buddhism

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南禅寺-京都府京都市左京区

・南禅寺 臨済宗南禅寺派 京都府京都市左京区南禅寺福地町正応4年(1291年)、亀山法皇が無関普門禅師(大明国師)を開山に迎えて開創されました。(リンク先より) << 戻る
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南禅寺派(本山南禅寺(京都))の開派

正応4(1291)年、無関普門禅師により始まる。臨済宗南禅寺派(楊岐派の禅)。<< 戻る
人物

一遍(いっぺん)

一遍とは、鎌倉時代中期の僧侶。時宗の開祖。「一遍」は房号であり、法諱は「智真」。一遍上人、遊行上人(ゆぎょうしょうにん)、捨聖(すてひじり)と尊称されます。著作に『一遍上人語録』があります。延応元年(1239年)伊予国(愛媛県)久米郡の豪族、河野通広(出家して如仏)の第2子として生まれます。幼名は松寿丸。10歳の時に母が死ぬと父の勧めで天台宗の継教寺で出家、法名は随縁といいました。建長3年(1251年)13歳になると大宰府に移り、法然の孫弟子に当たる聖達の下で10年以上に渡り浄土宗西山義を学びます。聖達は、随縁に浄土教の基礎的学問を学ばせるため、肥前国清水にいた華台のもとへ最初の1年間派遣し、...
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瑩山禅師、三代相論により大乗寺に移る

正応2(1289)年春、三代相論により永平寺を下山した義介禅師に従い加賀(現在の石川県金沢市)の大乗寺に移る。<< 戻る
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「正法眼蔵」唯仏与仏(ゆいぶつよぶつ)

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宝戒寺-神奈川県鎌倉市

・宝戒寺 公式サイト 天台宗 神奈川県鎌倉市小町3-5-22当山は天台宗の寺院で金龍山 釈満院 円頓宝戒寺(きんりゅうざん しゃくまんいん えんどんほうかいじ)と号す。開基は後醍醐(ごだいご)天皇(1288~1339)開山は天台座主 五代 国師円観恵鎮慈威和上(てんだいざす ごだい こくしえんかんえちんじいかしょう)(注1)で建武(2年)年間創建された。当寺は北条義時(よしとき)が小町邸を造って以来北条執権の屋敷となり、元弘(げんこう)3年(1333)5月22日北条九代滅亡後その霊を慰めるため、又、国宝的人材を養成修行せしめる道場として後醍醐(ごだいご)天皇が足利尊氏公に命じこの屋敷跡に建立さ...
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日蓮聖人御尊像の造立

正応元年(1288)、池上本門寺大堂に奉安されている日蓮聖人御尊像(重要文化財)が、六老僧の1 人日持聖人らによって造立される。日朗聖人は、自らが布教活動の拠点としていた鎌倉比企谷の長興山妙本寺と池上本門寺の貫首職を兼任した(両山一首制、昭和16 年まで続く)。<< 戻る
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唯円上洛

1288(正応元)年(冬)、常陸国河和田の唯円上洛。この前後に『歎異抄』あらわされる。<< 戻る
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海徳寺-広島県尾道市

・海徳寺 時宗 広島県尾道市東久保町19-14当山は鎌倉時代末、全国を津々浦々遊行し、念仏の大切さを説いて回られた一遍上人が弘安十年(1287年)、尾道に滞在し念仏勧進された道場が起源と伝えられているお寺で、現住職で五十四代目です。(リンク先より) << 戻る
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東慶寺-神奈川県鎌倉市

・北鎌倉 松岡山東慶寺 臨済宗円覚寺派 神奈川県鎌倉市山ノ内1367東慶寺は鎌倉時代の弘安8年(1285)に開創された臨済宗円覚寺派の寺院です。女性から離婚できなかった封建時代に、当寺に駆け込めば離縁ができる女人救済の寺として明治に至るまでの600年間、縁切りの寺法を引き継いできました。(リンク先より) << 戻る
年表

瑩山禅師、諸国行脚へ

弘安8(1285)年1月、諸国行脚(あんぎゃ)の途に入り、越前大野の宝慶寺(ほうきょうじ)の寂円禅師、京都・万寿寺の宝覚禅師、東福寺の東山湛照や白雲恵暁禅師など様々な諸師に訪ね、また比叡山に上っては天台教学や一切経を学びました。弘安9(1286)年、紀州(和歌山)由良の興国寺の心地覚心禅師を訪ねました。正応元(1288)年秋、越前に戻り、再び宝慶寺を訪ねた後、永平寺に帰山します。<< 戻る
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常敬寺-千葉県野田市

・常敬寺 浄土真宗本願寺派 千葉県野田市中戸379-11284年(弘安七年)親鸞聖人の孫、唯善上人の開基のお寺です。もともと鎌倉の地にあった常敬寺は、元寇により乱逆兵火に遭うことを心配した惟康親王が、時の執権北条時宗に命じて、下総国関宿深栖郷に七堂の大伽藍を建立させたことで現在の地に移りました。(リンク先より) << 戻る
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東昌寺-宮城県仙台市青葉区

・東昌寺 臨済宗東福寺派 宮城県仙台市青葉区青葉町8-1東昌寺は1283年(弘安6年)福島の伊達の桑折という所から始まりました。伊達家の初代から3世までははっきりとした形の菩提寺というものは持っていませんでしたが、4世の伊達政依という方は仏道の帰依が厚く、自分自身の寺としてこの東昌寺を作ったのです。つまり、伊達家最初の菩提寺ということになります。(リンク先より) << 戻る
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満勝寺-宮城県仙台市青葉区

・満勝寺 臨済宗東福寺派 宮城県仙台市青葉区柏木3-5-13當午山満勝寺(満勝禅寺)は、伊達氏初代朝宗公の菩提寺として、鎌倉期の弘安六年に伊達氏四世政依公により、現在の福島県桑折町に開創されたとされていますが、近年の調査で政依公以前に満勝寺が建立されていたことが明らかになりました。(リンク先より)※弘安六年 1283年 << 戻る
人物

日蓮聖人(にちれんしょうにん)

鎌倉時代の仏教の僧侶。鎌倉仏教のひとつである日蓮宗の宗祖。鎌倉での宗教活動を理由に、得宗北条時宗によって佐渡に流罪にされます。滅後に皇室から日蓮大菩薩と立正大師の諡号を追贈されました。日蓮は、1222年2月16日、安房国長狭郡東条郷片海(現在の千葉県鴨川市、旧・千葉県安房郡天津小湊町)の小湊で誕生しました。幼名は善日麿であったと伝えられている。1233年、12歳のとき、父母の元を離れ、生家近くの天台宗清澄寺(現在は日蓮宗)にのぼり道善房に師事します。薬王丸(やくおうまる)と改名し、四年間仏修行に励みました。そして虚空蔵菩薩に「日本一の智者となしたまへ」と祈願されました。1237年、16歳のとき...
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無量光寺-神奈川県相模原市南区

・当麻山 無量光寺 時宗 神奈川県相模原市南区当麻578当寺をひらいたのは、「踊り念仏」を広めたことで知られる一遍上人さまです。文永7年(1270)上人が32歳の時、また弘安4年(1281)43歳の時に、奥州遊行の帰路、当山にとどまり修行をされたと伝えられています。弘安5年(1282)の3月、上人は鎌倉方面に向け遊行の旅に発たれることになりました。このとき名残を惜しむ弟子や信徒に乞われ、自らの姿を水鏡に映し、筆をとって絵姿を描き、自ら頭部を刻み、弟子たちも力を合わせて等身大の木像を完成されました。これが御影の像として尊ばれ、現在も本尊として安置され、多くの人々を信仰の道に導かれているのです。(...
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円覚寺派(本山円覚寺(鎌倉))の開派

弘安5(1282)年、中国・元から招かれた無学祖元禅師により始まる。臨済宗円覚寺派(楊岐派の禅)。<< 戻る
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報国寺-茨城県常総市

・報国寺 浄土宗 茨城県常総市水海道亀岡町2637報国寺は、茨城県常総市にある浄土宗のお寺です。その昔、元は真言宗の寺院でしたが、弘安4年下総地方を教化されていた良忠上人が、この地に訪れ、多くの帰依者を得たことによって、浄土宗に改宗されました。(リンク先より)※弘安4年 1281年 << 戻る
年表

弘安の役

1281年、弘安の役。元が再度博多に来襲。14万の大軍で迫ったが、日本軍の応戦と暴風のために壊滅した。<< 戻る
年表

覚照山慶明寺の建立

慶明寺は弘安4年(1281年)建立の寺院。「今昔物語」に登場する天文学者で陰陽家であった阿倍晴明がここに立ち寄り、梵字を彫ったという自然石があります。石の下には、鎌倉時代の播磨の悪党花岡太郎が埋められていると伝えられています。<< 戻る
人物

孤雲懐奘(こうんえじょう)

鎌倉時代の禅宗僧侶。京都に生まれる。懐弉とも記述されます。道元禅師に就いて嗣法。弟子には徹通義介、寒巌義尹、寂円がいる。父は九条為通。幼少の頃より比叡山に上り、18歳で出家し天台宗の学僧になります。24歳で浄土宗西山派の証空について浄土教を学び、26歳で大和国多武峯にて日本達磨宗の覚晏に禅を学び印可を受けます。安貞2年(1228年)、興福寺衆徒の焼き討ちを受け避難する中、宋から帰国した道元禅師の評判を聞き、法戦を挑んだところ、その所見が優れていることを認め師事を願いでます。しかし、道元禅師はまだ独立した身でないことを理由に断られたものの、文暦元年(1234年)、建仁寺を出て山城国深草に草庵を結...
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光林寺-岩手県花巻市

・光林寺 時宗 岩手県花巻市石鳥谷町中寺林12-54光林寺の創立は、鎌倉時代末期の弘安三年(1280)にまでさかのぼります。開基は、奥州稗貫郡の領主で寺林城主だった河野太郎通重の嫡子「河野通次」です。父親の河野太郎通重は伊予の領主・河野太郎通信の長男通俊の二男にあたります。河野通次は弘安二年の初夏、京都在番の折り、時宗開祖の一遍上人(1239~1289)に帰依し、発心して弟子になったと伝えられています。(リンク先より) << 戻る
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宝積寺-群馬県甘楽郡

・宝積寺 曹洞宗 群馬県甘楽郡甘楽町大字轟774宝積寺(ほうしゃくじ)は、現在のお寺より南に4キロ行った山の中腹にある天寿庵(てんじゅあん)と言う庵(いおり)からきています。お寺の境内には、弘安3年(1280年)、正安4年(1302年)、延慶2年(1309年)の板碑が建立されています。この時代にはすでに天台宗の寺として、広い寺領を持ち、栄えていました。(リンク先より) << 戻る
年表

瑩山禅師の出家得度

弘安3(1280)年、13歳の時に永平寺二世である孤雲懐奘禅師について出家得度し、瑩山紹瑾(けいざんじょうきん)と名を改めました。<< 戻る
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「正法眼蔵」供養諸仏(くようしょぶつ)

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玄猷寺-愛知県東海市

・玄猷寺 曹洞宗 愛知県東海市富木島町北島28草創以前は草庵で、弘安2年(1279年)に建立とされる石碑がかつての境内墓地にあったという。開山は、臨済宗天龍寺派の開祖夢窓国師(疎石、1275~1351)と伝えられる。暦応2年(1339年)に、夢窓国師が後醍醐天皇の菩提のため、知多に順錫した際に当寺を本格的な寺として建設し、勅願所としたという。(リンク先より) << 戻る
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慈雲寺-千葉県船橋市

・大峰山慈雲寺 曹洞宗 千葉県船橋市宮本6-25-7弘安2年(1279年)、北条時宗の招請により来朝した宋の僧、無学祖元を開山に迎え、当時この地を治めていた北条氏により創建されました。開山当初は、現在の峰台小学校の地を中心に七堂伽藍の整った大寺でした。(リンク先より) << 戻る
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踊り念仏の始まり(おどりねんぶつ)

弘安2年(1279年)、信濃国佐久、小田切の里では、集まった時衆(人々)と念仏を唱えていたところ、一遍上人をはじめ時衆らが踊りだしました。これが踊り念仏の始まりです。一遍上人の踊り念仏は、激しい踊りに身を委ねることで、無我の内に人間と阿弥陀仏の距離を一にするという実に密教的な念仏でした。一遍上人の踊り念仏は盆踊りの原型だといわれています。<< 戻る
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松吟寺-茨城県常陸大宮市

・松吟寺 臨済宗東福寺派 茨城県常陸大宮市下町207当山は、臨済宗東福寺(とうふくじ)派大本山東福寺の直末(総本山直属の末寺)として、建治二年(1276年)開基(かいき)常陸国(ひたちのくに)守護佐竹常陸介義胤公、開山は東福寺開山円爾弁円大和尚「勅諡(ちょくし)聖一国師(しょういちこくし)」により開創されました名刹です。(リンク先より) << 戻る
年表

瑩山禅師永平寺に入る

観世音菩薩を信仰する母親のもとで育てられた瑩山禅師は、文永12/建治元(1275)年、8歳の時に永平寺に入り、徹通義介禅師の下で沙弥となり修行を始めました。<< 戻る
年表

日蓮聖人、身延山久遠寺を開山

文永11(1274)年2月14日付で赦免状が出され、3月8日佐渡に届きました。3月13日に佐渡を立ち、3月26日鎌倉に帰ります。5月17日、身延一帯の地頭である波木井実長の招きで山梨県の身延山に入り、身延山久遠寺を開山しました。建治元(1275)年6月『撰時抄』を述作します。建治2(1276)年、師の道善房が入滅し、7月21日、墓前に『報恩抄』を棒読しました。弘安4(1281)年11月、久遠寺に十間四面の大堂が建立されました。<< 戻る
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一遍上人、熊野での成道(時宗の開宗)

文永11年(1274)、遊行・賦算をしながら、熊野へ向かっていた道中、ある出来事が一遍上人を思い悩ませます。熊野山中で出会った一人の僧に念仏札を受けるように勧めた時に、信心が起こらないので受け取れないと拒否されたのです。一遍上人は、ここでこの僧が念仏札を受けなければ、周りにいる他の人も念仏札を受けないのではないかと思い、無理にその僧に念仏札を与えました。自らの布教方法に疑問を持った一遍上人は、すぐに熊野本宮証誠殿に参籠し熊野権現の啓示を仰がれます。すると、熊野権現が現れて次のように示されました。「融通念仏を進める聖よ、どうして念仏を間違えて勧めているのか。あなたの勧めによって、全ての人々がはじ...