buddhism

年表

コロンブスが新大陸を発見

1492年、コロンブスが新大陸を発見。<< 戻る
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智満寺-静岡県榛原郡

・智満寺 曹洞宗 静岡県榛原郡川根本町上長尾332平安時代(藤原後期)に草創され千手観音菩薩像を御本尊とし、山号を千葉山と云い、寺号を智満寺と称した。一説には、島田市の智満寺の末寺として奥大井に天台教学の拠点として開かれたとの口伝がある。その後、延徳3年(1491)に駿河国・洞慶院より回夫慶文禅師を迎え曹洞宗に改宗開山された。(リンク先より) << 戻る
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足利義政(あしかがよしまさ)

は、室町時代中期から戦国時代初期にかけての室町幕府第8代将軍(在職:1449年 - 1473年)。父は6代将軍足利義教、母は日野重子。早世した7代将軍足利義勝の同母弟にあたる。初名は義成(よししげ)。なお、銀閣寺(慈照寺)の由来は義政の戒名「慈照院」から名付けられています。生誕 永享8年1月2日(1436年1月20日)命日 延徳2年1月7日(1490年1月27日)慈照院殿准三宮贈一品喜山道慶大禅定門<< 戻る
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光乗寺-大阪府堺市堺区

・光乗寺 浄土真宗本願寺派 大阪府堺市堺区少林寺町西2-1-19当院は、堺市の中心部にあります、浄土真宗のお寺です。延徳(1490年)に道光聖人によって開基され、創立から529年を数えます。(リンク先より) << 戻る
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善行寺-埼玉県川口市

・善行寺 浄土真宗本願寺派 埼玉県川口市戸塚5丁目6-6善行寺々伝 ( 善行寺精舎觴諸大望紀 / 善行寺寺院明細帳 / 善行寺過去帳 ) によると、室町時代の延徳2年(1490年)、美濃国(現在の岐阜県)領主、土岐氏の家臣であった吉井甚之丞が、本願寺 第八代宗主・蓮如上人に帰依し得度の後( 法名・浄観 )、六字名号のご染筆、蓮如上人木像等を賜る。(リンク先より) << 戻る
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大泉寺-山口県熊毛郡

・大泉寺 曹洞宗 山口県熊毛郡田布施町別府579大泉寺は1490年代、玄光石白が開基となり真言宗千峰山妙相寺の末寺として創建され、1690~1710年代に天桂寒龍大和尚(龍泉寺三世)によって曹洞宗として再興。現在に至る。(リンク先より) << 戻る
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教善寺-岡山県倉敷市

・教善寺 浄土真宗本願寺派 岡山県倉敷市船倉町1604寺伝によれば後土御門天皇の御代京都守護の管領千葉左衛門督忠氏が、本願寺蓮如上人に帰依し家督を長子忠輝に譲り佛門に入り租師聖人の徳を恭い、家臣豊田平兵衛・平山全長両名と共に文明年中より諸国行脚を志し、各地巡遊の末、当国に来りて此の地に錫杖を留め山頭に一宇の坊舎を創建す。時に延徳二年(1490)なり。(リンク先より) << 戻る
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桃源瑞仙(とうげんずいせん)

室町時代の臨済宗の僧。京都相国寺の第 80世。著作『百衲襖』『史記抄』『蕉雨稿』。生誕 永享2(1430)年6月17日命日 延徳元(1489)年10月28日<< 戻る
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足利義尚(あしかがよしひさ)

室町時代後期の室町幕府第9代将軍。 『尊卑分脈』や『足利家官位記』により、晩年に義煕と改名したことが確認できるが、一般的には義尚の名で知られる。応仁の乱では、叔父の足利義視と将軍職を巡る対立候補として擁立された。乱後は衰退した幕府権力を回復すべく、六角征伐などの積極的な幕政改革を行なったが、在陣していた近江国の陣中にて病死した。生誕 寛正6年11月23日(1465年12月11日)命日 長享3年3月26日(1489年4月26日)常徳院悦山道治<< 戻る
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善行寺-岐阜県不破郡

・善行寺 真宗大谷派 岐阜県不破郡垂井町表佐1908当寺の開基・正善の俗姓は、人皇56代清和天皇の後胤・源三位頼政の末裔・服部源五左衛門の三男源兵衛なり。延徳元年(1489)本願寺8代・蓮如上人が山科本願寺にご在住の砌に帰依し弟子となり、名を正善と給わり、一宇の道場を建立する。(リンク先より) << 戻る
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満福寺-埼玉県幸手市

・幸手観音満福寺 真言宗智山派 埼玉県幸手市中4-14-34戦国時代末期、この地を治めていた一色氏の祈願所として秀栄和尚により観世音菩薩を奉遷し開基されたと伝えられています。1489年(延徳元年)の供養塔がありますので開山はその頃かとも推察されます。(リンク先より) << 戻る
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浄勝寺-岐阜県大垣市

・浄勝寺 真宗大谷派 岐阜県大垣市東町1-431室町末期、長亨3年(1489年)年に草庵を開き、慶長年間に当地(岐阜県大垣市東町)に移転、元和9年(1623年)に「浄勝寺」公称となり、現在の本堂は大正13年(1924年)に建築されました。(リンク先より) << 戻る
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高照寺-千葉県南房総市

・太嶺山 高照寺 公式サイト 曹洞宗 千葉県南房総市山田1162山号を太嶺山と称し、百三代後土御門天皇の時代、長享3年(1489年)頃に川名家初代が高照寺建立を発願、開創され里見家兵法指南役川名藤七郎氏により、永禄年間(1558~1569年)頃に建立された曹洞宗のお寺です。本尊さまは地蔵菩薩であります。安房国百八箇所地蔵の二十九番札所地蔵でもあり、また堂内には平群二十一箇所弘法大師の二十一番札所大師など(リンク先より) << 戻る
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慈照寺(銀閣寺)-京都府京都市左京区

・慈照寺(銀閣寺) 臨済宗相国寺派 京都府京都市左京区銀閣寺町21489年、足利義政が京都東山に銀閣寺を建てる。東山文化。 << 戻る
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西照寺-兵庫県神戸市西区

・西照寺 浄土真宗本願寺派 兵庫県神戸市西区神出町南1001489(延徳元)年、谷川権太夫が剃髪して仏門に入り正保と名乗り、一宇堂舎を建てたのが開基である。山号は称名山西照寺。<< 戻る
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富樫政親(とがしまさちか)- 加賀一向一揆

富樫政親とは、室町時代後期の武将・守護大名。富樫氏21代当主。加賀国守護。長禄2年(1458年)、加賀北半国守護に任じられた赤松政則から加賀北部を取り戻すため、富樫政親は家臣団に擁されて奪回に尽力しました。応仁元年(1467年)、応仁の乱が勃発すると細川勝元方の東軍につきました。ところが、弟・幸千代が山名宗全方である西軍について敵対したため、政親は家督をめぐって弟と争うことになります。文明5年(1473年)、真宗高田派門徒や甲斐敏光と結んだ弟・幸千代に富樫政親は敗れて加賀を追われます。しかし、浄土真宗本願寺派門徒などの援助・加賀国内における武士団の支持を得て、弟・幸千代を加賀から追い出し再び当...
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慈光山専明寺-奈良県葛城市

・慈光山専明寺 真宗興正派 奈良県葛城市笛堂597専明寺は長享2年(1488)3月15日に布施城主布施掃部の弟布施道順が創建した。同年5月10日本山より慈光山専明寺と寺号を下賜される。この境内は烈士の殉死せる城跡(布施城の砦)であり今なお、小字として城山(じやま)の地名を残している。(リンク先より) << 戻る
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本隆寺-京都府京都市上京区

・本隆寺 法華宗(真門流) 京都府京都市上京区智恵光院通五辻上る紋屋町330本隆寺は法華宗(真門流)の総本山で京都西陣の地にあり、慧光無量山本妙興隆寺(えこうむりょうさんほんみょうこうりゅうじ)と号し、略して慧光山本隆寺といいます。開祖日真大和尚(にちしんだいかしょう)は、長享2年(1488)に妙顕寺を出て、四条大宮に本隆寺を開創しました。(リンク先より) << 戻る
仏教を本気で学ぶ

加賀の一向一揆

1488年、加賀の一向一揆が起こる。加賀国(石川県)で一向宗門徒が、守護の富樫氏を追い出し、約100年間にわたって自治を行った。<< 戻る
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松門寺-東京都八王子市

・松門寺 曹洞宗 東京都八王子市片倉町212延徳元年(1487年)、子安六萬坊の地に虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)を本尊として開創され当初子安山松門寺と称しました。本尊は密教の菩薩であり当初は密教の寺であったかと推測されます。慶長元年、寺町に移され鶴壽山と山号を改め、禅室祖参大和尚を心源院より請し禅宗として坐禪の真髄を伝えていくことになります。(リンク先より) << 戻る
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太田道灌(おおたどうかん)

室町時代後期の武将。武蔵守護代・扇谷上杉家の家宰。摂津源氏の流れを汲む太田氏。諱は資長。太田資清の子で、家宰職を継いで享徳の乱、長尾景春の乱で活躍した。江戸城を築城したことで有名である。武将としても学者としても一流という定評があっただけに、謀殺されてこの世を去った悲劇の武将としても名高い。生誕 永享4年(1432年)命日 文明18年7月26日(1486年8月25日)大慈寺殿心円道灌大居士香月院殿春苑静勝道灌大居士<< 戻る
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泰岳寺-愛知県春日井市

・寶雲山泰岳寺 臨済宗妙心寺派 愛知県春日井市上条町10-198泰岳寺の開創は室町時代の文明18年(1486年)で、開山仁済禅師の五十二歳の時でした。当時は上条村とよばれていた現在の泰岳寺の地に、林彦右衛門尉重緒氏が子孫の繁栄を願って、仁済宗恕禅師を招請して泰岳寺を開創しました。(リンク先より) << 戻る
仏教を本気で学ぶ

山城の国一揆

1485年、山城の国一揆が起こる。山城国(京都府)で土着の武士と農民が、国内で争っていた守護大名を追い出し、8年間自治を行った。<< 戻る
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龍巣院-静岡県袋井市

・龍巣院 曹洞宗 静岡県袋井市岡崎6365龍巣院は、その開創者である太素省淳禅師様が開かれた寺である。太素様は、始めに川僧慧済禅師の門に入り後逆翁禅師につき修行を積み後 宗田禅師より、法を許され文明14年郷里梅山に帰り、寺を建てる所を求めたれば、夜毎龍神、枕辺に現れ「我が住居を寄進す。寺を建てたれば我守護神となり長く寺を守護するであろう」と禅師様翌日その場に来て見れば池水ことごとく干上り道自ら通ずと時に白髪の老人現れ来たり、「我この長岡に住する稲荷なり龍神の志をつぎ我道案内せん」とて現在の場所に来る土木三年山をけずり谷をうめ寺を建て山を示すに長嶽とし寺を示す龍巣となすと。(リンク先より)※14...
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一休宗純(いっきゅうそうじゅん)

室町時代の臨済宗大徳寺派の僧侶で詩人。説話「一休さん」のモデルとしても知られます。号に狂雲子(きょううんし)、瞎驢(かつろ)、夢閨(むけい)、国景(こっけい)があり、諱を宗純(宗順)といいます。出生地は京都で、後小松天皇あるいは足利義満の血を引くともいわれています。母親の出自は不明ですが、後小松天皇説に沿えばその官女で、その父親は楠木正成の孫と称する楠木正澄と伝えられ、三ツ島(現・大阪府門真市)に隠れ住んでいたという伝承があり、三ツ島に母親のものと言われる墓が現存します。幼名は、後世史料によると千菊丸とされています。6歳で京都の安国寺の像外集鑑(ぞうがいしゅうかん)に入門し、周建の名前を授かり...
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聞善寺-石川県金沢市

・聞善寺 真宗大谷派 石川県金沢市瓢箪町5-33室町時代、文明3年(1471年)比叡山延暦寺などの迫害を受け京より逃れてきた蓮如上人が北陸における布教の拠点として越前吉崎に吉崎御坊を建立しました。 その後、近江に居を構える武士が蓮如上人を助けるために主従7人で馳せ参じ願西という法名を賜りました。文明7年(1475年)には戦国の動乱の中で吉崎御坊が焼失し、蓮如上人は吉崎の地を後にされます。この時、願西は加賀の地へ移られたのではないかと思われます。そして、文明13年(1481年)には金沢城の西側に聞善寺を建立されました。しかし、藩の事情により江戸時代、正保2年(1645年)には現在の地に移って参り...
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信行寺-神奈川県川崎市多摩区

・信行寺 浄土真宗本願寺派 神奈川県川崎市多摩区南生田8丁目1−1信行寺は文明13年(1481年)、阿波の国今津浦(現徳島県阿南市那賀川町)に西願法師により建立されました。以来、阿波における浄土真宗の興隆に努め、戦国時代の本願寺と織田信長との戦い(石山戦争)には、海を渡り、大坂の本願寺に兵糧を送り届けるなど教線拡大と教団の維持に大きく貢献して参りました。(リンク先より) << 戻る
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覚成寺-岐阜県安八郡

・覚成寺 浄土真宗本願寺派 岐阜県安八郡安八町西結701本尊は行基作と伝える阿弥陀如来(※1)。寺伝によると、初め天台宗であったが文明12年(1480)願了のとき真宗に改宗という。蓮如は宗祖親鸞の旧跡を巡拝した際に当寺に立ち寄り宿泊した。(リンク先より) << 戻る
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長谷寺-徳島県鳴門市

・長谷寺 高野山真言宗 徳島県鳴門市撫養町木津1037-11480 文明12年 船戸左衛門尉次正(ふなどさえもんのじょうつぐまさ)によって長谷寺が創建されました。寺伝によると船戸次正は、細川の家臣とされています。主君の仇を討つべく、大和の長谷観音を信仰し、願を立てていました。(リンク先より) << 戻る
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聖寿寺-静岡県磐田市

・聖寿寺 曹洞宗 静岡県磐田市見付2749-1名称「天龍山聖寿寺(てんりゅうざんしょうじゅじ)」は文明10年(1478年)に開創されました。開山は「教之一訓大和尚(きょうしいっくんだいおしょう)が草庵を結んだことにより始まります。最初は「崗本山聖寿軒(こうほんざんしょうじゅけん)」と称していました。(リンク先より) << 戻る
年表

応仁の乱が終わるが、戦乱が地方に広がる

1477年、応仁の乱が終わって武将が帰国し、戦乱が地方に広がる。下剋上 →戦国時代。<< 戻る
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本願寺鷺森別院-和歌山県和歌山市

・本願寺鷺森別院 浄土真宗本願寺派 和歌山県和歌山市鷺森1鷺森別院の開創は、本願寺8世、蓮如上人の昔にさかのぼります。文明8年(1476)、上人が河内国出口(枚方市)におられた頃、紀伊国阿間郡冷水浦(海南市)に住む喜六大夫は、上人の弟子となって法名を了賢と名のり、村内の飯盛山に一宇の道場を建立しました。これが冷水道場(現在の了賢寺)で、鷺森別院の起源をなすものです。同年十月、了賢に下付した親鸞・蓮如の連座像(二尊像)は、蓮如上人による紀州開教の歴史的宝法物として今も別院に大切に保管されています。(リンク先より) << 戻る