buddhism

便り

妙延寺-神奈川県川崎市麻生区

・萬年山 妙延寺 浄土真宗本願寺派 神奈川県川崎市麻生区多摩美1-27-1元 築地58ヶ寺の古いお寺築地から昭和40年前半に移転してきたお寺です緑と自然に恵まれた静かなお寺です(リンク先より)※昭和40年 1965年 << 戻る
便り

法親寺-岡山県玉野市

・法親寺 浄土真宗本願寺派 岡山県玉野市築港3-6-18昭和40年、現在の地、玉野市築港に門信徒の熱い信心の集結として再建された。その後、鐘楼・書院の増築等、時代を経て行われ、布教、法事奉賛の拠点として現在に至る。(リンク先より) << 戻る
便り

龍王院-佐賀県三養基郡

・龍王院 真言宗智山派 佐賀県三養基郡上峰町堤1903当成田山龍王院はこの大本山成田山新勝寺の佐賀県唯一の末寺として、昭和四十年に地元の熱誠信徒の懇請により、ご本尊不動明王のご分霊を上峰の地に奉安し、佐賀成田山と親しまれ、不動尊霊場として今日に至っている。(リンク先より) << 戻る
仏教を本気で学ぶ

清水寺は北法相宗に

1965年、京都の清水寺は北法相宗として法相宗から独立し、法相宗は興福寺、薬師寺の2本山が統括するにいたった。<< 戻る
便り

不動寺-福岡県遠賀郡

・不動寺 真言宗泉涌寺派 福岡県遠賀郡岡垣町大字内浦885昭和39年12月10日、福岡県遠賀郡岡垣町内の有志者が結成した”筑紫不動会”が千葉県成田市の大本山成田山新勝寺より御分躰を当不動寺に勧請しました。(リンク先より) << 戻る
人物

佐藤春夫(さとうはるお)

詩人・作家。艶美清朗な詩歌と倦怠・憂鬱の小説を軸に、文芸評論・随筆・童話・戯曲・評伝・和歌とその活動は多岐に及び、明治末期から昭和まで旺盛に活動した。筆名を潮鳴、沙塔子、雅号を能火野人と称した。初代新宮市名誉市民。代表作『西班牙犬の家』(1914年、小説)『田園の憂鬱』(1919年、小説)『殉情詩集』(1921年、詩集)『都会の憂鬱』(1922年、小説)『退屈読本』(1926年、随筆集)『車塵集』(1929年、訳詩集)『晶子曼陀羅』(1954年、小説)生誕 1892年(明治25年)4月9日命日 1964年(昭和39年)5月6日凌霄院殿詞誉紀精春日大居士<< 戻る
人物

堤康次郎(つつみやすじろう)

実業家、財界人で、滋賀県選出の衆議院議員として政治家でもあった。西武グループの創業者。第44代衆議院議長。滋賀県大津市名誉市民。正三位勲一等。「ピストル堤」の異名を持つ。 五島慶太は東急対西武戦争でライバルとも言われた。生誕 1889年(明治22年)3月7日命日 1964年(昭和39年)4月26日清浄院釈康信<< 戻る
人物

三好達治(みよしたつじ)

大阪府大阪市出身の詩人、翻訳家、文芸評論家。日蓮宗本山本満寺貫首を務めた三好龍紳は実弟。代表作『測量船』(1930年)、『駱駝の瘤にまたがつて』(1952年)など多数。生誕 1900年(明治33年)8月23日命日 1964年(昭和39年)4月5日法治院平安日達居士<< 戻る
年表

東海道新幹線が開通

1964年、東海道新幹線が開通する。<< 戻る
年表

東京オリンピックが開催

1964年、東京オリンピックが開催される。<< 戻る
人物

力道山(りきどうざん)

プロレスラー、大相撲力士。17歳で大相撲二所ノ関部屋に入門する。関脇にまでなるが、27歳の時に自ら髷を落とし廃業後、プロレスに転進し、日本プロレスの基礎を築いた。生誕 1924年11月14日命日 1963年12月15日大光院力道日源居士<< 戻る
人物

松林桂月(まつばやしけいげつ)

画家。山口県萩市生まれ。元の姓は伊藤、本名は篤。字は子敬。別号に香外、玉江漁人。妻の松林雪貞も日本画家。《春宵花影》東京国立近代美術館蔵/《愛吾廬》山口県立美術館蔵など多数。生誕 1876年8月18日命日 1963年5月22日豪徳院殿彩譽松林桂月大居士<< 戻る
人物

鈴木虎雄(すずきとらお)

古典中国文学者。東京大学卒業。京都大学教授を経て,同大名誉教授。文学博士。学士院会員。中国文学の研究によって 1961年文化勲章受章。新潟県西蒲原郡粟生津村(のち吉田町、現在は燕市に合併)出身。燕市名誉市民。生誕 1878年(明治11年)1月18日命日 1963年(昭和38年)1月20日<< 戻る
人物

吉川英治(よしかわえいじ)

小説家。現在の神奈川県横浜市中区出身。 様々な職についたのち作家活動に入り、『鳴門秘帖』などで人気作家となる。1935年より連載が始まった『宮本武蔵』は広範囲な読者を獲得し、大衆小説の代表的な作品となった。戦後は『新・平家物語』、『私本太平記』などの大作を執筆。生誕 1892年〈明治25年〉8月11日命日 1962年〈昭和37年〉9月7日崇文院殿釈仁英大居士<< 戻る
人物

柳田國男(やなぎたくにお)

民俗学者・官僚。明治憲法下で農務官僚、貴族院書記官長、終戦後から廃止になるまで最後の枢密顧問官などを務めた。1949年日本学士院会員、1951年文化勲章受章。1962年勲一等旭日大綬章。 「日本人とは何か」という問いの答えを求め、日本列島各地や当時の日本領の外地を調査旅行した。生誕 1875年〈明治8年〉7月31日命日 1962年〈昭和37年〉8月8日永隆院殿顕誉常正明国大居士<< 戻る
人物

石井漠(いしいばく)

舞踊家、ダンサーである。代表作は『甦る新世界』(1933)や、晩年視力をほとんど失ってから上演した『人間釈迦』(1953,芸能選奨文部大臣賞)などがある。いずれも作曲家の石井歓、石井眞木は息子、石井五郎は弟。また舞踊家の石井登は孫、石井武は曾孫である。生誕 1886年12月25日命日 1962年1月7日<< 戻る
便り

金毘羅院-鳥取県倉吉市

・金毘羅院 単立(真言宗) 鳥取県倉吉市上井一番地昭和37年、それまでは岡山県新見市を中心に活動をしていた先代の住職が、新しい布教の場を求めて托鉢修行を発願いたしました。 その時に倉吉の地で知り合った方から現在の金毘羅院の基礎となる土地を譲り受け小さなお堂を建立しました。これが当山の始まりです。(リンク先より) << 戻る
人物

津田左右吉(つだそうきち)

20世紀前半の日本の歴史学者・思想史家。『古事記』と『日本書紀』を史料批判の観点から研究したことで知られる。生誕 1873年(明治6年)10月3日命日 1961年(昭和36年)12月4日<< 戻る
年表

宗祖七百回御遠忌法要

1961(昭和三六)年4月、宗祖七百回御遠忌法要。<< 戻る
人物

和辻哲郎(わつじてつろう)

哲学者、倫理学者、文化史家、日本思想史家。『古寺巡礼』『風土』などの著作で知られ、その倫理学の体系は和辻倫理学と呼ばれる。生誕 1889年3月1日命日 1960年12月26日明徳院和風良哲居士<< 戻る
人物

風巻景次郎(かざまきけいじろう)

国文学者。主著『中世の文学伝統』。また、数校の北海道の公立高等学校の校歌の作詞も手がけた。生誕 1902年(明治35年)5月22日命日 1960年(昭和35年)1月4日<< 戻る
便り

浄真寺-千葉県柏市

・浄真寺 真宗大谷派 千葉県柏市南逆井7-19-1この浄真寺は1960年代に開設された、まだ生まれたてのお寺です。(リンク先より) << 戻る
人物

北大路魯山人(きたおおじろさんじん)

芸術家。本名は北大路 房次郎。 晩年まで、篆刻家・画家・陶芸家・書道家・漆芸家・料理家・美食家などの様々な顔を持っていた。生誕 1883年〈明治16年〉3月23日命日 1959年〈昭和34年〉12月21日妙法祥院高徳魯山居士<< 戻る
人物

高浜虚子(たかはまきょし)

明治・大正・昭和の3代にわたる俳人・小説家。本名は高浜 清。 『ホトトギス』の理念となる「客観写生」「花鳥諷詠」を提唱したことでも知られる。生誕 1874年2月22日命日 1959年4月8日虚子庵高吟椿寿居士<< 戻る
人物

和田英作(わだえいさく)

鹿児島県出身の洋画家・教育者。東京美術学校校長(1932年-1936年)。文化勲章受章者、文化功労者。父は和田秀豊、弟は和田秀穂。生誕 1874年12月23日命日 1959年1月3日<< 戻る
人物

小室哲哉(こむろてつや)

音楽プロデューサー、作詞家、作曲家、編曲家、キーボーディスト、シンセサイザープログラマー、ミキシングエンジニア、DJ。83年、宇都宮隆、木根尚登とTM NETWORK(のちのTMN)を結成し、84年に「金曜日のライオン」でデビュー。同ユニットのリーダーとして、早くからその音楽的才能を開花。93年にtrfを手がけたことがきっかけで、一気にプロデューサーとしてブレイクした。以後、篠原涼子、安室奈美恵、華原朋美、H Jungle With t、globeなど、自身が手がけたアーティストが次々にミリオンヒット。2010年、作曲家としての活動を再開。AAA、森進一、北乃きい、超特急、SCANDAL、To...
人物

横山大観(よこやまたいかん)

美術家、日本画家。本名、横山秀麿(よこやま ひでまろ)。常陸国水戸出身。近代日本画壇の巨匠であり、今日「朦朧体」と呼ばれる、線描を抑えた独特の没線描法を確立した。帝国美術院会員。第1回文化勲章受章。死後、正三位勲一等旭日大綬章を追贈された。茨城県名誉県民。東京都台東区名誉区民。『村童観猿翁』1893年 東京藝術大学蔵 東京美術学校卒業制作『無我』1897年 東京国立博物館蔵『屈原』1898年 厳島神社蔵『迷児』1902年 個人蔵 『流燈』1909年 茨城県近代美術館蔵『瀟湘八景』1912年 東京国立博物館蔵 ※重要文化財『柳蔭』1913年 東京国立博物館蔵 六曲一双屏風 『游刄有余地』(ゆうじ...
便り

萬福寺-大阪府大阪市西区

・萬福寺のホームページ 浄土真宗本願寺派 大阪府大阪市西区南堀江1-14-23桂春団冶の落語「親子茶屋」に登場する「島之内の萬福寺さん」はこの萬福寺です。約350年間、島之内 (現在のアメリカ村) にありましたが、昭和33年(1958年)にここ堀江に移転して参りました。(リンク先より) << 戻る
便り

順正寺-東京都練馬区

・順正寺 真宗大谷派 東京都練馬区石神井町3-17-4昭和33年、宗教法人として成立。翌34年、開基本多正丸師の遠縁にあたる現住職江口貫照師が京都より招かれて着任し、布教活動を開始して現在に至ります。(リンク先より)※昭和33年 1958年 << 戻る
人物

徳富蘇峰(とくとみそほう)

明治から昭和戦後期にかけての日本のジャーナリスト、思想家、歴史家、評論家。『國民新聞』を主宰し、大著『近世日本国民史』を著したことで知られる。 蘇峰は号で、本名は猪一郎。字は正敬。筆名は菅原 正敬、大江 逸。雅号に山王草堂主人、頑蘇老人、蘇峰学人、銑研、桐庭、氷川子、青山仙客、伊豆山人など。生誕 1863年3月14日(文久3年1月25日)命日 1957年(昭和32年)11月2日百敗院泡沫頑蘇居士(自選)<< 戻る
人物

志賀潔(しがきよし)

医学者・細菌学者である。 赤痢菌の発見者として知られ、朝鮮総督府医院長、京城医学専門学校校長、京城帝国大学総長などを歴任した。生誕 1871年2月7日(明治3年12月18日)命日 1957年(昭和32年)1月25日<< 戻る
人物

小林一三(こばやしいちぞう)

実業家。 阪急電鉄をはじめとする阪急東宝グループ(現・阪急阪神東宝グループ)の創業者。 鉄道を中心とした都市開発(不動産事業)、流通事業、観光事業などを一体的に進め相乗効果を上げる私鉄経営モデルの原型を独自に作り上げ、後に全国の大手私鉄や民営化したJRがこの小林一三モデルを採用し、日本の鉄道会社の経営手法に大きな影響を与えた。また、東京電灯会社会長、目蒲電鉄・東横電鉄の取締役・日本軽金属社長・東宝社長などを歴任し、「今様太閤」と呼ばれ、第二次近衛内閣で商工相に就任した。生誕 1873年1月3日命日 1957年1月25日大仙院殿真覚逸翁大居士<< 戻る