人物 小村寿太郎(こむらじゅたろう) 外交官、政治家。外務大臣、貴族院議員などを務めた。イギリス・アメリカ・ロシア・清国・朝鮮の公使・大使を務め、特に2度の外相時代には日英同盟の締結、日露戦争後のポーツマス条約の締結、条約改正の完成などの業績をのこし、近代日本外交を体現した人物として知られる。爵位は侯爵。生誕 1855年10月26日(安政2年9月16日)命日 1911年(明治44年)11月26日<< 戻る 1911.11.26 人物
便り 總持寺-神奈川県横浜市鶴見区 ・諸嶽山總持寺 曹洞宗 神奈川県横浜市鶴見区鶴見2丁目1−1元亨元年(1321)4月18日の晩のこと、律師の夢枕に、僧形の観音様が現れ、「酒井の永光寺に瑩山という徳の高い僧がおる。すぐ呼んで、この寺を禅師に譲るべし」と告げて、姿を消されたというのです。(中略)律師は霊夢によって一山を寄進し、禅師は快く拝受し、「感夢によって總持寺と号するはこの意なり」と述べられておられます。 明治31年(1898)4月13日夜、本堂の一部より出火、フェーン現象の余波を受け瞬時にして猛火は全山に拡がり、慈雲閣・伝燈院を残し、伽藍の多くを焼失してしまいました。現在の總持寺は横浜市の郊外、前に東京湾と房総半島を望み、... 1911.11.05 便り年表
人物 菱田春草(ひしだしゅんそう) 明治期の日本画家。横山大観、下村観山と共に岡倉天心(覚三)の門下で、明治期の日本画の革新に貢献した。本名は三男治(みおじ)。代表作「王昭君図」「賢主菩薩」「落葉」「黒き猫」生誕 1874年(明治7年)9月21日命日 1911年(明治44年)9月16日<< 戻る 1911.09.16 人物
人物 幸徳秋水(こうとくしゅうすい) 明治時代のジャーナリスト、思想家、社会主義者、無政府主義者である。大逆事件で処刑された12名の1人。生誕 1871年11月5日(明治4年9月23日)命日 1911年(明治44年)1月24日<< 戻る 1911.01.24 人物
便り 法雲寺-静岡県浜松市西区 ・法雲寺 臨済宗妙心寺派 静岡県浜松市西区雄踏町宇布見5332-1明治43年安寧寺末の小庵、正法庵・耕雲庵が合併し、両庵の法と雲をとり法雲寺となりました。正法庵・耕雲庵ともに記録が残っておらず、開創年代・開山禅師の略歴などは不明とされています。(リンク先より)※明治43年 1910年 << 戻る 1910.01.01 便り年表
人物 伊藤博文(いとうひろぶみ) 武士、政治家。位階勲等爵位は従一位大勲位公爵。諱は博文。幼名は利助、後に吉田松陰から俊英の俊を与えられ、俊輔とし、さらに春輔と改名した。号は春畝で、春畝公と表記されることも多い。また小田原の別邸・滄浪閣を所持していたことから滄浪閣主人を称して落款としても用いた。周防国出身。長州藩の私塾である松下村塾に学び、幕末期の尊王攘夷・倒幕運動に参加。維新後は薩長の藩閥政権内で力を伸ばし、岩倉使節団の副使、参議兼工部卿、初代兵庫県知事(官選)を務め、大日本帝国憲法の起草の中心となる。内閣総理大臣(初・第5・7・10代)及び初代枢密院議長、初代貴族院議長、初代韓国統監、元老を歴任した。内政では、立憲政友会を... 1909.10.26 人物
人物 二葉亭四迷(ふたばていしめい) 小説家、翻訳家。本名、長谷川辰之助。筆名の由来は、処女作『浮雲』に対する卑下、特に坪内逍遥の名を借りて出版したことに対して、自身を「くたばって仕舞え」と罵ったことによる。文学に理解のなかった父に言われたというのは俗説である。長谷川二葉亭とも呼ばれる。別の号に冷々亭主人、杏雨。生誕 1864年4月4日(元治元年2月28日)命日 1909年(明治42年)5月10日二葉亭四迷<< 戻る 1909.05.10 人物
人物 由利公正(ゆり きみまさ/こうせい) 武士(福井藩士)、政治家、財政家、実業家。子爵、麝香間祗候。旧姓は三岡。通称を石五郎、八郎。字を義由。生誕 文政12年11月11日(1829年12月6日)命日 明治42年(1909年)4月28日<< 戻る 1909.04.28 人物
人物 榎本武揚(えのもとたけあき) 武士、化学者、外交官、政治家。最終階級は海軍中将。栄典は正二位勲一等子爵。通称は釜次郎、号は梁川。榎、釜を分解した「夏木金八」という変名も用いていた。世間では俗に「ぶよう」とも呼ばれた 。 伊能忠敬の元弟子であった幕臣・榎本武規の次男として生まれる。昌平坂学問所、長崎海軍伝習所で学んだ後、幕府の開陽丸発注に伴いオランダへ留学した。帰国後、幕府海軍の指揮官となり、戊辰戦争では旧幕府軍を率いて蝦夷地を占領、いわゆる「蝦夷共和国」の総裁となった。箱館戦争で敗北し降伏、東京の牢獄に2年半投獄された。敵将・黒田清隆の尽力により助命され、釈放後、明治政府に仕えた。開拓使で北海道の資源調査を行い、駐露特命全... 1908.10.26 人物
人物 国木田独歩(くにきだどっぽ) 小説家、詩人、ジャーナリスト、編集者。千葉県銚子生まれ、広島県広島市、山口県育ち。 幼名を亀吉、後に哲夫と改名した。筆名は独歩の他、孤島生、鏡面生、鉄斧生、九天生、田舎漢、独歩吟客、独歩生などがある。 田山花袋、柳田國男らと知り合い「独歩吟」を発表。詩や小説を書き、次第に小説に専心した。生誕 1871年8月30日(明治4年7月15日)命日 1908年(明治41年)6月23日天真院独歩日哲居士<< 戻る 1908.06.23 人物
人物 橋本雅邦(はしもとがほう) 明治期の日本画家。本名は長郷。幼名は千太郎。号は勝園。別号に、十雁斎、克己斎、酔月画生など。生誕 天保6年7月27日(1835年8月21日)命日 明治41年(1908年)1月13日<< 戻る 1908.01.13 人物
便り 安楽寺-広島県呉市 ・安楽寺 浄土真宗本願寺派 広島県呉市上山田町2-28明治40年頃 山口、小串の安楽寺より来呉。清水通から宮原通りにかかるところの民 家を聞法道場とした。大正 末期 現在の伏原に本堂を建立する。昭和 2年 前勇哲入寺(第一世)(リンク先より)※明治40年 1907年 << 戻る 1907.01.01 便り年表
便り 極楽寺-北海道千歳市 ・極楽寺 真宗大谷派 北海道千歳市泉郷480明治39年(1906年)に寺号公称が許可になり、同年の10月23日に極楽寺が誕生しました。そして明治40年に今の本堂が完成。(リンク先より) << 戻る 1906.01.01 便り年表
便り 照願寺-鹿児島県曽於市 ・照願寺 真宗木辺派 鹿児島県曽於市大隅町中之内4674照願寺は、明治38年(1905)隠れ念仏の川床よりこの地に真宗大谷派笠木説教所として創建、昭和22年真宗木辺派照願寺を公称する。(リンク先より) << 戻る 1905.01.01 便り年表
人物 小泉八雲(こいずみやくも) ギリシャ生まれの新聞記者・紀行文作家・随筆家・ 小説家・日本研究家・日本民俗学者。出生名はパトリック・ラフカディオ・ハーン 。ラフカディオが一般的にファーストネームとして知られているが、実際はミドルネームである。アイルランドの守護聖人・聖パトリックにちなんだファーストネームは、ハーン自身キリスト教の教義に懐疑的であったため、この名をあえて使用しなかったと言われる。ファミリーネームは来日当初「ヘルン」とも呼ばれていたが、これは松江の島根県尋常中学校への赴任を命ずる辞令に、「Hearn」を「ヘルン」と表記したのが広まり、当人もそのように呼ばれることを非常に気に入っていたことから定着したもの。ただ、... 1904.09.26 人物
便り 大然寺-北海道帯広市 大然寺は明治37年6月に布教所が創立され、大正5年5月12日に寺院公称が認められ大然寺となりました。本尊の阿弥陀如来は鎌倉時代初期の作と伝えられています。また平成18年3月に観音勢至の両菩薩をお迎えし、浄土宗の弥陀三尊を御安置することとなりました。初代・加藤玄静上人、二代・江川立然上人、三代・稲垣得忍上人、四代・玉山玄重上人、五代・大高源照上人。<< 戻る 1904.01.01 便り年表
便り 日泰寺-愛知県名古屋市千種区 ・覚王山日泰寺 単立 愛知県名古屋市千種区法王町1-1釈尊(お釈迦さま)のご真骨をタイ国(当時シャム国)より拝受し、仏教各宗代表が協議し奉安する為に1904年(明治37年)に建立された。釈尊を表す「覺王」を山号とし、日本とシャム(暹羅)国の友好を象徴して覺王山 日暹寺にっせんじとして創建された。その後、昭和14年(1939年)シャム国のタイ王国への改名に合わせて、昭和17年(1942年)日泰寺に改名された。(リンク先より) << 戻る 1904.01.01 便り年表
人物 尾崎紅葉(おざきこうよう) 小説家。本名、徳太郎。「縁山」「半可通人」「十千万堂」「花紅治史」などの号も持つ。江戸生まれ。1885年、山田美妙らと硯友社を設立し「我楽多文庫」を発刊。『二人比丘尼 色懺悔』で認められ、『伽羅枕』『多情多恨』などを書き、幸田露伴と並称され、明治期の文壇に重きをなした。生誕 1868年1月10日(慶応3年12月16日)命日 1903年(明治36年)10月30日彩文院紅葉日崇居士<< 戻る 1903.10.30 人物
人物 伊藤忠兵衛(いとうちゅうべえ) 初代 伊藤忠兵衛 は、日本の商人、実業家。伊藤忠商事・丸紅という2つの大手総合商社を創業し、多角的経営によって伊藤忠財閥を形成した。生誕 天保13年7月2日(1842年8月7日)命日 1903年(明治36年)7月8日<< 戻る 1903.07.08 人物
人物 滝廉太郎(たきれんたろう) 音楽家、作曲家。明治の西洋音楽黎明期における代表的な音楽家の一人である。代表作である「荒城の月」は、「箱根八里」と並んで文部省編纂の「中学唱歌」に掲載された。また、「花」は1900年(明治33年)8月に作曲された、4曲からなる組曲『四季』の第1曲である。「お正月」、「鳩ぽっぽ」、「雪やこんこん」などは、日本生まれの最も古い童謡作品として知られる。生誕 1879年(明治12年)8月24日命日 1903年(明治36年)6月29日直心正廉居士<< 戻る 1903.06.29 人物
便り 浄願寺-千葉県千葉市中央区 ・浄願寺 真宗大谷派 千葉県千葉市中央区星久喜町929-1医専の学生の方々が、教授をしておられた井上善次郎博士の別宅を借りて準備をしてくださり、明治36年5月3日千葉町旭町(現千葉市中央区本町1丁目)に千葉教院・浄願寺の礎が開かれました。(リンク先より)※明治36年 1903年 << 戻る 1903.01.01 便り年表
便り 専徳寺-広島県呉市 ・専徳寺 浄土真宗本願寺派 広島県呉市中通2-6-18呉市中通の専徳寺は、明治36年頃(呉市制スタートの頃)に、順道和上が皆さまの支えによってつくられた説教所を濫觴といたします。(その前のことは、長浜専徳寺のホームページもご覧ください。)(リンク先より)※明治36年 1903年 << 戻る 1903.01.01 便り年表
人物 佐野常民(さのつねたみ) 武士、政治家。日本赤十字社の創始者。官職は枢密顧問官、農商務大臣、大蔵卿、元老院議長。栄典は正二位勲一等伯爵。「佐賀の七賢人」の1人。名は栄寿、栄寿左衛門。生誕 1823年2月8日(文政5年12月28日)命日 1902年(明治35年)12月7日<< 戻る 1902.12.07 人物
人物 正岡子規(まさおかしき) 俳人、歌人、国語学研究家。名は常規。幼名は処之助で、のちに升と改めた。 俳句、短歌、新体詩、小説、評論、随筆など多方面に渡り創作活動を行い、日本の近代文学に多大な影響を及ぼした、明治を代表する文学者の一人であった。死を迎えるまでの約7年間は結核を患っていた。生誕 1867年10月14日〈慶応3年9月17日〉命日 1902年〈明治35年〉9月19日子規居士<< 戻る 1902.09.19 人物
人物 西郷従道(さいごうじゅうどう / つぐみち) 武士、陸軍および海軍軍人、政治家。階級は元帥海軍大将。栄典は従一位大勲位功二級侯爵。名前の読みとして「つぐみち」が広く流布しているが、西郷家によると「じゅうどう」が正訓である。兄の西郷隆盛を「大西郷」と称するのに対し、従道を「小西郷」と呼ぶ。明治維新後、太政官に名前を登録する際、「隆道」をリュウドウと口頭で登録しようとしたところ、訛っていたため役人に「ジュウドウ」と聞き取られ、「従道」と記録されてしまった。しかし本人も特に気にせず、結局「従道」のままで通した。生誕 天保14年5月4日(1843年6月1日)命日 1902年(明治35年)7月18日<< 戻る 1902.07.18 人物
便り 隆光寺-北海道札幌市中央区 ・隆光寺 高野山真言宗 北海道札幌市中央区円山西町2-22-1隆光寺は、明治35年に開山された高野山真言宗の寺院です。「大日如来」を御本尊とします。昭和36年に、「高野山北海道別院隆光寺」の称号を認可され、現在に至っています。(リンク先より) << 戻る 1902.01.01 便り年表