便り 東輪寺-愛知県名古屋市中区 ・護国山東輪寺 黄檗宗 愛知県名古屋市中区松原3-15-18東輪寺は1674年(延宝二年)に、尾張二代藩主 徳川光友公によって創建された黄檗宗(禅宗)大本山萬福寺の直末寺院です。開山は、宗祖隠元禅師の高弟で、木庵禅師とならび黄檗の二甘露門と称された高僧・即非禅師。初代住職には、後に大本山萬福寺第六代の法席を継ぐ千呆禅師が就かれました。(リンク先より) << 戻る 1674.01.01 便り年表
便り 法雲寺-大阪府堺市美原区 ・法雲寺 黄檗宗 大阪府堺市美原区今井192-甲黄檗三傑の1人、慧極道明禅師によって寛文12年(1672年)に開山された黄檗堀出観音(秘仏)宗の中本山格の寺であります。山門・天王殿・大殿(本堂)・開山堂・耀先殿など、黄檗様式の建物群としてのまとまりと、全てではないものの建築当初の伽藍構成を今に残しており、寺伝によれば、法雲禅寺の前身は弘法大師の開基で神福山長安寺と称する真言宗の巨刹でありましたが、元和年間(1615年~24年)に西除川の氾濫によって流失しました。(リンク先より) << 戻る 1672.01.01 便り年表
便り 閑臥庵-京都府京都市北区 ・閑臥庵 黄檗宗 京都府京都市北区鞍馬口通寺町西入新御霊口町278「閑臥庵(かんがあん)」は山号を瑞芝山(ずいしざん)という黄檗宗の禅寺でございます。江戸時代前期には後水尾法皇の実弟である梶井常修院の宮の院邸でございましたが王城鎮護の為に貴船の奥の院から鎮宅霊符神(ちんたくれいふじん)をこの地に歓請し、初代隠元禅師から六代目の黄檗山萬福寺管長千呆(せんがい)禅師を招いて1671年に開山したのが当寺の起こりであります。(リンク先より) << 戻る 1671.01.01 便り年表
便り 常福寺-島根県安来市 ・常福寺 臨済宗妙心寺派 島根県安来市門生町1721669年(江戸時代-四代将軍 家綱の時代)、開祖 末禅和尚が雲州-雲樹寺の臥龍庵を当地に移して建立されました。観音立像を本尊として、後の鎭堂(ちんどう)和尚により 裏山に三十三ヶ所観音巡りが祀られております。(リンク先より) << 戻る 1669.01.01 便り年表
便り 恵洪寺-宮城県岩沼市 ・恵洪寺 臨済宗妙心寺派 宮城県岩沼市押分字南谷地238江南山 恵洪寺は、京都の臨済宗大本山妙心寺に属する宮城県岩沼市の禅寺です。周澤(しゅうたく)和尚の開山後、寛文4年(1664年)、仙台北山五山で伊達輝宗公の菩提寺「覚範寺」第6世「徹宗宗源大禅師和尚」の創建です。(リンク先より) << 戻る 1664.01.01 便り年表
便り 慈光院-奈良県大和郡山市 ・慈光院 臨済宗大徳寺派 奈良県大和郡山市小泉町865寛文3年(1663) 小泉藩二代目藩主の片桐石見守貞昌(石州)が、初代藩主である父貞隆(慈光院殿雪庭宗立居士)の菩提寺として自分の領地内に、大徳寺185世玉舟和尚(大徹明應禅師)を開山に迎え建立した臨済宗大徳寺派の寺院。(リンク先より) << 戻る 1663.01.01 便り年表
便り 福巖寺-和歌山県田辺市 ・福巖寺 臨済宗妙心寺派 和歌山県田辺市中辺路町西谷575万治以前より、当字菴尾に福徳菴があり、真言宗の僧、太初守元和尚が菴主をしていました。真砂には漬入山萬福禅寺がありましたが、大水害のために流失。寛文二年二月に、再建不能の萬福禅寺と福徳菴が合併し、開山に海蔵寺第五世の桃源長茂大和尚を懇請して、寺名も雪峰山福巖寺と改め、清姫とその一族、並びに檀信徒各家の先祖の菩提を弔うために現在地に建立されました。(リンク先より)※寛文二年 1662年 << 戻る 1662.02.01 便り年表
便り 龍潭寺-愛媛県八幡浜市 ・龍潭寺 臨済宗妙心寺派 愛媛県八幡浜市保内町川之石5-591662年開基の古刹。京都にある禅寺・臨済宗妙心寺派の流れを組んだ重厚な雰囲気を持つ。本堂は、宇和島藩の大名用として建てられたため、外観・内観ともに豪華絢爛。対して禅堂は、質素な造りや生活を重んじており「わび」と「さび」を感じることが出来る。地域とのつながりや、ふらりと立ち寄った人とのつながりを大切にしている気さくな和尚さんから説法を聞くのもおもしろい。(リンク先より)・龍潭寺 りょうたんじ<< 戻る 1662.01.01 便り年表
便り 長楽寺-岐阜県恵那市 ・長楽寺 臨済宗妙心寺派 岐阜県恵那市笠置町姫栗1119-3寛文2年(1662年) に苗木の殿様の菩提寺であった雲林寺の和尚さんにより長増寺を開かれたと伝えられています。(リンク先より) << 戻る 1662.01.01 便り年表
便り 萬福寺-京都府宇治市 ・大本山萬福寺 黄檗宗 京都府宇治市五ケ庄三番割34黄檗山萬福寺は1661年に中国僧「隠元隆琦(いんげんりゅうき)禅師」によって開創されました。 禅師は中国明朝時代の臨済宗を代表する僧で、中国福建省福州府福清県にある黄檗山萬福寺のご住職をされていました。その当時、日本からの度重なる招請に応じ、63歳の時に弟子20名を伴って1654年に来朝されました。宇治の地でお寺を開くにあたり、隠元和尚は寺名を中国の自坊と同じ「黄檗山萬福寺(おうばくざんまんぷくじ)」と名付けました。(リンク先より)<< 戻る 1661.01.01 便り年表
便り 大源寺-岐阜県安八郡 ・大源寺 臨済宗妙心寺派 岐阜県安八郡神戸町瀬古256-1大源寺の創建は定かではありません。元は現在地の北東2キロほどのところにありましたが、水害により消滅しておりました。寛文元年(1661年)に、大垣藩主戸田肥後守氏西の庇護のもと、慈溪寺二世の密雲和尚の隠居所として再興されました。(リンク先より) << 戻る 1661.01.01 便り年表
便り 龍門寺-兵庫県姫路市 ・龍門寺 臨済宗妙心寺派 兵庫県姫路市網干区浜田812盤珪永琢国師の根本道場として寛文元年(1661)に創建されました。創建時の遺構をほぼそのままに遺して300年の法灯を持続しています。(リンク先より) << 戻る 1661.01.01 便り年表
便り 静泰院(廃寺)-福岡県北九州市門司区 静泰院(廃寺)は臨済宗妙心寺派に属する寺院でしたが、現在は廃寺となっているようです。画像資料より、福岡県北九州市門司区柳町4-11-26 にあったと分かります。なお、ネット上には静泰院の住所として【福岡県北九州市門司区大里5397】という住所を掲載しているものも複数ありますが、何も調べずに掲載している業者ですので、ご注意ください。1659年(万治2年)、小笠原長繁は父である小笠原長俊(小笠原小倉藩初代藩主忠真の弟)の菩提を弔う為に、柳村(現在の柳町4丁目)に寺院を建立し、天龍山静泰院と号しました。1770年(明和7年)、高僧蘭山禅師が静泰院(臨済宗)の住職として入山すると、禅師の学徳を慕って全... 1659.01.01 便り年表
便り 悟溪寺-宮城県黒川郡 ・悟溪寺 臨済宗妙心寺派 宮城県黒川郡大和町落合桧和田字万五郎1-70悟溪寺は松島、瑞巌寺の末寺で、萬治2年(1659年)鐵舟和尚を開山とする臨済宗妙心寺派のお寺です。開山は萬治2年となっていますが、大正13年に発行された黒川郡誌には、「延慶2年(1309年)僧智覺之を開基」との記載があり、さらに350年ほど歴史がさかのぼれると思われるが、天保2年(1830年)火災によりそれ以前の記録は焼失しており、由緒の詳細は不明となっています。(リンク先より) << 戻る 1659.01.01 便り年表
便り 龍華院-宮城県黒川郡 ・龍華院 臨済宗妙心寺派 宮城県黒川郡大和町鶴巣大平字郷ノ目25宮城県黒川郡大和町にある當来山龍華院は1658年より続く臨済宗妙心寺派のお寺です。木造二階建ての本堂は全国的にも例がなく、とても美しいプロポーションをしています。(リンク先より) << 戻る 1658.01.01 便り年表
便り 法蔵寺-三重県四日市市 ・南林山 法蔵寺 臨済宗妙心寺派 三重県四日市市貝塚町361本寺は萬治元年(1658)の創立にして宗貞首座を開基としています。伊勢国桑名長寿院木堂和尚により堂宇再がされ中興とします。(リンク先より) << 戻る 1658.01.01 便り年表
便り 大安禅寺-福井県福井市 ・大安禅寺 臨済宗妙心寺派 福井県福井市田ノ谷町21-4今を遡ること1300有余年前、時の高僧泰澄大師が竜王山田谷寺を創建し、門前市をなすほどに越前庶民の信仰を得ましたが、天正2年織田信長の越前攻略の兵火に遭い、全山焼失し法灯850年の歴史に幕を閉じることになります。 その霊地に、万治元年(1658年)第4代福井藩主松平光通公が、時の名僧大愚宗築禅師に深く帰依され両親、及び祖先の恩を忘れないために、福井藩主松平家の永代菩提所として建立されたのが大安禅寺です。(リンク先より)<< 戻る 1658.01.01 便り年表
便り 開眼寺-長野県千曲市 ・開眼寺 臨済宗妙心寺派 長野県千曲市八幡中原249慶安4年(1651年)臨済宗妙心寺第一座、 龍天宗登(ろうてんそうと)大禅師が開創しました。本堂の大悲閣は元禄4年(1691年)二世 の祖英和尚により建立されました。本尊の聖観音菩薩と脇侍の阿弥陀如来と地蔵菩薩は いずれも100センチ余りの一木造りの全身金色の尊像です。(リンク先より) << 戻る 1651.01.01 便り年表
便り 永福寺-静岡県浜松市西区 ・永福寺 臨済宗妙心寺派 静岡県浜松市西区大平台4-34-1入野郷田端を往来する雄踏街道北側に於いて不却徳公禅師開山以来、入野郷本所龍雲寺の末寺の法脈を伝える。当山の開創の年代は不詳である。過去帳には慶安三年(1650)年の戒名が記載され、第二世槐翁西堂和尚が元禄七年(1694)9月6日入寂している。(リンク先より) << 戻る 1650.01.01 便り年表
人物 沢庵宗彭(たくあんそうほう) 沢庵宗彭とは、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての臨済宗の僧侶です。大徳寺住持。諡の普光国師は、300年忌にあたる昭和19年(1944年)に宣下されました。号に東海・暮翁などがあります。但馬国出石(現兵庫県豊岡市)の生まれで、紫衣事件で出羽国に流罪となり、その後赦されて江戸に萬松山東海寺を開いた。書画・詩文に通じ、茶の湯(茶道)にも親しみ、また多くの墨跡を残している。ダイコンの漬物である沢庵漬けの考案者と言われています。紫衣事件江戸幕府が成立すると、寺院法度などにより寺社への締め付けが厳しくなります。特に、大徳寺のような有力な寺院については、禁中並公家諸法度によって朝廷との関係を弱めるための... 1646.12.11 人物仏教を本気で学ぶ年表
便り 願成寺-宮城県塩竃市 ・願成寺 臨済宗妙心寺派 宮城県塩竈市錦町3-5寺伝によると、願成寺は14世紀初頭、松島青龍山瑞厳圓福禅寺七世霊厳道昭和尚を拝請して開山とし、臨済宗建長寺派下円覚寺末寺となりました。寛永15年8月10日、瑞巌寺中興九十九世雲居希膺禅師が入寺されたと伝え、この時から瑞巌寺と同様妙心寺派に属したようです。(リンク先より)※寛永15年 1638年 << 戻る 1638.01.01 便り年表
便り 見星寺-大分県臼杵市 ・見星寺 臨済宗妙心寺派 大分県臼杵市大字田町277寛永十一年(1634年)四月より法灯を護持し、令和元年で創建三百八十五年になります。(リンク先より) << 戻る 1634.01.01 便り年表
便り 海禅寺-愛媛県今治市 ・海禅寺 臨済宗妙心寺派 愛媛県今治市山方町2-甲1167当寺院はそもそも「海會寺(かいえじ)」という名前で、戦国乱世の間、長年に渡り荒廃していましたが、江戸時代前期の寛永十年(1633年)に入り、天嶺玄嶝(てんれいげんとう)和尚を開山住職として迎え、今治藩主・藤堂高吉公から免許状を拝領して海禅寺と名を改めて開創されました。(リンク先より) << 戻る 1633.01.01 便り年表
便り 蔭凉寺-岡山県岡山市北区 ・蔭凉寺 臨済宗妙心寺派 岡山県岡山市北区中央町10-28大樹山蔭凉寺(だいじゅざん いんりょうじ)は寛永9年創建の禅宗寺院で、臨済宗妙心寺派に属します。葬儀中心の仏教に留まらず「今を、どう生きるか」をテーマに、音楽やアートによる「豊かな心」創りに取り組んでおり、安心(あんじん)への方便として、様々な文化活動を行っています。(リンク先より)※寛永9年 1632年 << 戻る 1632.01.01 便り年表
便り 金龍寺-広島県広島市中区 ・金龍寺 臨済宗妙心寺派 広島県広島市中区小町9-37元和5年(1619)紀州の国より、浅野長晟公が安芸の国の国主として入国され、以後、治世13年目の寛永9年(1632) 浅野長晟公に藩政を委ねるにあたり、物故家老今中将藍光相の功績を忍び、その菩提を弔うため、紀州の国の名刹、金龍寺を移設、寺領を旧国泰寺東に定め、ここに堂塔を建立し〈寳珠山金龍禪寺〉と号しました。(リンク先より) << 戻る 1632.01.01 便り年表
便り 天竜院-東京都台東区 天竜院 臨済宗妙心寺派 東京都台東区谷中4-4-33寛永7年(1630)に梅嵓(ばいがん)が創建しました。江戸時代には正月に梅の花を幕府に献上していた寺院です。蘭法医の伊藤玄朴(いとうげんぱく)の墓などがあります。天龍院とも表記。 << 戻る 1630.01.01 便り年表
便り 常高寺-福井県小浜市 ・常高寺 臨済宗妙心寺派 福井県小浜市浅間1常高寺は、江戸時代初期の小浜藩主京極高次の妻、常高院(お初の方、信長の妹お市の方の次女)の発願によって建立された寺であります。寛永七年(1630年)に建設に着手し、小浜出身の槐堂周虎(かいどうしゅうこ)禅師を迎えて開山しました。(リンク先より) << 戻る 1630.01.01 便り年表
便り 丈六寺-大分県豊後大野市 ・丈六寺 臨済宗妙心寺派 大分県豊後大野市三重町秋葉1274・古くは極楽寺と称し、一丈六尺の阿弥陀如来を安置していたことから、後に丈六寺になったといわれている。・天正年間の薩摩軍の侵攻により丈六仏と共に消失。・約40年後の寛永5年(1628年)実傳受眞が創建。(リンク先より) << 戻る 1628.01.01 便り年表
便り 祥雲寺-大阪府堺市堺区 ・祥雲寺 臨済宗大徳寺派 大阪府堺市堺区大町東4-2-7山号を龍谷山、俗称松の寺といい、豪商谷正安を開基、沢庵宗彭を開山とする。徳川時代の初め、沢庵に帰依する正安は、夭折した子供の菩提のため寺院創建を発願した。だがそのころ、新地での寺院建立は法で禁じられていた。折しも大坂夏の陣(元和元年=1615)で焼失した南宗寺の復興に尽力していた沢庵は、同じく夏の陣で焼失した海会寺を南宗寺山内に移転再建し、その跡地に新寺を建立することにした。寛永2年(1625)から同5年にかけて正安は海会寺跡地に方丈、庫裡などを造営、瑞泉寺と号して沢庵を勧請開山に迎えた。これに伴い南宗寺と法類の縁が結ばれた。その後、同9... 1625.01.01 便り年表
便り 法泉寺-岩手県盛岡市 ・法泉寺 臨済宗妙心寺派 岩手県盛岡市北山2-16-8盛岡の法泉寺は、江戸時代前期(1624年~44年)、東禅寺の住職・東岩和尚によって開かれました。それから数十年を経て寛文十一年(1671年)、南部第二十九代重信公が、第三十代行信公の母堂の菩提のために建立(再興)して、法泉寺と称したとされます。(リンク先より) << 戻る 1624.01.01 便り年表
便り 祥雲寺-東京都渋谷区 ・祥雲寺 臨済宗大徳寺派 東京都渋谷区広尾5-1-21祥雲寺は、大本山が特賜興禅大燈国師開山の京都紫野大徳寺で、山号を瑞泉山という。筑前福岡城主黒田忠之の開基で、開山は龍岳宗劉。はじめ忠之の父・長政は、龍岳の道徳を崇敬し、しばしばその法話を聞いていた。長政が元和9年(1623)に歿すると、忠之は父の冥福を祈るために、赤坂溜池の邸内に一寺を建立。 長政の法名・興雲をとって龍谷山興雲寺と号し、龍岳和尚を請じて開山としたのが、当山の起立である。(リンク先より) << 戻る 1623.01.01 便り年表