浄土真宗の出来事

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即応寺-大阪府大阪市阿倍野区

・即応寺 真宗大谷派 大阪府大阪市阿倍野区阪南町1-23-13寛永元年(1624)、東区難波別院内に長順坊として発足。寛永2年(1625)1月に即応寺となり、以来御堂内に在所をおき廃藩置県に至るまで宗藩寺として大坂町民の戸籍を預かりました。(リンク先より) << 戻る
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改観寺-新潟県新潟市秋葉区

・改観寺 真宗大谷派 新潟県新潟市秋葉区川口145元和9(1623)年 川口の名主田中新左衛門(第一世)は、広く念仏の教えが流布されることを願い、菓城寺から僧宗玄を迎えたのを改観寺の開基とする。第七世暁貞は、天明3(1783)年より、現新潟市濁川から本堂を移築再建し、天明7(1787)年に旧本堂が完成する。(リンク先より) << 戻る
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因速寺-東京都江東区

・因速寺公式ホームページ 真宗大谷派 東京都江東区東砂1-4-10因速寺は、江戸時代の初め元和9年(1623年)に釋定玄法師によって、江戸・京橋竹町に建立されました。その後、寛永2年に江戸・木挽町八丁堀に移転しましたが、類焼により、江戸・黒江町(現在の江東区永代2丁目)に寺基を移しました。大正12年(1923年)の関東大震災により寺は炎上してしまいましたが、昭和2年(1927年)に第10世・釋定因法師が現在の江東区東砂1丁目に再建されました。(リンク先より) << 戻る
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西方寺-愛媛県大洲市

・西方寺 浄土真宗本願寺派 愛媛県大洲市西大洲甲1979元和3年、大洲城主・加藤貞泰公によって城下裏町3丁目山根(現在・町の駅あさもや)に入城記念として開基され、 本堂五間四面、庫裡五十坪、山門、長屋等が建てられた。(リンク先より)※元和3年 1617年 << 戻る
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常敬寺-東京都新宿区

常敬寺 真宗大谷派 東京都新宿区市谷山伏町1−7地下鉄牛込柳町駅から神楽坂へ上がったところにあるます。境内には親鸞上人像を見ることが出来ます。元和3年(1617)八丁堀に建立されたものが、明暦2年(1656)にここに移転されました。 << 戻る
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築地本願寺-東京都中央区

・築地本願寺 浄土真宗本願寺派 東京都中央区築地3-15-11617年に浅草近くに創建されましたが、1657年の「明暦の大火」と呼ばれる大火事で焼失してしまいます。その後、再建のため江戸幕府から与えられた土地が現在の場所ですが、当時は海上でした。そこで海を埋め立てて土地を築き本堂を建立したことが「築地」という名称の由来になっています。また1923年には関東大震災に伴う火災により再度本堂を焼失しましたが、1934年に再建し現在の本堂の姿となりました。(リンク先より) << 戻る
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常栄寺-東京都世田谷区

・常栄寺 浄土真宗本願寺派 東京都世田谷区北烏山4-13-1寺伝の過去帳によると、寛永16年(1639年)6月8日に示寂した正教法師を第一世とします。寺は創建当初、浅草烏越の地にありましたが、元和3年(1617年)、本願寺十二代宗主・准如上人が築地本願寺の前身・浅草御堂を浅草横山町に創建したとき、当寺もこれに従って浅草へ移転しました。(リンク先より) << 戻る
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真英寺-東京都新宿区

・真英寺 真宗大谷派 東京都新宿区若葉2-1-3開基 祐眞(三河出身の僧侶)元和 3年(1617年) 麹町清水谷貝塚村(現在の千代田区紀尾井町)創立天保12年(1841年) 現住所へ移転(リンク先より) << 戻る
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緑泉寺-東京都台東区

・浅草・湯島山 緑泉寺 浄土真宗東本願寺派 東京都台東区西浅草1-8-5当山は、初代覺春法師が越前の国より江戸に下り、元和元年(1615年)本郷湯島(現在の文京区湯島)に湯島山緑泉寺として興したことによりはじまりました。しかし明暦3年正月、俗に言う振袖火事により類焼、当山もことごとく焼失しました。その後浅草に遷り、今日まで連綿と法燈を継いでまいりました。(リンク先より) << 戻る
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善徳寺-岐阜県岐阜市

・善徳寺 浄土真宗本願寺派 岐阜県岐阜市加納柳町33もとは岐阜市西川手の地に発祥しましたが、 関ヶ原の戦いによって徳川家康の覇権が確立した慶長5(1600)年の翌年、慶長6(1601)年に加納藩の創設にともなって加納城と城下町の建設が開始されると、元和元年(1615年)に旧中山道沿いの現在地(岐阜市加納)に寺基が移されました。加納の城下町が中山道加納宿として栄えた江戸時代の間、当寺は宿場町の東番所手前の寺として親しまれていたようです。(リンク先より) << 戻る
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徳念寺-東京都葛飾区

・徳念寺 真宗大谷派 東京都葛飾区立石7-11-32林光山徳念寺は、芝金杉の東本願寺抱地に元和元年(1615)創建しました。<< 戻る
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円寿寺-福島県郡山市

・円寿寺 浄土真宗本願寺派 福島県郡山市小原田1-9-14圓壽寺の開基は、慶長18年(1613)7月25日で、新國西念が創建して以来代々法灯を継承して現在に至っている。寺祖新國西念は岩瀬郡長沼城主(福島県岩瀬郡長沼町)新國上総介頼基(貞通)の嫡孫として出生、幼名を竹丸といった。(リンク先より) << 戻る
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安楽寺-宮崎県宮崎市

・安楽寺 浄土真宗本願寺派 宮崎県宮崎市橘通東1-7-251613年(慶長18年) 滋賀県大津市の僧:聞解により、西都市穂北の地に開基1871年(明治4年) 念仏弾圧等により隣寺に吸収合併1885年(明治18年) 篤信者:水間嘉之助氏の尽力により、光源寺より寺号と本尊を譲り受け、現在地の南西(今の宮崎市役所前噴水付近)に寺基を再興(リンク先より) << 戻る
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生蓮寺-山口県美祢市

・生蓮寺 浄土真宗本願寺派 山口県美祢市東厚保町山中6401613 慶長18年 真言宗光臻庵を求む(リンク先より) << 戻る
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福田寺-千葉県鴨川市

・福田寺 浄土真宗本願寺派 千葉県鴨川市貝渚3076慶長十七年(1612)の創建と伝えられ開基は了周。縁起不詳。残っている奉加帳によると、寛政年中(1789~)九世普観の代に本堂が焼失し、以来六十有余年仮本堂で過ごす。(リンク先より) << 戻る
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浄蓮寺-山口県下松市

・浄蓮寺 浄土真宗本願寺派 山口県下松市美里町2-12-1寺伝によると開基は、大内弘世四代の孫、勝屋左門重治で、父は勝屋右馬允興久と云い陶氏方の武将であった。 興久は徳山・須々万の殿浴山城主であったが、弘治三年(1557)毛利元就との戦いに敗れ、城も落ちて勝屋一族は滅亡する。その際、重治は幼少であったので一命を助けられ、家臣の沼新左衛門・安達藤九郎に伴われて末武荘まで落ちのび、民間に成長した。しかし重治は頼る者もないので、父興久や討たれた家臣の菩提を弔うため発心して出家となり、名を蓮甫と改めた。その後、蓮甫は大島村(徳山・大島)の教西(福間源六広明)と名のる出家と語らって、共に上京し、浄土真宗...
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楽運寺-愛知県名古屋市中区

・楽運寺 真宗大谷派 愛知県名古屋市中区大須4-10-23慶長十五年、三河上宮寺第十五世教祐師(1586~1663)により三河上宮寺を本寺として江戸四ツ谷に「龍善寺」を、紀州に「専養寺」を、そして尾張名古屋の八重町(現在、中区栄錦三丁目)に通所として「祐西坊」を開かれました。 この「祐西坊」がのちの楽運寺であります。 当寺の山号を太子山と申すのは、本寺上宮寺より将来された聖徳太子御自作と伝える「聖徳太子二歳木立像」に因むとみられます。 (リンク先より)※慶長十五年 1610年 << 戻る
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等覺寺-新潟県村上市

・等覺寺 真宗大谷派 新潟県村上市細工町1-15山号を六角山とし慶長15年、今から約400年前に今の姫路市から開基釋了法が開山した寺です。江戸時代の初期、開基釋了法は播磨国六角村に生を受け、姫路市の本徳寺で僧門に入り、後、御本尊阿弥陀如来立像と両御脇掛(親鸞、蓮如)に共をして、この地で開山しました。(リンク先より)※慶長15年 1610年 << 戻る
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徳成寺-香川県高松市

・徳成寺 真宗大谷派 香川県高松市番町2-13-25慶長14年・1609年、ちょうど江戸時代が始まった頃、利慶さんというお坊さんがお寺を建てました。そのお寺が徳成寺です。それ以来、高松藩のお殿様、松平家のおかかえ寺になり、お米をもらったり、佛事にも呼ばれてお勤めしていたようです。(リンク先より) << 戻る
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善教寺-大分県佐伯市

・善教寺 真宗大谷派 大分県佐伯市城下東町5-4寺号としての善教寺はそのもとを15世紀にまで遡る資料があります。真宗寺院として東本願寺の末寺となったのは、1607年です。(リンク先より) << 戻る
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品秀寺-広島県広島市安芸区

・品秀寺 浄土真宗本願寺派 広島県広島市安芸区畑賀2-2-16ご本尊は阿弥陀如来さま。慶長7年(1604)に浄土真宗の寺と再興された時のご本尊は、 蓮如上人直筆の『六字名号』(軸)でしたが、本堂が再建されてからは、阿弥陀如来さまのお木像です。 内陣修復として、ご本尊が安置される宮殿(くうでん)ならびに柱回りは、彩色が完全な形で仕上げられました。(リンク先より) << 戻る
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隨泉寺-広島県広島市安芸区

・隨泉寺 浄土真宗本願寺派 広島県広島市安芸区中野東7-27-30慶長9年(1604年)今からほぼ400年前、僧恵閑(えかん)なる人により開基されました。恵閑師は、賀茂郡熊野跡村(現・広島市安芸区阿戸町)の薬師堂におられ、隨泉寺の前身湯原山法専寺に入寺されました。湯原山法専寺は 真言宗の道場であり、場所は現在の井原地区変電所の付近にあったと言い伝えられています。(リンク先より) << 戻る
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正蓮寺-静岡県伊豆の国市

・正蓮寺 真宗大谷派 静岡県伊豆の国市南江間930法栄山正蓮寺は、1603年開山より400年間法灯を繋ぎ、宗祖親鸞聖人が感動された念仏のみ教えを、現代の世情に合った形で伝えていく寺院です。(リンク先より) << 戻る
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浄蓮寺-福岡県行橋市

・浄蓮寺 浄土真宗本願寺派 福岡県行橋市大橋2-4-6慶長 8年(1603) 小倉城下町縄張りにて浄蓮寺本堂建立、浄喜寺二世(村上壱岐守)良祐を開基とする。慶長10年(1608) 本願寺より亀谷山浄蓮寺の寺号下る。(リンク先より) << 戻る
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徳川家康、教如に京都烏丸七条の寺地を寄付(東西本願寺分立)

1602(慶長七)年2月、徳川家康、教如に京都烏丸六条の寺地を寄付(東西本願寺分立)。東西本願寺分立に至るまでの大きな分岐点としては、1591(天正十九)年、豊臣秀吉の京都市街経営計画にもとづいて本願寺は再び京都に帰ることとなり、顕如上人は七条堀川の現在地を選び、ここに寺基を移すことに決められた。阿弥陀堂・御影堂の両堂が完成した1592(文禄(ぶんろく)元)年、上人は積年の疲労で倒れられ、50歳で往生された。長男・教如(きょうにょ)上人が跡を継がれたが、三男の准如(じゅんにょ)上人にあてた譲状(ゆずりじょう)があったので、教如上人は隠退して裏方(うらかた)と呼ばれた。これには大坂本願寺の退去に...
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開闡寺-岐阜県大垣市

・開闡寺 真宗大谷派 岐阜県大垣市伝馬町11慶長けいちょう7年(1602)、本願寺ほんがんじの東西分派とうざいぶんぱのおり、安八郡三塚の真徳寺しんとくじ(現大垣市・西派)栄寿は、不破郡平尾に真徳寺を別立して東派に属した。その後、栄寿は大垣城主石川忠総から寺地を寄進され、大垣市中町に掛所かけしょを創建そうけんした。これが大垣別院の始まりである。 寛永かんえい元年(1624)3月、大垣藩主岡部長盛が大垣の町割りを再編するのに伴い、替地三反を得て真徳寺掛所は伝馬町に移った。(リンク先より)<< 戻る
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明宗寺-島根県松江市

・明宗寺 浄土真宗本願寺派 島根県松江市寺町122慶長年間に開山されており、出雲地方で最も古くから浄土真宗寺院として開かれた寺院といわれています。また、明宗寺という寺号は慶長7年(1602)に本山より拝領されたものと記録されています。開基(初代)は僧・顕俊。摂州西成郡中島草刈の村・定専庄三番坊第4世了顕の弟で、俗名は楠木右京之進正俊といい、楠木正成の6代後の子孫にあたります。(リンク先より) << 戻る
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本願寺(東本願寺)-京都府京都市下京区

・本願寺(東本願寺) 真宗大谷派 京都府京都市下京区烏丸通七条上る真宗大谷派の本山である真宗本廟(東本願寺)は、当派の宗祖である親鸞聖人(1173~1262)の門弟らが、宗祖の遺骨を大谷(京都市東山山麓)から吉水(京都市円山公園付近)の北に移し、廟堂びょうどうを建て宗祖の影像を安置したことに起源する。 慶長7年(1602)京都烏丸六条・七条間の地を徳川家康から寄進される。慶長8年(1603)上野国妙安寺みょうあんじ(現在の群馬県前橋市)から宗祖親鸞聖人の自作と伝えられる御真影を迎え入れ、同年阿弥陀堂建立。慶長9年(1604)御影堂を建立し、ここに新たな本願寺を創立した。これが当派の本山である「...
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極楽寺-新潟県小千谷市

・極楽寺 浄土真宗本願寺派 新潟県小千谷市平成2-5-71560年 初代玄順が信州から越後に移り住み、長岡市摂田屋に光福寺を建立する。1601年 玄順、小千谷に移り住み極楽寺を建立する。1630年 2代了玄の時に正式に寺号と本尊(木像)を本山より受ける。1640年 現在地の旧寺町に移転する。(リンク先より) << 戻る
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南通寺-大阪府堺市堺区

・南通寺 真宗大谷派 大阪府堺市堺区御陵通3-12南通寺法名記と堺市史によると南通寺は慶長五年(西暦1600年)、釋良清によって開かれた真宗大谷派寺院である。(リンク先より) << 戻る
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西福寺-富山県高岡市

・西福寺 浄土真宗本願寺派 富山県高岡市福岡町福岡1865当寺は昔火事に遭った事から由来に関する書物はありませんが伝承によると1600年頃には西福寺は在った様です。(リンク先より) << 戻る
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圓成寺-大阪府池田市

・圓成寺 真宗大谷派 大阪府池田市東山町313-1慶長3年(1598年)西念法師により開基されました。開基 西念法師 慶長12年往生(リンク先より) << 戻る