人物 荷沢神会(かたくじんね) 中国唐の時代の禅僧。襄州襄陽県の出身。はじめ大通神秀(北宗)のもとで学び、後にその弟弟子の大鑑慧能(南宗)のもとで学ぶ。大鑑慧能が亡くなると、今度は南陽へと北上し、そこで北宗の僧らと論争を繰り広げ、神秀批判の論を展開した。弟子には南印がいる。諡は真宗大師。禅宗の中の荷沢宗の開祖。荷澤神會。著作『菩提達摩南宗定是非論』生誕 684年(嗣聖元年)命日 758年(乾元元年)<< 戻る 0758.01.01 人物
便り 行基寺-岐阜県海津市 ・行基寺 浄土宗 岐阜県海津市南濃町大字上野河戸1024-1天平の初め頃(約1300年前)、当時、大仏建立の勧進のため諸国を行脚していた行基菩薩が聖武天皇の勅願を得て、美濃・尾張・伊勢の三国の守護霊場山として、この地に七堂伽藍を尽くした菩提寺が建立されたのが始まりです。当山内には行基塚があり、天平宝字元年二月二日に行基菩薩が八十二歳でご入寂されたと伝えられる場所には板碑、七重の石塔(共に重要文化財)が今も残っています。(リンク先より)※天平宝字元年 757年 << 戻る 0757.02.02 便り年表
人物 橘諸兄(たちばなのもろえ) 奈良時代の皇族・公卿。初名は葛城王(葛木王)で、臣籍降下して橘宿禰のち橘朝臣姓となる。敏達天皇の後裔で、大宰帥・美努王の子。母は橘三千代で、光明子(光明皇后)は異父妹にあたる。生誕 天武天皇13年(684年)命日 天平勝宝9年1月6日(757年1月30日)<< 戻る 0757.01.06 人物
便り 大日寺-千葉県千葉市稲毛区 ・阿毘盧山 大日寺 真言宗豊山派 千葉県千葉市稲毛区轟町2-1-27『大日寺縁起』によりますと、阿毘廬山密乗院大日寺は第46代孝謙天皇(在位749年~758年)の勅願を受け、仁生菩薩が757年に開基されたと言われております。戦前、大日寺は千葉神社の南側、現在の通町公園にあり、昭和20年の千葉大空襲において多大な戦災を受け、現在の地である稲毛区轟町に昭和26年11月に移転しました。(リンク先より) << 戻る 0757.01.01 便り年表
便り 円蔵院-福島県福島市 ・円蔵院 真言宗豊山派 福島県福島市飯坂町八幡内28天平宝字年間(約千二百年前) 現在の舘ノ山に「円蔵院」創建開山。大鳥城主 佐藤基治公の築城により、麓に遷建拡大。同時に宇佐八幡を勧請し、「八幡神社」別当職にあたり 「八幡山円蔵院八幡寺」となって、佐藤家の祈願寺となる。(リンク先より)※天平宝字年間 757年から765年 << 戻る 0757.01.01 便り年表
人物 楊貴妃(ようきひ) 中国唐代の皇妃。姓は楊、名は玉環。貴妃は皇妃としての順位を表す称号。玄宗皇帝の寵姫。玄宗皇帝が寵愛しすぎたために安史の乱を引き起こしたと伝えられたため、傾国の美女と呼ばれる。世界三大美人の一人で古代中国四大美人の一人とされる。壁画等の類推から、当時の美女の基準からして実際は豊満な女性であった。生誕 719年6月22日(開元7年6月1日)命日 756年7月15日(至徳元載(元年)6月14日)<< 戻る 0756.06.14 人物
便り 円成寺-奈良県奈良市 ・円成寺 真言宗御室派 奈良県奈良市忍辱山町1273創建については諸説あります。当山に伝わる『和州忍辱山円成寺縁起』(江戸時代)によると、天平勝宝8年(756)聖武上皇・孝謙天皇の勅願で、鑑真和上の弟子、唐僧虚滝和尚の開山であるとされていますが、同書のなかで中興の祖とされている命禅上人が、万寿3年(1026)、この地に十一面観音像を安置したのが始まりのようです。(リンク先より) << 戻る 0756.01.01 便り年表
仏教を本気で学ぶ 鑑真が律宗を伝える 天平勝宝5年(753年)、鑑真(がんじん・688〜763年)が6度の航海の末に、唐から招来し、東大寺に戒壇を開き、聖武上皇、称徳天皇を初めとする人々に日本で初めて戒律を授けました。後に唐招提寺を本拠として戒律研究に専念し、南都六宗の一つとして今日まで続いています。日本の留学僧の願いで日本への渡航を決意しましたが、5度心みて失敗しました。そのため盲目になりましたが意志をかえず、6度めにようやく目的をはたして来日しました。鑑真が伝えたのは「四分律」によるものでしたが、平安時代の最澄や空海はこれを支持せず、空海は「十誦律」を重んじました(ただし、最澄は延暦寺に独自の戒壇を設置するが、空海は受戒につい... 0753.01.01 仏教を本気で学ぶ年表
便り 西大寺-岡山県岡山市東区 ・西大寺 高野山真言宗 岡山県岡山市東区西大寺中3-8-8天平勝宝3年(751年)周防の国(山口県)玖珂庄に住む藤原皆足(ふじわらのみなたる)姫が観音菩薩の妙縁を感じて金岡の郷に草庵を開基し、千手観音を安置したのが創まりであった。(リンク先より) << 戻る 0751.01.01 便り年表
人物 行基(ぎょうき) 行基とは、奈良時代に活躍した高僧です。百済系渡来人の子孫として、和泉国(大阪府)に生まれました。諸国をまわって人々に仏教を広め、朝廷から民衆をまどわすとして弾圧されましたが、後に許され、東大寺の大仏建立にあたっては弟子や民衆を動員して協力し、聖武天皇から日本最初の大僧正(だいそうじょう)に任じられました。また、信者の力を借りて各地に池をほり、道路や橋をつくるなど社会事業にも尽くしたことから、行基菩薩とたたえられました。生誕 天智天皇7年(668年)命日 天平21年2月2日(749年2月23日)<< 戻る 0749.02.02 人物仏教を本気で学ぶ年表
便り 安住院-岡山県岡山市中区 ・安住院 真言宗善通寺派 岡山県岡山市中区国富3-1-29奈良時代(天平勝宝年間749〜756)名僧「報恩⼤師」によって禅光寺は創建されたとされ、⼤師が建⽴した備前48ヶ寺の⼀つであり、安住院はその本坊にあたる。創建後、栄枯盛衰を繰り返すが、平安時代(延喜七年907)醍醐寺の僧「聖宝」により第1の中興をなす。次に室町時代(応永二年1395)「増吽」僧正が遊践して第2の中興をなす。(リンク先より) << 戻る 0749.01.01 便り年表
便り 金山寺-岡山県岡山市北区 ・金山寺 天台宗 岡山県岡山市北区金山寺481金山寺は報恩大師が749年に開いた岡山県を代表する古刹です。岡山市の真北に位置し、広く人々の信仰を集める聖地です。鎌倉時代には栄西を輩出し、焼討後の再建は宇喜多直家公になされました。栄西と宇喜多家ゆかりのお寺です。(リンク先より) << 戻る 0749.01.01 便り年表
便り 餘慶寺-岡山県瀬戸内市 ・餘慶寺 天台宗 岡山県瀬戸内市邑久町北島1178上寺山餘慶寺は報恩大師ほうおんだいしの開基として伝えられている備前四十八カ寺のひとつで、749(天平勝宝元)年の開山当初は「日待山日輪寺にったいさんにちりんじ」と称されていた。 9世紀に天台宗中興の祖てんだいしゅうちゅうこうのそ、慈覚大師円仁じかくだいしえんにんの命により「本覚寺」と寺号を改め、ご本尊に千手観世音菩薩を奉祀ほうしし、七堂伽藍しちどうがらんが整えられるなど繁栄を極めた。しかし戦乱期の12世紀末には、源平の争乱により近隣にあった今木城いまぎじょうと共に支院や三重塔を焼失したという。その後、時代の進展と共に徐々に寺院の復興は進み、寺号... 0749.01.01 便り年表
便り 自敬寺-大阪府大阪市淀川区 ・自敬寺のホームページ 黄檗宗 大阪府大阪市淀川区西三国2-12-43749年~759年 奈良時代(天平勝宝年間)行基菩薩によって「仏生山金光寺」として創建されました。 1576年 天正4年(室町時代中期)現在のご本尊である「十一面観世音菩薩」が作られました。(リンク先より) << 戻る 0749.01.01 便り年表
便り 地蔵院-山口県山口市 ・地蔵院 高野山真言宗 山口県山口市名田島3483天平19年、(747)地蔵院は行基菩薩により創建されました。この地には最初、毎夜霊光が現れるということで、臨済宗の「長安寺」という名でお寺が創建されましたが、その後衰退し明治初年に防府の国分寺の塔中であった「地蔵院」を今の地「岩屋」に移し「岩屋山」と山号を改め真言宗の「岩屋山 地蔵院」となりました。ご本尊様は延命地蔵(リンク先より) << 戻る 0747.01.01 便り年表
便り 石山寺-滋賀県大津市 ・石山寺 東寺真言宗 滋賀県大津市石山寺1-1-1・第十二番 ⇒ 西国三十三所 第十三番 石光山 石山寺 ⇒ 第十四番天平19年(747)、石山寺は聖武天皇の勅願により、良弁僧正が建てられた寺院と伝えられます。良弁僧正は聖武天皇から、東大寺の大仏建立にあたって黄金が不足しているので、黄金の産出を祈願するようにと命じられました。はじめは吉野の金峯山で祈願していた良弁僧正ですが、蔵王権現の夢告を受けて、この石山の地にたどりつきます。そして岩の上に、聖武天皇から預かった聖徳太子の念持仏を祀って祈願したところ、陸奥国で黄金が発見されました。祈願が達成されたため、念持仏を移動させようとしましたが、岩から... 0747.01.01 便り年表
便り 立江寺-徳島県小松島市 ・立江寺 高野山真言宗 徳島県小松島市立江町字若松13・18番札所 ⇒ 四国八十八ヶ所 第19番札所 橋池山 摩尼院 立江寺 ⇒ 20番札所天平19年(西暦747年)に聖武天皇の勅命により、光明皇后のご安産を祈願して建立された立江寺には、今も安産を祈願する人の姿が絶えません。また『四国の総関所』として四国八十八ケ所の根本道場としても知られています。(リンク先より) << 戻る 0747.01.01 便り年表
人物 玄昉(げんぼう) 奈良時代の法相宗の僧侶。俗姓は阿刀氏(安斗氏)。安斗阿加布の子とする系図や、善珠の父とする史書もあります。僧官は僧正。717年、中国・唐に入り、法相宗の教学を学び、735年に帰国する。藤原武智麻呂らが流行病により倒れたため、橘諸兄・吉備真備らと共に政界での権力を握ることになりました。また、聖武天皇による東大寺建立の発意等も玄昉の進言によるところが大きいといわれ、鎮護国家のための仏教確立に大きな影響を与えたといわれています。740年、藤原広嗣の乱は権力の中枢にあった玄昉を除くためのものでしたが、藤原仲麻呂の台頭により、745年筑紫観世音寺に左遷されます。生誕 命日 天平18年6月18日(746年... 0746.06.18 人物仏教を本気で学ぶ年表
便り 国分寺-岐阜県高山市 ・国分寺 高野山真言宗 岐阜県高山市総和町1-83天平13年(AD741)、聖武天皇は国分寺建立の詔勅を下し、諸国に国分寺と尼寺を造立せしまられた。僧寺には七重の塔を造り、金光明最勝王経を写し、封50戸、水田10町を施入し僧20人と定められた。その目的は金光明最勝王経の読誦講読による鎮護国家の理想実現と地方政治の確立、文化の開拓にあった。 当飛騨の国分寺は、開基を行基菩薩とし、天平18年(AD746)草建されたという。(リンク先より) << 戻る 0746.01.01 便り年表
便り 護国之寺-岐阜県岐阜市 ・護国之寺 高野山真言宗 岐阜県岐阜市長良雄総194-1天平18年(746)聖武天皇の勅願により行基菩薩が開創されました 創建時は三十三の堂塔が並び長良島、日野を寺領とする壮大な寺院であったと伝えられます嘉元2年(1304)熊谷直実蓮生坊が祖父の為に供養塔を建立されました 塔は宝篋印塔で 現存します(リンク先より) << 戻る 0746.01.01 便り年表
便り 慈恩寺-山形県寒河江市 ・慈恩寺 慈恩宗 山形県寒河江市大字慈恩寺字鬼越31寺伝によれば、神亀元年(724年)、僧基薩が諸国巡錫の砌、慈恩寺の景勝なるを見て都に帰り、聖武帝に奏上し、勅命によって印度僧婆羅門僧正が天平18年(746)精舎を建立して開基したのが慈恩寺の初まりであると書かれている。しかし、これはあくまで寺伝として受け止めるべきであろう。最近の調査で慈恩寺の歴史が少しずつ明らかになって来たのは平安後期からである。(リンク先より) << 戻る 0746.01.01 便り年表
便り 普照院-兵庫県神戸市兵庫区 ・普照院 時宗 兵庫県神戸市兵庫区今出在家町4丁目1-29当寺は慈光山普照院(じこうざんふしょういん)と申します。天平18年(746年)行基菩薩によって開基されました薬仙寺(神戸市兵庫区)境内に於いて、国阿上人が貞治4年(1365年:室町時代初期)に普照院を建立されました。その後は、永らく薬仙寺内塔頭(たっちゅう)寺院として、兵庫史と共に歩みます(約500年)。(リンク先より) << 戻る 0746.01.01 便り年表
便り 往生院六萬寺-大阪府東大阪市 ・往生院六萬寺 単立 大阪府東大阪市六万寺町1-22-36天平17年(745年)、行基菩薩49院建立の折に、聖武天皇の勅願により、桜井寺荒廃の跡へ、六萬寺を再建し、薬師如来を本尊としていたことが伝わっています。それ以前も文武天皇の時、役小角(修験道の開祖)が来山し、背後の岩瀧山にこもり、修験錬行の地としていたことも伝えられています。(リンク先より) << 戻る 0745.01.01 便り年表
便り 念佛寺-奈良県天理市 ・念佛寺 浄土宗 奈良県天理市中山町401奈良時代、天平17(745)年に行基僧正によって開山されました。現在お寺の東側墓地の中腹に「行基大菩薩」の石碑があります。行基僧正が中楽寺の十一面観音を参籠された時に、現在お寺があるこの場所を「長山(おさやま)」と名付けました。そこで土の中に光るものを見つけ、拾ってみると1本の朽ち木でした。行基僧正はこれを彫って本尊とし、この時にお寺の名前を「念佛寺」としたそうです。(リンク先より) << 戻る 0745.01.01 便り年表
人物 南嶽懐譲(なんがくえじょう) 中国唐の時代の禅僧。金州安康県の出身。中国禅宗の七祖(南宗)。大鑑慧能に就いて嗣法。弟子には馬祖道一がいる。諡は大慧禅師。南嶽衡山般若寺。大恵禅師は数人いるので出典等で要確認。・「南嶽大慧禅師懐譲和尚、そのかみ曹渓に参じて、執侍すること十五秋なり。しかうして伝道授業すること、一器水瀉一器(一器の水を一器に写す)なることをえたり。古先の行履、もとも慕古すべし。十五秋の風霜、我をわづらはすおほかるべし。しかあれども純一に究弁す、これ晩進の亀鏡なり。寒爐に炭なく、ひとり虚堂にふせり、涼夜に燭なく、ひとり明窓に坐する、たとひ一知半解なくとも、無為の絶学なり。これ行持なるべし。」(「正法眼蔵」行持・上)... 0744.08.11 人物
便り 三津寺-大阪府大阪市中央区 ・七宝山大福院 三津寺 真言宗御室派 大阪府大阪市中央区心斎橋筋2-7-12七宝山 大福院 三津寺(しっぽうざん だいふくいん みつてら)は、応神天皇を葬り奉った御墓所として、奈良時代の名僧・行基菩薩が楠を植えたのを始まりとし、のちに聖武天皇の勅命によって天平16年(744年)に行基菩薩が十一面観世音菩薩を安置した本堂を創建したことをもって開山とされています。また、七宝山という山号は、小松宮さまがお寺をご訪問された際に下賜されたものであります。(リンク先より) << 戻る 0744.01.01 便り年表
人物 青原行思(せいげんぎょうし) 中国唐の時代の禅僧。吉州安復県出身。大鑑慧能に就いて嗣法。弟子には石頭希遷がいる。諡は弘済禅師。青原山浄居寺。子供の頃に寺に入り、しばらく修行した後に曹渓山(広東省韶関市曲江区)の大鑑慧能を尋ねて師事した。その後、故郷に帰って青原山に浄居寺(江西省吉安市青原区)を開く。後に弟弟子に当たる石頭希遷が大鑑慧能の死後に、第一座の勧めで来訪して弟子となり、その法を発展させ、その弟子筋からは、曹洞宗、雲門宗、法眼宗の三派が起こる。生誕 命日 開元28年12月13日(741年1月4日)<< 戻る 0741.12.13 人物