便り 勝光寺-大阪府河内長野市 ・勝光寺 真言宗 大阪府河内長野市日野1379-6昭和三十一年夏の夜のこと、井本凡勝は激しい霊夢に襲われた。右手に剣、左手に青年を抱いた物凄い形相の不動明王が夢枕に立ち、「我は勝負の神なり、この世の勝負をつかさどる不動明王なり。我をまつれよ」と不動明王の激しい啓示を賜った。(リンク先より) << 戻る 1956.01.01 便り年表
人物 本多光太郎(ほんだこうたろう) 物理学者、金属工学者(冶金学者)。鉄鋼及び金属に関する冶金学・材料物性学の研究を、日本はもとより世界に先駆けて創始した。磁性鋼であるKS鋼、新KS鋼の発明者として知られる。文化勲章受章者。文化功労者。 「鉄の神様」「鉄鋼の父」などとも呼ばれ鉄鋼の世界的権威者として知られる。生誕 1870年3月24日(明治3年2月23日)命日 1954年(昭和29年)2月12日<< 戻る 1954.02.12 人物
人物 峠三吉(とうげさんきち) 詩人。本名は、三吉(みつよし)。『原爆詩集』「ちちをかえせ ははをかえせ わたしにつながるにんげんをかえせ」生誕 1917年(大正6年)2月19日命日 1953年(昭和28年)3月10日<< 戻る 1953.03.10 人物
人物 斎藤茂吉(さいとうもきち) 歌人、精神科医。伊藤左千夫門下であり、大正から昭和前期にかけてのアララギの中心人物。精神科医としては青山脳病院の院長を務めた。長男は精神科医で随筆家の「モタさん」こと斎藤茂太、次男は精神科医・随筆家・小説家の「どくとるマンボウ」こと北杜夫で、随筆家の斎藤由香はこの北杜夫の娘にあたる。生誕 1882年(明治15年)5月14日命日 1953年(昭和28年)2月25日赤光院仁誉遊阿暁寂清居士<< 戻る 1953.02.25 人物
人物 鳥居龍蔵(とりいりゅうぞう) 人類学者、考古学者、民族学者、民俗学者。『ある老学徒の手記』生誕 1870年5月4日(明治3年4月4日)命日 1953年(昭和28年)1月14日<< 戻る 1953.01.14 人物
便り 浄泉寺-大阪府大阪市大正区 ・浄泉寺 浄土真宗本願寺派 大阪府大阪市大正区泉尾2-18-101945年~(昭和20年)戦後、現寺院の近くに説教所が開設され、地域の中心の場として活用される。1953年(昭和28年)多くの檀家の方々に支えられ、11月22日に寝殿造の浄泉寺が完成。落慶法要が行われる。(リンク先より) << 戻る 1953.01.01 便り年表
人物 中山晋平(なかやましんぺい) 作曲家。多くの傑作と言われる童謡・流行歌・新民謡などを残した。作品は多岐に渡り、校歌や社歌等を含め中山の作品と判明しているものだけで1770曲存在する。 一部の作品は現在も抒情歌または日本歌曲として歌い継がれている。長調の曲はほとんどが日本固有のヨナ抜き音階で書かれている。また、童謡には「兎のダンス」や「蛙(かはづ)の夜回り」のようなピョンコ節がかなりある。その作品群は独特の曲調から俗に「晋平節」と呼ばれ親しまれている。童謡『シャボン玉』『てるてる坊主』『あめふり』『雨降りお月』『証城寺の狸囃子』『こがね虫』『あの町この町』『背くらべ』など多数。生誕 1887年(明治20年)3月22日命日 1... 1952.12.30 人物
人物 藤井健次郎(ふじいけんじろう) 、 - )は、日本の植物学者、遺伝学者。帝国大学で植物形態学の研究をし、ドイツ・イギリスに留学。帰国後、ドイツ遺伝学の研究を取り入れ東京帝国大学に細胞遺伝学講座を初めて開設し、日本における遺伝学研究に尽力。生誕 1866年11月11日(慶応2年10月5日)命日 1952年(昭和27年)1月11日<< 戻る 1952.01.11 人物
人物 西川正治(にしかわしょうじ) 東京都八王子市出身の結晶学者。東京帝国大学物理学科を卒業 (1910) 。同大学教授 (22~45) 。生誕 1884年12月5日命日 1952年1月5日<< 戻る 1952.01.05 人物
人物 林芙美子(はやしふみこ) 小説家。本名フミコ。山口県生まれ。『放浪記』生誕 1903年(明治36年)12月31日命日 1951年(昭和26年)6月28日純徳院芙蓉清美大姉<< 戻る 1951.06.28 人物
人物 白井松次郎(しらいまつじろう) 松竹の創業者の一人(松竹株式会社社長)。興行師、劇場経営者として活躍し、旧態依然たる明治の興行界に近代的なシステムを導入したことで知られる。生誕 1877年12月13日命日 1951年1月23日<< 戻る 1951.01.23 人物
人物 仁科芳雄(にしなよしお) 物理学者である。岡山県浅口郡里庄町浜中の出身。日本に量子力学の拠点を作ることに尽くし、宇宙線関係、加速器関係の研究で業績をあげた。日本の現代物理学の父である。死去から4年後の1955年、原子物理学とその応用分野の振興を目的として仁科記念財団が設立された。生誕 1890年(明治23年)12月6日命日 1951年(昭和26年)1月10日誠明院巧譽報徳中正居士<< 戻る 1951.01.10 人物
年表 サンフランシスコ平和条約 1951年、サンフランシスコ平和条約を結ぶ。日本代表の吉田茂首相は、アメリカなど48か国と平和条約を結び、翌52年、日本は独立を回復した。<< 戻る 1951.01.01 年表
人物 波多野精一(はたのせいいち) 哲学史家・宗教哲学者。玉川大学第2代学長。 西田幾多郎と並ぶ京都学派の立役者。早大での教え子には村岡典嗣、東大での教え子には石原謙、安倍能成、京大での教え子には田中美知太郎、小原国芳らがいる。生誕 1877年7月21日命日 1950年1月17日<< 戻る 1950.01.17 人物
便り 立正寺-東京都渋谷区 ・立正寺 法華宗(本門流) 東京都渋谷区代々木4-23-13戦後復興期、人心困苦の昭和25年 立正寺の前進「立正題目教会」は當池 山内一豊氏(戦国大名) 江戸下屋敷跡地を購入、茨城県下館市より本院を移転し、開基 白蓮院日定上人ににより創建されました。(リンク先より) << 戻る 1950.01.01 便り年表
仏教を本気で学ぶ 法輪(ほうりん) 法輪とは、仏教を信じることによって自らの煩悩が打ち消されるさまを、転輪聖王の7種の宝具の1つである古代インドの投擲武器である輪(チャクラム)にたとえた表現です。また、古代インドで輪は統治権の象徴とみなされていました。・師(ブッダ)は答えた、「セーラよ。わたくしは王ではありますが、無上の真理の王です。真理によって輪をまわすのです。誰も反転しえない輪を。」(スッタニパータ 554偈)・「セーラよ。わたしがまわした輪、すなわち無上の真理の輪(法輪)を、サーリプッタがまわす。彼は全き人に続いて出現した人です。」(スッタニパータ 557偈)仏教のシンボルの1つである法輪は、昭和25(1950)年にスリラ... 1950.01.01 仏教を本気で学ぶ年表
人物 石原莞爾(いしわらかんじ) 陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。栄典は正四位・勲一等・功三級、「世界最終戦論」など軍事思想家としても知られる。 関東軍作戦参謀として、板垣征四郎らと共に柳条湖事件・満州事変を起こした首謀者であるが、後に東條英機との対立から予備役に追いやられ、病気及び反東條の立場が寄与し戦犯指定を免れた。生誕 1889年1月18日 (戸籍の上では17日)命日 1949年8月15日<< 戻る 1949.08.15 人物
便り 法円寺-茨城県つくばみらい市 ・法円寺 浄土宗 茨城県つくばみらい市長渡呂新田43当寺は、深蓮社信譽存廊上人により開山され、教化事業に力を入れ、寺門の発展に尽くしてきましたが、昭和24年の失火により本堂・庫裏・鐘楼を焼失してしまいました。(リンク先より) << 戻る 1949.01.01 便り年表
人物 大谷光瑞(おおたにこうずい) 宗教家、探検家。浄土真宗本願寺派第22世法主、伯爵、国営競馬馬主。 諱は光瑞。法名は鏡如上人。院号は信英院。 弟に真宗木辺派の本山錦織寺第20代法主となる木辺孝慈、大谷尊由、妹に九条武子がいる。妻は大正天皇の皇后・九条節子の姉・籌子。1900年12月3日、日本を出発、1902年(明治35年)8月15日ロンドンを出発、教団活動の一環として西域探検のためインドに渡り、仏蹟の発掘調査に当たった。1903年(明治36年)1月14日朝、ビハール州ラージギル郊外で長らく位置が判らなかった霊鷲山を発見している。同年に父・光尊が死去し、法主を継職するため3月12日帰国したが、探検・調査活動は1904年(明治3... 1948.10.05 人物
人物 ベーブ・ルース アメリカ合衆国メリーランド州ボルチモア出身のプロ野球選手。愛称は「バンビーノ」。 最初にアメリカ野球殿堂入りを果たした5人の中の1人であり、本塁打50本以上のシーズン記録を初めて達成した。生誕 1895年2月6日命日 1948年8月16日<< 戻る 1948.08.16 人物
人物 太宰治(だざいおさむ) 小説家。左翼活動での挫折後、自殺未遂や薬物中毒を繰り返しながらも、第二次世界大戦前から戦後にかけて作品を次々に発表。主な作品に『走れメロス』『津軽』『お伽草紙』『人間失格』がある。没落した華族の女性を主人公にした『斜陽』はベストセラーとなる。生誕 1909年〈明治42年〉6月19日命日 1948年〈昭和23年〉6月13日文綵院大猷治通居士<< 戻る 1948.06.13 人物
人物 菊池寛(きくちかん) 小説家、劇作家、ジャーナリスト。文藝春秋社(現在は株式会社文藝春秋)を創設した実業家でもある。本名は菊池寛(きくち ひろし)。また「文藝春秋」を創刊し雑誌発行人としても活躍した。生誕 1888年(明治21年)12月26日命日 1948年(昭和23年)3月6日<< 戻る 1948.03.06 人物
人物 マハトマ・ガンディー インドのグジャラート出身の弁護士、宗教家、政治指導者である。インド独立の父。「マハートマー」とは「偉大なる魂」という意味で、インドの詩聖タゴールから贈られたとされるガンディーの尊称である。生誕 1869年10月2日命日 1948年1月30日<< 戻る 1948.01.30 人物
人物 横光利一(よこみつりいち) 小説家・俳人・評論家である。本名は横光利一。 菊池寛に師事し、川端康成と共に新感覚派として大正から昭和にかけて活躍した。代表作『日輪』(1923年)『頭ならびに腹』(1924年)『機械』(1930年)『上海』(1931年)『純粋小説論』(1935年、評論)『旅愁』(1937 - 1946年)生誕 1898年(明治31年)3月17日命日 1947年(昭和22年)12月30日光文院釋雨過居士<< 戻る 1947.12.30 人物
人物 幸田露伴(こうだろはん) 小説家。本名は成行。別号に蝸牛庵、笹のつゆ、雷音洞主、脱天子など多数。江戸下谷生まれ。帝国学士院会員。帝国芸術院会員。第1回文化勲章受章。娘の幸田文も随筆家・小説家。高木卓の伯父。 『風流仏』で評価され、『五重塔』『運命』などの文語体作品で文壇での地位を確立。生誕 1867年8月22日(慶応3年7月23日)命日 1947年(昭和22年)7月30日露伴居士<< 戻る 1947.07.30 人物
便り 神田寺-東京都千代田区 ・神田寺 浄土宗 東京都千代田区外神田3-4-10明治以降、神田の地に寺院が無かったため、第二次大戦後の昭和22年(1947)に故友松圓諦師によって地名を名のる寺院として創建されました。寺の前身は南北朝時代の至徳元年(1384)品川に創建されたのち深川に移転した「法禅寺」と江戸時代初期、万治元年(1658)創建の「安民寺」が前身となっています。(リンク先より) << 戻る 1947.01.01 便り年表
仏教を本気で学ぶ 鞍馬弘教の成立(鞍馬寺) 千二百余年前、鞍馬寺を開創した鑑禎上人は律宗に属し、藤原伊勢人は、鎮護国家の毘沙門天と慈悲の観音を一体として併せて祀りました。中興の祖、峯延上人は真言宗の十禅師とも言われています。後に天台宗の影響が強まり、天台法華・天台密教・天台浄土が取り入れられました。鞍馬山には、神代以前からの古神道や陰陽道、修験道等の山岳宗教の要素も含まれています。宗派に捉われない懐の深さは鞍馬寺の宗教伝統となっています。 昭和22年、初代管長信楽香雲は、このような多様な信仰の歴史を統一して鞍馬弘教と名付け、昭和24年、鞍馬寺は鞍馬弘教の総本山となりました。(歴史 鞍馬寺 より)<< 戻る 1947.01.01 仏教を本気で学ぶ年表