戒名

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北大路魯山人(きたおおじろさんじん)

芸術家。本名は北大路 房次郎。 晩年まで、篆刻家・画家・陶芸家・書道家・漆芸家・料理家・美食家などの様々な顔を持っていた。生誕 1883年〈明治16年〉3月23日命日 1959年〈昭和34年〉12月21日妙法祥院高徳魯山居士<< 戻る
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高浜虚子(たかはまきょし)

明治・大正・昭和の3代にわたる俳人・小説家。本名は高浜 清。 『ホトトギス』の理念となる「客観写生」「花鳥諷詠」を提唱したことでも知られる。生誕 1874年2月22日命日 1959年4月8日虚子庵高吟椿寿居士<< 戻る
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横山大観(よこやまたいかん)

美術家、日本画家。本名、横山秀麿(よこやま ひでまろ)。常陸国水戸出身。近代日本画壇の巨匠であり、今日「朦朧体」と呼ばれる、線描を抑えた独特の没線描法を確立した。帝国美術院会員。第1回文化勲章受章。死後、正三位勲一等旭日大綬章を追贈された。茨城県名誉県民。東京都台東区名誉区民。『村童観猿翁』1893年 東京藝術大学蔵 東京美術学校卒業制作『無我』1897年 東京国立博物館蔵『屈原』1898年 厳島神社蔵『迷児』1902年 個人蔵 『流燈』1909年 茨城県近代美術館蔵『瀟湘八景』1912年 東京国立博物館蔵 ※重要文化財『柳蔭』1913年 東京国立博物館蔵 六曲一双屏風 『游刄有余地』(ゆうじ...
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徳富蘇峰(とくとみそほう)

明治から昭和戦後期にかけての日本のジャーナリスト、思想家、歴史家、評論家。『國民新聞』を主宰し、大著『近世日本国民史』を著したことで知られる。 蘇峰は号で、本名は猪一郎。字は正敬。筆名は菅原 正敬、大江 逸。雅号に山王草堂主人、頑蘇老人、蘇峰学人、銑研、桐庭、氷川子、青山仙客、伊豆山人など。生誕 1863年3月14日(文久3年1月25日)命日 1957年(昭和32年)11月2日百敗院泡沫頑蘇居士(自選)<< 戻る
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小林一三(こばやしいちぞう)

実業家。 阪急電鉄をはじめとする阪急東宝グループ(現・阪急阪神東宝グループ)の創業者。 鉄道を中心とした都市開発(不動産事業)、流通事業、観光事業などを一体的に進め相乗効果を上げる私鉄経営モデルの原型を独自に作り上げ、後に全国の大手私鉄や民営化したJRがこの小林一三モデルを採用し、日本の鉄道会社の経営手法に大きな影響を与えた。また、東京電灯会社会長、目蒲電鉄・東横電鉄の取締役・日本軽金属社長・東宝社長などを歴任し、「今様太閤」と呼ばれ、第二次近衛内閣で商工相に就任した。生誕 1873年1月3日命日 1957年1月25日大仙院殿真覚逸翁大居士<< 戻る
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牧野富太郎(まきのとみたろう)

植物学者。高知県高岡郡佐川町出身。「日本の植物学の父」といわれ、多数の新種を発見し命名も行った近代植物分類学の権威である。その研究成果は50万点もの標本や観察記録、そして『牧野日本植物図鑑』に代表される多数の著作として残っている。幼少のころから植物に興味を示し、10歳より寺子屋、さらに塾で学び、その後12歳で小学校へも入学したものの2年で中退し、好きな植物採集にあけくれる生活を送るようになる。地元の学校の教師などから英語を学び、植物の採集、写生、観察など研究を続けながら、欧米の植物学も勉強し、当時の著名な学者の知己も得るようになる。生誕 1862年5月22日(文久2年4月24日)命日 1957...
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高村光太郎(たかむらこうたろう)

詩人・歌人・彫刻家・画家。本名は光太郎と書いて「みつたろう」と読む。 日本を代表する彫刻家であり画家でもあったが、今日にあって『道程』『智恵子抄』などの詩集が著名で、教科書にも多く作品が掲載されており、日本文学史上、近現代を代表する詩人として位置づけられる。父である高村光雲などの作品鑑定も多くしている。高村光太郎の命日(4月2日)は、高村がアトリエの庭に咲く連翹(れんぎょう)の花を好んでおり、彼の告別式で棺の上にその一枝が置かれていたことから連翹忌と呼ばれている。生誕 1883年(明治16年)3月13日命日 1956年(昭和31年)4月2日光珠院殿顕誉智照居士<< 戻る
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斎藤茂吉(さいとうもきち)

歌人、精神科医。伊藤左千夫門下であり、大正から昭和前期にかけてのアララギの中心人物。精神科医としては青山脳病院の院長を務めた。長男は精神科医で随筆家の「モタさん」こと斎藤茂太、次男は精神科医・随筆家・小説家の「どくとるマンボウ」こと北杜夫で、随筆家の斎藤由香はこの北杜夫の娘にあたる。生誕 1882年(明治15年)5月14日命日 1953年(昭和28年)2月25日赤光院仁誉遊阿暁寂清居士<< 戻る
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中山晋平(なかやましんぺい)

作曲家。多くの傑作と言われる童謡・流行歌・新民謡などを残した。作品は多岐に渡り、校歌や社歌等を含め中山の作品と判明しているものだけで1770曲存在する。 一部の作品は現在も抒情歌または日本歌曲として歌い継がれている。長調の曲はほとんどが日本固有のヨナ抜き音階で書かれている。また、童謡には「兎のダンス」や「蛙(かはづ)の夜回り」のようなピョンコ節がかなりある。その作品群は独特の曲調から俗に「晋平節」と呼ばれ親しまれている。童謡『シャボン玉』『てるてる坊主』『あめふり』『雨降りお月』『証城寺の狸囃子』『こがね虫』『あの町この町』『背くらべ』など多数。生誕 1887年(明治20年)3月22日命日 1...
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林芙美子(はやしふみこ)

小説家。本名フミコ。山口県生まれ。『放浪記』生誕 1903年(明治36年)12月31日命日 1951年(昭和26年)6月28日純徳院芙蓉清美大姉<< 戻る
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仁科芳雄(にしなよしお)

物理学者である。岡山県浅口郡里庄町浜中の出身。日本に量子力学の拠点を作ることに尽くし、宇宙線関係、加速器関係の研究で業績をあげた。日本の現代物理学の父である。死去から4年後の1955年、原子物理学とその応用分野の振興を目的として仁科記念財団が設立された。生誕 1890年(明治23年)12月6日命日 1951年(昭和26年)1月10日誠明院巧譽報徳中正居士<< 戻る
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太宰治(だざいおさむ)

小説家。左翼活動での挫折後、自殺未遂や薬物中毒を繰り返しながらも、第二次世界大戦前から戦後にかけて作品を次々に発表。主な作品に『走れメロス』『津軽』『お伽草紙』『人間失格』がある。没落した華族の女性を主人公にした『斜陽』はベストセラーとなる。生誕 1909年〈明治42年〉6月19日命日 1948年〈昭和23年〉6月13日文綵院大猷治通居士<< 戻る
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横光利一(よこみつりいち)

小説家・俳人・評論家である。本名は横光利一。 菊池寛に師事し、川端康成と共に新感覚派として大正から昭和にかけて活躍した。代表作『日輪』(1923年)『頭ならびに腹』(1924年)『機械』(1930年)『上海』(1931年)『純粋小説論』(1935年、評論)『旅愁』(1937 - 1946年)生誕 1898年(明治31年)3月17日命日 1947年(昭和22年)12月30日光文院釋雨過居士<< 戻る
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幸田露伴(こうだろはん)

小説家。本名は成行。別号に蝸牛庵、笹のつゆ、雷音洞主、脱天子など多数。江戸下谷生まれ。帝国学士院会員。帝国芸術院会員。第1回文化勲章受章。娘の幸田文も随筆家・小説家。高木卓の伯父。 『風流仏』で評価され、『五重塔』『運命』などの文語体作品で文壇での地位を確立。生誕 1867年8月22日(慶応3年7月23日)命日 1947年(昭和22年)7月30日露伴居士<< 戻る
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西田幾多郎(にしだきたろう)

哲学者。京都大学名誉教授。京都学派の創始者。学位は文学博士(京都大学・1913年)。「西田哲学」と呼ばれる独創的哲学を打ち立てた哲学者である。また京大教授として、中村元、和辻哲郎など優れた学者を育成したことでも知られている。明治44年刊の『善の研究』など多数の著作を残す。生誕 1870年5月19日(明治3年4月19日)命日 1945年(昭和20年)6月7日曠然院明道寸心居士<< 戻る
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島崎藤村(しまざきとうそん)

詩人、小説家。本名は島崎 春樹。信州木曾の中山道馬籠生まれ。 『文学界』に参加し、ロマン主義詩人として『若菜集』などを出版。さらに小説に転じ、『破戒』『春』などで代表的な自然主義作家となった。生誕 1872年3月25日〈明治5年2月17日〉命日 1943年〈昭和18年〉8月22日文樹院静屋藤村居士<< 戻る
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山本五十六(やまもといそろく)

日本海軍軍人。最終階級は元帥海軍大将。第26、27代連合艦隊司令長官。海軍兵学校32期生。生誕 1884年(明治17年)4月4日命日 1943年(昭和18年)4月18日大義院殿誠忠長陵大居士<< 戻る
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新美南吉(にいみなんきち)

児童文学作家。本名は新美正八。愛知県半田市出身。雑誌『赤い鳥』出身の作家の一人であり、彼の代表作『ごん狐』はこの雑誌に掲載されたのが初出。結核により29歳の若さで亡くなったため、作品数は多くない。童話の他に童謡、詩、短歌、俳句や戯曲も残した。生誕 1913年7月30日命日 1943年3月22日釈文成<< 戻る
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与謝野晶子(よさのあきこ)

歌人、作家、思想家。 戸籍名は与謝野志やう。旧姓鳳。ペンネームの「晶子」の「晶」は、本名の「しょう」から取った。夫は与謝野鉄幹。雑誌『明星』に短歌を発表しロマン主義文学の中心的人物となった。代表作『みだれ髪』(1901年)、『君死にたまふことなかれ』(1904年)生誕 1878年(明治11年)12月7日命日 1942年(昭和17年)5月29日白桜院鳳翔晶耀大姉<< 戻る
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南方熊楠(みなかたくまぐす)

博物学者、生物学者、民俗学者。 生物学者としては粘菌の研究で知られているが、キノコ、藻類、コケ、シダなどの研究もしており、さらに高等植物や昆虫、小動物の採集もおこなっていた。そうした調査に基づいて生態学を早くから日本に導入したことが注目される。生誕 1867年5月18日(慶応3年4月15日)命日 1941年(昭和16年)12月29日智荘厳院鑁覚顕真居士<< 戻る
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水上瀧太郎(みなかみたきたろう)

小説家、評論家、劇作家。代表作『貝殻追放』(1920-41年,随筆評論集)、『大阪』(1922年)、『大阪の宿』(1925-26年)、『銀座復興』(1931年)など多数。生誕 1887年12月6日命日 1940年3月23日賢光院智阿文徳章蔵居士<< 戻る
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岡本かの子(おかもとかのこ)

大正、昭和期の小説家、歌人、仏教研究家。漫画家・岡本一平と結婚し、芸術家・岡本太郎を生んだ。代表作は『母子叙情』『老妓抄』『生々流転』など。仏教に関するラジオ放送、講演、執筆を依頼されることが多く、『観音経を語る』、『仏教読本』などを刊行した。生誕 1889年3月1日命日 1939年2月18日雪華妙芳大姉<< 戻る
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北一輝(きたいっき)

戦前の日本の思想家、社会運動家、国家社会主義者。二・二六事件の皇道派青年将校の理論的指導者として逮捕され、軍法会議で死刑判決を受けて刑死した。生誕 1883年〈明治16年〉4月3日命日 1937年〈昭和12年〉8月19日経国院大光一輝居士<< 戻る
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高村光雲(たかむらこううん)

仏師、彫刻家。幼名は光蔵。明治維新以後は廃仏毀釈運動の影響で、仏師としての仕事はなく、輸出用の象牙彫刻が流行したために木彫も衰え、光雲自身の生活も苦しかった。そのような中で光雲は木彫に専念、積極的に西洋美術を学び、衰退しかけていた木彫を写実主義を取り入れることで復活させ、江戸時代までの木彫技術の伝統を近代につなげる重要な役割を果たした。1889年(明治22年)から東京美術学校に勤務、翌年に彫刻科教授、同年10月2日、帝室技芸員に任ぜられる。1893年(明治26年)には『老猿』をシカゴ万博に出品。1900年(明治33年)には『山霊訶護』をパリ万博に出品。1926年(大正15年)に東京美術学校を退...
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竹久夢二(たけひさゆめじ)

画家・詩人。岡山県に生まれる。明治38年、22歳の時、『中学世界』にコマ絵「筒井筒」が一等入選。以来、美人画で一世を風靡した「大正ロマン」を代表する画家。生誕 1884年(明治17年)9月16日命日 1934年(昭和9年)9月1日竹久亭夢生楽園居士<< 戻る
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宮沢賢治(みやざわけんじ)

詩人、童話作家。 仏教信仰と農民生活に根ざした創作を行った。作品中に登場する架空の理想郷に、郷里の岩手県をモチーフとしてイーハトーブと名付けたことで知られる。代表作『注文の多い料理店』(1924年)「雨ニモマケズ」(1931年)「銀河鉄道の夜」(未定稿)『風の又三郎』(1934年)生誕 1896年(明治29年)8月27日命日 1933年(昭和8年)9月21日真金院三不日賢善男子<< 戻る
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犬養毅(いぬかいつよし)

政治家。位階は正二位。勲等は勲一等。通称は仙次郎。号は木堂、子遠。 中国進歩党代表者、立憲国民党総理、革新倶楽部代表者、立憲政友会総裁、文部大臣、逓信大臣、内閣総理大臣、外務大臣、内務大臣などを歴任した。生誕 1855年6月4日〈安政2年4月20日〉命日 1932年〈昭和7年〉5月15日台光院殿沈毅木堂大居士<< 戻る
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渋沢栄一(しぶさわえいいち)

武士、官僚、実業家、慈善家。位階勲等爵位は、正二位勲一等子爵。雅号は青淵(せいえん)。日本の近代資本主義の父。江戸時代末期に農民(名主身分)から武士(幕臣)に取り立てられ、明治政府では、大蔵少輔事務取扱となり、大蔵大輔・井上馨の下で財政政策を行った。退官後は実業家に転じ、第一国立銀行や理化学研究所、東京証券取引所といった多種多様な500もの会社の設立・経営に関わる。生誕 天保11年2月13日〈1840年3月16日〉命日 昭和6年〈1931年〉11月11日泰徳院殿仁智義譲青淵大居士<< 戻る
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山川健次郎(やまかわけんじろう)

明治時代から昭和初期にかけての日本の物理学者、教育者。男爵、理学博士。生誕 1854年9月9日(嘉永7年閏7月17日)命日 1931年(昭和6年)6月26日希不踰院殿慎誉平久大居士<< 戻る
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岸田劉生(きしだりゅうせい)

大正から昭和初期の洋画家。麗子像、住吉詣、道路と土手と塀など多数。生誕 1891年6月23日命日 1929年12月20日<< 戻る
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野口英世(のぐちひでよ)

医師、細菌学者。栄典は、正五位・勲二等旭日重光章。学位は医学博士、理学博士。称号はブラウン大学名誉理学博士、イェール大学名誉理学博士、パリ大学名誉医学博士、サン・マルコス大学名誉教授・名誉医学博士、エクアドル共和国陸軍名誉軍医監・名誉大佐。キリスト者。福島県耶麻郡三ッ和村出身。生誕 1876年(明治9年)11月9日命日 1928年(昭和3年)5月21日大仁院殿済民英世居士<< 戻る
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芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ)

小説家。本名同じ、号は澄江堂主人、俳号は我鬼。 その作品の多くは短編小説である。また、『芋粥』『藪の中』『地獄変』など、『今昔物語集』『宇治拾遺物語』といった古典から題材をとったものが多い。『蜘蛛の糸』『杜子春』といった児童向けの作品も書いている。生誕 1892年〈明治25年〉3月1日命日 1927年〈昭和2年〉7月24日懿文院龍之介日崇居士<< 戻る