buddhism

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威徳寺-山梨県大月市

・威徳寺 曹洞宗 山梨県大月市賑岡町畑倉2163今から約400年前天文年間(1532年から1555年)、都留市谷村長生寺2世融山宗祝大和尚示寂の地とあります。その後約100年、慶長年間に長生寺10世即室長茂(一説に宗茂)大和尚開山第1世として勧請し、享保年間正宗心印大和尚諸堂を建立し中興、文久年間本堂再建(リンク先より) << 戻る
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祥雲寺-東京都豊島区

・祥雲寺 曹洞宗 東京都豊島区池袋3-1祥雲寺が開山したのは、江戸時代より前のこと。小田原・北条氏が関東を治めていた1532年(天文元年)、豪族・江戸氏の館だった江戸城(和田倉門)の内側に、約30年をかけた大伽藍が完成しました。しかし江戸のまちづくりを進める徳川家康の命により、祥雲寺は城内から神田へ移転。その後も日暮里、白山と2度の引っ越しを余儀なくされ、大正4年、4度目の移転でようやく現在の地に根を下ろしました。(リンク先より) << 戻る
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定泉寺-神奈川県横浜市栄区

・田谷山 「定泉寺」 真言宗大覚寺派 神奈川県横浜市栄区田谷町1501田谷山 定泉寺(じょうせんじ)室町時代(天文元年)の開創。本尊に厄除身代り阿弥陀如来・不動明王・弘法大師をまつる。(リンク先より)※天文元年 1532年から1555年 << 戻る
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禅定寺-熊本県熊本市中央区

・禅定寺 曹洞宗 熊本県熊本市中央区横手1-9-6天正文禄の比(1532年~1554年)、宣安明言大和尚(禅師)が龍田山の麓で廃寺となった壽福山常楽寺を再興開闢されたことにより本寺の歴史が始まっております。戦国の世であった当時、幾多の困難を乗り越えられた宣安明言大和尚(禅師)は加藤清正公(肥後国主)の重臣であった並河志摩守より崇信を受け、加藤忠広公(加藤清正公実子)および並河志摩守、南条元宅(加藤家重臣)が加藤清正公より許可を得て建立されております。(リンク先より) << 戻る
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鳳仙寺-宮城県亘理郡

・鳳仙寺 曹洞宗 宮城県亘理郡山元町小平字舘53-1天文年間(一五三二~五四)小平大閑斎を名乗りこの地に移った亘理要害十四世亘理宗隆の菩提を弔うため、二代目重隆によって建立されたのが、曹洞宗竜頭山鳳仙寺460年の歴史のはじまりです。(リンク先より) << 戻る
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一乗寺-静岡県静岡市清水区

・一乗寺 曹洞宗 静岡県静岡市清水区庵原町1937今よりさかのぼる事およそ600余年前(室町時代以前)、この地の領主であった庵原氏の創建した「善念(然)寺」という真言密教のお寺が、一乗寺の原点と言えます。その後創建された、当寺の前身となる「禅林寺」を、庵原家ゆかりの太原崇孚(たいげんすうふ)和尚が天文年間(1532~1554年)に再建し、現在の「一乗寺」が生まれました。(リンク先より) << 戻る
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西芳寺-福岡県筑紫野市

・西芳寺 浄土宗 福岡県筑紫野市天山234この寺の起源は今より千三百年前奈良白鳳時代にさかのぼります。当初は法相宗の寺院でしたが、鎌倉~室町の戦乱期に幾度と無く焼失しました。天文年間、福岡四十八ヶ寺復興の折、僧行明はここに浄土宗寺院を建立しました。雄大かつ荘厳な伽藍であったと『筑陽記』に記されています。正面を西向きにした現本堂は大正十三年の建立ですが、妻入り入母屋形式は見事です。(リンク先より)※天文年間 1532年から1555年 << 戻る
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源証寺-東京都足立区

・源証寺 単立(浄土宗系) 東京都足立区入谷2-15-251532年(天文元年)、十蓮社念誉一向源證上人によって開山された。境内には、江戸時代中期に建立された太子堂がある。太子堂の天井は格天井になっており、その一つ一つに絵が描かれている。聖徳太子を祀る太子堂は足立区内唯一であり、足立区の文化財に登録されている。山号 入谷山院号 太子院本尊 阿弥陀三尊札所等 荒綾八十八ヶ所霊場39番札所<< 戻る
人物

狩野正信(かのうまさのぶ)

室町時代の絵師で、狩野派の祖である。 狩野派は、室町時代から明治に至るまで400年にわたって命脈を保ち、常に日本の絵画界の中心にあった画派であった。この狩野派の初代とされるのが、室町幕府に御用絵師として仕えた狩野正信である。紙本墨画淡彩山水図。生誕 永享6年(1434年)命日 享禄3年7月9日(1530年8月2日)<< 戻る
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保昌寺-宮城県刈田郡

・保昌寺 曹洞宗 宮城県刈田郡蔵王町大字平沢字諏訪舘28-1保昌寺は、1530年(享禄3年)2月7日、伊達家家臣であった高野家の菩提寺として建立されました。伊達家が米沢にいた時代に創建され、仙台城に移った折り、丸森城主を経て、1602年(慶長7年)平沢城主に移封されるのに従って転院し、現在に至ります。ご開山は、山形県米沢市の萬年山松林寺2世、牛見永喜大和尚。ご開基は、高野家12世壱岐守知有。(リンク先より) << 戻る
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常勝院-福島県いわき市

・常勝院 真言宗智山派 福島県いわき市平中平窪字岩間61開山 室町時代 享緑3年(1530年) 下好間大館開祖 見瑜上人は、岩城朝義4世、隆忠の孫である中山隆朝の一子(リンク先より) << 戻る
年表

知恩院、勢至堂の再興

勢至堂(せいしどう)の地は、法然上人がご終焉を迎えられるまでお念仏のみ教えを自ら広められた大谷の禅房の故地であり、知恩院発祥の地でもあります。堂内正面に掲げられている額「知恩教院」は後奈良天皇の宸翰であり、知恩院の名の起源がここにあります。現在の勢至堂は享禄3年(1530)に再建されたもので、七間四面単層入母屋造本瓦葺、桁行21メートル、梁行20メートルの現存する知恩院最古の建造物です。ご本尊はもともと法然上人のご尊像(御影)でしたが、現在の御影堂が建立された折に移されたため、それ以降は上人の本地身(ほんじしん)とされる勢至菩薩像(重要文化財)をご本尊としておまつりしています。これが勢至堂と言...
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清谷寺-福岡県糟屋郡

・清谷寺 臨済宗妙心寺派 福岡県糟屋郡久山町山田651記録によると清谷寺の開山は大説和尚、中興開山は玉林和尚になります。享禄2年(1529年)博多の安国山 聖福寺の東部寺院として末寺になりました。(リンク先より) << 戻る
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妙福寺-福岡県粕屋郡

・妙福寺 浄土真宗本願寺派 福岡県糟屋郡篠栗町篠栗4253-21529年(享禄二年) 七里隼人が、蓮如上人の命により建立。備考 末寺70余の筑前国触頭となった。また、明治時代の住職七里恒順は、真宗の名僧と言われた。(リンク先より) << 戻る
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碩水寺-長野県東筑摩郡

・碩水寺 曹洞宗 長野県東筑摩郡筑北村坂北1044-1当寺は天明二年と文化十年の火災にあい、寺の由緒は詳かではないが、裏山に覚応阿闍梨法印の塔があったことから、もとは真言宗の寺であったことが知られる。現在の曹洞宗に改められたのは、享禄年中(1528~)、当時の領主青柳近江守清長、伊勢守頼長父子が勢力をはっていた頃のことで、頼長が開基となり、南安曇有明の青原寺二世天如桂樹和尚を請じて開山となし、天文元年(1532)、寺が創立された。(リンク先より) << 戻る
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勝胤寺-千葉県佐倉市

・勝胤寺 曹洞宗 千葉県佐倉市大佐倉1467-1勝胤寺は享禄元年(1528年)に創建されました。開山は華翁祖芳大和尚と申します。かって能登の祖院で典座職を務めたことがある、と伝えられる方です。1500年当時、開山を招ねかれた開基千葉勝胤公は下総を統括する立場にありました。(リンク先より) << 戻る
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祥雲寺-東京都町田市

・龍澤山 祥雲寺 曹洞宗 東京都町田市高ケ坂7-15-1当寺院は、山号を龍澤山、寺号を祥雲寺と称し、小田原大雄山最乗寺住職輪番ならびに一万石の格式にて、大永6年(1526)8月、現在の神奈川県伊勢原市石雲寺第三世寥堂秀郭大和尚を請して開山とし、小田原北條家が武運長久祈願のためと檀信徒の帰依のためとに因って建立され現在に至っております。(リンク先より) << 戻る
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光徳寺-広島県三原市

・光徳寺 浄土真宗本願寺派 広島県三原市久井町和草970神辺の城主山名式部少輔美政の次男善宗は戦の明け暮れに生命を失っていく戦国の世に無常を感じ、明応五年に現在の地に草庵を結び、出家して好晴と名のりました。   そして、大永六年四月九日光徳寺を創立し、天文十年十月十五日に往生の素懐を遂げました。(リンク先より)※大永六年 1526年 << 戻る
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善重寺-愛知県知多市

・功徳山 善重寺 真宗大谷派 愛知県知多市八幡字荒古前110-1善重寺は、大永6年(1526年)岐阜県揖斐川町(旧久瀬村)に創建された天台宗寺院でありましたが、慶長5年(1600年)本願寺十二世教如上人のご教化により、阿弥陀如来を本尊とした、浄土真宗の寺院となりました。(リンク先より) << 戻る
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神恵院-香川県観音寺市

・神恵院・観音寺 真言宗大覚寺派 香川県観音寺市八幡町1-2-7・67番札所 ⇒ 四国八十八ヶ所 第68番札所 七宝山 神恵院 ⇒ 69番札所 七宝山 観音寺 ⇒ 70番札所本堂は、観音寺金堂とも呼ばれ、元あった東・西・中の三金堂の内の中金堂であり、平安時代初期に建立されたが、幾度かの改築の後、大永五年(1525)十二月に、法印澄瑜が大檀那源(細川)氏信以下の寄進により再建したものが現在の建物であると、記録に残る。(リンク先より)<< 戻る
年表

知恩院にて御忌大会

1524年(大永4年)、御忌鳳詔の詔勅が下り御忌大会が知恩院で始まる。<< 戻る
年表

善興寺、天台宗から浄土真宗に宗旨を改める

大永3年(1523)6月16日、本願寺第9世の実如上人から阿弥陀如来のご絵像を下附され、天台宗から浄土真宗に宗旨を改めました。<< 戻る
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善了寺-大分県中津市

・善了寺 真宗大谷派 大分県中津市大字全徳378室町時代、大永3年(1523)に釈正誓により開かれました。江戸期、寛永10年(1633)に東本願寺の末寺となり、真宗寺院として阿弥陀如来像を安置し、善了寺を寺号とすることを許可されました。(リンク先より) << 戻る
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妙蓮寺-山口県下関市

・妙蓮寺 浄土真宗本願寺派 山口県下関市蒲生野町415大内義隆の家臣に原田右衛門之尉道信が大永三(一五二三)年仲秋京に上り本願寺九代實如上人に竭し剃髪して法名釋道信を賜り、實如上真筆六字の尊号を頂き、この蒲生野の地に一字を創草する。(リンク先より) << 戻る
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柳徳寺-宮城県栗原市

・柳徳寺 曹洞宗 宮城県栗原市若柳字川南町浦96大永三年の開山にして、柳徳寺殿青含緑葉大居士の開基なり、実に500年近い歴史を持つ。三世天山存長和尚代に新山(栗原市若柳新山地区)より現在の地に移転すと伝えられる。依って中興の祖となったものと思われる。(リンク先より)※大永三年 1523年 << 戻る
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安住寺-新潟県柏崎市

・安住寺 曹洞宗 新潟県柏崎市石曽根3216開山 北条普広寺三世曇芳文誉大和尚 大永3年(1523)示寂開基 石曽根帯刀公(リンク先より) << 戻る
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養命寺-静岡県藤枝市

・養命寺 浄土宗 静岡県藤枝市本町3-6-35大永三年( 1523年 )に 小田 市郎兵衛という在家の信者が、財や土地を布施し、小田家先祖の供養の為に建立したのが始まりと言われています開山上人 : 長蓮社春譽上人文公)大和尚(リンク先より) << 戻る
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長念寺-神奈川県川崎市多摩区

・長念寺 浄土真宗本願寺派 神奈川県川崎市多摩区登戸1416長念寺は、1522年(大永2年)法専坊によって当地に草庵が築かれたことに始まります。当初は、真言宗の寺院であったようですが、後に真宗門徒であり徳川家に仕えていた中根家が帰依していることから、草案創設後あまり時代を開けずに真宗寺院としての基盤が確立されていたことが考えられます。山号は、開基の年に因んで「大永山」と名付けられましたが、長念寺の東側に多摩川の支流の名残である三日月湖があったことから「永池山(えいちざん)」と改称されました。(リンク先より) << 戻る
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顕法寺-福島県二本松市

・顕法寺 浄土真宗本願寺派 福島県二本松市竹田1-198当山は、開基長察律師の創立です。本願寺第九世教恩院実如上人の代に得度し、特に直筆の御書を拝受し、大永二年(1522年)奥州塩松の郷に一寺を建立して、聞法衆生に努めました。その後、二本松市小浜新町に移りました。顕法寺の開基長察律師は、天文八年(1539年)に往生しました。(リンク先より) << 戻る
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西楽寺-島根県大田市

・西楽寺 浄土真宗本願寺派 島根県大田市温泉津町温泉津イ727-1もとは禅宗。覚兆庵と称す。大永元年(1521) 本願寺第9世実如宗主の教諭に由って浄土真宗に改宗。法名を正慶と頂戴。(リンク先より) << 戻る
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光明寺-山口県下関市

・光明寺 浄土真宗本願寺派 山口県下関市細江町1-7-10 延徳年中(1489~92)に、京都 本願寺の八代目 蓮如上人の弟子となった、常陸の国の釈正善が、長門国に下って、大永年間(1521~28)に豊浦郡西市に堂を建てたことに始まるとされています。(リンク先より) << 戻る
年表

伽藍諸堂、焼失する

大永元年(1521年)、伽藍諸堂、焼失する。<< 戻る