【仏教用語/人物集 索引】

クシナガラについて

投稿日:2018年7月11日 更新日:

インド北部のヒマラヤ山脈とデカン高原に挟まれた場所にガンガーの流れる広大なヒンドゥスタン平原があり、そこにウッタル・プラデーシュ州(UP州)があります。この州はインド最大の人口を持ち、古くから農村地帯が広がり、稲作と畑作の混合地が多く、サトウキビや小麦などが作られてきた地域です。そんな農村地帯にクシナガラという町があります。(はじめの写真は2000年2月15日・涅槃の日に撮影)

私がその場所に初めて行ったのが2000年2月でした。インドは年中暑いところだと思っていたので、意外と朝晩が寒くて驚いたのを憶えています。その後、この場所を何度も訪れることになるとは思ってもいないことでした。

クシナガラへはインドの首都ニューデリーから寝台列車で14時間かけてゴラクプールという駅に到着すると、そこから東へ55kmの道程をローカルバスで揺られること1時間半かかります。2006年訪問時まではそのような旅程しか知らなかったのですが、その後、ニューデリーのインディラ・ガンディー国際空港からゴラクプール空港までのフライトで1時間40分で着いてしまった時には衝撃でした。

短い期間の訪問であればなおさら、時は金なりですね。しかし、ゴラクプール空港は雨期に冠水すると飛行機が飛ばなくなり、急遽、振替輸送として車に詰め込まれ小さくなりながら陸路を6時間かけてラクノウまで運ばれた時も衝撃でした。そこからさらにニューデリーのインディラ・ガンディー国際空港に戻りました。

ゴラクプールからクシナガラへはローカルバスでもタクシーでも同じくらい、1時間半見ておいた方がいいです。クシナガラはカシアーという町の3km手前に位置しています。小さな町ですがインド中だけではなく、世界中からここに訪れる人が絶えません。

ここクシナガラは仏教を開いたブッダが入滅(涅槃)した地として知られています。ブッダが入滅した当時、クシナガラはマッラ人の都として栄えていました。現在は仏教の四大聖地の一つとして注目を集めています。バス停近くにクシナガラの町のゲートがあり、その前後から小さな商店が立ち並びます。チャイ屋、理髪店、果物屋、雑貨屋、本屋、衣服屋、御土産物屋等など、一通りそろっているようです。

ゲートをくぐり、そのような町並みを歩いて行くと中国寺、チベット寺、ミャンマー寺、スリランカ寺などの各国の仏教寺院があります。大きな建物といえば政府の宿泊施設「パティックニワス」や一般企業の「ニッコウ・ロータス・ホテル」、「ロイヤル・レジデンシー・ホテル」などがあります。その他はブッダ博物館や数多くの仏教遺跡があります。

ブッダ入滅の象徴とされている涅槃堂(Nirvana Temple)は世界各国から仏教聖地の巡礼に訪れる人、遠足で訪れる学生、ブッダをヒンドゥの神としてお参りする人等難くさんいます。朝には涅槃堂の周りで坐禅・瞑想する人もいますし、6時過ぎから各国の僧侶が順番(決まりはないようです)にお経を唱えていきます。涅槃堂の内部はとても響きが良く気分が良くなります。

涅槃堂の前には沙羅双樹(サーラの木)があります。歴史上のブッダが亡くなった時に、このような沙羅双樹の間に頭を北に向けて右片を下にして横になっていました。この姿であっても涅槃に入る前の生きている間は足のつま先はそろえています。この姿で最後の説法をしたのです。

涅槃堂の涅槃像は足のつま先がずれています。これは入滅した(亡くなった)姿を表しているのです。その時80歳、悟りを得た後の45年の伝道の旅を終えた姿です。


(2017年8月撮影/邪魔な!?フェンスができています)

この涅槃像は5世紀のクマラグプタ朝時代にハリバラという信者が寄進したものをマトゥラーからクシナガラへ運んできたものです。この時代、王をはじめとする仏教の信者はクシナガラに僧院や礼拝堂を建て、仏教は保護されていました。

涅槃堂の周りにはかつてインドで仏教が盛んであった頃の僧院跡が残されています。このいくつかの僧院跡は2、3世紀頃から建てられましたが、4世紀に中国僧・法顕が訪れた時にはすでに衰退し始め、7世紀に中国僧・玄奘が訪れた時には町全体が荒廃していたといいます。イスラム教徒がインドに侵入する12世紀頃まで使われていたといわれますが、他のインドの仏教遺跡と同じように、イスラム教徒が侵入するかなり以前から荒廃していました。当然ながらイスラム政権下では目も向けられませんでした。そして、近年までこの場所がクシナガラであるということが忘れ去られていました。当時の仏教寺院の多くは木造であり、残っているものは土台だけです。残念に思うのは、発見されたままの土台を残すのではなく、現代風に修復されてしまっているので、古き良き時代をそのまま感じられるわけではありません。クシナガラには以上のような盛衰の歴史があります。

涅槃堂から東に1km程離れた場所にあるラーマバール塚(Ramabhar Stupa・荼毘塚)はブッダ火葬された跡に建てられたと伝えられます。その近くにはブッダが最後の沐浴をしたヒラニヤヴァティー川が流れています。現在クシナガラの涅槃堂にある涅槃像はこの川底から1876年に発見されるまで埋もれていました。掘り起こされた涅槃像を現在の場所に運び涅槃堂を造営したのです。

ラーマバール塚(荼毘塚)は現在ではこのようにレンガ造りのはっきりとした姿をしていますが、こちらも修復された姿です。少なくとも第二次世界大戦以前には木が生い茂り、レンガ造りであることが分からないぐらいでした。

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