720年

人物

藤原不比等(ふじわらのふひと)

飛鳥時代から奈良時代初期にかけての公卿。藤原鎌足の次男。文献によっては史と記されている場合もある。『興福寺縁起』『大鏡』『公卿補任』『尊卑分脈』などの史料では天智天皇の落胤と書かれる。諡号は文忠公、国公は淡海公。 藤原不比等は、天智天皇から藤原氏の姓を賜った藤原鎌足の子である。文武天皇2年(698年)には、不比等の子孫のみが藤原姓を名乗り、太政官の官職に就くことが出来るとされた。不比等の従兄弟たちは、鎌足の元の姓である中臣朝臣姓とされ、神祇官として祭祀のみを担当することと明確に分けられた。このため、不比等が藤原氏の実質的な家祖と解することもできる。生誕 斉明天皇5年(659年)命日 養老4年8...
便り

高田寺-愛知県北名古屋市

・高田寺 天台宗 愛知県北名古屋市高田寺383高田寺の創建は、奈良時代にさかのぼる。壬申の乱で功を得た高田首新家の菩提を弔って養老四年(七二〇)、その子首名が行基菩薩を請じて建立したと言われる。「続日本紀」巻第二十四、淳仁天皇天平寶字七年(七六三)の条は、高田寺が歴史上最初にその名が登場する文献である。その後、大同年間、伝教大師が東国巡鍚の折、天台宗となった。(リンク先より) << 戻る
年表

日本書紀

720年、日本書紀ができる。舎人親王、太安万侶。<< 戻る