buddhism

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大覚寺-京都府京都市右京区

・大覚寺 真言宗大覚寺派 京都府京都市右京区嵯峨大沢町4弘法大師空海を宗祖と仰ぐ真言宗大覚寺派の本山。正式には旧嵯峨御所大本山大覚寺と称し、嵯峨御所とも呼ばれる。平安初期、嵯峨天皇が檀林皇后とのご成婚の新室である離宮を建立されたが、これが大覚寺の前身・離宮嵯峨院である。 嵯峨院が大覚寺となったのは、皇孫である恒寂入道親王を開山として開創した貞観18年(876年)である。弘法大師空海のすすめにより嵯峨天皇が浄書された般若心経が勅封(60年に1度の開封)として奉安され、般若心経写経の根本道場として知られる。(リンク先より)<< 戻る
年表

「竹取物語」「伊勢物語」などが著される

874年、このころ「竹取物語」「伊勢物語」などが著される。<< 戻る
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洞山良价(とうざんりょうかい)

中国唐代の禅僧。諡は悟本大師。俗姓は兪。越州諸曁県の出身。五家七宗の一つ、曹洞宗の開祖。雲巌曇晟に就いて嗣法。弟子には雲居道膺、曹山本寂など多数。筠州洞山(江西省宜春市宜豊県)を開き、門徒は500~1000人に達したという。著書に『宝鏡三昧』がある。悟本大師。洞山悟本大師。五台山の高僧である五洩霊黙のもとへ遣わされ、21歳のとき受戒した。後に南泉普願、潙山霊祐にも師事。最後に雲巌曇晟に就いて嗣法。生誕 元和2年(807年)命日 咸通10年3月8日(869年4月23日)<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

補陀落渡海のはじまり

868年11月3日、慶龍上人が熊野那智より渡海したのが一番古い記録です(「熊野年代記」)。補陀洛山寺は「補陀落渡海(ふだらくとかい)」の出発点だったことで知られています。「補陀落」とはサンスクリット語の「ポタラカ」の音訳で、南方の彼方にある観音菩薩の住まう浄土のことをいい、『華厳経』にはインドの南端にあると説かれています。観音信仰の流布と共に、チベットや中国にも補陀落は想定されました。チベットではラサ北西に建つ、観音の化身ダライラマの宮殿をポタラ(補陀落)宮と呼び、中国では舟山諸島の2つの島を補陀落としました。日本においては南の海の果てに補陀落浄土はあるとされ、その南海の彼方の補陀落を目指して...
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臨済義玄(りんざいぎげん)

中国唐代の禅僧。諡は慧照禅師。曹州南華県の出身。黄檗希運に就いて嗣法。真定府臨済院。『臨済慧照禅師語録』黄檗三打の機縁で大悟する。・「慧照大師は、講経の家門をなげ捨てて、黄檗の門人となれり。黄檗の棒を喫すること三番、あはせて六十挂杖なり。大愚のところに参じて省悟せり。ちなみに鎭州臨済院に住せり。黄檗の心を究尽せずといへども、相承の仏法を臨済宗となづくべしといふ一句の道取なし、半句の道取なし。豎拳せず、拈払せず。」(「正法眼蔵」仏道)生誕 命日 咸通8年1月10日(867年2月18日)または、咸通7年4月10日(866年5月27日)<< 戻る
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隆勝寺-山形県山形市

・隆勝寺 真宗大谷派 山形県山形市小荷駄町1-1【850年頃】慈覚大師(天台宗)が龍山(霊山)寺創建西蔵王に龍山寺を中心にたくさんの堂塔・坊舎がたったことから三百坊と呼ばれる 【867年】龍山寺が定願寺(国指定の寺)になる隆勝寺を含め、三百坊隆盛【1258年】北条時頼三百坊閉山命令隆勝寺山形市成沢へ移転し、復興【1451年】浄土真宗に改宗(リンク先より)<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

伝教大師の諡号が贈られる

貞観8(866)年、清和天皇より最澄上人に伝教大師の諡号が贈られました。大師号も日本ではこれが最初です。<< 戻る
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徳山宣鑑(とくざんせんかん)

中国唐代の禅僧。簡州陽安県の出身。諡は見性大師。龍潭崇信に就いて嗣法。弟子には雪峰義存、巌頭全奯がいる。武陵徳山古徳禅院。30年間にわたって龍潭崇信に師事し、潙山霊祐にも参禅した。徳山の棒。生誕 建中元年(780年)命日 咸通6年12月3日(865年12月24日)<< 戻る
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真済(しんぜい)

平安時代前期の真言宗の僧。父は巡察弾正紀御園。空海の十大弟子の一人で、真言宗で初めて僧官最高位の僧正に任ぜられた。詩文にも優れ、空海の詩文を集めた『性霊集』を編集している。また、長く神護寺に住し、その発展に尽力した。高雄僧正・紀僧正・柿本僧正とも称される。生誕 延暦19年(800年)命日 貞観2年2月25日(860年3月25日)<< 戻る
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立石寺-山形県山形市

・立石寺 天台宗 山形県山形市大字山寺4456-1貞観2年(860)、第三世天台座主慈覚大師円仁 が開いた、天台宗の御山で東北を代表する 霊山です。「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」 という松尾芭蕉の句でも知られています。豊かな自然に恵まれ、春・夏・秋・冬、 四季折々の雰囲気を楽しむことが出来ます。(リンク先より) << 戻る
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大安寺-愛媛県東温市

・大安寺 臨済宗妙心寺派 愛媛県東温市下林甲1216貞観元年(859年)8月、南都大安寺の行教和尚が勅を奉じて、豊前の国宇佐八幡宮より山城国男山の勧請の帰途台風にあい、松前浜に船を寄せてこの地に来た。たまたま国司散位河野伊予守興村これを信仰すること厚く、別当寺を建立して南都大安寺を遷し、大伽藍を建立して大安寺と称した。(リンク先より) << 戻る
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長福寺-茨城県水戸市

・長福寺 天台宗 茨城県水戸市塩崎町1135創建は清和天皇の御代の貞観元年(859年)平安時代で開基は慈覚大師。本尊は阿弥陀如来で、恵心僧都の作。恵心僧都は源信(942~1017)で「往生要集」の作者で、中世念仏興降のさきがけの人である。また中興開山は栄尊和尚である。(リンク先より) << 戻る
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伊崎寺-滋賀県近江八幡市

・伊崎寺 天台宗 滋賀県近江八幡市白王町1391伊崎寺は山号を「姨倚耶山(いきやさん)」といい、近隣にある西国三十三所札所である長命寺と同じ山号です。長命寺から連なる山系上に立地しています。伝承では奈良時代、修験道の開祖とされる役行者(えんのぎょうじゃ)がここを最初に見つけられて行場としたといわれています。その折、イノシシが役行者をこの地に導いたということから「猪先(いさき)」という名になったと伝えられています。その後、貞観年間(859〜876)に相応(そうおう)和尚が寺院を創建、自作の不動明王を安置されました。(リンク先より) << 戻る
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観音寺-福島県福島市

・観音寺 天台宗 福島県福島市上鳥渡字観音寺7当寺は天安二年(858年)に奥州安擦使(あぜち)山陰中納言(伊達家元祖)の発願により、慈覚大師の高弟道叡和尚が、奈良吉野山の白滝の中から出現した聖観世音菩薩(長野善光寺形)を本尊にいただき開山したと伝えられています。(リンク先より) << 戻る
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帯解寺-奈良県奈良市

・帯解寺 華厳宗 奈良県奈良市今市町734当山は弘法大師の師である勤操大徳の開基巖渕千坊の一院で霊松庵と申しました。そして、今から約1100年前、人皇55代文徳天皇の御妃染殿皇后(藤原明子)が永い間お子様が生まれず、大変お悩みの折、祖神春日明神のお告げによって、早速勅使をたてられて帯解子安地蔵菩薩にお祈り遊ばされたところ、まもなく御懐妊、月満ちて惟仁親王(のちの清和天皇)を御安産になられました。文徳天皇はお喜びのあまり、天安二年(858年)春、更に伽藍を建立になり寺号を改められ、無事帯が解けた寺、帯解寺(おびとけでら)と勅命せられました。(リンク先より) << 戻る
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専精寺-岐阜県不破郡

・専精寺 浄土真宗本願寺派 岐阜県不破郡垂井町1349西暦858年(天安2年)慈覚大師が専精寺の前身である「天台宗 普門山善相院」を創建されました。その後、西暦1328年(元享3年)本願寺3世覚如上人が関東へ御下向の途中当院へお立ち寄りになった際、当寺住職は、覚如上人の教えに賛同し、天台宗より浄土真宗に改宗しました。(リンク先より) << 戻る
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錦織寺-滋賀県野洲市

錦織寺の創建は858年(天安2年)、天台宗の慈覚大師円仁により、最澄が比叡山を開く際に霊木で作成した鞍馬寺の毘沙門天像と同木同作の像を、天安堂(毘沙門堂)を建立して祀ったことによる。嘉禎元年(1235年)、浄土真宗の開祖である親鸞が関東からの帰洛の途中、美濃国の正蓮寺で毘沙門天の霊告を受けて当寺に立ち寄り、常陸国滞在中に霞ヶ浦にて感得した一尺八寸の阿弥陀如来座像をこの地に安置したとされる。そして、著述中であった『教行信証』全六巻の内、最後の二巻となる「真仏土巻」と「化身土巻」を作成し、教行信証を完成させ、その記念として真正面向きの肖像画である「満足の御影」を描いたとされる。そして親鸞に帰依した...
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影現寺-奈良県葛城市

・影現寺 高野山真言宗 奈良県葛城市柿本161当山は大和葛城山のふもとに位置し、西暦858年お大師様の高弟柿本紀真済僧正の開基で、当山と並び位置する柿本人麻呂を祀る柿本神社を護持する神宮寺として創建されました。(リンク先より) << 戻る
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八王寺(竹寺)-埼玉県飯能市

・八王寺(竹寺) 天台宗 埼玉県飯能市南704「竹寺(八王寺)略縁起」当山は、縁起によれば「天安元年丑年、慈覚大師東国巡修の折、疫病流行し患者の多きを憐れみて、当山を道場として大護摩の秘法を修し、一切の障 難を除き、疫病を降伏し病患を除かしめん事を誓い、一刀三礼して尊像を造り、世の人を救い後世に遺し給へり・・・」と。(リンク先より)※天安元年 857年 << 戻る
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泉涌寺-京都府京都市東山区

・泉涌寺 真言宗泉涌寺派 京都府京都市東山区泉涌寺山内町27東山三十六峯の一嶺、月輪山の麓にたたずむ泉涌寺。皇室の菩提所として、また諸宗兼学の道場として、壮麗な堂宇が  甍を連ね、幽閑脱俗の仙境、清浄無垢の法城となっている。 斉衡2年(855)左大臣藤原緒嗣が僧・神修のために山荘を与えて寺となし仙遊寺と称するようになり、建保6年(1218)に、当寺が開山と仰ぐ月輪大師・俊芿(がちりんだいし・しゅんじょう)が宇都宮信房からこの聖地の寄進を受け、宋の法式を取り入れた大伽藍の造営を志し、嘉禄2年(1226)に主要伽藍の完成をみた。その時、寺地の一角から清水が涌き出たことにより泉涌寺と改めた。(リンク...
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禅林寺(永観堂)-京都府京都市左京区

・禅林寺(永観堂) 浄土宗西山禅林寺派 京都府京都市左京区永観堂町48仁寿 三 853 十月、真紹、藤原関雄の故居を買い取り、禅林寺の敷地に当てる。貞観 五 863 九月、清和天皇より鎮護国家の道場として勅額を賜い、「禅林寺」と名づける。(リンク先より) << 戻る
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潙山霊祐(いさんれいゆう)

中国唐代の禅僧。諡は大圓禅師。俗姓は趙。福州長渓県(福建省寧徳市霞浦県)の出身。法語として『潙山警策』がある。百丈懐海に就いて嗣法。弟子には仰山慧寂、香厳智閑など多数。大円禅師。大潙大円禅師。貞元元年(785年)、15歳で出家、福州建善寺の法常律師のもとで剃髪し、杭州龍興寺で受戒した。経律を学ぶ。貞元9年(793年)、23歳で洪州に赴いて百丈懐海に学び、その法嗣となる。元和15年(820年)頃、潙山密印寺(湖南省長沙市寧郷市潙山郷)に住して、多数の門弟を訓育した。住寺は同慶寺の号を賜った。弟子の中に仰山慧寂があり、彼らの門流を、後世「潙仰宗」と称した。生誕 大暦6年(771年)命日 大中7年(...
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倫勝寺-秋田県能代市

・倫勝寺 曹洞宗 秋田県能代市仁井田白山13853年(仁寿3年)慈覚大師がこの地を訪れて観世音の木像と地蔵尊の石像各1体を彫って安置。その後 桧山安東氏の菩提寺である華厳宗国清寺を開山したと言われる在天文龍大和尚がこの観世音を本尊として新田山林昌寺を建立。(リンク先より) << 戻る
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圓融寺 | フェイスブック

目黒区碑文谷の閑静な住宅街に位置する経王山文殊院 圓融寺は、今から約1150年前、平安時代の仁寿3年(853)、慈覚大師による創建と伝えられる天台宗の古刹です。(リンク先より)・圓融寺 | フェイスブック
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円融寺-東京都目黒区

・圓融寺(円融寺) 天台宗 東京都目黒区碑文谷1-22-22平安時代の仁寿3年(853)、慈覚大師による創建と伝えられる天台宗の古刹です。草創当時は法服寺と名付けられましたが、鎌倉時代の弘安6年(1283)に、日蓮上人の高弟である日源上人によって日蓮宗に改宗され、寺号も法華寺と改められます。(リンク先より) << 戻る
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塩谷寺-神奈川県横浜市港北区

・薬王山塩谷寺ホームページ 天台宗 神奈川県横浜市港北区高田西4-34-35薬王山光明院塩谷寺は、平安時代の初期、仁寿元(851)年に慈覚大師円仁によって開山された、天台宗の寺院です。文徳天皇(在位851~858)の時代、天皇は皇后の病や世継ぎの問題に悩まれておられました。この時、慈覚大師によって遠く横浜高田の地に湧き出でる、霊験あらたかであると言われる霊泉が献上されました。(リンク先より) << 戻る
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岩角寺-福島県本宮市

・岩角寺 天台宗 福島県本宮市和田字東屋口84開山は人皇55代 文徳天皇 の御代、仁寿元年(西暦851年)。天台宗第3祖慈覚大師が開基された霊場です。山中に点在する露出した岩石には、それぞれに即した名が付けられ、その岩肌には江戸時代に西国より移し線刻された西国霊場33ヵ所の観世音や菩薩、天王、天神などの808躯が刻まれています。(リンク先より) << 戻る
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千手院-長野県南佐久郡

・千手院 天台宗 長野県南佐久郡佐久穂町平林263佐久十四番札所として、平林觀音さまで知られている千手院は、天台宗に属し比叡山を総本山とし、仁寿年間(紀元一五十一年頃)第三世天台座主を勤められました慈覚 大師「圓仁」の開基で、現在まで七十六代、一千百五十余年の法統を守る古刹であります。 山号を平林山、寺号を津金寺と称し、千手觀世音菩薩を本尊とし日本三津金寺の一寺です。日本三津金寺とは、北佐久郡立科町山部の津金寺、甲州津金の津金寺(現在の海岸寺)と當山の三箇寺で、ひとり寺号を同じくするのみでなく、ともに行基菩薩御手造りの三躰觀世音菩薩像を各々本尊としています。(リンク先より)※仁寿年間 851年...
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毛越寺-岩手県西磐井郡

・毛越寺 天台宗 岩手県西磐井郡平泉町平泉字大沢58寺伝によると嘉祥3年(850)慈覚大師が東北巡遊のおり、この地にさしかかると、一面霧に覆われ、一歩も前に進めなくなりました。ふと足元を見ると、地面に点々と白鹿の毛が落ちておりました。 大師は不思議に思いその毛をたどると、前方に白鹿がうずくまっておりました。大師が近づくと、白鹿は姿をかき消し、やがてどこからともなく、一人の白髪の老人が現われ、この地に堂宇を建立して霊場にせよと告げました。大師は、この老人こそ薬師如来の化身と感じ、一宇の堂を建立し、嘉祥寺と号しました。これが毛越寺の起こりとされます。(リンク先より)<< 戻る
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中尊寺-岩手県西磐井郡

・中尊寺 天台宗 岩手県西磐井郡平泉町平泉字衣関202中尊寺は嘉祥3年(850)、比叡山の高僧慈覚大師円仁によって開山されたといわれています。慈覚大師は天台宗第三代座主で、世界三大旅行記のひとつ『入唐求法巡礼行記』の著者としても知られています。大師の開山は「勧請開山」と言って、師の法を汲む人々がその徳を偲んで開山として仰いだものです。(リンク先より) << 戻る
人物

黄檗希運(おうばくきうん)

中国唐代の禅僧。諡は断際禅師。福州閩県の出身。百丈懐海に就いて嗣法。弟子には 臨済義玄、裴休がいる。黄檗山黄檗寺を開創。『黄檗希運禅師伝心法要』生誕 命日 大中4年(850年)<< 戻る
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大覚寺-静岡県焼津市

・大覚寺大覚寺 曹洞宗 静岡県焼津市大覚寺1204嘉祥三(850)年、嵯峨天皇御領、入江荘を開き、伝弘法大師作薬師如来を本尊として真言宗大覚寺が開創されました。現在の「焼津市大覚寺」の地名としてこの地に残っています。たび重なる天災地変を受け大覚寺の法灯は永延二(998)年、荘園郷主大覚寺屋敷「本家 槇田家」の菩提寺として天台宗善修庵にひきつがれ、弘治三(1553)年曹洞宗全珠院に改められ、今日までの法灯を伝えています。(リンク先より) << 戻る