buddhism

人物

牧野富太郎(まきのとみたろう)

植物学者。高知県高岡郡佐川町出身。「日本の植物学の父」といわれ、多数の新種を発見し命名も行った近代植物分類学の権威である。その研究成果は50万点もの標本や観察記録、そして『牧野日本植物図鑑』に代表される多数の著作として残っている。幼少のころから植物に興味を示し、10歳より寺子屋、さらに塾で学び、その後12歳で小学校へも入学したものの2年で中退し、好きな植物採集にあけくれる生活を送るようになる。地元の学校の教師などから英語を学び、植物の採集、写生、観察など研究を続けながら、欧米の植物学も勉強し、当時の著名な学者の知己も得るようになる。生誕 1862年5月22日(文久2年4月24日)命日 1957...
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有馬頼寧(ありまよりやす)

政治家。農政研究者。農林大臣。日本中央競馬会第2代理事長。プロ野球球団オーナー。旧筑後国久留米藩主・有馬家の第15代当主。明治43年(1910)東京帝大農大学卒業後、農商務省に入り農政に携わる。大正6年(1917)年に辞職後は、東京帝大の講師、助教授となる一方、部落解放運動や農民組合運動を支援し、「革新」的な華族として注目される。13年衆議院議員、昭和4年(1929)貴族院議員、7年農村政務次官、12年第1次近衛内閣農相。他に産業組合の要職を歴任、近衛の側近として新体制運動に参画し、15年大政翼賛会の初代事務総長となった。戦後はA級戦犯として収容されたが不起訴。30年中央競馬会理事長となり、「...
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高村光太郎(たかむらこうたろう)

詩人・歌人・彫刻家・画家。本名は光太郎と書いて「みつたろう」と読む。 日本を代表する彫刻家であり画家でもあったが、今日にあって『道程』『智恵子抄』などの詩集が著名で、教科書にも多く作品が掲載されており、日本文学史上、近現代を代表する詩人として位置づけられる。父である高村光雲などの作品鑑定も多くしている。高村光太郎の命日(4月2日)は、高村がアトリエの庭に咲く連翹(れんぎょう)の花を好んでおり、彼の告別式で棺の上にその一枝が置かれていたことから連翹忌と呼ばれている。生誕 1883年(明治16年)3月13日命日 1956年(昭和31年)4月2日光珠院殿顕誉智照居士<< 戻る
便り

勝光寺-大阪府河内長野市

・勝光寺 真言宗 大阪府河内長野市日野1379-6昭和三十一年夏の夜のこと、井本凡勝は激しい霊夢に襲われた。右手に剣、左手に青年を抱いた物凄い形相の不動明王が夢枕に立ち、「我は勝負の神なり、この世の勝負をつかさどる不動明王なり。我をまつれよ」と不動明王の激しい啓示を賜った。(リンク先より) << 戻る
年表

日ソ共同宣言

1956年、日ソ共同宣言→ソビエト連邦との国交回復。<< 戻る
年表

日本が国際連合に加入

1956年、日本が国際連合に加入する。<< 戻る
人物

本多光太郎(ほんだこうたろう)

物理学者、金属工学者(冶金学者)。鉄鋼及び金属に関する冶金学・材料物性学の研究を、日本はもとより世界に先駆けて創始した。磁性鋼であるKS鋼、新KS鋼の発明者として知られる。文化勲章受章者。文化功労者。 「鉄の神様」「鉄鋼の父」などとも呼ばれ鉄鋼の世界的権威者として知られる。生誕 1870年3月24日(明治3年2月23日)命日 1954年(昭和29年)2月12日<< 戻る
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峠三吉(とうげさんきち)

詩人。本名は、三吉(みつよし)。『原爆詩集』「ちちをかえせ ははをかえせ わたしにつながるにんげんをかえせ」生誕 1917年(大正6年)2月19日命日 1953年(昭和28年)3月10日<< 戻る
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斎藤茂吉(さいとうもきち)

歌人、精神科医。伊藤左千夫門下であり、大正から昭和前期にかけてのアララギの中心人物。精神科医としては青山脳病院の院長を務めた。長男は精神科医で随筆家の「モタさん」こと斎藤茂太、次男は精神科医・随筆家・小説家の「どくとるマンボウ」こと北杜夫で、随筆家の斎藤由香はこの北杜夫の娘にあたる。生誕 1882年(明治15年)5月14日命日 1953年(昭和28年)2月25日赤光院仁誉遊阿暁寂清居士<< 戻る
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鳥居龍蔵(とりいりゅうぞう)

人類学者、考古学者、民族学者、民俗学者。『ある老学徒の手記』生誕 1870年5月4日(明治3年4月4日)命日 1953年(昭和28年)1月14日<< 戻る
便り

浄泉寺-大阪府大阪市大正区

・浄泉寺 浄土真宗本願寺派 大阪府大阪市大正区泉尾2-18-101945年~(昭和20年)戦後、現寺院の近くに説教所が開設され、地域の中心の場として活用される。1953年(昭和28年)多くの檀家の方々に支えられ、11月22日に寝殿造の浄泉寺が完成。落慶法要が行われる。(リンク先より) << 戻る
年表

テレビ放送開始

1953年、テレビ放送開始。<< 戻る
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中山晋平(なかやましんぺい)

作曲家。多くの傑作と言われる童謡・流行歌・新民謡などを残した。作品は多岐に渡り、校歌や社歌等を含め中山の作品と判明しているものだけで1770曲存在する。 一部の作品は現在も抒情歌または日本歌曲として歌い継がれている。長調の曲はほとんどが日本固有のヨナ抜き音階で書かれている。また、童謡には「兎のダンス」や「蛙(かはづ)の夜回り」のようなピョンコ節がかなりある。その作品群は独特の曲調から俗に「晋平節」と呼ばれ親しまれている。童謡『シャボン玉』『てるてる坊主』『あめふり』『雨降りお月』『証城寺の狸囃子』『こがね虫』『あの町この町』『背くらべ』など多数。生誕 1887年(明治20年)3月22日命日 1...
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藤井健次郎(ふじいけんじろう)

、 - )は、日本の植物学者、遺伝学者。帝国大学で植物形態学の研究をし、ドイツ・イギリスに留学。帰国後、ドイツ遺伝学の研究を取り入れ東京帝国大学に細胞遺伝学講座を初めて開設し、日本における遺伝学研究に尽力。生誕 1866年11月11日(慶応2年10月5日)命日 1952年(昭和27年)1月11日<< 戻る
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西川正治(にしかわしょうじ)

東京都八王子市出身の結晶学者。東京帝国大学物理学科を卒業 (1910) 。同大学教授 (22~45) 。生誕 1884年12月5日命日 1952年1月5日<< 戻る
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林芙美子(はやしふみこ)

小説家。本名フミコ。山口県生まれ。『放浪記』生誕 1903年(明治36年)12月31日命日 1951年(昭和26年)6月28日純徳院芙蓉清美大姉<< 戻る
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白井松次郎(しらいまつじろう)

松竹の創業者の一人(松竹株式会社社長)。興行師、劇場経営者として活躍し、旧態依然たる明治の興行界に近代的なシステムを導入したことで知られる。生誕 1877年12月13日命日 1951年1月23日<< 戻る
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仁科芳雄(にしなよしお)

物理学者である。岡山県浅口郡里庄町浜中の出身。日本に量子力学の拠点を作ることに尽くし、宇宙線関係、加速器関係の研究で業績をあげた。日本の現代物理学の父である。死去から4年後の1955年、原子物理学とその応用分野の振興を目的として仁科記念財団が設立された。生誕 1890年(明治23年)12月6日命日 1951年(昭和26年)1月10日誠明院巧譽報徳中正居士<< 戻る
年表

サンフランシスコ平和条約

1951年、サンフランシスコ平和条約を結ぶ。日本代表の吉田茂首相は、アメリカなど48か国と平和条約を結び、翌52年、日本は独立を回復した。<< 戻る
人物

波多野精一(はたのせいいち)

哲学史家・宗教哲学者。玉川大学第2代学長。 西田幾多郎と並ぶ京都学派の立役者。早大での教え子には村岡典嗣、東大での教え子には石原謙、安倍能成、京大での教え子には田中美知太郎、小原国芳らがいる。生誕 1877年7月21日命日 1950年1月17日<< 戻る
便り

立正寺-東京都渋谷区

・立正寺 法華宗(本門流) 東京都渋谷区代々木4-23-13戦後復興期、人心困苦の昭和25年 立正寺の前進「立正題目教会」は當池 山内一豊氏(戦国大名) 江戸下屋敷跡地を購入、茨城県下館市より本院を移転し、開基 白蓮院日定上人ににより創建されました。(リンク先より) << 戻る
仏教を本気で学ぶ

法輪(ほうりん)

法輪とは、仏教を信じることによって自らの煩悩が打ち消されるさまを、転輪聖王の7種の宝具の1つである古代インドの投擲武器である輪(チャクラム)にたとえた表現です。また、古代インドで輪は統治権の象徴とみなされていました。・師(ブッダ)は答えた、「セーラよ。わたくしは王ではありますが、無上の真理の王です。真理によって輪をまわすのです。誰も反転しえない輪を。」(スッタニパータ 554偈)・「セーラよ。わたしがまわした輪、すなわち無上の真理の輪(法輪)を、サーリプッタがまわす。彼は全き人に続いて出現した人です。」(スッタニパータ 557偈)仏教のシンボルの1つである法輪は、昭和25(1950)年にスリラ...
仏教を本気で学ぶ

法隆寺は聖徳宗に

第2次大戦後の1950年、法隆寺は聖徳宗を名乗って法相宗から離脱した。<< 戻る
人物

石原莞爾(いしわらかんじ)

陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。栄典は正四位・勲一等・功三級、「世界最終戦論」など軍事思想家としても知られる。 関東軍作戦参謀として、板垣征四郎らと共に柳条湖事件・満州事変を起こした首謀者であるが、後に東條英機との対立から予備役に追いやられ、病気及び反東條の立場が寄与し戦犯指定を免れた。生誕 1889年1月18日 (戸籍の上では17日)命日 1949年8月15日<< 戻る
年表

蓮如上人四百五十回忌法要

1949(昭和二四)年4月、蓮如上人四百五十回忌法要。<< 戻る
便り

法円寺-茨城県つくばみらい市

・法円寺 浄土宗 茨城県つくばみらい市長渡呂新田43当寺は、深蓮社信譽存廊上人により開山され、教化事業に力を入れ、寺門の発展に尽くしてきましたが、昭和24年の失火により本堂・庫裏・鐘楼を焼失してしまいました。(リンク先より) << 戻る
人物

大谷光瑞(おおたにこうずい)

宗教家、探検家。浄土真宗本願寺派第22世法主、伯爵、国営競馬馬主。 諱は光瑞。法名は鏡如上人。院号は信英院。 弟に真宗木辺派の本山錦織寺第20代法主となる木辺孝慈、大谷尊由、妹に九条武子がいる。妻は大正天皇の皇后・九条節子の姉・籌子。1900年12月3日、日本を出発、1902年(明治35年)8月15日ロンドンを出発、教団活動の一環として西域探検のためインドに渡り、仏蹟の発掘調査に当たった。1903年(明治36年)1月14日朝、ビハール州ラージギル郊外で長らく位置が判らなかった霊鷲山を発見している。同年に父・光尊が死去し、法主を継職するため3月12日帰国したが、探検・調査活動は1904年(明治3...
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ベーブ・ルース

アメリカ合衆国メリーランド州ボルチモア出身のプロ野球選手。愛称は「バンビーノ」。 最初にアメリカ野球殿堂入りを果たした5人の中の1人であり、本塁打50本以上のシーズン記録を初めて達成した。生誕 1895年2月6日命日 1948年8月16日<< 戻る
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太宰治(だざいおさむ)

小説家。左翼活動での挫折後、自殺未遂や薬物中毒を繰り返しながらも、第二次世界大戦前から戦後にかけて作品を次々に発表。主な作品に『走れメロス』『津軽』『お伽草紙』『人間失格』がある。没落した華族の女性を主人公にした『斜陽』はベストセラーとなる。生誕 1909年〈明治42年〉6月19日命日 1948年〈昭和23年〉6月13日文綵院大猷治通居士<< 戻る
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菊池寛(きくちかん)

小説家、劇作家、ジャーナリスト。文藝春秋社(現在は株式会社文藝春秋)を創設した実業家でもある。本名は菊池寛(きくち ひろし)。また「文藝春秋」を創刊し雑誌発行人としても活躍した。生誕 1888年(明治21年)12月26日命日 1948年(昭和23年)3月6日<< 戻る
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マハトマ・ガンディー

インドのグジャラート出身の弁護士、宗教家、政治指導者である。インド独立の父。「マハートマー」とは「偉大なる魂」という意味で、インドの詩聖タゴールから贈られたとされるガンディーの尊称である。生誕 1869年10月2日命日 1948年1月30日<< 戻る
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横光利一(よこみつりいち)

小説家・俳人・評論家である。本名は横光利一。 菊池寛に師事し、川端康成と共に新感覚派として大正から昭和にかけて活躍した。代表作『日輪』(1923年)『頭ならびに腹』(1924年)『機械』(1930年)『上海』(1931年)『純粋小説論』(1935年、評論)『旅愁』(1937 - 1946年)生誕 1898年(明治31年)3月17日命日 1947年(昭和22年)12月30日光文院釋雨過居士<< 戻る