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和宮親子内親王(かずのみやちかこないしんのう)

  仁孝天皇の第8皇女。江戸幕府第14代将軍・徳川家茂の正室。家茂死後には落飾し、静寛院の院号宣下を受け、静寛院宮と名乗った。 「和宮」は誕生時に賜わった幼名で、「親子」は文久元年の内親王宣 ...

木戸孝允(きどたかよし)

  武士、革命家。和田小五郎、桂小五郎。明治維新の指導者として活動し、維新の三傑の一人。名の孝允は「こういん」と読まれることもある。父は萩藩の藩医。吉田松陰に師事。のち江戸で剣術、西洋兵学を ...

攝護寺-宮崎県都城市

・攝護寺 浄土真宗本願寺派 宮崎県都城市牟田町2-16 1876年(明治 9年)都城説教所の設立願書提出 1878年(明治11年)都城説教所の建築届提出 1882年(明治15年)小鷺巣に説教所が設立/ ...

黄檗宗の成立

  1876年(明治9年)、臨済宗黄檗派と称していたのを臨済宗から一宗として独立し、黄檗宗(おうばくしゅう)と公称するようになりました。日本の臨済宗の中にありながら、中国式で法要等を行うとい ...

本木昌造(もとぎしょうぞう/もときしょうぞう)

  江戸幕府の通詞、教育者であり、日本における活版印刷の先駆者として知られる。諱は永久、幼名作之助または元吉。異表記に昌三、笑三、咲三。なお、木本昌造は誤記である。 通詞の家系へ養子に入り、 ...

真宗各派、大教院を離脱

1875(明治八)年2月、真宗各派、大教院を離脱。 << 戻る

中央寺-北海道札幌市中央区

・中央寺 曹洞宗 北海道札幌市中央区南6条西2 明治七年八月西有穆山師曹洞宗管長代理として來道せられ、本道各地を巡回しその宗教事務を執る事務所として、開拓使に出願して、南二條西九丁目に於て、千六百貮拾 ...

澤宣嘉(さわのぶよし)

  幕末の公卿。権中納言・姉小路公遂の五男。参議・澤為量の養子。官位は従三位・右衛門権佐。澤家8代当主。維新後、初代外務卿。 安政5年(1858年)の日米修好通商条約締結の際は養父と共に勅許 ...

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大教院開院

1873(明治六)年1月、大教院開院。明治維新当時、新政府は天皇を中心とした神道思想(大教(だいきょう))によって国をまとめあげようと考えました。これを人々に広めるために教導職(きょうどうしょく)が設 ...

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太陰暦を廃止、太陽暦を用いる

1872年、太陰暦を廃止して、太陽暦を用いる。 明治政府は1872年11月9日に太陰暦を廃止し、太陽歴を採用することを公布しました。その時に定められたのは以下の内容です。 ・1年を365日とし、それを ...

山内容堂/豊信(やまうちようどう/とよしげ)

  幕末の外様大名。土佐藩15代藩主。官位は、従四位下・土佐守・侍従、のちに従二位・権中納言まで昇進、明治時代には麝香間祗候に列し、生前位階は正二位まで昇った。薨去後は従一位を贈位された。諱 ...

円明院-福島県南相馬市

・円明院 天台宗 福島県南相馬市原町区小浜字丸山18 円明院(圓明院)は、明治5年(1872)太政官布告で修験宗が廃止されるまでは、羽黒山(山形県)を本山とする羽黒派修験に属し、旧中村藩領本司華輪山日 ...

長久寺-山口県岩国市

・長久寺 臨済宗天龍寺派 山口県岩国市美和町生見817 明治五年に長徳寺と盛久寺とが合併して改められたものです。長徳寺は、ご本尊の地蔵菩薩は行基の作とされ、嘉元元年に郷士長野修理之助が建立し、善庵慶淑 ...

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学制を定める

1872年、学制を定め、全国に小学校をつくる。義務教育の開始。 << 戻る

高野山の女人禁制とかれる

明治五年(1872年)、高野山の女人禁制とかれる。 << 戻る

安藤信正(あんどうのぶまさ)

  江戸時代後期の大名。陸奥国磐城平藩5代藩主。官位は従四位下・侍従、長門守、対馬守。対馬守系安藤家10代。幕末に若年寄、次いで老中を務めた。 生誕 文政2年11月25日(1820年1月10 ...

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宗旨人別帳、寺請檀家制度廃止

1871(明治四)年4月、戸籍法改正され宗旨人別帳、寺請檀家制度廃止。 << 戻る

毛利敬親 / 慶親(もうり たかちか / よしちか)

  長州藩の第13代藩主。敬親は幕末の混乱期にあって有能な家臣を登用し活躍させ、また若い才能を庇護することで窮乏していた長州藩を豊かにし幕末の雄藩に引き揚げ、結果として明治維新を成し遂げるき ...

伊東玄朴(いとうげんぼく)

  江戸時代末期(幕末)から明治にかけての蘭方医。江戸幕府奥医師。名は淵。近代医学の祖で、漢方医が主流の中で、官医界における蘭方の地位を確立。 伊東玄朴の墓は台東区谷中の天竜院にある。 生誕 ...

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廃藩置県

1871年、当初3府302県に分かれ、新しく府知事・県令をおいたが、後に3府72県に統合した。 << 戻る

高野山の寺領を国へ返す

明治四年(1871年)、高野山の寺領や寺有林も政府に返上し、経済的地盤も失いました。 << 戻る

小松帯刀清廉(こまつたてわききよかど)

  幕末の薩摩藩家老、政治家。前名は肝付 兼戈。通称は尚五郎のちに帯刀。維新の十傑の1人。吉利領主。 薩摩藩を雄藩に押し上げた藩政改革と幕末政局(薩長同盟、大政奉還など)において重要な役割を ...

大村益次郎(おおむらますじろう)

  幕末期の長州藩の医師、西洋学者、兵学者。維新の十傑の一人に数えられる。 長州征討と戊辰戦争で長州藩兵を指揮し、勝利の立役者となった。太政官制において軍務を統括した兵部省における初代の大輔 ...

土方歳三(ひじかたとしぞう)

  幕末期の幕臣、新選組副長。蝦夷島政府 陸軍奉行並。 諱は義豊、雅号は豊玉、家紋は左三つ巴。 新選組時代には、局長・近藤勇の右腕として組織を支え、戊辰戦争では旧幕軍側指揮官の一人として各地 ...

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四民平等

1869年、四民平等とし、新たに華族・士族・平民の制を設ける。僧侶は江戸時代までも様々な身分・家柄から出てきていたため、僧侶としてまとめてどこかの階級にあてられたわけではなく、結局、江戸時代からの身分 ...

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版籍奉還

1869年、大名支配の土地(版)・人民(籍)を朝廷に返させる。 << 戻る

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都を東京に移す

1869年、都を東京に移す。 << 戻る

青厳寺・興山寺を合併し金剛峯寺と改める

明治二年(1869年)、青巌寺と興山寺が合併して真言宗の一寺院となり、高野山全体の寺号だった「金剛峯寺」を称します。 << 戻る

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一世一元の制

1868年9月、一世一元の制。明治天皇が即位。年号を明治と改め、天皇一代につき年号は一つとした。 << 戻る

沖田総司(おきたそうじ)

  幕末の武士、新選組一番隊組長及び撃剣師範。本姓は藤原を称した。諱は春政、後に房良(かねよし)。幼名は宗次郎。 生誕 天保13年(1842年) 命日 慶応4年5月30日(1868年7月19 ...

近藤勇(こんどういさみ)

  江戸時代末期の武士。新選組局長。後に幕臣に取り立てられ、甲陽鎮撫隊隊長。勇は通称で、諱は昌宜という。慶応4年からは大久保剛を名乗り、後にさらに大久保大和と改めた。家紋は丸の内に三つ引。天 ...

小栗忠順(おぐりただまさ)

  江戸時代末期の幕臣、勘定奉行、江戸町奉行、外国奉行。 通称は又一。「又一」は、代々小栗家当主が名乗る名前。安政6年、従五位下豊後守に叙任。文久3年、上野介と改名した。三河小栗氏第12代当 ...



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