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後藤象二郎(ごとうしょうじろう)

  幕末から明治時代の武士、政治家、実業家。栄典は正二位勲一等伯爵。土佐三伯の1人。 幼名は保弥太、良輔。象二郎は通称。諱は正本、後に元曄。字は日曄、暢谷、雲濤、不倒翁など。雅号に暘谷、雲濤 ...

大師之寺-三重県四日市市

・大師之寺 高野山真言宗 三重県四日市市南納屋町6-11 明治三十年(1897)、隆道和尚がこの地に立ち寄られた際、小堂を建立して弘法大師をお祀りされ、大師信仰の説教所として開山されました。太平洋戦争 ...

本光寺-北海道室蘭市

・本光寺 浄土真宗本願寺派 北海道室蘭市本輪西町3-33-7 寺号 蘭北山 本光寺 開基 明治29年12月19日(リンク先より)※明治29年 1896年 << 戻る

樋口一葉(ひぐちいちよう)

  小説家。東京生まれ。戸籍名は「奈津」だが本人は「夏子」と名乗ることが多かった。 中島歌子に歌、古典を学び、半井桃水に小説を学ぶ。生活に苦しみながら、「たけくらべ」「にごりえ」「十三夜」と ...

清沢満之ら「教界時言社」設立

1896(明治二九)年10月、清沢満之ら「教界時言社」設立し、本山改革をとなえる。『教界時言』発刊(明治31年3月終刊)。この改革は、事務所のあった地名にちなんで「白川党宗門改革運動」と言われた。 < ...

徳念寺-福岡県北九州市門司区

・徳念寺 浄土真宗本願寺派 福岡県北九州市門司区風師4-3-25 明治29年豊後真玉の地より龍眼師、門司に来る。龍眼師の住す所、豊後寺とも称される。念佛の声、高らかに有り。近隣諸辺の人々に徳望高く、敬 ...

東本願寺両堂落慶

1895(明治二八)年4月、東本願寺両堂落慶。 << 戻る

青蓮寺-広島県呉市

・青蓮寺 浄土真宗本願寺派 広島県呉市伏原1-13-16 明治28年(1895)初代住職 釈 徹明が開基。布教道場「洗心堂」を据え、常説教、仏教婦人会、日曜学校の活動をする 大正期頃(1915)成町( ...

一華寺-広島県呉市

・一華寺 臨済宗佛通寺派 広島県呉市西中央5-7-1 明治28年、自宅医院に隣接した土地に小庵を建て、寛量和尚の常宿ともし、そこで毎月参禅会も開いた。小さな標札には『仏通寺事務所』とあった。(リンク先 ...

高橋由一(たかはしゆいち)

  江戸生まれの洋画家。幼名は猪之助、のち佁之介。名は浩、字は剛。明治維新後に由一を名乗る。号は藍川、華陰逸人。居庵号は、石蒼波舎、伝神楼。 近世にも洋画や洋風画を試みた日本人画家は数多くい ...

浅田宗伯(あさだそうはく)

  漢方医、儒学者。諱は惟常、号は栗園。安政2年(1855年)幕府のお目見得医師となり、安政5年(1858年)将軍家茂に謁して徴士となり、慶応2年(1866年)13代将軍家定の夫人天璋院はじ ...

龍祥寺-三重県度会郡

・龍祥寺 曹洞宗 三重県度会郡大紀町阿曽1585 不盡山宝泉寺(寛延元年・1748年)と諏訪山龍祥寺(寛文元年・1661年)の二ヶ寺が明治27年宝泉寺を龍祥寺へ合併し、明治30年不盡山龍祥寺として成立 ...

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治外法権の撤廃

1894年、イギリスとの間で条約の改正。治外法権の撤廃(外務大臣 陸奥宗光)。 << 戻る

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日清戦争

1894年、日清戦争が始まる(~1895年)。 << 戻る

松平容保(まつだいらかたもり)

  幕末の大名。陸奥国会津藩9代藩主。京都守護職。高須四兄弟の一人で、血統的には水戸藩主・徳川治保の子孫。現在の徳川宗家は容保の男系子孫である。 生誕 天保6年12月29日(1836年2月1 ...

清水次郎長(しみずのじろちょう)

  幕末・明治の侠客、博徒。本名、山本 長五郎。米問屋山本次郎八の養子。養家没落に伴い、博徒となり,やくざ仲間で名をあげて清水に縄張りをもち、次郎長伯山と異名をとった三代目神田伯山の講談から ...

福住寺-北海道札幌市豊平区

・福住寺 浄土真宗本願寺派 北海道札幌市豊平区福住一条1-3-1 福住寺の前身は明治26年3月25日、札幌郡豊平村字月寒に布教の拠点として明治26年設置された本願寺札幌別院の出張所です。 僅か間口三間 ...

法城寺-北海道勇払郡

・法城寺 浄土真宗本願寺派 北海道勇払郡むかわ町大原2-24 開教明治26年(1893年) 浄土真宗本願寺派 胆振組むかわ町(リンク先より) << 戻る

憲徳寺-鹿児島県姶良郡

・憲徳寺 浄土真宗本願寺派 鹿児島県姶良郡姶良町東餅田4072 1893年(明治26年) 本願寺鹿児島別院松原説教所として設立。 1952年(昭和27年) 寺号公称により浄土真宗本願寺派無極山憲徳寺と ...

性原寺-鹿児島県姶良市

・性原寺 浄土真宗本願寺派 鹿児島県姶良市松原町1丁目30番地1 明治9年(1876)の念仏解禁から17年後の明治26年に、松原地区500戸の人達によって鹿児島別院松原説教所が建立されました。 ところ ...

潜龍寺-北海道函館市

・潜龍寺 曹洞宗 北海道函館市亀田中野町136 明治二十五年旧六月二十四日、高龍寺第十八代住職雲林大法大和尚が当時亀田村大字赤川村長根と呼んでいた小高い丘に、高龍寺の説教所を設け、村民に仏の道を布教し ...

専修寺北海道別院-北海道札幌市清田区

・専修寺北海道別院 真宗高田派 北海道札幌市清田区平岡三条3丁目25-10 専修寺北海道別院について 明治25年春、福井県鮎川願生寺住職、出見法泉が、縁故の信徒をたどって当区に立錫し、南二条東四丁目に ...

覚王寺-北海道札幌市北区

・覚王寺 浄土真宗本願寺派 北海道札幌市北区麻生町5-2-12 1892(明治25)年、内平可敬が山命を受けて熊本から来道。屯田兵の入植に伴い、開拓時代の人々と苦労や喜びを分かち合いながら、阿弥陀さま ...

三条実美(さんじょうさねとみ)

  公卿、政治家。位階勲等爵位は、正一位大勲位公爵。号は梨堂(りどう)。変名は梨木 誠斉。 幕末には尊王攘夷・討幕派の中心的な人物であり、明治維新後は元勲の一人として右大臣、太政大臣、内大臣 ...

子院六百数十ヶ寺を統廃合

明治二十四年(1891年)、高野山内の子院六百数十ヶ寺を統廃合し、百三十ヶ寺に。 << 戻る

『修証義』(しゅしょうぎ)

『修証義』(しゅしょうぎ)は、おもに道元禅師の著わされた『正法眼蔵』から、その文言を抜き出して編集されたものです(どの部分から抜き出されたか詳しく知りたい方は ▶ 『修証義』(しゅしょう ...

旭川別院-北海道旭川市

・旭川別院 真宗大谷派 北海道旭川市宮下通2-1463 別院の創建は、1890(明治23)年に久教淵【ひさしきょうえん】師によって、寺子屋から始まり約120年の時を経て、現在に至っています。(リンク先 ...

松平春嶽(まつだいらしゅんがく)- 慶永(よしなが)

  幕末から明治初期にかけての大名、政治家。越前国福井藩16代藩主。春嶽は号で、諱は慶永である。他に礫川、鴎渚などの号を用いたが、生涯通して春嶽の号を最も愛用した。田安徳川家3代当主・徳川斉 ...

紋鼈寺-北海道伊達市

・紋鼈寺 浄土真宗本願寺派 北海道伊達市末永町71-1 明治23年に本願寺から布教を差許され、北海道の地に浄土真宗本願寺派の布教所を開きました。これが紋鼈寺の発祥となります。以来、伊達の地でお念仏を受 ...

正法寺-広島県三原市

・正法寺 真言宗御室派 広島県三原市本町3丁目4-1 亀甲山延命尊院正法寺は、長谷町鶴ヶ巣に大規模な七堂伽藍があったと伝えられていますが、天正年間築城に際し、館町に移されました。ところが福島正則の代に ...

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教育勅語が発布

1890年、教育勅語が発布される。 << 戻る

鈴木大拙が徳証寺に寄宿

明治22年(1889年)からおよそ2年間鈴木大拙(禅で知られる仏教学者)が徳証寺に寄宿した。 << 戻る



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