臨済宗の出来事

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龍福寺-岐阜県加茂郡

・龍福寺 臨済宗妙心寺派 岐阜県加茂郡富加町加治田135-1加治田城主佐藤紀伊守の母が、弘治三年(一五五八)、龍福庵を開いたことを始めとしている。その後紀伊守は永禄九年(一五六六)、母を、堂洞城合戦、関合戦で娘、息子を亡くし菩提を弔うために庵を拡張して龍福寺を建立する。天猷玄晃を創建開山に、その師蘭畹玄秀を勧請開山とする。(リンク先より) << 戻る
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報恩寺-静岡県浜松市浜北区

・報恩寺 臨済宗妙心寺派 静岡県浜松市浜北区宮口1344-1天文23年(1554)開創の寺院。山門は醤油屋長屋門を移設したもの。<< 戻る
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太寧寺-山梨県甲斐市

・太寧寺 臨済宗妙心寺派 山梨県甲斐市吉沢215開基 役の行者・神変菩薩 年限未詳開山 勅謚大法禅師竺仙梵僊大和尚1550年頃 再開基 武田信玄の将・馬場美濃守(法号 乾叟自元大居士)天正元年(1573年)頃、鎌倉建長寺の末寺から離脱し、京都花園妙心寺の末寺となる。(リンク先より) << 戻る
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慶雲寺-静岡県静岡県清水区

・慶雲寺 臨済宗妙心寺派 静岡県静岡市清水区上清水町5-28当寺の由緒は、孤峰山福泉寺と号し、武田氏等の兵火に逢い、ただ小堂と五輪の石碑のみ存していた。当時、寺の東側近くは波打ち際であった。たまたま、開山月桂禅師が一宿し、翌朝、諷経後、緑端に座して伊豆の山岳と駿河湾の風光を眺望していると、 堂前に大小二つの雲気が現れ、是れ有縁の霊地なりと深く感じて遂に三宇(本堂・庫裡・書院)を創建した。 この因縁により大小山慶雲寺と改称、時に天文元年(西暦1532年)4月11日のことであった。(リンク先より) << 戻る
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秘在寺-静岡県静岡市葵区

・秘在寺 臨済宗妙心寺派 静岡県静岡市葵区郷島506創建は記録によると、450年程前の天文年間(1532~1554)です。開山様は寶珠護国禅師(1496~1555)で、またの名を臨済寺二世大原崇孚(たいげんすうふ)雪齋長老といいます。軍学に長じ今川義元を補佐し、徳川家康幼少時の勉学の師でした。(リンク先より) << 戻る
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清谷寺-福岡県糟屋郡

・清谷寺 臨済宗妙心寺派 福岡県糟屋郡久山町山田651記録によると清谷寺の開山は大説和尚、中興開山は玉林和尚になります。享禄2年(1529年)博多の安国山 聖福寺の東部寺院として末寺になりました。(リンク先より) << 戻る
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永正寺-愛知県江南市

・【公式】江南 永正寺 臨済宗妙心寺派 愛知県江南市高屋町中屋舗46永正寺(高屋山永正寺・こうおくさんえいしょうじ)は、永正元年(1504年)に開創された、臨済宗妙心寺派の寺院です。所在地・江南市は、愛知県北県境を流れる木曽川の南に位置します。(リンク先より) << 戻る
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長勝寺-大分県大分市

・長勝寺 臨済宗妙心寺派 大分県大分市三川下2-6-23文亀元(1502)年に、喜峰禅悦という和尚様をご開山にお迎えして、亀王の地(現在の西公園付近)に大友統(のり)清(きよ)公によって創建されました。本尊は地蔵菩薩さまです。創建当初は建長寺派であったと伝えられています。(リンク先より) << 戻る
年表

慈照寺(銀閣寺)-京都府京都市左京区

・慈照寺(銀閣寺) 臨済宗相国寺派 京都府京都市左京区銀閣寺町21489年、足利義政が京都東山に銀閣寺を建てる。東山文化。 << 戻る
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泰岳寺-愛知県春日井市

・寶雲山泰岳寺 臨済宗妙心寺派 愛知県春日井市上条町10-198泰岳寺の開創は室町時代の文明18年(1486年)で、開山仁済禅師の五十二歳の時でした。当時は上条村とよばれていた現在の泰岳寺の地に、林彦右衛門尉重緒氏が子孫の繁栄を願って、仁済宗恕禅師を招請して泰岳寺を開創しました。(リンク先より) << 戻る
人物

一休宗純(いっきゅうそうじゅん)

室町時代の臨済宗大徳寺派の僧侶で詩人。説話「一休さん」のモデルとしても知られます。号に狂雲子(きょううんし)、瞎驢(かつろ)、夢閨(むけい)、国景(こっけい)があり、諱を宗純(宗順)といいます。出生地は京都で、後小松天皇あるいは足利義満の血を引くともいわれています。母親の出自は不明ですが、後小松天皇説に沿えばその官女で、その父親は楠木正成の孫と称する楠木正澄と伝えられ、三ツ島(現・大阪府門真市)に隠れ住んでいたという伝承があり、三ツ島に母親のものと言われる墓が現存します。幼名は、後世史料によると千菊丸とされています。6歳で京都の安国寺の像外集鑑(ぞうがいしゅうかん)に入門し、周建の名前を授かり...
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瑞雲院-岐阜県岐阜市

・瑞雲院 臨済宗妙心寺派 岐阜県岐阜市寺町19開山は天縦宗受(てんしょうそうじゅ)大和尚。金寶山瑞龍寺は1468年(応仁2年)後土御門天皇の御代にときの守護代斉藤妙椿(みょうちん)が主君の美濃守護、土岐成頼の菩提所として建立、悟渓宗頓(ごけいそうとん)国師を迎えて開山とした(瑞龍寺誌)。(リンク先より) << 戻る
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瑞龍寺-岐阜県岐阜市

・瑞龍寺 臨済宗妙心寺派 岐阜県岐阜市寺町19応仁二年(一四六八)美濃の国守斉藤利藤公(妙椿大居士)が、主君・土岐成頼公菩提の為当時大徳とあおがれた、悟渓宗頓禅師を迎え開いた。古く飛鳥時代より中林寺、厚見寺などと称した天台宗の寺が在り、その後廃寺となっていた由緒のあるところであった。妙心寺四派中の東海派の祖、悟渓宗頓禅師は荒廃していた寺域を修し、文明二年(一四七〇)に七堂伽藍を完成した。(リンク先より) << 戻る
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長慶寺-山梨県都留市

・長慶寺 臨済宗妙心寺派 山梨県都留市夏狩240当山は最初、寛正三年、(西暦一四六二)天台宗の行者、大淵阿闍梨様により開かれ、長慶庵という小さな寺でした。 その後元亀元年、(西暦一五七〇)鎌倉建長寺の僧、五峯東源禅師が堂宇を造営し庵を寺と改め天台宗を臨済宗に改宗して出来たのが現在の長慶禅寺です。(リンク先より) << 戻る
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安國寺-沖縄県那覇市

・安國寺 臨済宗妙心寺派 沖縄県那覇市首里寒川町1-2文永年間の頃何国の僧とは不相知、禅鑑と申僧小船より那覇へ漂着いたし寺を浦添間切に創建、極楽寺と名付侯由、是寺の始めの由御座候。(琉球一件帳〈仏寺ノ初〉雍正拾五年〔西暦一七三二年〕読み下し文)より、この文章が沖縄仏教の始まりであり(英祖六年〔西暦一二六五年〕)これより二百年の後に太平山安國寺は首里の地に創建(天順元年〔西暦一四五七年〕)(リンク先より) << 戻る
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常栄寺-山口県山口市

・常栄寺 臨済宗東福寺派 山口県山口市宮野下2001-1常栄寺 雪舟庭は大内政弘(おおうちまさひろ)が別邸として建てたもので、庭は雪舟に命じて築庭させたといわれています。康正元年(1455)、政弘の母、妙喜寺殿宗岡妙正大姉(みょうきじでんそうこうみょうしょうだいし)の菩提を弔(とむら)うために別邸を寺とし「妙喜寺(みょうきじ)」としました。一方、常栄寺は毛利元就(もとなり)が長男隆元(たかもと)の菩提を弔うために永禄6年(1563)、高僧竺雲彗心(じくうんえしん)を開山として、安芸(広島)吉田の郡山(こおりやま)城内に建てられました。洞春寺(とうしゅんじ)も妙寿寺(みょうじゅじ)も郡山城内に建...
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酬恩庵一休寺-京都府京田辺市

・酬恩庵一休寺 臨済宗大徳寺派 京都府京田辺市薪里ノ内102元の名は妙勝寺であって、鎌倉時代、臨済宗の高僧大應国師(南浦紹明)が中国の虚堂和尚に禅を学び、帰朝後禅の道場をここに建てたのが始めである。然るにその後、元弘の戦火にかかり復興もならずにいたものを、六代の法孫に当たる一休禅師が康正年中(1455〜6年)、宗祖の遺風を慕って堂宇を再興し、師恩にむくいる意味で「酬恩庵」と命名した。禅師はここで後半の生涯を送り八十一歳で大徳寺住職となった時もこの寺から通われたのであり、文明13年(1481年)11月21日八十八歳の高齢を以って当寺において示寂され遺骨は当所に葬られたのである。このように禅師が晩...
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宝徳寺-群馬県桐生市

・宝徳寺 臨済宗建長寺派 群馬県桐生市川内町5-1608宝徳寺は臨済宗大本山建長寺第73世仏印大光禅師を開山として、桐生地域の領主であった、桐生佐野正綱公の開基により室町時代の宝徳年間(1450年頃)に創建された禅寺です。当山の場所は桐生城(柄杓山城)の裏側に位置し、名久木の砦の入口を見渡す所にあります。(リンク先より) << 戻る
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玉林禅寺-兵庫県神戸市垂水区

・玉林禅寺 臨済宗南禅寺派 兵庫県神戸市垂水区平磯4-1-10禅宗の臨済宗南禅寺派の末にて、嘉吉二年四月(一四四二年)南禅寺一三九世住持香林宗簡和尚によって開基されている。(リンク先より) << 戻る
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重玄寺-岡山県井原市

・重玄寺 臨済宗佛通寺派 岡山県井原市芳井町吉井2035-1その昔芳井町天神山には、行基菩薩作の観世音菩薩を祀る庵があった。そこに1441(嘉吉元)年 千畝周竹禅師を開山、足利義将を開基とし、公方祈願所として創建。(リンク先より) << 戻る
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龍光寺-三重県鈴鹿市

・龍光寺 臨済宗東福寺派 三重県鈴鹿市神戸石橋町2-20-8町時代、応永29年(1433年)11月29日の深夜、伊勢湾の方より奇異なる霊光が飛び來り当山の旧跡地西条の沢山に至って消えること15日間に及んだ。ときの神戸かんべ城主は神戸家二代実重で、伊勢国司北畠満雅が称光天皇に奉上し帝これを占わしめると、東海龍王の瑞光であるから此地へ禅寺を建立して国家安泰を祈るべしとのことであった。天皇は満雅を開基とし、神戸実重を普請奉行として天澤山龍光寺を創建した。(リンク先より) << 戻る
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関興寺-新潟県南魚沼市

・関興寺 臨済宗円覚寺派 新潟県南魚沼市上野267開創は応永17年(1410年)で覚翁祖伝和尚が開基す。覚翁は上杉憲顕の子。駿河に生まれ、諸方を歴参後、白崖宝生和尚に参じて嗣法、上山の地に一宇を建て、白崖和尚を請じて開山とし自らその次位となる。以来関東管領上杉家菩提寺として法灯は栄え、二世不蔵和尚の頃上田長尾氏、鎌倉公方足利持氏の帰依厚く、永享8年(1436年)寺領永楽百二十貫文並びに、境内山林一里余りの御朱印地を給せらる。(リンク先より) << 戻る
人物

絶海中津(ぜっかいちゅうしん)

絶海中津とは、南北朝時代から室町時代前期にかけての臨済宗の禅僧・漢詩人。道号は絶海のほかに要関、堅子、蕉堅道人など多数あります。 中津は諱。足利義満・足利義持などの二代の将軍をはじめ、多くの有力な守護大名、また朝廷においても伏見宮栄仁親王らの帰依を受け、臨済宗夢窓派の発展に寄与しました。四六文の作法を明から日本へ伝え、五山禅林に流布させました。後小松天皇や称光天皇らも中津に帰依した人物の一人であり、その死後に前者は仏智広照国師、後者は聖国師という勅命による追贈を行ないました。また、『絶海和尚語録』や『蕉堅藁』(詩文集)などの著作が伝わっています。生誕 建武元年11月13日(1334年12月9日...
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退蔵院-京都府京都市右京区

・退蔵院 臨済宗妙心寺派 京都府京都市右京区花園妙心寺町35(1404年)、室町時代の応永年間に当時の京洛に居を構えた波多野出雲守重通が高徳のきこえ高い妙心寺第3世をつとめる無因宗因禅師への深い帰依によって、無因宗因禅師を開山として建立されました。これが退蔵院のはじまりです。(リンク先より) << 戻る
年表

鹿苑寺(金閣寺)-京都府京都市北区

・鹿苑寺(金閣寺) 臨済宗相国寺派 京都府京都市北区金閣寺町11397年、足利義満が京都の北山に金閣寺を建てる。北山文化。 << 戻る
仏教を本気で学ぶ

佛通寺派(本山佛通寺(広島三原))の開派

応永4(1397)年、愚中周及禅師により始まる。臨済宗佛通寺派(楊岐派の禅)。<< 戻る
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蔵興寺-静岡県浜松市南区

・蔵興寺 臨済宗方広寺派 静岡県浜松市南区新橋町1325-1山号を金剛山・寺号を密厳蔵寺と称し真言宗にして当時隆盛を極めたが、その後幾多の盛衰を経て後小松天皇の御代、応永三年(1396)記室禅師が入寺して臨済宗に転ずる。遠州、奥山、大本山方広寺派に属し山号を宝的山、寺号を蔵興寺と改称し、大通院塔頭、竜珠菴と合併し今日に至る.(通称、虚空蔵寺)(リンク先より) << 戻る
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大通寺-岡山県高梁市

・大通寺 臨済宗佛通寺派 岡山県高梁市備中町布瀬10711395(應永2年)開山 開祖 第一代 千畝周竹和尚臨済宗大本山天竜寺派渓林山大通寺  明治末期に臨済宗大本山佛通寺派(三原市)に属し現在に至(リンク先より) << 戻る
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青苔寺-山梨県上野原市

・青苔寺 臨済宗南禅寺派 山梨県上野原市上野原鶴島611青苔寺は山号を飯盛山とする臨済宗南禅寺派の禅宗のお寺です。鎮守は青苔寺の上に位置する神明社の神明大明神としています。応永2年(1395)今から約600年前に敕謚法光圓融禅師(峻翁令山)に拠って開創されました。開基は小俣家とされています。(リンク先より) << 戻る
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圓福寺-秋田県潟上市

・圓福寺 臨済宗妙心寺派 秋田県潟上市昭和大久保槐川端22-1寺伝によれば、応永年中(1394-1427)、現在の阿弥陀堂地区の肝煎伊兵衛により阿弥陀如来の金銅仏を土中から発掘し、草庵を建て安置したのが開創の端緒である。文禄年中(1592-95)大久保村に移転、壽峰宗寿和尚を開山として、祿壽山圓福寺と称した。 本尊仏は華厳釈迦三尊佛 (釈迦、文殊、普賢)で、藤原成長作と伝えられている。(リンク先より) << 戻る
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常保寺-東京都青梅市

・瀑布山常保寺 臨済宗建長寺派 東京都青梅市滝ノ上町1316当寺は、昭和39年発行の「稿本青梅市史第6集」によると、応永年間(室町時代・西暦1394年)天ケ瀬町の真言宗金剛寺の第2世により創建されましたが、西暦1400年代頃になり、山梨県の塩山恵林寺より吹峰宗陰禅師が赴き臨済宗に転宗となりました。(リンク先より) << 戻る
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本誓寺-岡山県新見市

・本誓寺 臨済宗永源寺派 岡山県新見市大佐田治部3952当寺に記録はないが、大佐町史記載の本誓寺遠起によると開基応永年間(1394年~1428年)で「開基東郷左金吾・神応道安大居士」開山重雲大和尚となっている。その場所は、現在の新見市大佐田治部3885番地の1で、虎勢山裏山東方向に位置し、現在寺屋敷跡地は寺所有の山林となっています。(リンク先より) << 戻る