buddhism

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甘露寺-静岡県駿東郡

・甘露寺 曹洞宗 静岡県駿東郡小山町菅沼681寺伝によると、甘露寺が菅沼のツウジハナの地に建立されたのは、嘉慶かけい元年(1387)といわれています。この年は、南北朝統一の5年前、南北朝分裂の時代【建武2年(1335)~元中9年(1392)の57年間】の末期にあたります。開基は、大楠公楠木正成くすのきまさしげ公の孫に当る、楠木正勝まさかつ公と伝えられています。正勝公は若く血気盛んな頃に、南朝方の武将として吉野山の西部十津川方面で戦いました。その敗色のこい戦いで、人間の運命のはかなさを知り、仏門に帰依きえし、正巌徳勝和尚しょうがんとくしょうおしょうとなり、ここ駿河国御厨みくりや郷菅沼ツウジハナの...
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鎌倉の五山 ~五山制度と臨済宗~

インドの五山、中国の五山と、鎌倉五山や京都五山にどのようにつながってきたかをこれまでも別記してきました。五山制度は時の権力者、幕府が寺を格付け管理するための制度であり、権力者が変われば五山も変わるという具合でしたが、1386(至徳3)年、室町幕府三代将軍足利義満によって、最終的な五山が決定され、南禅寺を別格上位とする京都五山と鎌倉五山が決定しました。建長寺(けんちょうじ)鎌倉五山の第一位。鎌倉幕府第五代執権北条時頼が宋僧・蘭渓道隆をむかえ、1253(建長5)年に開かれた寺院で、建物は南宋の径山万寿寺を模した本格的な禅宗様式です。円覚寺(えんがくじ)鎌倉五山の第二位。鎌倉幕府第八代執権北条時宗が...
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願成寺-岩手県一関市

・願成寺 曹洞宗 岩手県一関市釣山31山号は「白馬山」寺号は「願成寺」。正法寺二世月泉大和尚九番目の弟子、梅栄元香大和尚によって至徳二年(1385)四月八日に開山されました。はじめは前渓山と号し、寺領十石、享保九年(1724)に現在の白馬山と改められました。(リンク先より) << 戻る
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西福寺-静岡県浜松市浜北区

・西福寺 臨済宗妙心寺派 静岡県浜松市浜北区平口523至徳二年1385年の棟札が有ったことから、その頃にはこの地に開かれていたと思われます。その後文安元年1444年 浜松市北区、大本山方廣寺開山 無文元選禅師円明大師を開山に請じ現在に至ります。(リンク先より) << 戻る
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東顕寺-岩手県盛岡市

・東顕寺 曹洞宗 岩手県盛岡市名須川町2-1松峰山東顕寺は至徳元年(1384)古山 良空 大和尚によって開創された寺院です。開基は、福士五郎政長 公です。福士氏は南部氏が盛岡に築城する以前から、この一帯の警備を任せられていた武士でした。(リンク先より) << 戻る
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方広寺派(本山方広寺(静岡))の開派

南朝 : 弘和4、元中元・北朝 : 永徳4、至徳元(1384)年、無文元選禅師により始まる。臨済宗方広寺派(楊岐派の禅)。<< 戻る
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円通寺-兵庫県丹波市

・円通寺 曹洞宗 兵庫県丹波市氷上町御油983円通寺は、南北朝時代永徳二年(1382年)の正月に、時の将軍足利義満が、後円融天皇の勅命を奉じて創建しました。今日まで六百余年の歳月を経た、禅宗の古刹です。室町時代から江戸末期まで、二百余の末寺院と一千石を越える寺領を有りし、丹波はもとより但馬、播磨、攝津にかけて君臨していました。(リンク先より) << 戻る
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相頓寺-埼玉県上尾市

・快楽山安養院相頓寺 浄土宗 埼玉県上尾市五番町14-2当山は、正式には快楽山安養院相頓寺(けらくさんあんよういんそうとんじ)といいます。永徳二年(1382)に円蓮社聖満良順(えんれんじゃしょうまんりょうじゅん)上人によって開山されました。上人は、現在の大本山である鎌倉光明寺の第四代を勤めた後にこの原市の地に当寺を開山したとされています。(リンク先より) << 戻る
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泉蔵寺の創建

『風土記稿』では永徳二(1382)年に寂した法印慶誉寂心房を開山としている。清澤山地蔵院泉蔵寺といい、宗旨は真言宗智山派で、本尊は木坐像の地蔵尊。近世においては石神井三宝寺の末寺であり、一時は蕨市の三学院の末寺となったこともあるが、現在においては京都の大本山智積院の直末となっている。(「朝霞市史」より)
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日什上人、法華経弘通に邁進

1381年(永徳元年)、上洛して第一回の奏聞をし、洛中弘通の綸旨を賜り二位の僧都に叙せられました。翌年、鎌倉にて関東管領足利氏満に宗義を直訴しました。その時、同地埋橋に本興寺を創建しました。同年上洛し第二回の奏聞をしました。<< 戻る
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イギリスに農民一揆が起こる(ワット・タイラー)

1381年、イギリスに農民一揆が起こる(ワット・タイラー)。<< 戻る
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日什上人、「開目抄」と「如説修行抄」を読み日蓮宗門下に

天授5(1379)年〔北朝康暦元年〕66歳の時、日蓮大聖人の「開目抄」と「如説修行抄」を読んで永年の疑問を解決することになり、名を「日什」と改め、翌67歳の時、日蓮宗の門に下り千葉下総真間弘法寺に帰伏して、真間能化となりました。しかし、感ずるところあって「経巻相承直授日蓮」と称しました。それは門下のどこにも従わず、仏祖及び宗祖の御意志に沿って法華経の弘通の大願に邁進することでした。<< 戻る
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足利義満が室町邸(花の御所)に移る

1378年、足利義満が室町邸(花の御所)に移る。<< 戻る
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蓮華寺-福島県会津若松市

・蓮華寺 浄土真宗本願寺派 福島県会津若松市昭和町1-10永和4/天授4~嘉慶元/元中4(1378~1387)年、僧・仁範が蓮華寺を草創。勝曼山。<< 戻る
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向嶽寺派(本山向嶽寺(山梨塩山))の開派

南朝 : 天授4・北朝 : 永和4(1378)年、抜隊得勝禅師により始まる。臨済宗向嶽寺派(楊岐派の禅)。<< 戻る
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長昌寺-長野県上田市

・長昌寺 臨済宗妙心寺派 長野県上田市長瀬2604永和三年、佐久市安原安養寺中興正眼智鑑禅師大歇勇建和尚の開創と伝わる。その後、250年以上の永きに渡り住持するものがなく堂宇頽廃す。正保元年(1644)に鎌倉建長寺より雲峰和尚が現在の地に再興し、當寺第一世となる。元禄二年(1689)に第三世國全和尚が遷化したのち、再び無住となり荒廃す。この間、佐久安養寺に属し、享保九年(1724)妙心寺派となる。 江戸牛込の済松寺より洪勳成満禅師頑石慧堅和尚が来て當寺第四世伝法開山となって後は寺門も興隆し、現在に至る。(リンク先より)※永和三年 1377年<< 戻る
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禅源寺-愛知県稲沢市

・禅源寺 臨済宗妙心寺派 愛知県稲沢市稲葉1-6-2永和2(1376)年、南禅寺四十七世、太清禅師の建立と伝えられます。室町時代中期、京都の相国寺鹿苑院の蔭涼軒主による公用日記「蔭涼軒日録」に寺名が記されるなど、いにしえより人々の心の拠り所として知られる場に。(リンク先より) << 戻る
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瀧谷寺-福井県坂井市

・瀧谷寺 真言宗智山派 福井県坂井市三国町滝谷1-7-15南北朝時代の永和元(1375)年、睿憲上人によって開山されました。中世には、戦国大名の朝倉氏や柴田勝家、福井藩主の松平家、丸岡藩主の有馬家ら、歴代領主の祈願所として、当寺は篤い帰依と保護を受けました。(リンク先より) << 戻る
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養円寺-愛知県蒲郡市

・養円寺 曹洞宗 愛知県蒲郡市相楽町上6天授元年(1375年)に天台宗として創建され、その後戦火で伽藍の全てを焼失したが、文禄4年(1595年)にこの地にゆかりの深い御開山鶴翁芳宿大和尚様が曹洞宗として再建された。(リンク先より) << 戻る
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平林寺-埼玉県新座市

・平林寺 公式サイト 臨済宗妙心寺派 埼玉県新座市野火止3-1-1金鳳山平林寺(きんぽうざんへいりんじ)は、永和元年(1375)、今からおよそ650年ほど前の南北朝時代、武蔵国(むさしのくに)埼玉郡、現在のさいたま市岩槻区に創建されました。開基は、禅に深く帰依していた大田備州守春桂蘊沢居士(おおたびっちゅうのかみしゅんけいうんたくこじ)、開山には鎌倉建長寺住持で、書や偈頌(げじゅ)に優れていた当代の高僧、石室善玖(せきしつぜんきゅう)禅師が迎えられました。(リンク先より) << 戻る
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漢陽寺-山口県周南市

・漢陽寺 臨済宗南禅寺派 山口県周南市鹿野上2872鹿苑山漢陽寺は応安7年(1374)、中国地方を一手に掌握していた大内氏の祈願所として建立され、現在は大本山・南禅寺の別格地として山口県屈指の名刹となっている。 開基は左京大夫であった26代当主・大内盛見公であるが、父の弘世公の治世に庵を建て鹿苑庵としたのが当寺の起こりである。開山は室町時代の高僧・用堂明機禅師。(リンク先より)<< 戻る
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般若寺-埼玉県児玉郡

・般若寺 真言宗豊山派 埼玉県児玉郡神川町大字上阿久原58般若寺は埼玉県児玉郡神川町にある真言宗豊山派の寺院で、1374年に良重僧正様が開山致しました。(リンク先より) << 戻る
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承福寺-福岡県宗像市

・承福寺 臨済宗大徳寺派 福岡県宗像市上八1373安延山承福寺は釈迦如来を本尊とし文殊菩薩・普賢菩薩を脇侍仏として奉る臨済宗大徳寺派一等地の寺です。はじめ当山は600年ほど前の応安年(1373)その当時の禅界に重きをなした大応国師より三代目の法孫勅諡正続太祖月庵宗光禅師を勧請開山とし、宗像社僧高橋助法橋安延大徳の開創せるものであります。(リンク先より) << 戻る
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雲龍院-京都府京都市東山区

・雲龍院 真言宗泉涌寺派 京都府京都市東山区泉涌寺山内町36御寺泉涌寺の別院。山号は瑠璃山。雲龍院は応安五年(一三七二)後光厳天皇の御建立にして、後、同所に後円融天皇、康応元年(一三八九)龍華殿を御建立せられ、御宸翰を下して妙法写経を始められる。両帝は屡々行幸になり開山竹厳聖皐上人に聞法受戒せらる。晏駕に先立ちて剃髪染衣せられ、上人の引導を受けて背後の山に埋葬し奉ったのである。(リンク先より) << 戻る
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日什上人、比叡山を下り東光寺の住職に

1372年(応安5年)、会津領主の蘆名直盛の招きにより故郷会津に帰り、現・羽黒山湯上神社の別当寺・羽黒山東光寺(廃寺)の住職となり、東北一帯の学僧に天台教学を講じました。<< 戻る
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方広寺-静岡県浜松市北区

・方広寺 臨済宗方広寺派 静岡県浜松市引佐町奥山1577-11371年、無文元選禅師(むもんげんせんぜんじ)は、当地を治めていた豪族奥山六郎次郎朝藤(おくやまろくろうじろうともふじ)の招きにより、奥山家の治めていた所領のうちから60町歩の土地と建物を寄進され、ここに方広寺を開かれました。無文元選禅師を御開山と称し、奥山六郎次郎朝藤を開基と称します。(リンク先より) << 戻る
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潮音寺-愛知県田原市

・潮音寺 曹洞宗 愛知県田原市福江町原ノ島37当山の創建は1370年頃(足利義満の時代)。月江正公和尚(げっこうしょうこう)というお方が諸国行脚(しょこくあんぎゃ)の末、風光明媚(ふうこうめいび)なこの 地に至り、朝夕濤々(とうとう)と響く潮の音に心を打たれ、此処 こそ安住の地と定め庵(いろり)を結び潮音堂と名づけたところ から始まる。(リンク先より) << 戻る
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立山寺-富山県中新川郡

・眼目山 立山寺(りゅうせんじ) 曹洞宗 富山県中新川郡上市町眼目15当山は建徳元年(1370年)に曹洞宗大本山總持寺第二祖峨山紹碩禅師の創設による屈指の寺である。禅師は肥前の出身。美濃の今須に妙応寺を建て、摂津に護国寺を建て、ついで越中に遊化し立山に詣で、その風景を愛し紫雲を見ながら座禅をしていると、そこに禅師の名僧ほまれ高きを慕い、樵(きこり)の姿となって立山権現が現れ立山山麓の小丘(今の櫛形山9を指して「かの地は法要の所、到り見たまえ」と禅師を懇請した。立山権現は禅師と石上に対坐すること7日間、禅要戒法を聞いて、帰依し寺院の建立を約束した。その夜、大豪雨となり上市川に数千の大木が流れつき...
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大徳寺-滋賀県東近江市

・大徳寺 臨済宗妙心寺派 滋賀県東近江市能登川町378応安2年(1369)に、臨済宗東福寺派の禅寺として創建された。開山は、京都五山の東福寺第五十世として住持した禅僧、大方源用禅師(1314~1390)である。創建後大徳寺は、室町期を通して五山派の禅寺として発展する。応永33年(1426)には室町幕府四代将軍の足利義持から公事臨時課役免除をうけており、その御教書は、今に大徳寺に蔵されている。(リンク先より) << 戻る
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光明寺-栃木県足利市

・光明寺 臨済宗妙心寺派 栃木県足利市田島町1717光明寺は仏満禅師大喜法忻大和尚を開山として建立されたお寺です。建立の正確な年代は不明ですが、仏満禅師示寂の年が西暦1368年と伝わることから創建はその後10年を超えない間では無いかと考えられます。(リンク先より) << 戻る
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龍泉寺-福井県越前市(越前国分寺跡)

・龍泉寺 曹洞宗 福井県越前市深草1・若狭 ⇒ 北陸道 越前 国分寺 ⇒ 加賀太平山・龍泉寺は、南北朝時代に通幻寂霊禅師(つうげんじゃくれいぜんじ)を開祖に創建され、曹洞宗の両大本山の一つ横浜の総持寺の「三十六門中」(筆頭直末寺院)に列する古刹であります。当寺は今を去ること約630余年前の応安1年(1368)越前守護・藤原義晴が木材を喜捨して通幻禅師を武生に招き創建されました。しかし、それ以前にもこの地には古代寺院が建てられていたようで、境内からは多くの白鳳時代の瓦や土器破片が出土し「深草廃寺」と称されており、現在も所在が不明な越前国分寺跡ではないかといわれております。(リンク先より)<< 戻...
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西福寺-福井県敦賀市

・西福寺 浄土宗 福井県敦賀市原13-7開山良如上人が諸国行脚の道すがら近江路を経て敦賀に遊化された折り、遥か西方の山中に光明輝く阿弥陀三尊の尊い御姿を感見せられて、その光明に導かれこの地に歩みを進め辻堂の辺りまで来られると、突如、一匹の白狐が現われ、上人を山の麓まで案内して忽然と姿を消したと見る間に阿弥陀三尊も大岩と化したと伝えられます。そこで開山良如上人は ”仏法有縁の地である” としてこの奇瑞の山腹に一宇建立を発願せられました。後この岩を三尊石と称え、現に当寺裏山の中腹にあり、白狐も守護神としえ御影堂裏に祀ってあります。時に正平23年(北朝応安元年、1368年)3月であります。直ちに朝廷...