当山は、臨済宗円覚寺派に属し、寺伝によると大同元年(806年)の開創で新義真言宗柴崎山(柴盤山)玉泉寺と称した。応永元年(1394年)那波城主大江宗廣公が大友氏の縁を得て、利根庄より河内国(現 大阪府)出身橘姓の白崖宝生禅師(びゃくがいほうしょうぜんじ:普覚円光禅師)を請して中興開山とした。應永十五年(1409年)宗廣公が薨るにあたり「泉龍寺殿秀峯宗公大居士」の法名を贈ったことに依り、以后当山は萬松山泉龍寺と改称した。(リンク先より)
投稿日:2017年5月2日 更新日:
当山は、臨済宗円覚寺派に属し、寺伝によると大同元年(806年)の開創で新義真言宗柴崎山(柴盤山)玉泉寺と称した。応永元年(1394年)那波城主大江宗廣公が大友氏の縁を得て、利根庄より河内国(現 大阪府)出身橘姓の白崖宝生禅師(びゃくがいほうしょうぜんじ:普覚円光禅師)を請して中興開山とした。應永十五年(1409年)宗廣公が薨るにあたり「泉龍寺殿秀峯宗公大居士」の法名を贈ったことに依り、以后当山は萬松山泉龍寺と改称した。(リンク先より)
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