便り 洞松寺-山形県長井市 ・洞松寺 曹洞宗 山形県長井市草岡1367洞松寺は室町時代、応仁(1467-1468)の開基で、すでに500年を超える長い歴史をもったお寺です。とはいえ昔から大きな寺ではなく、むしろ化け物も出たことがあるというくらいのひっそり閑とした山寺です。檀家数も周りの寺と比べてそれほど多いわけではなく、現在200件を数える程度です。(リンク先より) << 戻る 1467.01.01 便り年表
便り 専通寺-福井県福井市 ・専通寺 浄土真宗本願寺派 福井県福井市荒木別所町8-351応仁元年 1467年 開基 専隆、専通院創建(天台宗) 室町時代、応仁の乱起こる寛文四年 1664年 三世大隆、浄土真宗に転宗し専通寺と改称する(リンク先より) << 戻る 1467.01.01 便り年表
年表 公家や僧侶が戦乱をのがれて地方に下り、京都文化が地方に広がる 1467年、応仁の乱がおこったことで、公家や僧侶が戦乱をのがれて地方に下り、京都文化が地方に広がる。<< 戻る 1467.01.01 年表
便り 慶崇寺-福井県吉田郡 ・慶崇寺 浄土真宗本願寺派 福井県吉田郡永平寺町松岡神明3-22平安時代中期(西暦950~970年頃)に安楽三十坊が建立されたことによる。安楽三十坊は現在の福井市堅達町にあって、長い間天台仏教の寺院集団として隆盛をきわめていた。堅達町の名前の由来も、天台宗の経文の中にある仏教用語だといわれている。また、1390年頃、比叡山の論争が数年におよび、安楽三十坊も衰微したが、主領寺である安楽院や地蔵院は残ったという。 天台宗の寺院として維持されていた安楽院(慶崇寺の前身)だったが、1464年頃、加賀山中において蓮如上人の高徳に帰依し、浄土真宗に改宗した。この時の住職が、初代了正である。三年後の1467... 1464.01.01 便り年表
便り 圓勝寺-兵庫県姫路市 ・圓勝寺 浄土真宗本願寺派 兵庫県姫路市網干区宮内204.205圓勝寺の開創は1464(寛正5)年です。時は室町、八代将軍足利義政の時代に、現在地より100メートルほど東に建立されたことに始まります。足利義政といえば銀閣寺で有名ですが、当圓勝寺も赤松氏家臣の菩提寺として創建されたと伝えられています。 (リンク先より) << 戻る 1464.01.01 便り年表
便り 広徳寺-千葉県松戸市 ・金龍山 広徳寺 曹洞宗 千葉県松戸市中金杉4-3境内からは寛正三年(1462)の開山伝承よりも古い、十四世紀前半の板碑(供養碑)が二基出土しました。当時から宗教的霊場として人々の尊崇の地であったことがうかがわれます。(リンク先より) << 戻る 1462.01.01 便り年表
便り 常楽寺-栃木県下都賀郡 ・常楽寺 曹洞宗 栃木県下都賀郡壬生町本丸1-1-30常楽寺は、室町中期寛正三年(西暦一四六二年)壬生初代城主壬生筑後守胤業公が、寺領二十六石を寄進して創建した曹洞宗の寺院です。開山和尚は、道元禅師から数えて十世の法孫一州正伊禅師であり、壬生氏一門の氏寺として栄えました。(リンク先より) << 戻る 1462.01.01 便り年表
便り 長慶寺-山梨県都留市 ・長慶寺 臨済宗妙心寺派 山梨県都留市夏狩240当山は最初、寛正三年、(西暦一四六二)天台宗の行者、大淵阿闍梨様により開かれ、長慶庵という小さな寺でした。 その後元亀元年、(西暦一五七〇)鎌倉建長寺の僧、五峯東源禅師が堂宇を造営し庵を寺と改め天台宗を臨済宗に改宗して出来たのが現在の長慶禅寺です。(リンク先より) << 戻る 1462.01.01 便り年表
便り 本福寺-滋賀県大津市 ・本福寺 浄土真宗本願寺派 滋賀県大津市長等3-3-351461(寛正2)年 大津・本堅田の本福寺第3代住職である法住は、布教伝道の拠点として各地に本福寺の支坊(支院)を建立した。その支坊のひとつである「外戸(せと)道場」として、大津・大門通に建立される。1468(応仁2)年 堅田に攻め入ってきた衆徒から親鸞聖人の御像をお守りするため、堅田から当寺へ御像をお移ししてお守りする。(翌年、大津・近松御坊へ御動座)1605(慶長10)年 外戸道場が手狭になったため、現在地である大津市長等3丁目(旧・東今颪町)に移転する。(リンク先より) << 戻る 1461.01.01 便り年表
便り 光受寺-岐阜県大垣市 ・光受寺 真宗大谷派 岐阜県大垣市墨俣町墨俣211光受寺は元濃州安八郡柴間郷二ツ木圧、 天台宗法蔵寺として義兼(泉 智庵)によって創建される。その後、法弟正圓が法蔵寺を継ぎ、正龍、正善に至る。寛永年間(室町1460年~1465年頃)正善は、天台宗から浄土真宗に改宗。深く蓮如上人に帰依し、寺号を廣受寺と改める。(リンク先より) << 戻る 1460.01.01 便り年表
便り 西教寺-広島県呉市 ・西教寺 浄土真宗本願寺派 広島県呉市下長ノ木町16-10西教寺は、その昔は「華峰山光浄院と号」した真言宗の小刹(小さなお寺)であったと申します。その創立は不明でありますが、寛正(1460~1464)の頃より諦念阿闍梨が住して、当地方一帯を教化されましたが、1531(享禄4)年春遷化せられたのであります。そこで空き寺となったのであります(リンク先より) << 戻る 1460.01.01 便り年表
人物 清巌正徹(せいがんしょうてつ) 備中(岡山県)出身の臨済宗僧侶。京都東福寺で書記をつとめる。和歌を冷泉為尹(れいぜい ためまさ)らに学び、多作家として知られる。足利義政に「源氏物語」を講じ、連歌師にも影響をあたえた。通称は徹書記。号は松(招)月庵。家集に「草根集」、歌論書に「正徹物語」など。「初心の程は無尽に稽古すべきなり」(「正徹物語」)生誕 永徳元/弘和元(1381)年命日 長禄3(1459)年5月9日<< 戻る 1459.05.09 人物
便り 神宮寺-沖縄県宜野湾市 ・神宮寺 東寺真言宗 沖縄県宜野湾市普天間1-27-11当山は一四五九年に尚泰久王(しょうたいきゅうおう)の勅願(ちょくがん)により住民の祈願所として建立されました。史実は定かではありませんが、当時は首里から中部方面の視察の際に、御休み処がこの普天間にあり徐々に整備され、尚泰久王の勅願により開山になったと言われています。(リンク先より) << 戻る 1459.01.01 便り年表
便り 龍谷院-茨城県東茨城郡 ・龍谷院 曹洞宗 茨城県東茨城郡城里町下阿野沢1509龍谷院は、曹洞宗の寺院として、長禄三年(1459年)八月十四日に時の大山城主・佐竹義成公によって開基されました。開山は、秀峰宗岱大和尚です。本尊は、釈迦牟尼仏で、明応八年(1499年)巳未八月彼岸鎌倉の仏師・法眼秀林の作とされています。(リンク先より) << 戻る 1459.01.01 便り年表
便り 瑞雲寺-宮城県伊具郡 ・瑞雲寺 曹洞宗 宮城県伊具郡丸森町金山字鬼形92金龍山瑞雲寺は室町時代の長禄二年(1458年) 瑚海仲珊禅師(こかいちゅうざんぜんじ、新潟県村上市、耕雲寺四世)が金山の地に足を踏まれ、新潟県村上市の耕雲寺の末寺として金龍山中腹を整地して寺院を建立したのに始まります。(リンク先より) << 戻る 1458.01.01 便り年表
便り 正光寺-兵庫県尼崎市 ・正光寺 浄土真宗本願寺派 兵庫県尼崎市東大物町1-3-7天台宗の寺院であったが長禄年間、教専住職の時代に浄土真宗本願寺に帰依し、改宗したと伝えられています。その後、正光寺は大阪 天満の定専坊の末寺であったと記録されています。(リンク先より)※長禄年間 1457年から1460年 << 戻る 1457.01.01 便り年表
便り 清眼寺-岡山県津山市 ・清眼寺 高野山真言宗 岡山県津山市院庄779当山は、もと極楽山雲清寺と号し、淳和天皇の御代、高祖弘法大師が開山したと伝わる。元弘二年、後醍醐天皇 隠岐に御遷幸の砌、御駐輦になられたと伝わる古刹 山名時氏の祈願所 後年災禍にあい諸堂焼失せるも長禄年間(1457~1460)に今の地に宥尊上人が再興し、極楽山清眼寺と改号。(リンク先より) << 戻る 1457.01.01 便り年表
便り 安國寺-沖縄県那覇市 ・安國寺 臨済宗妙心寺派 沖縄県那覇市首里寒川町1-2文永年間の頃何国の僧とは不相知、禅鑑と申僧小船より那覇へ漂着いたし寺を浦添間切に創建、極楽寺と名付侯由、是寺の始めの由御座候。(琉球一件帳〈仏寺ノ初〉雍正拾五年〔西暦一七三二年〕読み下し文)より、この文章が沖縄仏教の始まりであり(英祖六年〔西暦一二六五年〕)これより二百年の後に太平山安國寺は首里の地に創建(天順元年〔西暦一四五七年〕)(リンク先より) << 戻る 1457.01.01 便り年表
便り 西生寺-福岡県北九州市門司区 ・西生寺 西山浄土宗 福岡県北九州市門司区大里本町1-8-8西生寺は、康正2年(1456)に創建された浄土宗西山派の流れを汲む寺院です。当寺開山である、等阿弥陀慧門大和尚は、山城国(現在の京都)の生まれで、姓を藤原と云いました。また、幼少の頃より鎌倉時代の仏師運慶作で奥州毛越寺本尊と同木同作の阿弥陀如来像を深く信仰していました。その仏像を本尊として、当山西生寺を開基したといわれています。(リンク先より) << 戻る 1456.01.01 便り年表
便り 常栄寺-山口県山口市 ・常栄寺 臨済宗東福寺派 山口県山口市宮野下2001-1常栄寺 雪舟庭は大内政弘(おおうちまさひろ)が別邸として建てたもので、庭は雪舟に命じて築庭させたといわれています。康正元年(1455)、政弘の母、妙喜寺殿宗岡妙正大姉(みょうきじでんそうこうみょうしょうだいし)の菩提を弔(とむら)うために別邸を寺とし「妙喜寺(みょうきじ)」としました。一方、常栄寺は毛利元就(もとなり)が長男隆元(たかもと)の菩提を弔うために永禄6年(1563)、高僧竺雲彗心(じくうんえしん)を開山として、安芸(広島)吉田の郡山(こおりやま)城内に建てられました。洞春寺(とうしゅんじ)も妙寿寺(みょうじゅじ)も郡山城内に建... 1455.01.01 便り年表
便り 酬恩庵一休寺-京都府京田辺市 ・酬恩庵一休寺 臨済宗大徳寺派 京都府京田辺市薪里ノ内102元の名は妙勝寺であって、鎌倉時代、臨済宗の高僧大應国師(南浦紹明)が中国の虚堂和尚に禅を学び、帰朝後禅の道場をここに建てたのが始めである。然るにその後、元弘の戦火にかかり復興もならずにいたものを、六代の法孫に当たる一休禅師が康正年中(1455〜6年)、宗祖の遺風を慕って堂宇を再興し、師恩にむくいる意味で「酬恩庵」と命名した。禅師はここで後半の生涯を送り八十一歳で大徳寺住職となった時もこの寺から通われたのであり、文明13年(1481年)11月21日八十八歳の高齢を以って当寺において示寂され遺骨は当所に葬られたのである。このように禅師が晩... 1455.01.01 便り年表
便り 広済寺-富山県高岡市 ・福田山 広済寺 浄土真宗本願寺派 富山県高岡市笹川98廣済寺は、むかし旧砺波郡福田郷の十禅師社之別当職真言宗攝生院と号した霊場であった。享徳元年(1452年)四月三日、住職慶榮及び信徒は浄土真宗に帰依し、同郡小栗郷内篠川村領(現在は笹川)に善徳他十数名により、難渋の数年を要して六町歩余の地を開墾し、その地を福田と名づけ堂宇を建立し廣済寺の寺号を賜わる。(リンク先より) << 戻る 1452.04.03 便り年表
便り 大満寺-宮城県仙台市泉区 ・大満寺 曹洞宗 宮城県仙台市泉区小角字大満寺5大満寺は、山号を虚空藏山と称する曹洞宗の寺院です。享徳元年(1452年)に、龍門山洞雲寺の実底祥秀禅師により復興されました。東北の曹洞宗の寺院の多くはその前身を真言・天台宗に起因しています。大満寺は虚空蔵菩薩像をご本尊に奉り、また伊達家以前の領主國分家の家臣であった古内家の帰依があることから真言宗の寺院として信仰を集めていたものとされております。(リンク先より) << 戻る 1452.01.01 便り年表
便り 神力寺-大分県大分市 ・神力寺 日蓮宗 大分県大分市竹中1129口伝によると冬田地区の豪族伊東友澄(いとうともずみ)公が大いに感ずるところあり、宝徳3年(1451)冬田八幡社の神宮寺のような庵を創立したと伝えられています。その後、この場所が肥後領(加藤清正公の領地)となり、寛文2年(1662)鶴崎法心寺第3世守玄院日達上人によって日蓮宗となって自在山神力庵として創立しました。その後第10世詮寿院日量上人の代に神力寺と改称しました。(リンク先より) << 戻る 1451.01.01 便り年表
便り 宝徳寺-群馬県桐生市 ・宝徳寺 臨済宗建長寺派 群馬県桐生市川内町5-1608宝徳寺は臨済宗大本山建長寺第73世仏印大光禅師を開山として、桐生地域の領主であった、桐生佐野正綱公の開基により室町時代の宝徳年間(1450年頃)に創建された禅寺です。当山の場所は桐生城(柄杓山城)の裏側に位置し、名久木の砦の入口を見渡す所にあります。(リンク先より) << 戻る 1450.01.01 便り年表
便り 洞泉寺-山口県岩国市 岩国藩5ヶ寺の筆頭であった曹洞宗「洞泉寺」 (とうせんじ) は紅葉谷公園の一角にあります。1450年 (宝徳2年) 、吉川経信が芸州新庄 (現、広島県山県郡北広島町) に創立した盤目山洞仙寺をルーツとし、1603年 (慶長8年) 、当地に移設された際に「洞泉」の字を当てたと言われています。樹齢300年を越える枝垂れ梅「臥龍梅」 (がりょうのうめ) をはじめ、梅の古木が約10本あり、土塀や門と共に落ち着いた景観を見せています。2月下旬から3月中旬の梅の時期には観光客で賑わいますが、それ以外の時期はいつもひっそりと静まり返っています。なお、大変残念なことに2004年 (平成16年) 9月の台風21... 1450.01.01 便り年表
便り 洞慶院-静岡県静岡市葵区 ・洞慶院 曹洞宗 静岡県静岡市葵区羽鳥1840宝徳2年(1450年)恕仲天誾(じょちゅうてんぎん)禅師の法嗣、石叟円柱(せきそうえんちゅう)大和尚がこの地に来り、建穂山麓の喜慶庵に泊まりました。その夜、突如現れた白狐の零告により、久住山中に法場(てら)を開くことになりました。(リンク先より) << 戻る 1450.01.01 便り年表