と認めると言い、弘忍門下筆頭だった神秀が壁に偈を書くが、その詩を弘忍は認めない。それを聞いた慧能は、神秀の詩を否定するような詩を書き、それを弘忍が認めたことで六祖になったといわれている。・神秀の詩身是菩提樹 心如明鏡臺(身は是れ菩提樹 心は明鏡台の如し)時時勤拂拭 莫使有塵埃(時時に勤めて拂拭し 塵埃を有...
人物

義浄(ぎじょう)

義浄は、唐(中国)の僧侶。671年、広州から海路でインドにおもむき、695年に約400部の仏教経典をもって海路で帰国しました。その翻訳のほか、旅行記『南海寄帰内法伝(なんかいききないほうでん)』と、インド求法僧(ぐほうそう)の伝記『大唐西域求法高僧伝(だいとうせいいきぐほうこうそうでん)』をのこしました。生誕 635年(貞観9年)命日 713年2月16日(先天2年1月17日)<< 戻る
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国ごとに「風土記」の編さんを命じる

713年、国ごとに「風土記」の編さんを命じる(日本最古の地理書)。<< 戻る
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本明寺

国道175号を東勅使で右折し、少し行った所に佇む古刹である。道路から少し入っただけで、道路の騒音が途絶される静かな雰囲気の寺である。ここは浄土真宗本願寺派に属し、「古事記」が完成した和銅5年(712)に開祖された由緒ある寺院である。本堂正面の向拝を見上げる。梁間はそれほど広いものではないが、竜の彫り物がしつらえられている。左前方を威嚇するように睨んでいる。どういうわけか目が白く、銅線の髭が纏わりついている。口を大きく開け、舌を立てている。何といっても狭い空間からはみ出す、“いらか”の迫力が素晴らしい。宝珠を右爪でしっかり握っている。木鼻には、鑿の切れ味鋭い大きな造りの唐獅子と獏がいる。手挟みの...
年表

古事記ができる

712年、古事記ができる。稗田阿礼、太安万侶らによる日本最古の歴史書。<< 戻る
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蓮光院-新潟県柏崎市

・蓮光院 真言宗豊山派 新潟県柏崎市米山町2260寺伝によれば、和銅四年(711) 越前の修験行者・泰澄の開山と伝えています。泰澄は米山伝説に登場する人物で、日本海を通る北前船に米の托鉢を乞うたところ拒否されたため、神通力をもって米山山頂に米を飛来させた、という行者でした。(リンク先より) << 戻る
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宝蔵寺-愛媛県喜多郡

・宝蔵寺 曹洞宗 愛媛県喜多郡内子町中川773-1当寺由来記によると、和銅4年(711年)天明天皇の勅願により、大和国東大寺の智乗上人によって開基されたと伝えられている。その後、兵火、失火等により長年に渡り無住職時代があった。天保13年(1842年)祥岩和尚(大洲家老二男)の時、豁源和尚を開山とし、京都東福寺の直末を許可され、臨済宗誓願寺となった。(リンク先より) << 戻る
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福石観音清岩寺-長崎県佐世保市

・福石観音清岩寺 真言宗智山派 長崎県佐世保市福石町24-5元明天皇の和銅三年(西暦710年)名僧行基(ぎょうき)が諸国行脚の途中、福石山の霊境を訪ねて嘆賞し、しばしの間草庵を結んだと伝わっております。この時たまたま東乃浦の海に霊光を放つ仏木を発見して、これで三体の仏像を刻んだとのことです。世に言う、行基一刀三霊の作で、その中の「十一面観世音菩薩像」をここの岩窟に安置しました。これが福石観音の始まりで、ご本尊を安置してある内殿を、行基岩と呼んでおります。(リンク先より) << 戻る
年表

興福寺に改称

和銅3年(710年)の平城京への遷都に際し、鎌足の子不比等は厩坂寺を平城京左京の現在地に移転し「興福寺」と名付けた。中金堂の建築は平城遷都後まもなく開始されたものと見られる。<< 戻る
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平城京遷都

710年、平城京に都を遷す。元明天皇が唐の長安(今のシーアン)にならい、現在の奈良市の西に平城京をつくる。<< 戻る
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国上寺-新潟県燕市

・国上寺 真言宗豊山派 新潟県燕市国上1407新潟県燕市国上に位置します当山は、元明天皇和銅2年(709)に越後一の宮弥彦大神の託宣により建立された、越後最古の古刹です。 格式としては、孝謙天皇より御宇にて正一位を賜り、北海鎮護仏法最初の霊場として信心のより所とされてきました。御本尊は上品上生の阿弥陀如来であり、縁起等によれば、行基菩薩の御作婆羅門僧正の御開眼にして、聖武天皇の御后光明皇后により賜った霊仏であると伝えられ、現在は、子年(12年に1度)の開帳としています。(リンク先より)<< 戻る
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萬福寺-岡山県津山市

・萬福寺 高野山真言宗 岡山県津山市東田辺1596和銅元年(西暦708年)、正月十三日、黒沢山の檜の梢に虚空蔵様が来臨された。その霊瑞に居合わせた、惣薪太夫という猟師(のちに僧となる)によって堂が結ばれたのが萬福寺の始まりとされている。(リンク先より) << 戻る
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善水寺-滋賀県湖南市

・善水寺 天台宗 滋賀県湖南市岩根3518奈良時代和銅年間(708~715)元明天皇勅命により鎮護国家の道場として草創され、和銅寺と号した。霊水を桓武天皇に献上されたところ、御悩忽ち平癒された。この縁に依って岩根山善水寺の寺号を賜わったという。(リンク先より) << 戻る
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松尾寺-京都府舞鶴市

・松尾寺 真言宗醍醐派 京都府舞鶴市松尾532・第二十八番 ⇒ 西国三十三所 第二十九番 青葉山 松尾寺 ​⇒ 第三十番慶雲年中、唐の僧、威光上人が当山の二つの峰を望んで、中国に山容の似た馬耳山という霊験のある山があったことを想起された。登山したところ、果せるかな松の大樹の下に馬頭観音を感得し、草庵をを結ばれたのが、和銅元年(七〇八年)と伝えられる。(リンク先より) << 戻る
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若松寺-山形県天童市

・若松寺 天台宗 山形県天童市大字山元2205-1「鈴立山若松寺」は今から約1300年前、奈良時代の和銅元年(西暦708年)に行基菩薩が開山した霊場です。 その後、平安時代の貞観二年(同860年)山寺の立石寺を開山された慈覚大師(円仁和尚)が当山の山頂付近にあった御堂を現在の地に移し、 造営工事をし大規模な伽藍配置をしました。 この時期に奈良仏教の法相宗から平安仏教の天台宗となり、開山が行基菩薩、中興の祖が慈覚大師として祀られています。(リンク先より)<< 戻る
年表

和同開珎がつくられる

708年、和同開珎がつくられる。<< 戻る
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蓮華寺-兵庫県豊岡市

・蓮華寺 高野山真言宗 兵庫県豊岡市竹野町轟366蓮華寺は但馬西国の札所として幽すい静寂なる山のたたずまいは、その形ち蓮の花に似たるより山号を八葉の峰山と称し、奈良時代(慶雲四年)の開創にして四明光賀律師、中興の祖となりて堂塔を整え、更に鎌倉時代東密教学大成の学匠杲宝(ごうほう)僧正京都東寺より来たりて山内に七堂伽藍塔頭八坊を整備(リンク先より)※慶雲四年 707年 << 戻る
人物

大通神秀(だいつうじんしゅう)

中国唐の時代。汴州尉氏県(河南省開封市尉氏県)出身。中国禅宗の六祖で北宗としては開祖。大医道信に就いて嗣法。弟子には普寂がいる。諡は大通禅師。彼の禅法は段階的に悟りを進める「漸悟」であり、弟弟子の六祖慧能の直下に悟りに至る「頓悟」思想と対極を為した。・「神秀は帝師なり。簾前に講法す、箔前に説法す。しかのみにあらず、七百高僧の上座なり。黄梅のむかし、盧行者あること、信ずべし。樵夫より行者にうつる、搬柴をのがるとも、なほ碓米を職とす。卑賤の身、うらむべしといへども、出俗越僧、得法伝衣、かつていまだむかしもきかざるところ、西天にもなし、ひとり東地にのこれる希代の高躅なり。」(「正法眼蔵」仏経)生誕 ...
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医座寺-愛媛県松山市

・医座寺 天台宗 愛媛県松山市東大栗町甲656当山は、慶雲三年(706)奈良の大仏建立に尽力された、行基菩薩によって開基されました。天長六年(829)伊予の国風早〈北条〉出身の高僧、別当大師光定(べっとうだいしこうじょう〉によって天台宗に帰属。法灯連綿1300年の歴史を護り、現在は、伊予十二薬師第二番札所として、広く人々に親しまれております。(リンク先より) << 戻る
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大徳寺-富山県魚津市

・慈興院大徳寺 真宗大谷派 富山県魚津市持光寺定籍706年(慶雲3年) 大徳寺の建立 文武天皇の勅願所として建立される。1330年(元徳2年) 浄土真宗寺院へ およそ1330年頃、本願寺3代目覚如上人の引導により天台宗を改め浄土真宗の寺院となる(リンク先より) << 戻る
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三佛寺-鳥取県東伯郡

・三佛寺 天台宗 鳥取県東伯郡三朝町三徳1010三佛寺の由緒は明確ではないが、寺伝によると、慶雲三年(706)役小角(えんのおづぬ) が三弁の蓮花を散らしたところ、その一弁がここに落ちたので(ほかは伊予石槌山と吉野) 堂宇を建てて修験の行場にしたといわれている。 三徳山奥の院「投入堂」は役の行者が法力で投入れたとされ、 建立方法については、今もなお謎のままである。(リンク先より) << 戻る
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白毫寺-兵庫県丹波市

・白毫寺 天台宗 兵庫県丹波市市島町白毫寺709寺伝によれば、慶雲2年(705)法道仙人により開基された。本尊は天竺から伝えられた言う薬師瑠璃光如来(秘仏)。眉間の白毫から神々しく瑞光を放っていたので、「白毫寺」と名付けられた。 また、入唐求法から帰朝の際に白毫寺を訪れた慈覚大師円仁(後の第三世天台座主)は、周囲の山並みが唐の五台山に似ていることから山号を「五台山」と命名(後世に五大山と改称)し、持ち帰った密教法具を伝えた。円仁が“中興の祖”と呼ばれる由縁である。白毫寺の九尺ふじ・・・山郷の古刹 白毫寺に九尺ふじが優雅に咲き誇り、ほのかに香りに包まれます。(リンク先より)<< 戻る
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薬王寺-福井県丹生郡

・薬王寺 天台真盛宗 福井県丹生郡越前町茂原9-20慶雲元年(704)、今から千三百年前(一説には天平宝字3年(760)とも言われております。)越(えつ)の国(今の北陸地方)の高僧「泰澄大師(たいちょうだいし)」が、この地の城山と言う山の麓の布山台地薬師谷に、 霊験によって薬師堂一宇を建立したのが始まりと伝えられております。 (リンク先より) << 戻る
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蓮華寺-静岡県周智郡

・蓮華寺 天台宗 静岡県周智郡森町森2144慶雲元年(704)文武天皇の勅願により行基菩薩が開創した森町で一番古いお寺です。当山は飛鳥時代から奈良時代にかけて建立された法相宗の東海の本山として周囲4Kmに及ぶ寺領を有りし1300年の歴史と歴代住職139代を数え、その間数多くの傑出した高僧を排出しています。(リンク先より) << 戻る
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成相寺-京都府宮津市

・成相寺 橋立真言宗 京都府宮津市成相寺339・第二十七番 ⇒ 西国三十三所 第二十八番 成相山 成相寺 ⇒ 第二十九番成相寺(なりあいじ)は日本三景天橋立を眼下に望む景勝地にあり、元々は日本古来の山岳宗教の修験場で、日本全国にある五つの「聖の住む所」の一つとして信仰を集めてまいりました。慶雲元年(704)に文武天皇の勅願寺として真応上人が創建したと伝えられ、本尊は身代わり観音、美人観音として名高い聖観世音菩薩です。(リンク先より) << 戻る
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壷阪寺-奈良県高市郡

・壷阪寺 真言宗 奈良県高市郡高取町壷阪3・第五番 ⇒ 西国三十三所 第六番 壺阪山 南法華寺 (壺阪寺) ⇒ 第七番創建は寺蔵の『南法花寺古老伝』によると、大宝3年(703)年に元興寺の僧、弁基上人がこの山で修行していたところ、愛用の水晶の壺を坂の上の庵に納め、感得した観音像を刻んでまつったのが始まりと言われる(リンク先より) << 戻る
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毘沙門堂-京都府京都市山科区

・毘沙門堂 天台宗 京都府京都市山科区朱稲荷山町18毘沙門堂は天台宗五箇室門跡のひとつで、高い寺格と鄙びた山寺の風情を伝える古刹である。ご本尊に京の七福神のひとつ毘沙門天を祀ることからこの名がある。 創建は大宝三年(703)文武天皇の勅願で僧行基によって開かれた。当初は出雲路(上京区・御所の北方)にあったことから護法山出雲寺といった。その後、たび重なる戦乱から苦難の道をたどり、寛文五年(1665)、山科安朱の地に再建。後西天皇の皇子公弁法親王が入寺してより門跡寺院となった。伝教大師が唐より将来された鎮将夜叉法という行法は、天台五箇大法のひとつとして当門跡だけに伝わる秘法である。(リンク先より)...