buddhism

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国分寺-山口県防府市

・国分寺 高野山真言宗 山口県防府市国分寺町2-67・安芸 ⇒ 山陽道 周防 国分寺 ⇒ 長門国分寺は、天平13年(741)聖武天皇の勅願(詔)によって諸国に68ケ寺建立された官立の寺院です。その詔の中に『国泰らかに人楽しみ、災除き福至る』と国民の幸せを祈念され、当時流行っていた、疫病・戦乱から国民を守り、五穀の豊作の世となるようにと諸国に建立されました。創建当初の国分寺は、寺域2町四方、その中に、南大門・中門・回廊・金堂・講堂・七重塔などの七堂伽藍がありました。また、本尊は、丈六の釈迦如来でした。国分寺の正式名称は、金光明四天王護国の寺といいます。(リンク先より)<< 戻る
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国分寺-熊本県熊本市中央区

・国分寺 曹洞宗 熊本県熊本市中央区出水1-1-56・肥前 ⇒ 西海道 肥後 国分寺 ⇒ 日向国分寺は、741年(天平13年)に聖武天皇が仏教による国家鎮護のため、当時の日本の各国に建立を命じた寺院です。国分僧寺と国分尼寺に分かれます。正式名称は、国分僧寺が「金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)」、国分尼寺が「法華滅罪之寺(ほっけめつざいのてら)」です。(リンク先より)<< 戻る
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金剛輪寺-滋賀県愛知郡

・金剛輪寺 天台宗 滋賀県愛知郡愛荘町松尾寺873奈良時代の中頃、天平13年(741)に聖武天皇の勅願で行基菩薩によって開山されました。言い伝えによりますと行基菩薩が一刀三礼で観音さまを彫り進められたところ、木肌から一筋の血が流れ落ちたため、その時点で魂が宿ったとして、粗彫りのまま本尊としてお祀りされました。後の世に「生身(なまみ)の観音」と呼ばれるようになり、全国の観音信徒より篤い信仰を集めています。(リンク先より) << 戻る
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修禅寺-山口県下関市

天平13年(西暦741年)には東大寺建立の四聖の一人である「行基菩薩」が、当山で修行したといわれ、奥の院(聖観音堂)には行基菩薩の御作と伝えられる「聖観世音菩薩」が安置されています。(リンク先より)・修禅寺<< 戻る
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東大寺-奈良県奈良市

・東大寺 華厳宗 奈良県奈良市雑司町406-1・対馬 ⇒ 畿内 大和 総国分寺(東大寺) ⇒ 山城天平13年(741)に、国分寺・国分尼寺(金光明寺・法華寺)建立の詔が発せられたのに伴い、この金鍾山寺が昇格して大和金光明四天王護国之寺となり、これが東大寺の前身寺院とされる。(リンク先より) << 戻る
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国分寺-高知県南国市

・國分寺 真言宗智山派 高知県南国市国分546・28番札所 ⇒ 四国八十八ヶ所 第29番札所 摩尼山 宝蔵院 国分寺 ⇒ 30番札所・伊予 ⇒ 南海道 土佐 国分寺 ⇒ 筑前「諸国で最も良い土地を選んで建てよ。」という45代聖武天皇の勅願(みことのり)によって、高僧行基(西暦668~748年)が天平13年(西暦741年)に創建しました。天皇自らが金光明最勝王経を書写して納められ、天下泰平、五穀豊穣、万民豊楽を願う祈願所として、金光明四天王護国之寺とも呼ばれてきました。後に弘法大師(空海 西暦774~835年)が真言宗の寺として中興し、四国八十八ケ所巡りの第二十九番霊場となり、お遍路さんの鈴の音...
仏教を本気で学ぶ

国分寺・国分尼寺建立の詔

天平13年(741)、聖武天皇により国分寺・国分尼寺(金光明寺・法華寺)建立の詔が発せられました。また、これに伴い、金鍾山寺が昇格して大和金光明寺となり、これが東大寺の前身寺院とされています。<< 戻る
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影向寺-神奈川県川崎市宮前区

・稲毛薬師 威徳山 影向寺 天台宗 神奈川県川崎市宮前区野川419当山は天台宗に属し、奈良時代の天平12年(740)、聖武天皇の命令を受けた高僧・行基によって開創されたと伝えられていますが、近年の発掘調査の結果、創建の年代は白凰時代末期(7世紀末)にまで遡ることが明らかになりました。最古の縁起によれば、天平11年(739)光明皇后が眼病を患った折、聖武天皇の御夢の中に一人の僧が現れ、「武蔵の国橘樹郡橘郷に霊地があって、その地に不思議な霊石があります。その石の上にはいつも聖浄比なき水が湛えてあります。此処に伽藍を建立し、薬師如来を安置し奉るならば、皇后の御悩み立ちどころに御平癒となるでありましょ...
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錫杖寺-埼玉県川口市

・錫杖寺 公式サイト 真言宗智山派 埼玉県川口市本町2-4-37天平十二年(740)聖武天皇、霊告によって、御后の病平癒祈祈祷のため、僧・行基を武州川口村に遣わす。(『慈林略縁起』) このおり、僧・行基によって錫杖寺の現在地に草庵が結ばれたと伝えられる。(リンク先より) << 戻る
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安養寺-滋賀県栗東市

・安養寺 真言宗泉涌寺派 滋賀県栗東市安養寺88天平十二年(740) ・聖武天皇の勅願により、金勝寺25別院の一つとして、良弁僧正が開基。  本尊が薬師如来であることから東方瑠璃山安養寺勅願を賜りました。承和元年(834) ・弘法大師空海が中興、真言宗に改宗。伽藍造立の本願は太政大臣藤原良房。(リンク先より) << 戻る
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普門寺-広島県広島市中区

・普門寺 曹洞宗 広島県広島市中区大手町3-5-5天平12(740)年、行基(668 〜 749)が、行脚中に藝州吉田に滞在した折、「時おり河底から一筋の神光が発し、山頂の樹上に掛かる」という村人の話を聞き、吉田山山頂の石上で七昼夜修禅念誦した。すると、紫雲と共に釣竿を持った長眉・白髪の老人が現れたので、神光の出所について尋ねると、釣竿を挙げて場所を指した。そこで、漁師に河底へ網を下ろさせると、観音様の像が上がった。行基は、その端厳な妙相に喜び、山頂に大士堂(菩薩堂)を建てさせて尊像を安置した。また、観音経2090文字の書かれた小石を函の中におさめ、蓋に「普門品題号十七字」と記して宝帳の中に納...
人物

普寂(ふじゃく)

中国唐の時代。蒲州河東県出身。中国禅宗・北宗の二祖。大通神秀に就いて嗣法。弟子には道璿、宏正(弘正)、一行がいる。諡は大照禅師。別名は華厳尊者、両京法主、三帝国師。法華・唯識・律を学び、のち禅宗に転向し、荊州玉泉寺の神秀に師事する。中宗により、神秀の後を継いで両京の法主、三帝の国師に充てられる。生誕 651年(永徽2年)命日 739年10月1日(開元27年8月24日)<< 戻る
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済渡寺-岡山県新見市

・済渡寺 曹洞宗 岡山県新見市法曽661739年(天平11年)僧・行基がこの地に草庵を結び、811年(弘仁2年)の春、空海(弘法大師)がこの草庵を済渡寺(さいどうじ)と命名し、開創されたと伝えられております。(リンク先より) << 戻る
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成福寺-岡山県井原市

・成福寺 高野山真言宗 岡山県井原市芳井町吉井2356739年(天平11年)奈良時代の名僧 行基菩薩が宝閣を建て自ら観自在菩薩像を刻んで本尊と為す。(現在の観音堂にあたる)(リンク先より) << 戻る
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乙津寺-岐阜県岐阜市

・乙津寺 臨済宗妙心寺派 岐阜県岐阜市鏡島中2丁目8−1歴史も長く奈良時代(738)から続いており、弘法大師とゆかりが深い古刹で「鏡島弘法」の名称で親しまれています。京都の東寺、神奈川県の川崎大師と並び日本三躰厄除け弘法大師のひとつと数えられています。(リンク先より)(旧アドレス:) << 戻る
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温泉寺-兵庫県豊岡市

・温泉寺 高野山真言宗 兵庫県豊岡市城崎町湯島985-2温泉寺は養老4年(720)に城崎温泉を開いた道智上人により天平10年(738)に開創された古刹です。 道智上人は衆生済度の大願を発して、諸国をめぐり、養老元年に城崎の地に来て、当所鎮守・四所明神の神託(夢告げ)により、一千日間ご修行をされその功徳あって温泉が湧出し(現在のまんだら湯)、城崎温泉が開かれる。(リンク先より) << 戻る
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大聖寺-岡山県美作市

・大聖寺 真言宗大覚寺派 岡山県美作市大聖寺1山号を恵龍山(けいりゅうざん)と称し、美作国建国の頃、天平10年(738年)に聖武天皇の勅令によって行基菩薩が開山しました。開山以来、山岳仏教の聖地として五院(不動院,中院,奥の院など)十八坊舎(松の坊,池の坊,上の坊,地蔵坊など)の塔堂伽藍を誇り真言密教(宗祖、空海)の根本道場として信仰をあつめ西の高野山と称されました。(リンク先より) << 戻る
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法音寺-山形県米沢市

・法音寺 真言宗豊山派 山形県米沢市御廟1-5-32法音寺は、山号を八海山といい、真言宗豊山派に所属し、本山は奈良県の長谷寺であります。当寺は、もと越後の国南魚沼郡藤原の里、八海山の麓(現在の新潟県六日町)に、聖武天皇の勅命により、天平9年(737)年に総建された寺です。 当寺所蔵の八海山縁起によれば、藤原政照卿が、天皇の命を受けて諸国巡視中、越後国、飯盛山の麓で病死、その菩提を弔うため、行基菩薩が、勅命によってその地に法相宗の寺を建立したのが始まりとあります。寺号は政照卿の法名「都正院殿正二位政照法音大居士」に依ったものです。(リンク先より)<< 戻る
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地蔵寺-和歌山県橋本市

・地蔵寺 高野山真言宗 和歌山県橋本市菖蒲谷94天平9年(737年)の春、奈良の大仏で有名な東大寺建立に力を尽くした、「行基菩薩」によって開基されました。ご本尊『地蔵菩薩』は行基菩薩自らが彫られたもので『日本最勝・日本最古の地蔵菩薩』です。ご本尊は安産祈願の為に、この地に安置されたものですから「子安地蔵さん」と呼ばれています。(リンク先より) << 戻る
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霊山寺-奈良県奈良市

・霊山寺 霊山寺真言宗 奈良県奈良市中町3879神亀5年(728)流星が宮中に落下し、大騒ぎになり孝謙皇女が征中の病(ノイローゼ)にかかられた時、聖武天皇の夢枕に鼻高仙人が現れ、湯屋の薬師如来を祈念すれば治るとのお告げがあり、すぐに行基菩薩が代参。皇女の病が快癒しました。天平6年(734)聖武天皇は行基菩薩に大堂の建立を勅命。天平8年8月インドバラモン僧、菩提僊那が来日され、登美山の地相が霊鷲山(りょうじゅせん)にそっくりということから、寺の名称を霊山寺(りょうせんじ)と奏上され、落慶となりました。(リンク先より)※天平八年 736年 << 戻る
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乙宝寺-新潟県胎内市

・乙宝寺 真言宗智山派 新潟県胎内市乙1112当山は天平八年(七三六年)聖武天皇の勅願を受けて行基菩薩、婆羅門僧正の二人の高僧によって開山されました。七堂伽藍の中心、金堂には胎蔵界大日如来、阿弥陀如来、薬師如来の三尊が当山の本尊としておまつりされています。婆羅門僧正は名を菩提僊那(ぼだいせんな)と言って印度より渡来した高僧で、その際に釈尊の両眼の舎利を請来されました。右眼のお舎利は日本へ渡来する前に中国へ渡りお寺を建ててそれを納め供養しました。そして日本へ渡来し、聖武天皇の勅願を受けて建てたお寺に左眼の舎利を納めて供養をしました。(リンク先より) << 戻る
仏教を本気で学ぶ

華厳宗が伝えられる

736年、華厳宗第3祖法蔵(開祖は杜順(557年-640年)、第2祖智儼(602年-668年))門下の審祥によって華厳宗は伝えられました。金鐘寺(後の東大寺)の良弁の招きを受けた審祥は、この寺において『華厳経』・『梵網経』に基づく講義を行い、その思想が反映されて東大寺盧舎那仏像(奈良の大仏)が建立(743年-749年)されました。鎌倉仏教期には、明恵によって密教思想が取り込まれ、さらに凝然による教学の確立がなされています。法相宗と並ぶ、南都六宗の一つで、「十三宗五十六派」の一つです。華厳宗の本尊は、歴史上の仏を超えた絶対的な毘盧遮那仏と一体になっています。菩薩の修行の階梯を説いた「十地品」、善...
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海住山寺-京都府木津川市

・海住山寺 真言宗智山派 京都府木津川市加茂町例幣海住山20海住山の中腹、幽邃の地に、当海住山寺が創建されたのは、恭仁京造宮にさきだつ六年前、天平七年(735)のことと伝えられております。大盧舎那仏造立を発願あそばれた聖武天皇が、その工事の平安を祈るため、良弁僧正に勅して一宇を建てさせ、十一面観音菩薩を安置して、藤尾山観音寺と名づけたのに始まるということです。(リンク先より) << 戻る
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般若寺-奈良県奈良市

・般若寺 真言律宗 奈良県奈良市般若寺町221般若寺は飛鳥時代、高句麗の慧灌法師によって開かれた。都が奈良に遷って天平7年(735年)、聖武天皇が平城京の鬼門を守るため『大般若経』を塔の基壇に収め卒塔婆を建てられたのが寺名の起こりとされる。(リンク先より) << 戻る
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常光円満寺-大阪府吹田市

・常光円満寺 高野山真言宗 大阪府吹田市元町28-13常光円満寺は735年、行基という僧によって開山された由緒あるお寺です。最盛期は数万坪という広大な寺領荘園をもち足利将軍や名将吹田氏が自らの菩提寺として深く信仰されていたとのことですが、応仁の乱の兵火によって全焼。寺領荘園の全てを失ってしまうのです。(リンク先より) << 戻る
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東光院-大阪府豊中市

・仏日山吉祥林 東光院 萩の寺 曹洞宗 大阪府豊中市南桜塚1-12-7東光院萩の寺は、天平7年(735)行基開創による曹洞宗別格地寺院です。もとは大坂豊崎の里(摂津国西成郡豊崎村下三番、現在の北区中津)にあって、境内に萩多く、通称「萩の寺」として親しまれ、「南の四天王寺、北の東光院」と並び称された格式ある古刹でした。大正3年(1914)、阪急電車敷設により現在地に移転しました。(リンク先より) << 戻る
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杉本寺-神奈川県鎌倉市

・杉本寺 公式サイト 天台宗 神奈川県鎌倉市二階堂903当山は天平(てんぴょう)6年(734年)聖武天皇の后である光明皇后の御願により、藤原房前(ふじわらのふささき)、行基菩薩(ぎょうきぼさつ)によって建立されました。御本尊は天平6年(734年)行基菩薩御作(ぎょうきぼさつおんさく)、仁寿元年(851年)慈覚大師円仁御作(じかくだいしえんにんおんさく)、寛和(かんわ)2年(986年)恵心僧都源信御作(えしんそうずげんしんおんさく)の三体の十一面観音様です。(リンク先より) << 戻る
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醫王寺-静岡県磐田市

・醫王寺 真言宗智山派 静岡県磐田市鎌田2065-1天平6年〜20年(734〜748)聖武天皇の勅命を奉じて、行基菩薩(ぎょうきぼさつ)が当地を訪れ、この地に薬師如来の霊験ありとし、山内の名木で薬師如来の尊像を一刃三礼のもとに敬刻、ご本尊として祀ったのが始まりと伝えられています。(リンク先より) << 戻る
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西生寺-新潟県長岡市

・西生寺 真言宗智山派 新潟県長岡市寺泊野積8996開山  天平5年(西暦733年)開祖  行基菩薩(ぎょうきぼさつ)御本尊 上品上生阿弥陀如来仏(じょうぼんじょうしょうあみだにょらいぶつ)真言  オンアミリタテイセイカラウン(リンク先より) << 戻る
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東林院-徳島県鳴門市

・東林院(種蒔大師) 高野山真言宗 徳島県鳴門市大麻町大谷字山田59当院は、天平五年(733年)に行基によって開基されたと伝わります。その後、大同年間(806~810年)に弘法大師空海が御巡錫されて以来、真言密教の寺として紆余曲折がありながらも護持されてきました。(リンク先より) << 戻る
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医王寺-愛知県田原市

・医王寺 曹洞宗 愛知県田原市小中山町南郷38薬樹山医王寺の本尊は、薬師瑠璃光如来。東方浄瑠璃光世界の教主で12の大誓願を発して、衆生の病苦を救い、無明の痼疾(持病)を治すとされるあり難い如来です。脇士として日光菩薩(左)・月光菩薩(右)を配し、これを薬師三尊といいます。僧行基(六六八〜七九四年)が刻んだものとされており、そのまた昔には小松原山東観音寺にまつられていたと言われておりまして、小中山村の帰依あつく、霊徳を感受することしきりで、天平四年(七三二年)にとくに乞うて拝領、一宇を建立して安置したのが始まりでございます。(リンク先より) << 戻る
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海龍王寺-奈良県奈良市

・海龍王寺 真言律宗 奈良県奈良市法華寺町897伝承では天平3年(731年)、光明皇后の発願で建立され、僧・玄昉が初代住持となったというが、このことは正史に記載がなく、創建時期や事情について正確なところはわかっていない。 << 戻る